アウラと赤ちゃんの生まれてくる前の記憶

カミュ

2013年06月18日 23:28




先日

仲間たちと親子ピクニックを楽しみました。

この梅雨時期に(笑)

前の日にどっさり雨が降って

朝起きてもお天気は微妙。

でも、絶対晴れる気がしていました。だってサモサを揚げたから!!

といっても、ジャガイモの入ったインド風ではなくてなんちゃってサモサ☆

餃子の皮で具を包んで揚げただけの簡単サモサです。

ブロッコリーを煮てカレーパウダーであえたもの、バナナ、リンゴジャムと揚げてみました。



朝から 「サッモ~さ、さっも~さ♪」


となぜかラテン調のサモサのうたを作って娘と大はしゃぎの私。

車の中でも 私が小声で 「サモサ」 とつぶやくだけで 娘は大爆笑!

あ~、娘の笑いのツボが簡単に探せてでなによりです。すぐ笑ってくれるんだもん。可愛い彼女だわ。

そしてこの車内で、娘はある重大なことを話してくれました!!




「お腹の赤ちゃんさ~、太陽って感じがすごくするんだけど、男の子だったら陽太くんとかどうかな?」

と私が話すと、突然アウラが


「あのね、ヨータさ、タイでさ、あーちゃんがママのおなかからすぽーんて生まれてくる時にさ、

 あーちゃんママのことまっててさ、ママもあーちゃんのことまってるときさ

 あーちゃんお山で ヨータと遊んでたのママ見てた?」

と話し出したのです!! しかもいつも以上にすらすらと!

「え? ママ知らなかったよ!見てなかったよごめん。おやまに陽太といたの?」


「うん。ヨータさ、あーちゃんとおもちゃであそんでてさ、ヨータさ、ピアノひいたりしてたよ」


じぇじぇ!!(げげ)


「へ~!ピアノひいてたの?すごいね~で、おやまってどこのお山?」

「タイのお山だよ。」

、、、 え~それはもしかして私がずっと大好きだった PAIのおっぱい山だったりして???

あのおっぱい山からみごとな月が昇った夜、私は産気づいたんだよね。

ちょっと鳥肌がざざざ~~。

「ヨウタはどんな子なの?」 と私。

「かわいいの。ヨータいい子だよ。あー、あーちゃん はずかしい!!」

と、急に手を顔に当てて照れ出す娘さん。

いや~、なんだかとても感動しちゃって、涙が出てきそうになりました。

今まで体内記憶とか聞き出したいなーと思っても

さっぱり覚えてない感じだったアウラさん。

名前は陽太君になるかはまだ分からないけれど、(男の子か女の子かもまだ不明だしね。)

なんか、絶対いい兄弟になるだろうなって思いました。

そしてアウラが先に生まれてきてくれたことも、きっと意味があるんだろうね。

赤ちゃんに戻ってみたり、急にお姉ちゃんぽくなってみたり

日々色々彼女の中に変化があります。

でも、私はすごくアウラがいてくれるだけで心強いのです。

きっと楽しい家族になるなって、すごく思うから。


無理してお姉ちゃんになろうと頑張らなくていいからね。

アウラはアウラで充分、家族のハーモニーとなってくれてるからさ。


「ママね、お腹の赤ちゃんが生まれても、アウラのことが大好きな気持ちは変わりないよ。大好きだよ」

と言うと、

「あーちゃんも、ママのことだーいすきだよ♪」


と抱きしめてくれました。


私たちの絆は、本当に強いと感じます。

今のところ出番の少ないパパのことも、アウラは大好きでいます。そこの絆も強いらしいぞ。


さあ、どんな子が誕生するでしょうか。あと4か月後、あっという間です。


それにしてもピクニック、とても楽しかった。

最後にみんなで子供と大人と手を繋いで 和になる遊びをしました。

手をつなぐと、一瞬自分が大人であることを忘れて

子供になったみたいな気持ちになりました。

「めぐちゃん、あそぼ~!」

そう呼ばれていたときの自分と、今の自分と

何が変わったのでしょうか?


子供から母親へと立場が変わっただけで

子供のときの私も、今の私も同じ私なのだと 気が付きました。


母親の立場になって、とたんに「母親とはこうあるべきではないか?」というものに

とらわれ、本来の私という感性を無理して隠していたように感じます。


「お母さんとはこうあるべき」 という理想像は置いといてよし。

「私はこう思うよ」 そう、 お母さんだけど、私なんですよね。



あなたよりこの世界を少しだけ長く生きた、私なのでした。


最後になりましたが、トップの写真はCanaさんが撮ってくれたもの。

いつも本当に素敵な写真をありがとうカナさん☆































 





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