こんばんは。
いのちの歌い手 & 産唄セラピーの空色カミュです。
先日、アロマタッチ認定講座の認定証が届きました♪
用紙の提出が遅くて、春に受けたのに今になってしまいました。。。
(紙類の提出物は本当に忘れがちで、困ったもんです。)
気づけは認定証がいろいろ増えておりました。
認定証って、特に自分の中では重要ポイントではないので
あんまり表に出したことがなかったんですが。。。
2007年のタイのバンコクワットポーで受けたタイ古式マッサージのベーシッククラスからが
すべてのはじまり。
タイ古式マッサージって、知らない方は今ほとんどいらっしゃらない有名なものとなってきましたが、
当時はまだまだマイナーで、
長野にもタイ古式マッサージが受けれる場所は一件くらいしかなかった気がします。
当時わたしはなぜタイ古式マッサージを習ってみようかと思ったかというと、
そのころ自由きままなアジアの旅が大好きで、
出来るだけ長期滞在していたかったのですが、
ただ旅をするのは親に申し訳ない。。。みたいな(笑)
ただ遊んでいるだけの旅ではなくて、なんか勉強してこないといけない。 という
プレッシャーを自分の中で作っていたんですね。
別にただ旅をしているだけでも
かなり人生勉強にはなってると思うんですけど、
やっぱり一生懸命毎日働いている親を思うと
遊びに行ってきますとは忍びない気持ちがありました。
当時付き合っていたオーストラリア人の彼にも
「なにか勉強してきたら?」と言われる始末で。
そんな彼からの提案が
タイに行くなら、タイ古式マッサージだよ。と。。。
なんていう、不純な動機でしょうか。
人の意見に流されまくってますが(笑)
でも、それが導きの始まりでした。
実家で父は鍼灸マッサージの治療院を開業していましたが、
その当時、私は父の働く姿も見たことがほとんどなく
治療家という道にも実はその当時はまったく興味もなく
マッサージが大好きなわけでもありませんでした。
父から、仕事を進められたことも一度もありません。
それなのに
本当に不思議なもので
私は今、セラピストという役割を受け継いでいます。
もともと、父の遺伝子が濃いんですよね。。。
とてもよく似た親子でした。
実は、歌うことも父は大好きでした。
どっぷり演歌ですけども。
若いころは旅も大好きだった父。
でも、父は30代のころ目の病気が悪化し
視力低下と共に
治療家への転職を余儀なくされたのでした。
父はそれまでまったく別の仕事をしていましたが
二人の子供たちを支え
なくてはならない状況の中で
突然の治療家としての転職を迫られ
努めていた会社を辞め
学校に通ったのです。
それをともに支えた母の姿も
今でもよく覚えています。
それから父は
治療家としての道を極めていきました。
父が亡くなったとき
告別式にはたくさんの患者さんたちが最後のお礼に来てくださいました。
父は本当にすばらしい治療家だった。
そんな父が大切にしていただるまさんの後ろには
太いマジックで
「 こころの治療 」 と書かれていたことを今でも思い出します。
人の話を聞くことが上手だった父。。。
身体だけでなく
こころをすごく大切にする人でした。
宣伝なんて全くなし。
ホームページもインターネットもなく
リピーターさんがすごーーーく多かった。
それはなぜか。
言うまでもありませんね。
父はもう他界してしまいましたが、
わたしの人生は本当に
父から教わることが多いです。
あのころの自分にはわからなかったことが
時々ふと
父のやっていたことと重なって
答えがわかるのです。
まだまだ発掘中ですが。
さてさて、
そんな未熟だった当時の私が、タイ古式マッサージと出逢って
何が一番うれしかったかといえば、
まずは
学ぶことがこんなにも楽しなんて!という気持ちでした。
元々、小学校から高校まで
面白いと思った勉強に出会ったことがありませんでした。
音楽、体育、美術、作文
これ以外の授業はまったくつまらないものだと、思い込んでいたわたしは
高校では辞書をまくらに、いつも寝ている人でした。
(高い授業料を払ってもらっていたのになんてことだー。もったいない)
タイのタイ古式マッサージの学校への初めての留学。
いろんな国の人が習いに来ていました。
日本人の体つき、アフリカ人の体つき、タイ人の体つき
もちろんひとそれぞれ、さらに違いはありますし
同じ人間は一人もいませんが
身体にもお国柄ってあるなあと感じました。
日本人はとにかくしなやか。
英語も片言。タイ語もまったくな私ですが、
ボディーランゲージでなんとでもなります。
そしてタイ古式マッサージが
とにかく本当に気持ちがいいマッサージだったということ。
タイのゆったりした流れの中
大きな葉っぱの下で
ごろーんと寝そべって
サバーイ サバーイと言いながら
よだれを垂らして 寝てしまう、、、
癒しっていうものを
はじめて体感したのがここでした。
それまで、自分を癒すことに意識を向けたことなんて
一回もなかったんです。笑
過呼吸や、パニックで苦しんでいたくらいですから。
身体もがちがちで
あ、でもそうそう
ワットポーでのタイ古式マッサージのスタイルと
チェンマイでのスタイルでは全然違うんですね。
わたしはチェンマイ派です♪
何が違うかっていうと
チェンマイの方がストレッチ技が多く、より穏やかな感じといいましょうか。
指圧を好む方は、ワットポースタイルがお好みかもしれません。
二度目の一か月間の留学ではチェンマイへ。
マッサージスクールで出逢った、ニュージーランドの女の子と
タイ人の女の子とすごく仲良くなり
いつの間にかタイ人の女の子の高級アパートに居候させてもらっていました。笑
そのタイ人の女の子はそういえば
一歳くらいの赤ちゃんを
旦那さんの実家に預けて単身で学校に来ていました。
一か月ですよ。しかも、ずっと離れ離れです。
わたしの母親スタイルでは
一歳の子を預けてマッサージ学校に行くとかは出来ませんでしたけど、
人生色々、なるようになるもんですね。
そこへの罪悪感的なものも一切感じられなかった。
さみしさはあったようだけど。
母親はこうでなくてはならないっていう
価値観を崩してくれる体験でした。
三人でバイクを三ケツして
朝は屋台でご飯を食べ
マッサージスクールへ。
お昼は学校の隣のべジレスでご飯を食べ
またレッスン。
夜はまた屋台でご飯を食べ、、、
たまにバーに踊りにいって。
ああ、今思い出すとなんていい暮らしをしていたんだろう。
タイって屋台があるから本当にいい
屋台文化最高です。
タイはいい国です。本当に住みやすい。
特にチェンマイ。
今はどうなってるんだろうなあ。
あんまり、変わらないのかな。
そしてそれから数年後
まさかタイで子供を産むとは思ってもみませんでしたけれどね。
当時の写真
つづく