お産ピクニック@タイランド 書きはじめました。

カミュ

2014年07月09日 00:27




こんばんは♪

癒し家 アーティスト☆の空色カミュです。

雨がきもちい~☆

身体の細胞がこの音に喜んで踊っています。


このブログでも何度か書いていますが

2010年に、お産の旅をしながら、タイの山村にて自力出産したときのストーリーを

今、まとめてやっとこ書きはじめています。 (近い未来に書籍化することを念頭に♪)

きっと、今のこの時代、そしてこれからの時代に

私のこのタイでのお産の体験談は、これをいつか手にしてくださる

誰かにとって必要なメッセージとして

生きるような気がしてならないからです。勝手にマジでそう思っています。(笑)

日本だけでなくて、世界中のお母さんたち、これからお母さんになる人たち

そして、男性の方にも、読んでもらいたいと思っています。

お産て、体験したことがある人とない人がいますが、

でもみんな、自分が産まれてきてここにいることは絶対なわけです。

お母さんに産んでもらって、いま、ここにいる。

そういう意味では、自分が産まれてきた体験の中での「お産」は、みんなに等しくある。


この四年。

タイでのお産のことをちょこまかブログに書いたり人に話してるとき、いつも私の中で何が伝えたいんだろう?と

疑問に思うときがありました。

お産は100人いたら100通りだし。

どんなお産も、その人にしか味わえない素晴らしい体験だし。

わたしのお産だけが、特別なものなわけではない。

生前、タイより帰国してから父に言われた一言も頭をよぎります。

「タイでお産したなんて、誰にも言っちゃいけないよ。」

どうして?お父さん。どうして言っちゃいけないの?

それは、父が生前とても大事にしていた 一般社会のルールというものから

はみ出した、私の身勝手な行為であったからでしょうか?

タイで子供を産んだ私の行為を、社会からズレた恥ずかしい行為であると感じた父の心境。

私はそれでも、自分のしたことを恥ずかしいとは思ったことがないし、

もちろん、心配や迷惑をかけてしまった両親や家族には本当に申し訳なかったと思っていますが、

この私たち家族の物語が、きっとどこかで必要とされていると思うから、

天国の父に許しを得て、書き進めようと思います。

タイで子供を産みたいと言ったとき、賛成してくれた人は日本では一人もいませんでした。



私がどうして、日本を飛び出して タイの山奥で 綱一本にぎりしめて

お産することになったのか。


お産のとき感じた、最高のエクスタシー、そして宇宙と繋がった神秘体験。

タイで出逢い、妊婦の私が居候させてもらっていた、

もう一人のわたしの母との暮らしのこと。

ひとりでのお産にむけての、身体作りのこと。 

たべもの、衣類、セラピー、うたのこと。

いのちを繋ぐようにして、癌で亡くなった父との物語。

娘から母へとなった私と、母親との様々な葛藤、反発、そして今、分かり合えたこと。

そして未婚であること。

などなど、はじめての妊娠からお産、そして長野に帰ってきてからのことまでを

ひとくくりにして、第一弾として書きたいと思います。

私がこれを書くことによって、伝えたいことはなんでしょうか?

それはタイでのお産のことを書いたり、話したり、歌にすることで段々と見えてきたのですが、

女性はみんな女神であることに、いつの間にか蓋をされてきたけれど、

もう

その蓋を外すときが来ていて、しかしながら

女神であることを抑え込まれるような

窮屈であることがまだまだ社会には溢れていて。

その反動として、タイまで行ってしまった私のお産がある。。。

生と死をみつめる  「お産」 という とき。

一人の女性が、母体として変わっていくとき。

そこには、壮絶な変化と物語があります。

生きることってなんだ?生と死ってなんだ?

子宮の声ってなんだ? 赤ちゃんが持ってる、力ってなんだ?



自分自身の中でも謎ときのようなものがまだある、、、。

でもきっとこれを書きながら

様々な体験が起り、さらに深まりつつ、書いていくんだと思います。



いつ仕上がるやら。

でも、いのちを吹き込んで書くぞ。

この物語を書くことが、私自身のためにもなるし

きっと誰かの必要なエネルギーになると思うから、やります。

とりあえず最初の読者として自分自身。

そして母と、宇宙の中の父、そして将来、自分の娘たち、その子供達にも読んでもらうために、

書きたいと思います。



書くことって、本当に自分自身を癒すんですよね。

そしてありのままを表現することって、評価を気にしていたら出来ない。

書くことも、うたうことも、踊ることもみんなそう。

人の目の色を伺っていたら、素直になれない。

だからこのブログは ~空色カミュの日記~ なのです。

日記は人が、自由でいられる場所だから。


私のハートから発したこと。

時には怒りを書いたり、悲しみを書いたり、つらさを嘆いたりもするけれど、

すべては愛に繋がっている。

そんな表現が、これからの私に

出来ることを祈って。



2014、7.9

  雨の夜  娘の寝相を三回ほど直しながら。。。 あ、雨あがった~


おやすみなさい。


今日の花火大会、娘の浴衣姿がキラキラしていたなあ。

後姿が、かわいかった。

















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