愛とはなんだろう? 8 インド編

カミュ

2013年06月30日 05:42




しばらくこの旅の物語から時間がたってしまいました。

読んでくださっていた方は、前回の内容をもう忘れてしまったかな?

というわけで、ざっとあらすじを。

☆  ☆  ☆




2009年1月

インドはリシュケシュに滞在中のカミュ。

ある日

「あなたはまだ本当に人を愛したことがない。そして君は沢山の嘘をついて生きている」

と、私の手相を突然勝手に見てくれたインド人のおじさんに言われ、

自分が今まで思っていた 「 愛することって?  私がついてる嘘ってなに? 」 について深く疑問を抱くことに。



鐘の音が穏やかに鳴り響くガンガー沿いのアシュラムの屋上にて。

ガンガーでの沐浴を終え、洗濯ものを干しているときに出逢った謎の二人。


ニューヨーク暮らしを捨て、離婚し、自分の財産をすべて売ったお金で旅を続ける日本人女性えみさんと

そんなえみさんが尊敬し、旅を一緒に続けているパートナーであるドレッドを長くし束ねた長身の男性マイケル。

彼らとの運命の出会いは、旅人カミュの人生に新たなエッセンスを加えはじめたようだ。



あったかい一杯のチャイと

甘い 甘い クッキーと共に。





ハジマリ  ハジマリ









青い空のしたに 風にゆれる洗濯物たち。


朱色のセーターが二枚 ぶら下がっている。

一枚は私の物で、もう一枚はドレッドのマイケルのものだったことが分かった。

同じ色、選んでるね。

チベットのお坊さんがよく着ている色。


この色を自然界で例えるとしたら、何と同じ色だろう?

深い 深い 真紅 、、、 

その時

一番最初に私の頭に思い浮かんだのが 「血」 だった。


血というと、けがをしたときや、女性だったら月経のとき、または採血のときくらいしか見かけない色だ。

血はみんなの中に流れているのに、どうして 血のイメージは痛々しく、見てはいけないもののように

感じるのだろう。

それはきっと血は常に内面にある、いのちと直結しているものだから。

溢れ出したら、そこには 「死」 がぐんと近づく。

でも、インドで身にまとう この色は

妙に落ち着き、静かな気持ちになれるのはなんでだろう。

都会で働いていた時は、私にはまったく縁のない色だったのに。


彼がオーストラリア出身であること、そして彼らが一緒に旅をし出して二年目くらいだってこと。

そしてえみさんは、マイケルのことを自分の再出発した人生の先生であることを私に教えてくれた。

彼氏でもなく、旦那さんでもなく、友達でもなく?

人生の師匠 グルジーである彼か、、、。 どうゆうこと?!



でも、二人の関係は

カップルのようでもあり、夫婦のようでもあり、友達のようでもあった。



甘いクッキーを

ゆっくり ゆっくり噛みしめる。

ぱさぱさしていて、

子供のころよくおみやげにもらった、華やかなガーデンでお茶してる貴婦人が描かれた缶に入ったクッキーに

その味はなんとなく似ていた。


その缶の空き箱は、母の裁縫道具いれとなり、今でも実家のどこかにきっとあるはずだ。

やわらなか味のチャイでそのぱさぱさした甘さをそっと流し込む。

えみさんは日差しを避けるために帽子を深くかぶり、指先を動かし始めた。

チクチクと、バックを補修していく指先。

そこには手縫いで刺繍がされていて、その刺繍の柄はたぶん、アイヌのものだ。

私たちの会話とこのリシュケシュの風をそっとそこに織り込んでいくように

えみさんはゆっくり、ゆっくりと手先を動かしていく。


そして私が話しかけると、かならず手をとめて

私の目をちゃんと見つめて会話をしてくれた。

ひとつひとつの動作に、やさしい人柄が溢れていた。

自分の時間も、そして私たちの時間も

彼女はとても丁寧に、大切に扱ってくれている。

この二人の間にいると、私はどうしてかとてもゆっくり出来た。

マイケルの中にあるものは草原で、

そしてエミさんの中にあるものは、縁側のひだまりみたいだった。

私は都会でヒールの靴をカツカツ鳴らし、呼吸を吊り上げられた魚みたいに浅くして

ビルの隙間からお月様をながめていた自分と、

ここに今いる自分が同じ人間だとはなんだか思えなかった。


人は環境によって、こんなにも違う性質を発揮するんだなー。


私にはまだ知らない私の感性や感情が、もしかしたら沢山あるのかもしれない。

私はそんな私に、この旅で

一体どれくらい出逢えるんだろうか。

そんな自分を知るのが怖いような、でも知らないと前に進めないような

そんな気持ちが私の中にある。

知らずにだって生きていける。

知ってしまったら、もう戻れないような気もする。

自分が生きてきた道のりを、間違いだなんて思いたくない。

でも、間違いだなんて思いたくないっていう私の心が

何か大きな壁を私の未来に作ってしまっているのかもしれない、、、。


神様は私に今、どんな課題を与えてくださってるんだろうか。

神様?

私の口から神様だなんて、なんだか拍子抜けしてしまう。

こんなときばかり登場する神様は、ホントはどこにいるんだろうか?

インドではところかしこに様々な神様が祭られていて

インド人は心から、そんな神様との暮らしの中にあるようだった。

パルバティ ドゥルガー シヴァ ガネーシャ、、、

ヒンドゥの神様は数も多くてとても把握出来ていないけれど

毎日ところかしこにある祭壇には

沢山の華やかなお花とお供え物、お香に祈りが深くしみこみ

まるで生きてるみたいにそこに存在していた。













つづく



















 










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