春になってゆく

カミュ

2013年02月06日 09:30


こんにちは。

今朝窓を開けると、昨日一転、雪景色が広がっていました。


娘を保育園に送っていくとき、傘をささずに歩いていたら

コートについた雪はなんだかぽろんとしていて

やさしいお菓子みたいでした。


病気が去った娘は、とっても元気になり、

にこにこ、そしてわくわくに満ちています。


私も、一時はストレスでいっぱいだった頭の中に

少し余裕が生まれて、娘とほっぺとほっぺをくっつけては

くすくす笑い、一緒のお布団で抱きしめあって眠り

相変わらずの手癖の悪さに、朝から何度も叱ってはいるけれど、

私も少しだけ、母親という部分が育っているような。

そんな気がしています。

考えてみれば、私は29年という間、自分だけのために時間を使い

自分を自分で持つことだけで精一杯で、

常に、「私」という存在にだけ愛を注いできました。

妹として育ち、両親にいつも甘え、赤ちゃんをちゃんを抱っこしたこともなければ、

こどもと触れ合う機会もあまりなかった。


子育てとはまったくの無縁の中で、私に突然やってきた娘という存在。


お産までは、とっても自然に受け入れれられたいのちという存在が、

自分の外へ飛び出てきた瞬間から、私は自分とは全く別であり、しかし

自分と密に繋がっているそのいのちの存在に

いつもビクビク、おどおど、そして分からないことで一杯だった。


もっと小さい頃から、身近なところで、人間の子供と触れ合ったり、赤ちゃんを育てるお手伝いをする経験があれば、

もう少し余裕があったかもなーと、今更少し後悔している。


自分と同じ様な生き方をしている、同世代の友人たちとばかり遊んでいたこと、そこにしか自分の世界とのつながりを感じられなかったこと、

今となっては、もったいないことをしていたなーと思う。


お母さんになって、もうすぐ三年。


お産のときも感じたことだけれど、

いのちがずーっと続いてるってことは、

どんな時代にもお産や育児があって、

みんなそれぞれの時代の中で、様々な苦労や感動を経験しつつ、お産や子供をしてきてるってこと、

本当にすごいなーって。


そして、そこにはお母さんだけじゃなくて、

本当に沢山の人の力が重なって、一人の人間が成長していっているってこと。

一人の人間が育つのに、いったいどれだけの人のエネルギーが

そこに向かっているんだろう。

すごいねえ~。






雪でも、雨でも、晴れでも、くもりでも

こどもの目から見た世界は、いつでも冒険心に満ちていて

一緒にいると、自分もちょっとだけその世界に入ることが出来ます。



私の魂を、そんな風に磨いてくれる娘の存在に、

今日もエネルギーを沢山もらって、

私は動き出したいと思います。










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