最近おいしそうなイチゴが並んでいる。
イチゴを思わず買った日は
必ず母も同じ種類のイチゴを買ってくる。
「イチゴあるよ~♪」
と、嬉しそうに母がアウラにイチゴを差し出してくれるのに、
「あ、さっき私も買った。」
と、笑い混じりの何とも味気ない私の返事。
母のおもいやりの心に、ほんとうはありがとうねって言いたいのにね。
さっき、お風呂上りに冷蔵庫を空けて
真っ赤なイチゴが並んでいるパックを見て
ふと思い出したことがある。
そういえば私がアウラを妊娠した時、
父がやたらと 「 めぐちゃん、イチゴを買っておいで。」
とお小遣いをくれたっけ。
父の中ではまだ「めぐちゃん」な私。
二歳くらいの娘を呼ぶみたいな甘ったるい感じで、
お腹に子供を宿した、もうすぐ母親になろうとしていた私の心は
妙なじれったさみたいなものを感じていた。
しかもその季節、イチゴはちょっと季節外れで
少し値段が張った。
結婚もせず、様々な問題を抱えて
あまり幸せそうではなかった妊婦の娘を
父はきっと悲しい気持ちで見ていたに違いなくて、
父のひそかな夢だったバージンロードを腕を組んで歩くことも
叶えさせてあげれないまま、父はこの世を去ってしまったけれど、
お父さんのもう一つの夢だった
私の子供を抱きたいという願いは、ギリギリセーフで叶った。
「おめでとう。」
両親のその一言が聞きたくて、私はどうにか幸せを築こうと必死になっていたけれど、
現状は中々、混乱の中にあって、
「おめでとう」 とは心から言い難いその状況に、両親を本当に苦しませてしまっていたこと
私は今でも申し訳なく思っている。
でも最近気が付いたことは、幸せは築くものではなくて気づくもの。
ああなったら幸せになれる。
こうだったら幸せだった。
あそこにいけばきっと自分は幸せになれる。
幸せにしてほしいからあなたと結ばれる。
そういうんじゃなくて。
「 今、なんだかんだハッピー。こんなにも恵まれてるじゃん。サンキュ~! 」
だった。
アウラが生まれたことを、
一番最初に父と母に報告したら
「おめでとう」 って初めて言ってくれて
私は本当に嬉しかった。
アウラが生まれてきてくれたこと。
それだけで、とっても意味のある、価値のある、素晴らしい奇跡。
そしてみんなをどんどん導いてくれている。
必要な衝突もあった。
でもそれは、次の扉を開けるために必要な衝突だった。
隕石と隕石がぶつかって、新しい星が生まれるように!
赤ちゃんの誕生の力はすごい!!
冷蔵庫から、ひとつだけイチゴをつまみ食い。
「おめでとう」とは言えなかった
父なりの、私とお腹の中の赤ちゃんへの 愛情表現=イチゴ
母が買ってきてくれたイチゴだけど
宇宙の父からのプレゼントのような気もした。
父が毎朝参拝していた神社に、
今日は遊びに来てくれた朋さんと早人君と アウラと私とで行って
お参りをした。
手を合わせて正面をふと見ると
ガラスの扉に映った私の顔が、父親そっくりでびっくりしてしまった。
父が他界してから、私の中の父の遺伝子が騒ぎだし
私は様々な生前の父との体験の記憶にしばらく包まれていた。
生きていた時には気が付けなかった父という存在の真意に迫るようなその体験により、
私は初めて父を拒絶するのではなく、自分の中に統合した。
そしてきっと、私は母のことも自分の中に統合する必要があって
そのためには様々な意識の卒業が待っていることに
気が付き始めている。
父と、母が私の中に統合され、
そして私が本当の私の人生を歩み始めるとき、
きっと私たちはもっともっと
お互いの愛に素直になれるんだと思う。
私はお父さんとお母さんの子供で良かった。
そしてアウラの母になれて本当に良かった。
それだけで、私の人生はかなり花丸です。
そして
私は今日も
なんだかんだハッピーです。
サンキュ~!
2009年 インドのリシュケシュガンガーのほとりで