2010年11月11日

妄想とわくわく。

妄想とわくわく。



タイでお産の旅をしてる最中、

「もしも自由に使える場所があったら、どんなお店を開こうかなー」
と漠然と考えていました。



カフェでのんびりしてるときや、ひまなときをみつけては
こっそり日記にアイディアを書き溜める。

真っ白い紙の上はどこまでも自由なので、
右手を自由に遊ばせながら、
イラストと共にこんな場所、こんなお店。と妄想してはうきうきわくわく。

私がお産した北タイのPAIという場所は、
タイの首都であるバンコクという都会とは、また一味違った場所で、
もともとすごく田舎なのだけど、海外やタイのアーティストたちが
多く住んでおり、オシャレで、自然とアートとを融合したセンスのいい
カフェや洋服屋さんなどが多いところです。
自然と毎日、言い感じにアイディア心を刺激されます。

妄想とわくわく。

これはちなみに大好きなかわいいカップルがやっている
おいしいチャイと、アーティストが手描きで絵を描いてくれる洋服のお店。
大きなおなかを揺らしながら、
さんざこのカフェにはお世話になりました。
私がお産をした次の日に
なんとこのカップルは家にわざわざ来てくれて、チャイを作ってくれたの!
その日は会えなかったけれど、本当においしい心温まるチャイでした。


妄想とわくわく。


それにしても妄想って、最高に楽しいひとり遊びですねえ。
それはまだ自分の頭の中だけの出来事だから、
本当に自分の思い通りのままになっちゃうのですから。

でも以外にこの妄想。
大切な役割を果たしているときもあります。

自分がしたいことがあって、でもそれが今すぐに現実にはならないことも、
こうやってアイディアだけはいっぱいいっぱい考えてポケットにしまっておくと、
本当にチャンスという扉が自分の前に現れたとき、
ささっとそのポケットから、アイディアという七色の鍵を取り出すことが出来きるからです。

妄想、そしてわくわくする心。

私の原動力は思えばいつもそこから。

ワクワクする方に向かっていけば、
きっと自分の心に素直に動いていることになるので
後々何かあったとしても、反省はするけれど悔いは残らない。

これは旅から教わった
私が生きる上でのひとつの知恵でもあります。


わくわくすること。
それは生きていることが「楽しい」と感じている瞬間だとも思います。

そんな妄想とわくわく。

子供が生まれてからは育児に頭も体もいっぱいになってしまって
とりあえず妄想は置いといて、、、と言う感じになりましたが、
子連れで長野へ帰ってきた私に、
チャンスの扉が突如 でででーーん !!キラキラキラ♪と訪れたのです。

その頃、赤ちゃんはまだ四ヶ月。
両手は初めての育児で腱鞘炎になり、妊娠するまで続けていたタイ式マッサージも
しばらくはお休みだなあと思っていました。

父はその頃、病気が悪化し入院していたり、
私はパートナーとの間に、これからの生活への気持ちのすれ違いが生じ、
正直、結構辛い日々を送っていました。

これから、私が生計を立てていかなくてはならないのに、
家事をすることと育児で両手はふさがり、
心も少しばかり、おもたーーい感じ。

かわいい寝顔。すーやすや。

そして、それはそれは、重たーい
ひとつの愛おしい命。

この子は、私を選んできてくれたんだ。
私が守らなきゃ。

この子が、この子らしく自分の命を生かして生きていけるように、
自分の親が私を一生懸命育ててくれたように、
今度は私がこの子を育てたい!

思えば今まで、自分のしたいことをして、
みんなの心配をよそに自由に気ままに生きてきましたが、
私は大切な大切な守るものが出来た以上、
今までのように自分中心な生き方ではいけない。と感じ出していました。

いろんな重たいことから逃げてきたけれど、
母親であることは絶対に逃げたくない。


だけど、子供がいるからといって、まったく自分の苦手な職種を選んで
仕事をしよう。とはやはり思えず、

まずは母として一生懸命がんばろう。そして、自分の好きなことを仕事にして
ちゃんと自立できるようになろう!と決心しました。

私のやりたいこと、、、。
なんだろう。

子供を抱っこしながら、
一緒にねっころがりながら、
おむつを替えながら 自分に問いかけてみました。

そしてやっぱり胸に浮かぶわくわくすることは
あのタイでさんざ妄想にふけっていたこと。
 
「やっぱり、みんなが *ただ今*を言える場所を作ることだ!!」

よし、お店をつくろう。
長野に、世界中の友達たちが遊びにこれる場所をつくろう!

暗かった心に
光がまるでタイの太陽のように差し込んだのを覚えています。


そして、そんなある日のこと。

以前働いていたアジアンナイトマーケットのともかさんが
突然お祝いを持って家へ遊びにきてくれたのでした。

私がまだ25歳だったころ、アジアンナイトマーケットのお座敷を借りて
タイ式マッサージをやっていたことがありました。

アジアンのカフェや雑貨コーナーも担当して、みんなやお客さんたちと
わいわいと楽しく働かせてもらっていたのですが、お店をやめて、インドやらタイやらと
色々と二年くらい旅をしていたので、ともかさんに会うのも久しぶりでした。


そこから話は急展開!!

「おかえりカミュ。すっかりママになったねえ」

前と変わらないともかさんのやさしい笑顔にこころがほぐれ、私はタイでの自然出産のことや、
自分の周りで今起こってる辛いことなど、
素直にともか姉さんに相談にのってもらっていました。

「アジアンには、カミュの適材適所があるんだから、いつでも帰っておいでって
 さんぼさんが言ってるよ。もちろん、子供を連れて働いてもいいし。カミュさえよければ
 またアジアンにおいでね。いつでも待ってるから。」

なんていうやさしくてありがたいお言葉、、、。

しかもこの今の日本社会において、赤ちゃんを連れてきていい職場なんて
一体いくつあるんでしょうか。

「あとなんか、さんぼさんが駅前にいい物件があって、、みたいなことも言ってたよ。まあ、
 またみんなでアジアン同窓会でも開きたいねって話もあるし、いつでも遊びにおいでよ。」

ん?駅前に物件??

「ありがとうございます。少し落ち着いたら、ご飯食べに行きますね!!」

そんなこんなで数日後、あーちゃんを連れて早速アジアンへ。

ああ、懐かしい。
アジアンの前には、あおかえりーと言わんばかりに
タイのタクシートゥクトゥクが置いてあります。

ランチやメニューの看板は、私が当時描いたものがそのまま使われており、
若干色が薄くなっていました。

お店に入ると、ともかさんと、新しいスタッフのかやっちゃんが迎えてくれました。
さんぼさんはこの日は留守でした。

雑貨と衣類コーナーは
商品は変わっていますが、所々に私が当時描いた絵や文字などが残っていて、
懐かしい。

「これ、私が描いたやつ、まだ使ってくれていたんですね」
と言うと、ともかさんは

「当たり前ジャン。」と言ってくれてとても嬉しかった。

あんなわがままで、どうしようもなかったスタッフの私を
大事に思ってくれてたんだなあって。

当時、私と同じ日にアジアンに入った アジアンの守り神ガネーシャも
前よりももっと大きな暖かい笑顔になって(そう見えたんです)
私を迎えてくれました。

「おかえりーー」

長野に、私がただいま。が言える場所があって、本当にうれしい。


そして、私の「妄想という七色のカギ」が、
ここアジアンにて、「扉」を見つけることになるのでした。






つづく
































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