昨日は母とあうらと、お墓のお掃除に行った。
お墓がこんなに好きな場所のひとつになるなんて、
正直父が亡くなるまで思いもしなった。
お墓に行くと、とても心がすっきりする。
きっとお墓がなくても、こころの中で感じることは出来るけれど、
こういう場所があると、多分気持ちをうまく整理することが出来るし、
静かに手を合わせ、ゆっくりと父と会話をすることが出来る時間は
特別なもの。
確かに、あの歌のように、お墓に魂が宿ってるわけではないかもしれないけれど、
この世に残された者の気持ちを慰めるには大事だなあと思います。
中学校の時住んでいたことのあるアパートは、お墓のすぐ裏で、
私はいつも目を閉じて早足で駆け抜けていました。
そもそも、なんでお墓が怖い場所として認知されていたかと言えば
小学校のころからテレビやらマンガやらで
お墓にはお化け~~的な怖いのを見すぎたせいもあるのではないかと。
あの頃やたらと流行ってましたよね~。ホラー。
トンネルズの番組とか、好きでよく見ていました。
そういうイメージを心に焼き付けてしまったのは良くなかったな。
(あうらには、そういうイメージを植えつけないようにしたいな。)
それでも今は、お墓への印象がまったく変わっている。
今日は、兄と兄の子供たちが、父とご先祖様をお墓まで迎えに行ってくれました。
昨日の夜からみんなでジージの話しで盛り上がり、
私は父が大好きだったポテトサラダを夕ご飯に用意。
「多分、これを目印に来てくれるはずだよ♪」
と、甥っ子にお供えしてもらいました。
お墓に向かう、提灯をもった甥っ子たちに
「じーじ、ちゃんと連れて来てね!」
と言うと、「はいよ~~!!」とおおはしゃぎ。
なんだか、よくよく考えてみるとお盆の風習ってユニークだよなあと。
亡くなった人を迎えに行って、一緒に過ごして、そしてまたお見送りするなんて
考えた人はなんて素敵なユーモアに溢れてるのかしら。
まるで子供みたい。
なんて、ちょっと失礼な感じで申し訳ありませんが思っちゃいました。
うちの甥っ子たちは、みーーんなジージのことが大好き。
ジージが病気で寝込んでいる姿も、亡くなった姿も、骨になった姿も
全部ちゃんと見てきました。そのせいか、怖い。という気持ちはないみたい。
「死」というものを自然に受け入れていることが、すごいなーって。思います。
今日の夕ご飯のときも、
「これ、ジージにあげよう!」
とか、
「あ、お茶もあげよう!」とか、
みんなすごーーくジージのことをいたわってくれていました。 涙
父は幸せもんですねえ~~。
昨日は8月と7月生まれの母と父のお誕生日のお祝いを
いつも一緒にお盆にしていたことを甥っ子が覚えていて、
お誕生日ケーキを買ってきてくれたんです。
蝋燭に火をつけて お誕生日の歌をうたって
さー火を消そう!と したその時!!
ちょうど風がふ~~っと 母の息と共にその火を消したんです!
まるでそこに本当にお父さんがいるみたいで、
みんなで顔を見合わせて
「いま、ジージも一緒に消したよね?!!」 と。
なんだか、とても嬉しい出来事でした。
亡くなった家族への寂しい気持ちを共に味わい、
そして今は共にそれを乗り越え、
心の中にいる父の面影をみんなでまた懐かしくおもったり
なんだかそういうのって、とても心が温かくなります。
私たち家族の愛もまた、それによって深まっていく。
我が家には今日は親戚が大集合し、
お坊さんのありがたいお教と木魚に、あうらはさんざ踊って、、、
「これこれ」 と 何度も洋服をひっぱたり 膝の上にのせてみたり色々して
今度は大泣き。。。そして疲れ果ててころりと眠りにつきました。
子供のころ、正直この時間が一番退屈だったなーー と思い出し、
踊れるあうらを羨ましく思いました。 踊らさせてあげたい。と思う自分もいましたが、
いやあ、さすがに失礼だよな。と自分を奮い立たせました。 (社会性を身に付けてきましたかね)
まだ一歳だから許されることよなあ。
このお盆には親戚が集まる。というのも、
なんだかそういうのが嫌。っていう成長過程も正直ありましたが、
自分も母親になり、色々な大事なことに気が付き初めてからは、
楽しみのひとつになりました。
私とどことなく似た親戚の方々。
そして縁あって家族に仲間入りしてくださった方々。
共通点は、みんな おっとり型 ということでしょうか。
多分、これがうちの家系の持ってる「特徴」なのでしょうか?
先生 と呼ばれる職業の方が多いのもなぜでしょうか。
私には先生は縁遠いですが、、、。
ご先祖様にはどんな方がいらっしゃったのか、
「自分のルーツ」というのも、最近気になっています。
いろんな意味で、いろんな角度から自分を知るのは面白いですね。
お盆、みなさんはどうお過ごしですか??
他の世界各地の宗教にも、お盆のように、お迎えする的なことってあるんですかね??