今日は久しぶりにれいちぇると あー君(れいちぇるの息子さん)と
私とで、仕事終わりにティータイム。
れいちぇるが4月の末にお産し、あっという間に3か月以上も過ぎていた。
お産の後の三か月って、私も思い出してみると
ほんとに大変だった時期だったよなあ。と思う。
首があまり座らない時期の赤ちゃんて、二歳の娘を抱っこするより重かった気がする。
それは初めての子育てで、筋力もまだついてなくて
赤ちゃんの抱き方とかも慣れてなくて、っていう理由もあるし
赤ちゃんも全体重をしっかりお母さんに預けてるっていうこともあるのかな。
とにかく、夜も二時間おきに授乳して、おむつもしょっちゅう替えて
ぴったりくっついていたあの日々、、、。
今、こうして娘が保育園に行っている間に
お母さんになったれいちぇるとお茶する時間が持てるなんて
なんだか本当に、嬉しいと共に、成長を感じた。
れいちぇるとは、れいちぇるがいなかった間のまほうのしずくのこと、
そしてこれからのことななどなど、二人が話し出すと
スパイラルがキラキラと宇宙に伸びていく感じがする。
お店を始めるときもそうだった。
こうやってれいちぇると、あのころはハイハイしてる娘のアウラもいつもいて、
お互いの想像するものを話し合って、表現して、どんどん相乗効果が生み出されていった。
それはとってもとってもワクワクすることで、
真っ白なキャンバスに、二人でライブペインティングしてるみたいな、
そんな自由で、そしてとても美しい感覚だった。
私はそのワクワクする時間だけ育児から解放され、っていうと育児が嫌みたいだけれど、
そうじゃなくて、母となった自分が、いつもほとんどの時間と身体を娘に使っているときに
頭の中で本来の自分と向き合い、自分を持てる時間として、
本当にリフレッシュすることが出来たのだった。
今日も、いろんなことを話して、
久しぶりに私もお店のことで煮詰まっていた部分とかも伝えることが出来て
それに対して彼女からも、真正面から答えが返ってきて、
そういう間柄でいられることが、ほんとにありがたいことであるなあと
しみじみ感じた。
彼女が話してるとき、時に私のダメなところをずばっと指摘してくれたりするんだけれど、
その素直で正直な、嘘のない態度に、私は彼女を信じられると共に
仕事のパートナーとしても、人間としての付き合いとしても
これからも共にありたいと思った。
今日も話すれいちぇるを見てて思ったんだけれど、
他人って感覚がしないの。
もう一人の自分の現れのように感じるっていうか、、、。
自分の中のいろんな面を、れいちぇるが見せて
気が付かせてくれるから、そう感じるのかもしれないね。
もちろん、わたしとあなたは、個としてこの世界に存在してるんだけれど。
インドで学んだ
「 あなたは私、 私はあなた 」ということは、こういうことでもあるのかなと
思うのだった。
れいちぇるだけではなくて、私にはそう感じる相手が何人かいる。
というか、実は みんなにそういう感覚を少し感じてはいるんだけれど、
特に強い相手というのがあるみたい。
話すというコミュニケーションにおいても、
一緒に音楽でセッションすることにおいても、
抱きしめあうことにおいても、
時に反発しあう意見の中にも、共感しあえる意見の中にも
同じような感覚を感じることが出来る。
そういう仲間に出逢えてるって、私ってなんてラッキーなの!!
そうそう、私って本当に出逢いに恵まれ、人に恵まれている!!
困ってるときは、いつも誰かが手を繋いでくれる。
それは日本だけでなく、旅をしていてもいつもそう。
このタイミングで!?という時に、必ず私を導いてくれる人が現れるのだ。
私は、タイのお産から帰ってきてすぐに元パートナーと別れることになり、
それまですべてを共にしていた彼との依存の関係から
自分という一人の人間として、改めて生きる道を選んだとき、
小さな小さな生まれたばかりの娘をおんぶして
正直、不安も沢山あって、悲しみも、苦しみも、どうしてこうなってしまったんだろうって
様々な暗い思いが渦巻いていたりもしたけれど、
パートナー(夫)として支えてくれる人がいなくても、
友人だったり、家族や、れいちぇるや、さんぼさんだったり、ともかさんだったり、
お客さんだったり、いろんな人が手をつないでくれ、
「かみゅ、がんばろうよ!楽しいことしようよ!」って言ってくれて、
そして一緒に歩いてくれて、アウラのことも面倒みてくれたり育ててくれて、、、
ああ、家族ってこういう形でも存在しているんだなあと、思ったんだ。
アウラにとっては、どうだろうね。
特別な 母と父という存在は、子供にとって大きいものだと思うし、
大人になったときに、そういう大きな一つを感じることが出来るようになるのか、
もしくはもう、すでに、そんなことは実はクリア出来ちゃってるのか。
私は父と母がいる家庭で育ったので、それが家族の幸せの形であるとずっと思っていた。
だからアウラにお父ちゃんが一緒にいない生活という環境を与えてしまったことを
ずっと悔やみ、思い悩んでいた。
でも、最近気が付いたことは、それは私が思い込んでいる幸せの形であって、
それがすべての幸せではないということ。
現にこうやって今、私とアウラの生活はとても穏やかに、楽しく
母と私とアウラとの暮らしの中に今あるのだから。
アウラとお父ちゃんの関係は、大事にしていきたいとは思っているけれど、
わざわざ家族として共に暮らさなくてもいいってこともあるなーと。
いろんな家族の形があって、その中でお互いが輝いていることが
とても大事だなーと、ここ二年の暮らしの中で、私は感じている。
今の社会においても、この気づきはとても大事な要素が含まれているなあと感じる。
結婚して、子供を夫婦だけで育てる時代は
一時流行ったけれど、それでは煮詰まる現実に、多くの人たちが気が付いてる。
子供って、お母さん一人で面倒みていると異常に手がかかるよね。
都会の一室で子供とずっと向き合ってたら、そりゃあ育児ノイローゼーにもなっちゃうよ。
でも、どうしてもそういう状況に追い込まれてしまうようなシステムに
この暮らしの形が作られてしまってるから、
ちょっとずつみんなの意識を、もっと暮らしやすい方向へとシフトする必要があるなあとも思う。
みんなで育てればいい。たくさんの手の中で育てた方が、お母さん楽じゃない?
昔の人は子供を10人とか産んでいて、それって今の暮らしの形では
ドラマにでもなっちゃう珍しいことだけど、
どうして貧しい時代に、10人も育てることが出来たのかって言えば、
やっぱりみんなで育てていたとしか思えないんだよな~。
みんなで子供を愛する。
タイ人はちなみに、みんな本当に子供好きでした!!!
これは国民性なのか?!
妊婦のわたしもすっごい大事にしてもらったし、
赤ちゃん連れて歩いてると、わんさか人が集まってきてました。
みーーんな、本当に心から
「かわいい!!」って思ってる満面の笑みだった。
家族だけじゃない。
近所の人や、職場の人、電車の中でたまたま出逢った人、こどもだって、部活帰りの中学生だって、
こどもをみんなで育てるっていう意識がみんなの中にあれば、
地球はもっと住みやすくなることは間違いないと思うんだよね。
でも、そういう意識を持ってることを、恥ずかしがらずに表現できる人が
最近増えてきているとも思う!!
私は長野で子育てしていて、いつも暖かい目をむけてもらっていた。
お母さんになったことで、この社会での自分の居場所がどんどん出来ていった。
それって、とってもハッピーなことよね。
電車ではよく、かわいい制服姿のお姉さんたちに、アウラはちやほやされて遊んでもらっていた。
まほうのしずくの在り方も、子供を連れて仕事を始めたのも
そういう姿が自然であればいいなと思って始めたことでもある。
子供連れのお母さんが、気楽にお店を楽しめるように。
ちょっとした息抜きに。
おっぱいしてってね♪ おむつだって替えれるよ~!
遊んでって~~!
そんな、場所。
あ、長々パソコンに向かってしまった、、、。
娘がぐっすり寝てくれるようになってくれたおかげで、
本当に助かるわ。
読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
おやすみなさい。