私と娘 時々お父さん

カミュ

2013年02月18日 00:53

私は未熟な人間で、

そして彼もまた未熟な人間だ。


私たちは未熟者同士、くっついて

恋をして、

そしてとても美しい ~いのち~を授かった。


でも、突然のことすぎて、

彼には心の準備も、父親としての自覚も出来ていなかった。

もちろん、それは私だって同じ。


でも、お腹の中から聞こえてくる小さな鼓動が

どんどん私の中で大きくなっていくとき、

私は新しい生命と共に、自然に母性が育っていった。


身体はどんどん膨らんでいき、

自分とは思えなくらい変化し続けた。

その変化の中で、私はおなかの中のいのちに、

初めて~愛の温度~を感じさせてもらっていた。

私は心から思った。

この子と、私と、彼と

三人で幸せに、楽しく暮らしたいと。



でも、彼から少年のようなまなざしは中々消えなった。

そして、彼の精神的な問題もどんどん悪化していく一方で、

私は不安と恐怖で、毎日泣いて暮らしていた。


普通でいい。質素でいい。贅沢を言いたいわけじゃない。

ただ、親子三人で一緒に仲良く暮らしたいだけ。



そう願えば願うほど、どんどん私たちは離れていくように感じた。



この問題の根が一体どこにあるのか、そんなことばかり私は探し続けて、

もう疲れ果てていた。


タイのお産も、もちろん私の意思でもあるけれど、

彼の精神状態が一番安定する場所として

彼が一番大好きな場所を、選んだというのもあった。

しかし、現実はどこへ行っても変わらなかった。




妊娠生活を不安と恐怖で一杯に過ごしていた私は、

お腹の赤ちゃんが不安症にならないか、とっても心配していた。

だから出来るだけ笑顔を忘れないように心がけ、それでも泣いてしまった日は

ごめんね、ごめんねとお腹に手を当てて謝り続けた、、、。


雨がざーざー降る夜に、マンゴーの木の下で、一人泣いたこともあったな。

今更、誰にも、泣き言を言いたくなくて、

幸せなフリを沢山していた。


「人生には、思い通りに行かないこともあるんだな~。」

そんなことを知ったあの夜。




それでも、二人でお産を迎えれば、

絶対に何かが変わると思った。


お腹の赤ちゃんを、彼に一番最初に抱きしめて欲しい。

私は強く強くそう思った。

それが、きっと彼の人生の光になるに違いないと、確信していたから。

この子が彼の闇を救ってくれる。

そう信じていた。

子供にとっては、そんな親の気持ちは少し重たいかもしれない。

でも、本当にこの子は、ただ生きてるだけで、

私たちの道しるべのような、道筋を照らす光となってくれている。


彼も、自分自身の手で、赤ん坊を取り上げることを、強く望んでいた。

普通、男性は苦手だと思われる様なことが、

彼は不思議と得意だった。

私の血の付いた布ナプキンも、平気で洗えてしまう人なのだ。

へその緒も切ったのも彼だし、

胎盤を切って料理して私に食べさせてくれたのも彼だ。

医者も助産師さんもいないお産で、私たちのお産を導いてくれた人。





私は精神面では不安定さはあったものの、妊娠中なぜだかとても健康だった。

妊娠する前の方が、私はずっとよわよわしかった。

お腹の中に赤ちゃんが宿ったとたん、

私はすとん。と地に足が着き、ふらふらしなくなった。

よく食べ、よく飲み、よく動けた。

妊娠6か月でタイに渡り、そのまま産むとこ探しの旅を続け、

臨月までライブもしていた。


本当に、ありがたいことだったと思う。


やっとこ腰を落ち着けたPAIの家で、自分より大きな植物たちに囲まれ、フルーツと

野草、タイの赤い玄米を食べる暮らしの中で、巣作りをし、お産部屋を整え、掃除や料理。


日々、朝の瞑想と簡単なYOGAと、お散歩とで身体を整えた。


頼れる人がまわりにいないと、私は自分に程よい厳しさを与えることが出来た。

長野に素直にいれば、きっと助産師さんから色々教えてもらったり、

先輩ママから勇気をもらえたり、両親の恩恵に甘えられたかもしれない。

そして彼の負担ももっと減らせたかもしれない。


でも、これは自分たちが選らんだ道だ。


不安だなんて口にしたくなかった。

ただひたすら、不安を感じるたびに、私はすぐ身体を動かしたり、散歩へ出かけ歌い、

大好きなマンゴーを拾って帰った。



そして他にやることがないほど、家には何もなく、予定もなかった。

産前の一か月間、産後の二か月間、私はお金すら見なかった。

それはとてもラッキーなことだったと思う。

妊婦は頭をすっからかんにして空を見上げ、

本当に本能のままに生きていられれば一番いい。

それが今の社会では中々出来ないことを、私は知っていた。


とにかく、安産をめざし、身体を動かし、精神面の揺らぎを瞑想でカバー。


そしてこんなタイの山の中だというのに、私が欲しい物や、必要なメッセージは

時を選んだかのようにばっちり届いた。

それは、このお腹の子が持つ引き寄せる力だったと思う。




自分一人で、おなかの子の流れのまま自然に産む。

そして彼に取り上げてもらう。



そう決心したとき、私からとてつもないエネルギーが生まれた。

情報も、ネット環境もなく、携帯も繋がらない。

自分が本当に必要だと直観で感じたものだけ、吸収していた。

五感が冴えていた。

だからこそ、余計な不安感を持たなくて済んだと思う。

ものすごく荒れ狂っていた彼の精神状態も、いい時と悪いときと色々あって、

その中でも、彼は本当に懸命に動いてくれていた。

必死に家さがしをし、掃除をし、ご飯を作ってくれたり、

彼なりに出来ることを、彼の精一杯でやってくれていた。



不器用な生き方しか出来なくて、誤解ばかり招くけれど、

だけどいつも彼は彼なりに真面目だということを、私は近くで見ていて知っている。


そしてカメハメハの国でなら、きっと彼は生き生きしてられるだろうに、

生まれてきたのがこの日本である以上、

彼は彼の持ち味のエネルギーをすぐに使い果たしてしまうことも。



私が当たり前に出来てることが、彼にとってはすごく大変なことだったりする。

でも私に出来ないことが、彼にはとっても得意だったりする。


たとえば、木登りとか、、、。

本当にサルみたいに、さささーっと登ってしまう。


それとか、

哲学者みたいに、毎日小さな字で、彼の頭の中のことを

ずらずらと書くことに彼は忙しくて、それ以外の日常生活を彼は中々

バランスよく過ごすことが出来ない。

音楽も、溢れ出る。

溢れ出すぎて、収集が付かななくなってしまったり、、、。




残念なことに、まだ彼の特技は中々社会に生かされるまでいかない、、、。

それが社会の間で生き始めてこそ初めて、彼はもっともっと生きやすくなるんだろうな、、、。





彼の特技は、中々この社会では受け入れてもらえないことが多い。

ただただ、変な人としか見られないし、私もそんな変なところに惹かれてしまったから

いくら普通の暮らしを求めても求めても、彼の変化を必要としても、

それは中々思い通りにはならないことだったのだと、

今になてみれば、よく分かるし、そこを見抜けなかった私の未熟さ招いたことだなーと思う。




この世で一番難しいのは、自分の思い通りに人を動かすことだ。

これは育児でも同じことが言える。

人は思い通りになんてならないんだよね。


それが、答えなんだけどね。


そんな未熟な私たち。

お互いの未熟さを完成にしたいと求め疲れ果てて、一緒に暮らすことは諦めた。

どんなことがあっても解りあえるパートナーでいることも、とりあえず保留。


それが、今の私たちのハッピーなバランス。


とりあえず今はね。


でも、私たちは、この子の親であることは一生辞めない。



あの朝、

大きな産声と共に、私たちの手の中に降りてきてくれたあなた。

私たちの愛の光。

~調和~ハーモニーという意味を込めて~あうら~と名付けた。


こんなだめだめな両親で本当にごめんね。

と、私は後ろめたい気持ちで過ごしていたし、

もう二度とこの人と娘を会わせない!!と思ったりもした。

でも、それは私と彼の問題であって、

娘にとっては関係のない話。




最近、三人で遊んでいてふとこんなメッセージが降りてきた。




「未熟だから、ママとパパは出逢った。
 
 未熟だから、私が生まれてきた。

 私たちはだから、必要なんだよ。」




彼が、小さなあうらの手をひいて歩いていた。

本当に、本当に嬉しそうに。

目じりをこーーんなに下げて。



私はその顔が見れて、本当に幸せだった。

お父さんになってきたね。




小さな小さな幸せを、

私はちょっとずつ集めて

大きくしていくよ。



ありがとう。


























































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