2010年11月21日

妄想から現実へ。





ある日の午後

アジアンナイトマーケットにて、サンボさんと久しぶりの再会。

「おーーーあうらちゃん来たね!」

さっそくタイ産まれのあーちゃんを抱っこしてくれました。

「あれ、なんか顔似てないっすか?!」
というかやっちゃんの爆弾発言にともかさんも、ゆきさんも あれ??!


さんぼさんが抱っこしてると、まるで本当の親子のようですが、
血は繋がってません。さんぼさん隠れファンの方、どうぞご案心を、、、。


「さっそくだけど、駅前の物件、見に行ってみる?!カミュ、あうらちゃんとお店やったら?」


どどどーーーん。


思いおこせば私が初めてタイへ行き、タイ式マッサージを勉強し帰ってきて、
カミュが好きそうなお店あるから行ってみなよと友人に勧められて
アジアンに初めて来たのが25歳の時でした。

この時も初めて会ったばかりのサンボさんに、
「あいてる部屋があるんで、よかったらタイ式マッサージやってみませんか?」
というお誘いに どどどーーん。

で、物置部屋だった奥のお座敷をさっそくさんぼさんが一緒に大改造してくださって
タイ式マッサージも出来るお座敷になったのでした。

(カミュのマッサージを受けてくださったお客様、本当にその説はありがとうございました。
その後、マッサージは続けておりますが、今は育児のためお休み中です。
でもこれは一生続けていきたいことのひとつなので、
また鈍った腕をトレーニングしなおしたら、ぼちぼち始めたいと思ってはおります。
その時はどうぞまた、よろしくお願いしますね。)





思えば、さんぼさんはいつも、私の背中を押してくれる人です。

さんぼさんをご存じの方は、みんなきっと思ってることだと思いますが、
本当に行動力が半端じゃありません。
出来ないことはないんじゃないか?!ってくらい、なんでも自分で作ってしまう人。
あ、出来ないことがありました!
女の子を素直に褒めることができません。笑 ふふふ。

本当に私の10倍ぐらいの早さで生きてるような人です、、、。
一緒にいると、そのエネルギーの強さにぐいぐいと巻き込まれます。

25歳の私は、まだまだ自分に自信がなくて、出来ないことも沢山あって、
正直、心が折れてしまうことも沢山ありました。

だけど、アジアンで得たことは本当に沢山あって、
今は本当に感謝しています。

あのころの私は

「がんばりたくない。縛られたくない。自由でいたい」
と強く思っていました。

さんざ東京で働き、疲れ果て、
一人でいろんな刺激的な世界を知ることが出来る旅の面白さを知り、
日本で何かを一生懸命がんばろう!という気にはあまりなれずにいました。
見つめてる先はいつも海外。(インドが好き)

仕事で悩んでる人とかみると、
やめたければ辞めたらいいじゃない。とも思ってたし、
私の心の中はいつだって今ここ、じゃなくて、「インドを気ままに旅している私」にありました。

親の口癖は、「どうしてあなたは普通になれないの?どうして海外ばかり行って、日本に根をおろしてがんばらないの?」
でした。

(ま、親とのことは、またのちのち書けたらと思います。)

でも、お産を終えた私の心は、今までとは大きく変わっていました。

人生のネクストステージに切り替わったことが、目に見えるほど、感じられていました。

がんばることから逃げていた私が、
あ、これじゃだめだな。と気がつき、

「あたし、がんばりたい!!」なんて 笑顔で叫びたくなるのでした。

病室で癌と戦っている父にも、大分心配をかけてきました。

「お父さん、私がんばるからね!」

甘えてばかりだった私だけど、ここまで必死に私を支えてくれた、病気と闘っている父にも
残念に思われないように、しっかりとたくましく生きていこう。
赤ちゃんの重たさの分だけ、少し地に足が着いたようでした。

父はお産の前にタイにいる私に電話で

めぐちゃん、大きな心を思い出せよ。めぐちゃんは本当に小さいころから大きな心を持ってるんだから。」と言ってくれました。私は嬉しくて泣いてしまうと、

「何泣いてるんだ!母親になるんだから、強くならないとだめだぞ」と叱ってくれました。

私は父親に怒られたことはあまりないのですが、その時の言葉は本当に胸に染みわたり、
今でも、何かある度に思い出されます。

29歳にもなって、今さらかよ!とつっこまれそうですが、
人生なんていつ気がついたっていいんだと思うんですね。

自分で気がついた時に初めて、人は本当に変わることが出来るのだと思うし。
変わったところからやり直せることだって、いっぱいあると思います。

私は子供を持ったことによってようやく、自分中心な生き方から
誰かを守る生き方、人のために自分を生かす生き方にシフトすることが出来ました。
これは自分の成長において、とても重要なことだったと思います。

本当によかった。

話は少し戻って、
さんぼさんとさっそく駅前の空き店舗へ向かいました。

看板を見ると、どうやら前までクリーニング屋さんだったところのようです。

余談ですが、私の誕生日は9月29日。
この日は実はクリーニングの日なんです。
あと、来る福の日で招き猫の日でもあります。

なんか 元クリーニング屋さんってことで、それだけで 「ぴーーん」
ときちゃったんです。

しかも長野駅から歩いて5分ほどの距離だし、
中央通りを挟んで目の前は、友達のだんなさんがやっている
焼き鳥屋あっちゃん。

さっそくシャッターを開けて中へ入ると、
とてもこじんまりとした、長細い部屋がひとつ。
その奥に小さいキッチンと和室とトイレ。

「あれ、さんぼさんここ二階もあるんですか?」

「あるよーー行ってみる?」

そして二階へ。
古い建物らしく、階段は少し急。
あうらをおんぶしながらへっこらと昇り、

「ここ、二階も使ったらいいですよね!!」と私。

私の中のワクワク湖が噴水状態に。

「さんぼさん、私ずっとお店やりたいなってタイで考えてたんです。
 それをまとめてくるんで、アドバイスもらってもいいですか?
 私、がんばります!」

「よし!あうらちゃんも一緒にできるように、やるか!」その後、家に帰り、あうらを寝かしつけた後、
ひさしぶりにパソコンに向かって
お店のコンセプトや置きたい商品、やりたいこと、
どんな内装なのか、どんな風にやっていきたいのかを企画書として書きました。
企画書なんて書いたことないんですけれど、みんなに少しでも分かりやすいようにと
自分のイメージを書き出してみたのです。

出てくる出てくる。
さんざ妄想して楽しんでいたものだから、
引き出しはいぱーーい。

だけど、
ひとつ心配なこと。

そうです。
まだ5ヶ月になったばかりの我が娘!!あうらに、負担にならないだろか、、、。ということ。
ひとりで毎日店を開けるのは、ちょっと無理かな。
もう一人、一緒にお店をやってくれる人いないかな、、、。

あ!!
いい人がいるではないですか!

やっぱり、やっぱり、
レイチェルだ~~!!
そう、実は私がアジアンで働いていた頃、
実はさんぼさんがもう一つお店を駅前に出したいと言っていて、
カミュ、やらんか~?と誘ってくれていたことがありました。

その時の私はまだ他にやりたいことがいっぱいあったし、
お店を自分で企画して切り盛りするなんて
自信もなくて、曖昧な返事で終わってしまいました。

その時もさんぼさんが、
「ひとり、レイチェルっていう子がいて、その子も洋服作ったり、自分で
ブランド持ってがんばってて、カミュと一緒にお店やったら絶対いいと思うんだけど」
とさんぼさんに進められてたのがレイチェルでした。

やっぱり、レイチェルしかいないなー。
と感じ、さっそく電話。

「一緒に、お店やらない?」
の一言に、

「やりたーーい!!」の明るく、そして心強いお返事が帰ってきました。

「これこれこんあお店でねーー」と説明すると、イメージがちゃんとすんなり
まっすぐに伝わって、話が早い!
元々、お互いの方向性や趣味がとっても近い相手だったので、
まとまるのも早い!

タイミングもばっちりあって、
レイチェルと私で話を進めることに。


後日、相棒レイチェルとサンボさんとトモカさんに企画書を持っていき
さっそく見てもらいました。

もうすでに、ここから 「まほうのしずくプロジェクト」は
動き出していました。

そうそうこの日は、10月25日
さんぼさんの誕生日の日のことでした。
ちなみにレイチェルはその前日24日が誕生日でした。
何気に似ている二人、、、笑。

そしてそこから
どんどん 話は現実化していきます!!!


ちなみにその時
私が一番最初に考えていたお店の名前は「空色のたね」でした。

色々レイチェルと話し合って最終的には「まほうのしずく」になったのですが、
よくよく考えてみると、空色のたね って 「しずく」のことですね。

どうして「まほうのしずく」になったのかは、また今度face02


それにしても人生はタイミング!と
その時一歩前へ出るか出ないか。
そして人との縁。
だなあと思います。

「めぐちゃん、チャンスはのっときな。失敗を恐れちゃいけないよ。失敗したって
 そこから学べばいいんだから。」

父が、お店をやろうか悩んでいた私に贈ってくれた
エールの言葉。


みんなに守られています。

本当にありがとう!

がんばるぞ~~~!!  
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2010年11月11日

妄想とわくわく。





タイでお産の旅をしてる最中、

「もしも自由に使える場所があったら、どんなお店を開こうかなー」
と漠然と考えていました。



カフェでのんびりしてるときや、ひまなときをみつけては
こっそり日記にアイディアを書き溜める。

真っ白い紙の上はどこまでも自由なので、
右手を自由に遊ばせながら、
イラストと共にこんな場所、こんなお店。と妄想してはうきうきわくわく。

私がお産した北タイのPAIという場所は、
タイの首都であるバンコクという都会とは、また一味違った場所で、
もともとすごく田舎なのだけど、海外やタイのアーティストたちが
多く住んでおり、オシャレで、自然とアートとを融合したセンスのいい
カフェや洋服屋さんなどが多いところです。
自然と毎日、言い感じにアイディア心を刺激されます。



これはちなみに大好きなかわいいカップルがやっている
おいしいチャイと、アーティストが手描きで絵を描いてくれる洋服のお店。
大きなおなかを揺らしながら、
さんざこのカフェにはお世話になりました。
私がお産をした次の日に
なんとこのカップルは家にわざわざ来てくれて、チャイを作ってくれたの!
その日は会えなかったけれど、本当においしい心温まるチャイでした。





それにしても妄想って、最高に楽しいひとり遊びですねえ。
それはまだ自分の頭の中だけの出来事だから、
本当に自分の思い通りのままになっちゃうのですから。

でも以外にこの妄想。
大切な役割を果たしているときもあります。

自分がしたいことがあって、でもそれが今すぐに現実にはならないことも、
こうやってアイディアだけはいっぱいいっぱい考えてポケットにしまっておくと、
本当にチャンスという扉が自分の前に現れたとき、
ささっとそのポケットから、アイディアという七色の鍵を取り出すことが出来きるからです。

妄想、そしてわくわくする心。

私の原動力は思えばいつもそこから。

ワクワクする方に向かっていけば、
きっと自分の心に素直に動いていることになるので
後々何かあったとしても、反省はするけれど悔いは残らない。

これは旅から教わった
私が生きる上でのひとつの知恵でもあります。


わくわくすること。
それは生きていることが「楽しい」と感じている瞬間だとも思います。

そんな妄想とわくわく。

子供が生まれてからは育児に頭も体もいっぱいになってしまって
とりあえず妄想は置いといて、、、と言う感じになりましたが、
子連れで長野へ帰ってきた私に、
チャンスの扉が突如 でででーーん !!キラキラキラ♪と訪れたのです。

その頃、赤ちゃんはまだ四ヶ月。
両手は初めての育児で腱鞘炎になり、妊娠するまで続けていたタイ式マッサージも
しばらくはお休みだなあと思っていました。

父はその頃、病気が悪化し入院していたり、
私はパートナーとの間に、これからの生活への気持ちのすれ違いが生じ、
正直、結構辛い日々を送っていました。

これから、私が生計を立てていかなくてはならないのに、
家事をすることと育児で両手はふさがり、
心も少しばかり、おもたーーい感じ。

かわいい寝顔。すーやすや。

そして、それはそれは、重たーい
ひとつの愛おしい命。

この子は、私を選んできてくれたんだ。
私が守らなきゃ。

この子が、この子らしく自分の命を生かして生きていけるように、
自分の親が私を一生懸命育ててくれたように、
今度は私がこの子を育てたい!

思えば今まで、自分のしたいことをして、
みんなの心配をよそに自由に気ままに生きてきましたが、
私は大切な大切な守るものが出来た以上、
今までのように自分中心な生き方ではいけない。と感じ出していました。

いろんな重たいことから逃げてきたけれど、
母親であることは絶対に逃げたくない。


だけど、子供がいるからといって、まったく自分の苦手な職種を選んで
仕事をしよう。とはやはり思えず、

まずは母として一生懸命がんばろう。そして、自分の好きなことを仕事にして
ちゃんと自立できるようになろう!と決心しました。

私のやりたいこと、、、。
なんだろう。

子供を抱っこしながら、
一緒にねっころがりながら、
おむつを替えながら 自分に問いかけてみました。

そしてやっぱり胸に浮かぶわくわくすることは
あのタイでさんざ妄想にふけっていたこと。
 
「やっぱり、みんなが *ただ今*を言える場所を作ることだ!!」

よし、お店をつくろう。
長野に、世界中の友達たちが遊びにこれる場所をつくろう!

暗かった心に
光がまるでタイの太陽のように差し込んだのを覚えています。


そして、そんなある日のこと。

以前働いていたアジアンナイトマーケットのともかさんが
突然お祝いを持って家へ遊びにきてくれたのでした。

私がまだ25歳だったころ、アジアンナイトマーケットのお座敷を借りて
タイ式マッサージをやっていたことがありました。

アジアンのカフェや雑貨コーナーも担当して、みんなやお客さんたちと
わいわいと楽しく働かせてもらっていたのですが、お店をやめて、インドやらタイやらと
色々と二年くらい旅をしていたので、ともかさんに会うのも久しぶりでした。


そこから話は急展開!!

「おかえりカミュ。すっかりママになったねえ」

前と変わらないともかさんのやさしい笑顔にこころがほぐれ、私はタイでの自然出産のことや、
自分の周りで今起こってる辛いことなど、
素直にともか姉さんに相談にのってもらっていました。

「アジアンには、カミュの適材適所があるんだから、いつでも帰っておいでって
 さんぼさんが言ってるよ。もちろん、子供を連れて働いてもいいし。カミュさえよければ
 またアジアンにおいでね。いつでも待ってるから。」

なんていうやさしくてありがたいお言葉、、、。

しかもこの今の日本社会において、赤ちゃんを連れてきていい職場なんて
一体いくつあるんでしょうか。

「あとなんか、さんぼさんが駅前にいい物件があって、、みたいなことも言ってたよ。まあ、
 またみんなでアジアン同窓会でも開きたいねって話もあるし、いつでも遊びにおいでよ。」

ん?駅前に物件??

「ありがとうございます。少し落ち着いたら、ご飯食べに行きますね!!」

そんなこんなで数日後、あーちゃんを連れて早速アジアンへ。

ああ、懐かしい。
アジアンの前には、あおかえりーと言わんばかりに
タイのタクシートゥクトゥクが置いてあります。

ランチやメニューの看板は、私が当時描いたものがそのまま使われており、
若干色が薄くなっていました。

お店に入ると、ともかさんと、新しいスタッフのかやっちゃんが迎えてくれました。
さんぼさんはこの日は留守でした。

雑貨と衣類コーナーは
商品は変わっていますが、所々に私が当時描いた絵や文字などが残っていて、
懐かしい。

「これ、私が描いたやつ、まだ使ってくれていたんですね」
と言うと、ともかさんは

「当たり前ジャン。」と言ってくれてとても嬉しかった。

あんなわがままで、どうしようもなかったスタッフの私を
大事に思ってくれてたんだなあって。

当時、私と同じ日にアジアンに入った アジアンの守り神ガネーシャも
前よりももっと大きな暖かい笑顔になって(そう見えたんです)
私を迎えてくれました。

「おかえりーー」

長野に、私がただいま。が言える場所があって、本当にうれしい。


そして、私の「妄想という七色のカギ」が、
ここアジアンにて、「扉」を見つけることになるのでした。






つづく






























  
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