ここ最近、また内感することが楽しいカミュです。
こんばんは。
今回のテーマは、
「自分のマインドからの声と
身体からとの声が、いつも一緒とは限らない。」 ことについて。
身体をさわらせてもらう仕事を通して、そして沢山の人と会って話す機会があった
様々な過去の仕事を通して、
実はそこがずれてる人と、ずれてない人では
精神や身体の状態が違ってくることに気が付きました。
私自身も、過去にずれてる体験を何度もしているし、
今もたまに、はっとさせられることがしばしばあります。
自身の過去の体験でいえば、
私が二十代前半から半ばにかけてが一番ひどく
東京に住みだしてからすぐ発症した
過換気症候群は五年ほど引きずり、
人ごみや電車に乗れないパニック障害にもなったり、
顔に沢山に吹き出物が出来たり、
便秘だったり、低体温だったり、片頭痛もちだったり、
精神のバランスがま~悪い。不安や鬱や思い込み、、、
生理痛がひどすぎて動けなくなったり、、、と、
たぶん若年性更年期障害みたいなものもあったんじゃないか?と、、、
あの頃の自分はあげでばきりがないほど、気も身体も病んでいた!!
しかし今の自分にはそういった症状がまったくなく、
同じ人間とは思えないほど、、、。
しかし今はその症状はすべて改善。
あ、たまに便秘はあるけれど。
「 あ~、人間て変化するもんだな~ 」
と、31歳子持ちのカミュは当時を振り返り思うのでありました。
あの頃、過換気症候群が手放せなかった私に、一体どんなことが起こっていたのか?
もちろん、その当時はまったく自分自身のことが分からなくて、本当にもがき苦しんでいました。
あの頃住んでいたマンションの8階から、飛び降りなくて本当に良かった。
苦しさから過ぎてみて発見することが、本当に沢山ありました。
一体何にそんなに苦しんでいたのか?と 今その当時の自分を観察してみて出る答えのひとつに
「マインドと本心がずれていた。」
ということがあげられます。
マインドと本心。
本心というとなんか分かりずらいですかね。
私が今使うマインドとは、~自分の頭で考えていること~とします。
「私は○○しなくちゃいけない」 と思ってるようなことはマインドで考えてること。
本心は、もっともっと心の奥
「ほんとうの素直な自分のきもち」です。
わかってるつもりでも、実は多くの本当の気持ちを
自分自身で押しこめて見えなくしてる場合って沢山あると思います。
その押し込めてしまうものは一体なにかと言えば、
人によってそれぞれ違いはありますが、
「自分はこういう人間だという周りからのイメージから外れたくない願望」
だとか、
「責任」 とか、
「○○しなくてはいけないことに時間をさくことを優先して、本当に自分がしたいことをするのがいけない気がする」
とか、
「いまある日常を崩したくないから」
とか、
「この幸せを手放したら自分がどうなってしまうかわからないという不安」
とか。
「好きなひとが、好きだと思ってくれる自分に変身している」とか、
「自分の本音を言って、人を傷つけるのが怖い、嫌われるのが怖い」 などなど、、、。
こうあるべき自分像をいつの間にか自分で作り上げ、
そこから外れることに恐怖を抱いてしまったり。
今の自分に対して幸せを見いだせず、いつも違うところに幸せを求めていたり。
または誰かから教えてもらった世界観にどっぷりはまり、
自分の声を失っていたり。
不満だらけで、実はそこにあるたくさんの素晴らしいことに、気がつけてなかったり。
あるある。
人生にはそんなことが実はよくある!!
と、ここに書いたのはすべて私の経験談から来ているものです。(笑)
で、本当の素直な自分の気持ちって、どうやったら聞き取れるのかさえ、
分からなくなってる末期の状態の中
身体は様々な方法で教えてくれるわけです。
痛みとなったり、呼吸の変化だったり、睡眠だったり。。。
「ちょっとちょっと、違うんだってば~。あんた何してるのよ~」
と。
それが、私の数々の病の正体でした。
あの頃の自分は、東京で生活することを楽しいと思い込んでいました。
もちろん、面白いことも沢山あったし、
そこで出逢った仲間とは今でも交流があります。
交流と言っても、実際に会って遊んだりしてるわけではなくて、
お互いの人生の数々の歩みを、電話やメールや手紙やらで
共に楽しんでいるという感じですが。
それで、充分満たされています。もちろん、会って美味しい物を食べながら
いろんな話をしたらもっと楽いだろうけど。
でも、それでいいのです。一緒に人生の交流を楽しむ体験から
その人の様々な人生の状況を垣間見ては、
わたしも気づかされたり、楽しませてもらったり、時には同じ涙を流したりする関係へと変化したのですから。
みんな、いつもありがとね。
都会での生活を楽しんでいると思っていた自分とは裏腹に
実は、東京での暮らしのリズムに疲れ果てている自分もいたのです。
そう、最初から都会のリズムは、
田舎育ちの私には早すぎて全然合ってなかったのです。
でも、都合のいい部分を優先させていたくて、疲れ果てている自分を
自分自身でねじ伏せていました。
見えないふりをしていた。
その頃、意地でも絶対に長野にだけは帰らないと強く思っていたし、
実は今私がしている生活は、あの頃の私が一番おもしろくないと
思い込んでいる暮らしの在り方でした。(笑)
なのに、どんぶらこ どんぶらこと
その暮らしに流れ着いた私。
そしてその暮らしが、私のリズムに合っていて、
こころと身体のバランスを良くし、自分の本心で生きるという大切なポイントを
クリアしているという現実。
そして、いまこの暮らしの中で交流しあう
仲間たち、家族たちとのほどよい関係性。
一番は、自分自身とすごく仲がよいということ。
これは住む場所が変わったからなのか?
ライフスタイルが変わったからなのか?
それとも年齢のせいなのか?
ホルモンのバランスのせいかのか?
それとも、自分自身の声を聞いてあげることが出来る自分になったからなのか?
答えは果たしてどこにあるのでしょうか?
たぶん、答えはすべて。
大体、自分を傷つけてまで辞められないことの本質の中には、
快楽がひっついてることが多いですよね。
自分をだめにする人だと分かっていても
別れることが出来ないとか。
どこかで、甘い蜜を吸ってる自分がいる。
同じ自分を悲しませるパターンに、何度もなぜかはまってしまうこととか。
おいしいけれど、自分をむしばんでいく本当は身体に悪い食べ物と、それは良く似ているかも。
分かっていて食べるのか、
分かっていなくて食べているのかでも、それは違ってきます。
自分に何かしらメリットがあるから、そこに留まっている。
そこから離れならない。
でも、究極に、このままではまずいという身体からのメッセージがきて初めて
「あ、そろそろ卒業したほうがいいな」
と変化していったりする。
それか、分かってるけれどやめれらない。になってくると
「ま、いいか」
と、自暴自棄になるか、自暴自棄を通り越すと、正当化が始まる。
間違ってる方向を、自分自身で合ってると言い聞かせていく。
幸せに気づくのではなくて、幸せだと思い込む。
そして自分の声を掻き消していく、、、。
という悪循環。
ここにもはまったことがあるな~、私。
様々なところから違和感があるというメッセージを感じてる自分がいるのに、
そこを自分自身であえて聞きとらないようにする。
不思議~。
どうして自分の本当の姿になることが、怖いのか。
何がそこを邪魔するのか?
そこをこれから自分に聞いていく作業に入りたいと思います。
つづきはまた今度☆
それにしても、
人生の主役はいつだって私自身。
そして生まれてから死ぬまでずーっと付き合い続けるのも
この私。
仲良くなった方が、楽しいよね。
自分を好きになったり、嫌いになったり。
もうやめちゃいたいって思ったり。
そんなこともあったけれど。
仲良くなるには、どうしたらいいのか。
それはとてもシンプル。
自分が本当に好きなことに、とことん付き合う。
自分が本当にしたいことを、とことんやる。
本心から出てくる自分の声を大切にする。
それをやらない理由は必要ないんだよね。
そして大好きな人を大切にするように、自分をすっごい大切にする。
自分の人生は、まったく他人とは違うもの。
だから他人の説教や、理想や夢は
自分とぴったりこなくていい。
その人にとって大切なものと、
自分が大切なものが違っていい。
でも、ホントに自分が大切にしてる気持ちがあれば、
同じようにその人にとっても大切であることに気が付ける。
ここ数年の私は、
自分の過去と今を統合する時期なんだと感じています。
「間違いだった!」
と思っていた自分の過去の出来事を跳ね除けるのではなくて、
その出来事を自分の中でどんどん味方にしていく。
自分の肥やしにしていく。
どんどん、まぜこんでいく。
はまりやすい私の性格も、はまったからこそ気が付けるよさがあり、
かたよりがちな私の性格も、かたよるからこそ面白さがあり、
まっすぐいかない私の人生も、道草くったからこその発見あり。
これからもっともっと自分と仲良くなったときに
一体何が始まるのか。
自分の可能性を自分でどんどん広げてみたいな。
それってとてもわくわくするじゃない。
Photo by CANA (お菓子のまど 一周年記念ライブより)