お産と向き合い、見えてきたこと

カミュ

2012年09月02日 21:51





お産。

私の一人娘 あうら が~お産ピクニック~と題したタイでの自然出産で誕生したのは

2010年5月のこと。

もう3年近くたってる、いやまだ3年、、、?

どちらにしても、わたしはこのブログでも結構お産のネタが多いと思うし

お店にいてもお産について話をしてることも多いし、

それを通じて、お産について不安に思ってる人から

メールで相談を受けたりすることもあって、

もはや私の人生のひとつの大きな柱のようになりつつある

お産
 というキーワード。

働くお母さんとしての育児ってのもキーワードとしてあるんだけど、

まーそこはまだ自分自信も模索していて、その中でみんなと共有できたらってこともあるんだけど、

やっぱり~お産~ってのが気になるんだよね。



本屋さんにいても、ついついお産と書かれた本に目がいってしまう。

(今日もついつい買ってしまった!!
クーヨン!! 今回のテーマはお産ですよ~!)


そして特に気になるのが、自宅出産、自然出産などの文字。

もともと私が初めての妊娠のとき、

一番初めにひらめいたのが、

「大自然の中で、自由に自分と彼だけでお産したい♪」

という気持ちだった。そこには誰もいなくて、私と、彼と、赤ちゃんだけのイメージ。




私はそれまで、まったくお産にも子供にも、もちろん育児とか

妊娠だとか、まったく興味のない人生を送っていた。

いつかそのうち、そんな人生もあるのかもなー なんていう、

まったく無計画の中での妊娠だった。


無計画な人生に、無計画な旅をして、無計画な男性と付き合い、

そのあげく今に至るんだけど、(笑)

(計画 計画って漢字を変換してたら、なんだかかくかくして気持ち悪くなってきたけど 苦笑)

妊娠してみて初めて知った、現代のお産事情!!



それは私の中でかなり衝撃で、そしてどこか窮屈に感じてしまうことが沢山あったのが事実。

お産はある意味、最大の解放であるのに、どしてこんなにも窮屈なんだろう。

妊婦さんたちはみんな、自分のお産に納得してるんだろうか?

どこかに我慢がないんだろうか?

それは「仕方ないこと」と。なのだろうか?

と、疑問がいっぱい。




もちろん、素敵な助産師さんとの出逢いもあったけれど、

ここ長野市では、もうひとつの案としてあった自宅出産は

助産師さんのスケジュール的に私のお産のときは無理ということになってしまったのだった。


「わたし、バリかタイで子供産みたいな~♪」

なんて鼻歌まじりに言っていた私に、親は大激怒!!



「あんた何考えるの?お産をなめてる!」



今、思えば、そう言ってくれた親の気持ちは確かに分かる。


初めてのお産を海外で、しかも自然に産みたいだなんて、

お産体験者からしてみたら、何ぬかしてんの?! 赤ちゃんは心配じゃないの?!

何かあったらどうするの?! だ。

そして自分の娘の子供。

すぐにでも会いに行きたい!というのが、親心。



そしてそこから色々、本当に色々あって、

私は決して幸せなだけな妊婦ライフとはいかなかった。

もちろん、素敵なことも沢山あったけれどね☆



本当に波乱万丈な、、、 涙も感情も沢山たくさんまき散らし、

そして沢山自分の中の自分と向き合い、いろんなことに気が付かせてもらい、

そしてお産ピクニックで、

色々なことが~クリア~になったのだった。

私はありがいことに、母体の身体と赤ちゃんはいたって健康を保っていたため、

旅する妊婦として歩きまわれたし、精神状態においてかなりきついことがあっても

乗り越えられたんだと思う。


妊婦さんには、本当に人それぞれ、いろんな事情があると思うし、

いろんなお産があって、それがその人の人生においての素晴らしい体験、気付きには違いない!



自分の中で大きく何かが変わった

あのお産までの道のりから現在に至るまで、、、。


私は毎日、毎日、こころの奥でずっと考えていることがあった。


たぶん、ここに私の使命的なものが隠されている、、、と。



それは考えていた、、、というよりも直観。

あとは、

こんだけお産について色々想いがあるってことは、

ここに何か私がこれから生きていくうえで、とても必要な何かがあるに違いないなーという想いと

それを後押しするような、どこからともなく聞こえてくる

「こっちにおいで。」というお誘いの声。


「よし!じゃあ私、お産婆さんになる、、、!」というのは何か違う。


何かもっと、 違う役割、、、。


長野に帰ってきて、私は~まほうのしずく~というお店をれいちぇると考えて、

そのとき大事にしていたコンセプトの中に

~身体とこころが気持ちよく呼吸する~ ということがひとつあった。


それは私が学生時代や、東京にいたころ

精神を病み、過呼吸で苦しんで精神安定剤に頼って生きていた頃の自分を振り返ってみて、

ファッションというものが、こころやライフスタイルにも大きな影響力があることを感じていたし、

その中でも、骨盤を締め付けるパンツを履いたり、ヒールの高い靴で骨盤をゆがめたり

身体を冷やすファッションによって、生理不順や、生理痛をまねいたり、

忙しく働く現代人女性の生活スタイルが、不妊症や難産をまねくことに自らの体験の元に気が付いて、

そうではない、本来の女力をアップ、開花させるような衣類や、布ナプキン、

自然と調和し、自然から人間という命を最大限に生かしてもらうライフスタイルの提案だったり、

それには赤ちゃんや、育児というものが蚊帳の外にあってはならず、私の中では

暮らしの中にこそ仕事があって

仕事があるから暮らしがあるのではない。という想いが繋がって、


おんぶして働く、まほうのしずくになったのだった。


しかし、まほうのしずくで働いていて、私の中にやりがいと共に、どこか何かに息詰まる気持ちが

実は最近出てきてしまっていた。


それが一体なぜなのか、どうしてなのか、

たぶん、あうらを保育園に預けたころくらいから、

私の中に何か気持ちの変化が起こっていった気がする。



その気持ちの変化がなぜなのか、自分でもわからないままお店に立つことが、時にしんどい日もあって、

そしてそれは、まほうのしずくという場所にとっても、働くみんなにとっても

お客様にもとても失礼なことで、

自分が一番、そんな自分が嫌だなーって悲しくなっていた。


そこの  「Why?」 に、突破口をずっと探していた日々が続いていた。


そして最近それがわかりつつあって、

今日大きなひらめきが私の中に起こった!!

一昨日からのめまいの中で、身体の浄化と共に、やってきたひらめきさん。

ありがとう~~!! 感情と身体からのサインは、やっぱりいつも私の味方だ。





私の人生の中での、次なるステップへ行くビジョンが繋がった!!



ということで、そのお話はまた次回☆☆




それにしても、今タイでも、中々助産師さんていないのね~。

みんな日本と同じ感じ。病院でのお産がほとんど。



山岳民族の方たちは、昔ながらの自宅でのお産のスタイルを保ってるとこもあるような話を聞いたけれど。



赤ちゃんの命を第一に考えて、病院でのお産というものがこれだけ普及したのだろうけれど、

もう少し選択肢、バランスのいいお産の場所が増えてくれたらいいのになーと、私みたいな人間は思う。


昨日、行った耳鼻科に

古代の女性みたいな人の版画があって

それを見た母が一言

「あれ、あんたにそっくりじゃん!!!」



に、似てる、、、。


仏様に続く、ヒット作!!


古代の人。

そうそう、私はたぶん、古代の人なんだよね~。


いまだに。


現代を生きる女性たちに、古代のかみゅちゃんからのメッセージでした~~!!





















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