お食い初め、そしてお食い改め。

カミュ

2014年01月31日 23:24








今日は新月、そして旧暦の新年ですね。

今日は新月らしく、こころも身体もデトックス状態にありました。


明日で生誕100日を迎えるミーさん。

お陰様で、毎日よく寝てよくおっぱいを飲んで、すくすくと成長しております。

産後三か月となり、母体である私の身体と精神も、やっとこ落ち着いてきました。

お姉ちゃんとなったあーちゃんも、妹であるミーとの新しい暮しにも慣れてきて

生活のリズムも、中々いい感じのハーモニーを奏でております。

昨夜、私は像のお母さんが双子の赤ちゃんを授かる夢をみました。

でもその像は結婚してなくて、いわゆる未婚の母でして。

まわりの人間たちはみんな、身ごもったのに結婚してないなんてどうするの?

と騒ぎ立てるのですが、でも私が

「ああ、でもいいか。像だもんね。結婚とか、関係ないもんね」

と言うと、みんな納得して「そうだよね~」笑いあう。というものでした。(笑)

結婚て、人間の世界にしかないもんね。

その他いろいろ、人間の世界にしかないものだらけですが、

人間が作り出したルールというものは、中々人の道の理にかなってるものも多く

結婚というものも、その中のひとつであるのかもしれないなーと

思う今日この頃でございます。

(なくてもいいと思われるルールも多いし、時代やその人の意識と共に変化するものだけれどね。)

野生動物には野生動物のルールってもんが、それぞれあるもんね。





さてさて、「生誕100日だし、そろそろお食い初めだね」と友人に言われ、

恥ずかしながらも「お食い初め?」 と ?だった私。

あーちゃんの時は頭の中がタイモードだったので、さっぱり日本での儀式というものに触れておりませんでした。

でも今回は長野は篠ノ井で誕生したミーさん。

さっそく、お食い初めとはいつなんのために始まったものなのか?何が必要なのか?を

調べてみました。


((以下wikipedia より))

個人差はあるが、新生児の生後100日頃に乳歯が生え始める。この時期に「一生涯、食べることに困らないように」との願いを込めて食事をする真似をさせる儀式である。

この儀式は、平安時代から行われてきたものである。

江戸時代には、生後120日経つと、飯や魚、5個の餅、吸い物、酒などの膳部(ぜんぶ:膳にのせて供する食物・料理)をそろえて幼児に食べさせる真似をした[2]。



へ~。平安時代からそんな儀式があったんだ~。


ごはん(いのち)をいただいてこその、このイノチ。

食べることに困らない。というのはとてもとても、ありがたいこと。

あーちゃんの時にはやらなかったし、今回は二人分一緒にやろう!!と思いました。

でも、あーちゃんはもう食べています。ハジマリではありません。



ならばあーちゃんは、「お食い改め」 にしよう!


実はミーが誕生してから、改めて 「食べもの」 というものを考えさせられる日々が続いております。

知れば知るほど、私があーちゃんに食べさせてしまったあれこれが

身体に害を及ぼしてしまっているかもしれない。と思うと反省の日々、、、。

様々な、許してしまったこと、黙認してしまったことによって、、、。


「でも、しょうがないじゃん」 と、言い訳が沢山なシチュエーションもあったけれど、

結局、娘の身体は守れるのは母やまわりの大人だけなのに、

「和」というものを大切にしたいがために、それを許してきた私。

なぜなら、食事というのは、健康で安全なものを食べたとしても

おいしく食べれなかったり、誰かを悲しい気持ちにさせてしまったら意味がないと思ったし、

そもそも、いのちをいただく上で、「これはダメ、あれはダメ」なんて

なんて贅沢で傲慢な発言なのか。とも思ったからでした。

それは自分が昔ベジタリアンをしていた時に、

癌で苦しんでいる父に大好物のお肉を食べて欲しくなくて

それは私なりに父の身体を心配してのことだったのですが、

父は私が作った肉なし料理は喜ばず、

「食べたいものを気にせずおいしく食べたい」 と 言い、それが父の生きる喜びであることを知りました。


自分が健康にいいと思っても、それがその人にとっての幸せであるかは分からないことを学び、

改めて、健康な食事ってなんだろう?と思い始めたら

自分の中で信じてきたものが音をたてて崩れはじめ、

「自分で作るときは選ぶことも必要だけど、自分の目の前に巡ってきた命は、感謝して、おいしくたのしくいただこう」

に至ったのでした。

そして、100人いらた100人分のその人にあったハッピーな食事ってものがあって、

それは一致することはないのです。



ちなみにどうしてベジタリアンだったかといえば、

スーパーで売ってる肉を見て、

「この命がどうやって育って、どうやって殺されて、どうやってここに並んでるのか知らないな」

と思ったのが始まりでした。

命の殺し方を知らない私が、いのちを食べていいんだろうか?

私は殺すことも出来ないのに、どうして食べることは出来るんだろうか?

と思ったら、食べることが出来なくなったのでした。

そのまま5年くらい、お肉を食べない暮らしをしました。

でも、子どもを産んでから私の中の何かが変化して、あるときからお肉が食べたくなりました。

頭で考えるよりも、身体が欲しいと思ったのでした。

ならば、わたしは命と戦わなくてはならないと思います。





人間が作った原発というものが爆発して、放射能がばらまかれ、

そして汚染された大地や食べ物。そしてそれは今もなお続いている現状。

そして今度は、そんな汚染されたものは口に入れたくないんです。と言って

ベクレル0のものをわざわざネットで注文して買ったりするのは、

無責任な逃げのような気さえして、自分はなにも育てていないのに、

誰かが作った物をYESかNOかとジャッジするのは、いかがなものだろうか、、、と、そんな自分が嫌でしょうがなかった。

人間が生みだした毒から逃げられない生き物は沢山いるのに、自分はそこから逃げて

健康で生きていこうっていう姿勢が、なんだか人間の傲慢さに感じ、後ろめたい気持ちというか、、、。


でも、そんなことに関係ないのは子供達であって、彼らは大人たちが作り出したこの社会の毒と

これから先付き合って生きていかなくちゃならないし、保護者との暮らしのなかで用意されたものを

食べるしかないわけで、、、。


今よりさらに辛い状態が待っているかもしれないのに、勇敢にもこの地球に降り立ってくれた

私の娘たちにも、出来る限り健康な肉体と、命を育める子宮と、豊かな精神を育める体験が出来る場所を

親である私たちが用意してあげることは、親の使命であるのだ。と

改めて思うのでした。


だから、「お食い初め」と共に、「お食い改め」の儀式をしようと思います。

暮らしを改め。でもあるし、一番は、私の意識を改めよう、と。

それは、母である私が、出来る限り安全でおいしくて、健やかな身体と精神を育めるものを

ちゃんと選んで、作って、そして楽しくたべれる家族の食卓のじかんを用意することを

誓う儀式でもあります。

さあ、言っちゃったよ!! 

お母ちゃん、言っちゃったからにはがんばるよ!


放射能、農薬、砂糖、、、調べれば調べるほど、買うものないやんけ~~!! と

スーパーに行くたびに思いますが、

でも、調べればちゃんとあったりもする。

農薬も放射能も目には見えないから、見えないおばけと戦ってるみたいな

妙な気持ちにもなるけれど、空気と同じでちゃんと存在している。

「せめて色でもついとけよ!!」と言いたくなるけれど、それはもうしょうがない。

あとで後悔するよりも、(後悔先に立たず) 出来ることは今しておこう。

そして大事なのは、取り入れてしまったものをデトックスすることだったり、

そんなものには負けんぞというくらいの土壌をもつ身体と心の強さを育むこと。

たくましい生命力!!

そして害は食に限った事じゃない。


先日、まほう堂でれいちぇると話していて

彼女がいいことを言っていた。

「でもねかみゅさん、一番の害は不安だから!」

おっしゃる通りよれいちぇる。 わははと笑って食べたら、いろんなものが吹っ飛んでいくよね。

そしてデトックスにいいとされる 重層と天然塩のお風呂を教わった。

重層とお塩をいれたお湯はとてもクリアでまろやか。

なんだか茶渋をとった湯呑みたいに、身体がきれいになったよ。

(ちなみに、いい重層と天然塩がまほう堂にて手に入りますよ~!!)



これから私たち家族の目標は

ないないと騒がずに、「ここにはあるよ!」と言える根のある暮らしへのシフト。

自分たちが気持ちよい生産者であること。

衣食住。

この三本頭を自分たちの手の中に戻すこと。

気持ちよい、人と人とのつながり、生き物たちとのつながりに生かされていくこと。


社会でさんざん迷子になってきた私が、いま娘たちと、パートナーと共に体験して、身に着けたいことは

そこにある。

情報の中に真実を見つけ出すよりも、

自分の暮らしの中から、循環を感じて、感謝を感じてハッピーに生きていきたいよ。


新月の夜に

そんなことを思ふのでした。




長くなってしまいましたが、

最後に。



私は二人の女神を授かりました。

この二人の女神には今、美しい子宮があります。

ふあふあで、やわらかで、まだまだ小さい子宮。

子宮は地球。

最近よく耳にする言葉ですが、本当に地球なのだと私は思います。

いのちを宿す、大切な大切な、、、。


私が住む地球を大事にして生きていく!なんて大きなことは言えないけれど、

いつか誕生してくる娘の子供たちが宿る

二人の女神の地球(子宮)をちゃんと守ろうと意識した暮らしをすることが、

私が生きてるうちに、やるべきことであると思う。

そして、これから生まれてくる命たちが、少しでも住みやすく、平和に暮らせるようにバトンを渡すこと。


そのために、何を私はすべきなのか。


そこに私の生き方の軸をおいて、暮らしていこう。


ユーモアと、創造力と、頭と、手を動かして。


そんなお母さんになっていきたいな。





































関連記事