適当をしる旅

カミュ

2015年06月01日 12:47




またページをめくる。

6月のはじまり。

5月は自分の身体からのメッセージに耳を傾ける月だった。

二十代、六年間手放せなかった過呼吸。

グルグルな毎日からの脱皮は自分を裸にする旅だった。

29歳で長女をタイで産み、

そのとき、わたしの裸にする旅の終わりを感じた。


長野でのこどもとの暮らしがはじまり、

この五年間一度も長野から出ていない。


気づかないうちにまたリセットしなくてはならない何かが、

自分の内側に溜まり始めていた。

気づいていたのに

やめることが出来ずにいた。

とまることが

怖かった。


わたしの両手には持ちきれないほどの日常があるのに、

さらにあれもこれもと欲を出し

結局自分の首をしめていた。

ふたりのこどもを背負い

マイクをにぎる

歌わずにはいられなかった

わたしを保つために。

わたしを

見失わないために。


5月のはじめに

ひどい乳腺炎になった。

身体はその一ヶ月前から不調で

微熱が続き

身体の粘膜のあちこちに

痛くて深い 潰瘍が出来ていた。

アルバム〜産月〜を産み出したくて

無理を重ねていた。

でも、無理してでも飛びたかった。

頭の中では完成されているアルバムが

イメージとしてバンっと出ていて

それを手にしたくて、たまらなかった。

この曲を

待っていてくれてる人たちに

はやく届けたくて仕方なかった。


しかし、こども達はわたしに

しがみついてくる。

重たい訛りを身体にこさえているような

そんなストレスを感じてしまっていた。

長女は私から色んなものを奪う。

何か描きたい!とひらめきペンを持てば

ペンを取り上げる。

友人から電話がきて、嬉しい気持ちで電話しだせば、私から電話を取り上げて隠してしまう。

私がパソコンに向かえば、パソコンをかまいたがり、

ウクレレを弾こうと思えば、ウクレレを取り上げて遊び出す

私が一人で出かけたくても

わたしを置いていかないで!と待っていられない。。。

そんな中でアートワークは中々出来ないので

結局、彼女が寝てからがやっとわたしのフリータイムとなる。

しかし、やっと出来る!と思いパソコンをひろげると

今度は次女が泣き出す。


やりたいことが目の前にあるのに

娘達は応援してはくれない。



そうだよね。わたしはママだった。

そしてこの子達が、わたしの意識がよそに行くことが

どうやら本当に嫌らしい。

うーむ。

私だってたまには、

ママじゃない私の時間が欲しいのに。



そして、わたしは気づいた。

子供たちを一人で抱えて潰れている自分。

そもそも、なんで抱えてしまってるのか?

そこには、ひとに頼れない自分の癖と、

どう頼んだら気持ちよく受け入れてもらえるのか?が分からない自分がいた。

お願いベタなんだよね。

その辺りが苦手なもんだから

なら自分でやろうと、すべて抱えてしまう。

今回の乳腺炎も、そんな自分の癖が

蒔いた種ともいえるだろう。


二週間の高熱

身体は本当に正直だ。

わたしがアルバムに熱を入れた分だけ

往復切符のように

今度はわたしの身体から熱を出した。

42度近く出た時は

本当に境界線を見た感じだった。

飲みたくなかった薬を手ににぎり

一時間くらい

うやむやしたりしていた。

わたしには

勝手に作ったハードルがあるようだった。

見方を変えて

今の私には必要であると

勇気を出して飲んだ。

そして吐いた。笑

いやいや、また飲んだけど。

今も、ある薬を飲み続けなくてはならなくて、

一日でもはやく、やめたい。

乳腺炎のしこりは

ずっと固く残ったままだったか

なんとか、この一ヶ月で小さくなり

あとひといき、な感じ。

あの人にも出来るなら

私にも出来る!

こともあるけれど、すべてがそうとは限らない。

あの人には出来るけど

自分には出来ないを知り、

いい加減を、みつける旅。

はだかになった私の

次なる旅は、どうやら

そんな自分の適当を知る旅路のようだ。

40代はきっと

もっと生きやすい私になっているだろう。



今日のランチは長女が作ってくれた。

保育園は中々行かかない娘。

でも、家事は大好き。

どんどん、うちのことを覚えてもらおうッと(^-^)