2014年04月29日
どうしてそう思ったの?

こんばんは。カミュです。
今日は新月のようですね。
どうも新月は眠くなります。
おまけにこの天気。娘たちは珍しく7時に寝てしまいました。
新月は何かを始めるにとてもいいとされている時。
私は今日から、あることを始めようと思っています。
そのあることとは、、、。
相手の立場から世の中を見てみることです。
私はこれが出来てないことで、今までの人生
かなり失敗してきています。
私は自分が大好き。
自分の欲望、自分の気持ち、自分の考え、自分の経験、自分、自分、、、
なんでもかんでも 自分フィルターからでしか
相手の気持ちを見ることが出来ません。
そして最大の欲求。
「 わたしのこと、分かって欲しい」
親にも、友人にも、先生にも、恋人にも、、、。
自分を分かって欲しいワールドの住人には、相手のことを理解する余裕なんてないのです。
ちょうど、娘が最近この わかってよ!中毒にかかっています。
私が赤ちゃんにおっぱいをあげてるとき、ひざで抱っこしてる時、
お姉ちゃんはとにかく怒ります。
しかも本音が出てこない怒り方。
例えば、
娘 「 ちょっと!!!ママお茶もってきてって言ってるでしょう!!!」
私 「ねえみてごらんよ。今おっぱいしてるんだから、お母さん立てないでしょう。おっぱい終わったら持ってくるから待っててね」
娘 「いますぐ持ってきて!!」
私 「なに怒ってるの。おねえちゃんでしょう。赤ちゃんはおっぱい飲まなくちゃ死んじゃうんだよ?待ってなさい」
娘 「いますぐもってきてくれないなんて嫌だ!ママのバカ!!!」
私 「も~!!!なんでそんなにわがままばかり言うの!少し黙ってて!!!」
娘 「ママなんて大嫌い!!ばか!!」
このループは永遠に終わることはありません。(苦笑)
娘はボリューム最高10だとしたら、13ぐらいの大声を張り上げて怒るんです。
全身全霊で、私に何か訴えている。
言葉の裏に、何かきもちが隠れている。
でも私はそれに気が付けてないの。
「まったくどうして待てないの?
どうしてそんなわがままばかり言うの?」
以前の私はいつもそう思っていました。
わがまま言って困らせたいの? 何でナノ?!!
「私は静かに待っていて欲しいのに、どうしてわかってくれないんだろう。」
そう、自分の立場からの目線でしか、子供の行為を見ようとしていなかったのです。
でも、朝方、娘がぽつりと言ったのです。
「 最近ね、ママがみーちゃんばかり抱っこしてるから、あーちゃんさみしいんだよね」
?!!
私 「そっかー、そっかそうだよね。お母さんずっとみーちゃんのことばかり見てたもんなー。さみしかったよね。
ほら、こっちおいで。ぎゅーしよう!!」
娘 「うん!」
私 「お母さんは、あーちゃんのこと大好きだし、本当はもっとふたりで遊びたいって思ってるんだよ。
いつもさみしい思いさせてごめんね。今日はミーちゃんが寝たらふたりでお絵かきしょう!」
娘 「うん!!ままだーいすき☆」
**** ^^
お姉ちゃんはちなみにもうすぐ4歳。
一人で色々出来るようになってきたのに、最近全然自分でやろうとしなくなっていました。
なんでも 「ママ食べさせて」 「ママが着替えさせて」 「ママがお茶のませて」
なんで自分でやらんのよ~!!と怒っていましたが、それも私に甘える手段として
彼女なり考えた行動だったのでしょうね。
ママ、さみしいのわかって。
ママ、だっこしてほしいのわかって。
ママ、わたしのことも見て。ママ、大好きなんだから!!
そんな、彼女の本当のきもち。
気が付いてあげてなかったから、あんなボリュームMAXで叫んでいたんですね。
「お茶もってきて!!!!」って。
最初から「さみしい」って言ってくれたら分かりやすいんだけどな~、、、。
でも、そうはいかないのですね。
その気持ちに気が付けるようになってからの私の言葉は少し変わりました。
娘 「もー!!ママ ミーちゃんのおっぱいしないで!!」
私 「もー、さみしいんでしょ?こっちおいで。ママのひざあいてるよ」
娘 「 やだね。みーちゃんなんてきらいだもん!」
私 「ほらほら、こっちおいでよ。ママと手をつなごうよ」
娘 「ふん! ママったら!やだもん、」
私 「おっぱい飲んでる間、ママをみーちゃんがひとりじめしちゃってることが寂しいんだよね。わかるわ~。
でも、我慢して待っててくれてありがとう。おっぱいおわったらぎゅーしてあげるからね。」
娘 「うん。。。さみしい」
さみしいって素直に言えないのは、大人も子供も同じだったりしますね。
相手の世界から、自分を見てみること。
もっともっとしてみよう。
自分の 「わかってよ」 はまず置いておいて。
それが先に出てる限り、相手の立場にはやはり立てませんものね。
不良少年たちも、きっと何かに気が付いて欲しくて
あんな音のすごいバイクとか夜中に走らせてるかと思うと
ちょっと切ない。
何がさみしいの?
何が辛いの? 何を分かって欲しかったの?
どんな言葉を、あなたは待ってるの?
誰に、分かって欲しい気持ちがあって
反抗しているの?
ビール片手に酔いつぶれてるおじちゃんも、きっとそう。
どうしてわかってもらえないんだよ、、、。こんなに頑張ってるのに~。って
よーく観察してみると
自分のインナーチャイルドも
いまだにそんな反抗していたりする。
分かって欲しかった気持ちは、案外長引くもんみたいで。
相手にとっては、どうでもいいことかもしれない。
でも、本当は自分にとってはとっても重要なカギだったりもする。
先日、私も相手への理解が足りなかったがために
とても大切な人を傷付けてしまいました。
取り返しのつかないことになっちゃったけれど
自分がからっぽになって初めて
相手の立場にたった気持ち、世界がやっとこ見えてきました。
そしてこれから先の人生で、いろんな場面や体験を通して
またすこしずつ相手への理解は深まっていくんだと思います。
それは人生の宝探しみたいなもの。
自分の愚かさに自分自身がげんなりですが、しょうがない。
だから今夜から、私がはじめること。
「どうしてそう思ったの?」
そんな風に、相手の心の中に侵入すること。
そんな想像力を身に着けるように。
人は時に
思いとは裏腹な言葉を選んでしまうもの。
本当の気持ちって、言葉にしなくちゃ
相手には伝わり辛いものなのに、
言葉が違うまほうをかけてしまうこともある。
なんともまあ。
なんともまあ!!です。
日頃から、素直な気持ちをちゃんと素直に言葉に出来るように
ひねくれない練習もしときたいもんです、、、。
愛する家族と、仲間と、子供達と、仕事仲間と、お客様と、、、。
私がとった態度が
そのままの世界を映しだします。
ひっちゃかめっちゃかだった
4月 肉体的にも、精神的にも
ま~、久しぶりに やられたわ~って感じでした。
それもまた、いい学びでした。
今日から
今から
私が変われば
何か きっと 変わっていくよね☆☆
さあさあ
みなさま
おやすみなさい。
心地よい いい夢を♪♪

2014年04月27日
ドゥーラをご存じですか?

こんばんは。喉がカラカラなカミュです。
あー、ビールが飲みたい!と思いながら水で我慢しております。
今日は久しぶりに長野のタイランド アジアンナイトマーケットに
娘二人連れてランチに行きました。
デッキで食べるパッタイに、濃厚マンゴージュース。 うまい!!
そしてデッキの感じが旅の感覚を運んできてくれて心地よかったです。
働いていた頃がとても懐かしく感じました。 サンボさんにおんぶしてもらっていたあーちゃんも
いつの間にかでっかくなって。
デッキでごはんが食べたいと言い出したのはアウラなので、喜んでくれて良かった♪

(サンボさんに抱っこされて、ギャン泣きの図) (笑)
実はグランドシネマに映画を観に行こうと思ったのですが、
行ってみたら超満員!!!
そっかー、ゴールデンウィークですね。。。 チケットも売り切れておりました。
あー、思いついた日がタイミング悪かった。
でも、おかげで映画よりもおもしろくておいしい体験が出来たら満足です。
4月はなんだか体調不良が続き、
先日まで家族みんなで寝込んでおりました。
久しぶりの高熱。頭がガンガンしてまったく動けず、、、。
母親である私がノックダウンとなると、子供達のお世話は誰がするのー?って
危機的状況に本当にあっという間になってしまいます。
うちは母と同居ですが、母もぐったりしていたので、叔母にはるばる飯山から来てもらい
子供達のお世話やら、わたしの介護まで本当によくしてもらいました。ありがたかった~!
しかしミーのお乳だけは私以外方法はないので、(哺乳瓶を使ってミルクが飲めないので、、、)
どんなに苦しくても授乳だけはさぼるわけにはいきません。
とにかく水分だけはよくとって、遠ざかる意識の中寝ながら授乳だけし、
また叔母や母に預ける。を繰り返しました。
自分以外に子供達のお世話をしてくれる人がいるって、ほんと~~~にありがたいです。
特に私みたいなシングルマザーの場合、頼れる人が近くに
友人でも、職場の人でも、近所の人でもいてくれるだけで、どれだけ安心か。
でも、たぶん頼れる人が近くにいないって人もいますよね。
そういう時、どこかにそういう人を頼めるサービスがあるといいですよね。
長野にあるのでしょうか?
もし何か情報をお持ちでしたら、ぜひシェアしてください。
みなさんは、ドゥーラをご存じでしょうか?
ドゥーラとは、ギリシャ語で「他の女性を支援する、経験豊かな女性」という意味があるようです。
主に、意外と知られていない一番大変な産後のケアの時に、
動けない母親に変わって身の回りのことをケアしてくれる人のことです。
日本では里帰り出産が多いですよね。それはみんな母親が産後まったく動けなくなる時に、実家の母親に
身の回りのことを助けてもらうためです。旦那さんのお義母さんに助けてもらう方もいらっしゃるでしょう。
育児休暇が取れれば、旦那さんが身の回りのお世話をテキパキこなしてくれた方もいるかもしれませんね。
でも、そういった助けてくれる人がそばにいない人のために、ドゥーラの存在があります。
今回、産後ではありませんが、私が寝込んでしまったときに助けてくれた叔母のしてくれたことは
まさしくドゥーラだ!と思いました。
ご飯を作ってくれたり、買い物に行ってくれたり、赤ちゃんのケアをしてくれたり。
誰かがそばにいてくれること。
弱ってるとき、一番安心できる、薬以上の効果があるのではないでしょうか。
ちなみにこちらのサイトに日本のドゥーラ情報が載っています。
http://www.doulajapan.com/doula/
私はアウラをタイでお産したとき、ドゥーラ的存在を果たしてくれた人がいました。
タイ人の子供が5人いるお母さんです。 彼女は産後のケアの時は不在でしたが、
産前、わたしとおなかの中にいる赤ちゃんのために栄養のあるご飯を作ってくれたり
産後の赤ちゃんのお世話の仕方を教えてくれたり、本当に本当に私の心の支えとなってくれた人です。
あー、なんだか思い出すとじーんと胸が熱くなります。
会いたい。
こんなに大きくなったよって。
しかも妹も出来たよって。
そんなアウラが生まれた日が近くなってきました。
タイでお産ピクニック。
突拍子もないことしたもんだ。(笑)
今日もサンボさんとそんな話で笑いましたとさ。
さ、私もそろそろ仕事します!!
5月のG.W明けより、空色開始しますよ☆
今日はアジアンのデッキでたまたま前回マッサージに来てくださったお客様とお逢いしました。
「いつ再開するんですか~?楽しみにしてるんです!」
とすっごいかわいい笑顔で言ってもらっちゃってとても嬉しくなって
早く始めなくちゃ~!と、うれしいエンジンがかかりました。聞こえます?この胸の鼓動が!(笑)
これを読んでくださってるあなたにも
きっとお逢い出来る日が来るだろうと思っております。
身体も心もすっとする カミュのオールハンドのマッサージ。
ぜひぜひ、お楽しみに♪
しばらくは 一日一人限定 の予定です。
長くなってしまったので、また記事をアップします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
おやすみなさい♪
2014年04月18日
動物と人間の暮らし
みなさんこんばんは。 カミュです。どうも。
お花見しました?
春満開ですね~。
さて明日は
「金魚の水槽の掃除を天気が良かったらやるぞ!」と
小声でここに宣言いたします。
去年の夏
お祭りで娘がもらってきた金魚さん。
一匹だけ長生きしています。
どこかに金魚さんが生きていける川があったら、そろそろ放してあげたいけど。
私の小学生のときの夢は 獣医さんでした。
「動物のお医者さん」というマンガをご存じでしょうか?
とっても好きで何度も読みました。
ムツゴロウさんも大好きで、ファンクラブに入会していました。(笑)
いつかムツゴロウ王国に行くのがひそかな夢でした。
マラソンが大嫌いだった私ですが、
ムツゴロウさんに会うことを想像すれば、ゴールまで走れる。
そのくらいムツゴロウさんを尊敬していたんですね~。
やはり昔からちょっと男性の趣味が変わっていた、、、のかもしれない。
でも、やっぱりムツゴロウさんはただ者ではないと今でも思います。
いつかお会い出来たらいいな~。
動物の中でも
一番私の胸をキュンとさせたのは
チンパンジーの赤ちゃんでした。
チンパンジーの赤ちゃんと一緒に暮らしたいと本気で思っていました。
獣医さんの夢は叶わなかったけど
いまチンパンジーみたいな娘たち二人と暮らしてるので、その夢だけは叶ったような気がします。(笑)
人間の赤ちゃんがこんなにかわいかったとは知らなかった!
何気にチンパンジーの赤ちゃんにキュンとしたのは、母性だったのかもな。
私は小学生の頃、いろんな動物を家で飼っていました。
ウサギ、カメ、インコ、犬、金魚、ハムスター、、、
ケガしてる鳥やらトカゲやら猫やら
いろんな生き物を家に持って帰って来ては
看病しながら動物をそばに置いておきたい衝動に駆られる私。
近所に犬猫病院があって、そこのおじちゃん先生がとっても優しい人で
私がいつもいろんなケガした生き物を連れていくと
かならず無料で治療してくれたのでした。今じゃ考えられなくないですか?そんなこと。
今でも、その犬猫病院の部屋の薬と動物の匂いが混じった感じのつーんとした匂いを
思い出すことが出来ます。
動物が好きな私。
でも、でもです。それは間違った愛であったことを
のちのち知ることになったのでした。
私はそもそも飽き性なんです。
結局最初だけ!!
いつもそうです。かわいいから飼いたい!絶対お世話するから!と言って
飼い始めた犬。でもだんだん散歩もめんどくさくなって
金魚の水槽の掃除も、だんだん面倒になって、、、
結局最後に母や兄がお世話係を引き受けて、、、。
結局私はただ、かわいいという理由だけで自分の物にしたかっただけなのだと気が付き、
それは本当に申し訳ないことだけど、かわいいぬいぐるみが欲しくて買ってもらったけれど
飽きちゃったみたいな感覚に似ていて
これこそ私のエゴってやつだ!と身に染みて
生き物には生き物の住む世界があって
それを出来るだけ邪魔しないのが、その生き物への本当の愛じゃないか?と思ったのでした。
もう二度とペットとして生き物を飼うことはやめよう。と。
それから、動物への気持ちががらっと変わりました。
キリンにはキリンの住む場所があって
鳥には鳥の住む場所があって
それぞれが、それぞれのいて気持ちがいいところにいれることがハッピーなんだよな。と。
飼われてる犬や猫も、そこが気持ちよけばハッピーだろうけど。
山から餌をさがしに狸やクマが人里に降りてくるのは
よほど食べ物がなくて辛いからだろうなと思うと、なんだかいたたまれないね。
その原因を作ってるのは人間だろうし。
無責任な私には、動物のいのちと同じ家で共に生きることなんて出来ないや。と幼少期に学習し、
動物に値段が付きペットとして売られてるっていうのは、やっぱり妙に感じます。
でも、いい飼い主さんの元に行って、幸せに暮らせる動物はそれはそれで幸せなのかもしれないけれど、、、。
途中でやっぱり無理でしたって飽きられたり
捨てられるほど、悲しいことはないよね。
本当に私は最低なことをしていたな、、、。
金魚もかなりトラウマになっていたので、飼うことになったときは
正直かなり動揺しました。
案の定、娘の興味は二日で冷め始めました、、、。
金魚とコミュニケーションとれないし、気持ちが覚めるのも無理ないか。
小さい頃の自分の姿と娘の姿が重なります。
胸が痛いな。
金魚はそれにしても、私たちにまったく無関心です。
何考えて生きてんだろうな~。
何も考えてないのか、、、。ただ感じて生きてるのかな。
さ、明日は掃除だ!!
おやすみなさい。
2014年04月16日
販売という仕事
最近、25歳の時の日記を読んでいる。
25歳。
今これを読んでくださっているあなたは、
まだ25歳になってないですか?
もう通り過ぎていますか?
今まさに、25歳ですか?
通り過ぎた人、その時あなたは
何してましたか? 何を思っていましたか?
私は25歳のとき、新宿のマルイに入っている
あるレディースファッションブランドのお店で
副店長として働いていたんだけれど、
その当時の過剰消費スタイルの生き方を変えたくて、辞めて旅に出る決意をした
人生の分岐点ともいえる歳。
「仕事を辞めます。」 と言うとき、それはそれは厳しい次長になんて言われるだろうと
すごくすごくドキドキしたことを今でもよく覚えている。
その手に汗握るドキドキは、インドに行くよりも緊張感の高いものだった。
もともとこの仕事に就くきっかけとなったのは
私がお客としてお店に遊びに行った時、
たまたま来ていた次長にスカウトしてもらったのがきっかけだった。
次長は40代前半の女性で、いつも本当にオシャレで
二十代の小娘たちに負けないくらいの大人の女オーラをまとった
とても仕事が出来る人だった。 彼女を色で例えるとゴールド。
独身で、バリバリ仕事を謳歌して、タバコを吸う様もなんだかしっくりとくる。
彼氏、いたのかなー?それだけは誰も怖くて聞けなかったけれど、、、。
でもとってもとっても厳しくて、その仕事の厳しさに泣かされたスタッフは何人もいた。
でも、今思い出してみて思うことは
その厳しさはプロ意識の表れで当然であり、そのブランドを本当に愛していたからこそだったんだなと。
販売という仕事は本当に難しい。
若い販売員がやりがちなことは、自分の好きなものをよかれと思ってお客様に押し付けてしまうということ。
趣味があえばそれもいいかもだけど、
自分の趣味と、お客さんの趣味が同じとは限らないということをちゃんと認識した上で、
その人のニーズにあったものを提案しコーディネイトすることが本当に喜ばれる提案となる。
それを知る手がかりとして
「どこに着ていく物をお探しなのかな?それとも、ただ何となく見てるだけなのかな?」
「どんな人と一緒にデートするのかな?何回目のデートなのかな?」
「寒がりかな?暑がりかな?冷え性かな?」
「柄ものが嫌いなのかな?でもインナーでちょっとなら入れられるかな?」
「変わったファッションが好きなのかな?いつも通りな感じが好きなのかな?何か違ったアイテムを着てみたいのかな?」
などなど、会話とその人の着ているものや身に着けているもの、職業、髪の毛の色
肌の色から爪の切り方まで瞬時に見て、観察して、今あるお店にある洋服の中から
何パターンかコーディネイトをチョイスして見せて、着てもらって、着まわし方も沢山あることを見せて、
ほかのお店も見てもらって、
最後に戻って来てもえるような接客をする。というのが私の販売の仕方だった。ふ~。
そして売る、ということよりも
やっぱり心の奥に、本当に喜んでもらいたいっていう熱意があったからこそ
当時、売上ナンバー1の販売員であったわけだ。
今は、「自分で好きなものを選んで買えば、それでいいーじゃん」
というのが私の結論なんだけど、、、。それを求めてる人もいるからこそ成り立った仕事。
新宿という場所柄、一日にすごい人の数を接客しているうちに
その人の服装や話し方、ふるまい方などで、職業を聞かなくても大体分かるようになった。
多分、私が思うにベテラン占い師とかも、占いっていうよりも人を見たらわかっちゃうんだろうなーって思う。
カウンセラーとかもそうなんだろうな。もちろん、勉強もしないといけないこと沢山あるんだろうけれど、
やっぱり人に沢山会ってるうちに分かってくることってあると思うな。
話はそれてしまったけれど、、、、
次長に「辞めます」って話をした時のこと。
二人でランチをしながら、これからの未来について話をして、最後に次長が言った言葉。
その言葉がずっと耳から離れなくて、
私はずっと潰れそうになるたびに
その言葉の重みを糧にしてきた部分もあって。
次長がご飯を食べ終わって、ナフキンで口を抑えて
私の話を熱心に聞いてくれて
それで最後に優しい笑顔で言ってくれた言葉。
「あなたの10年後を楽しみにしているよ。がんばれ!」
辞めると言ったら、怒られると思っていた。
副店長として、無責任であること。
でも、次長は私を責めなかった。
それまで、ずっと会社に染まっていく自分が怖かった。
売上ばかりを気にして、
自分という存在が、なんだかロボットみたいになっていくような、
会社に魂を取られてしまうような、そんな感覚があった。
そしてこの会社にいたら、どんな風な未来が待ってるのかを
想像出来てしまうことが怖かった。
その未来像は、私を息苦しくさせた。
次長も、私をただの社員の一人としてみてるだけだと思っていた。
でも、次長は私の背中を押してくれた。
その10年後まで
あと三年。。。
この7年間、色々あったなー。
てんこもりだな~。体験だけは、本当に豊だ。
あのとき、仕事を辞めてなかったら私は何者になっていたんだろうか。
どちらにしても、東京にずっと居たとは思えないな、、、。身体がNOと言っていたからな。
というか、やっぱり今の人生しか自分にはないのだ。
色んな意味で、私は今自分が歩いてきた道のりのツケを沢山払うときが来ている。
自分が逃げてきたこと、向き合えなかったこと、傷つけたこと、無責任だったこと。
楽してきたこと。勉強してこなかったこと。あ~おろかな私!!
ご迷惑かけっぱなしのみなさんの顔が、何人も浮かぶわ。
本当に、申し訳ない。
でもそれが私。自分でまいた種は、結局は自分で刈り取らないとね。
「現実逃避は逃げ切ったもん勝ちさ。」と言ったラッパーがいたけれど(降神だったか?)
私は逃げ切れなかったよ。 でも、現実逃避が現実だったことも確かなんだ。
でもこの7年間
等身大の私らしく生きてきたことだけは、胸をはって言える。
無駄な体験はひとつもない。
沢山の素敵な人と出逢った。自分を知る旅を、沢山してきた。
素敵な生き方をしてる人たちと、たくさん出逢った。
それは本当にありがたい人生だった。
そしてこれからも、自分らしく、等身大で生きたいと思う。
子ども二人と手を繋ぎながらね☆
どんな人生も、アリだよ。
でも、やっぱりこの人生を振り返ってみて思うのは、
快楽が多ければ多いほど、なぜか波乱も多くなる気がする。
エゴが強くなればなるほど、他者からの抑圧も強くなる気がする。
自分が欲しがれば欲しがるほど、遠のくものがあったり
助けてもらうことを選びすぎると、相手から奪うことにもなりかねないし、
良かれと思った優しさは、人をダメにしたり、
言わないでいる勇気よりも、言える勇気のほうが結果的にいい方向にいくことを学んだり
でも言いすぎると人を傷つけてしまったりでどっちやねーんと嘆いたり
期待すれば裏切られるし、お茶でも飲んで待ってればなんとかなったり。
分からないこと、まだまだ沢山あるけれど
未来に不安を抱えてても時間のムダ。
祈ることや未来を想像することも大切だけど、
動かなかったら実現化はしない。
だから、これからもひたすら動き続ける。
目の前に、転がってる靴下を拾うよ。
それが今の、わたしの答えだ。
2014年04月14日
春の熱の作用
冬から春に変わるとき
毎年咳き込むような風邪をひくような気がします。
せっかくのお花も、なんだかその美しい満開な感じを見るだけで
咳き込んでしまう感じ。これは何かのアレルギー反応?
お花の満開って、魚の大群を見てるみたいな気持ちになってうわーっ(@@)てなるのは
なんででしょうか?
お花見もいいけど、野原で寝っころがってお昼寝でもしたいな~。
娘は珍しく高熱を三日ほど出しましたが、そんなに慌てることもなくなった私。
母親になって早4年。
まだ上の子が一歳のころなんて、熱が出るたびに大騒ぎだったっけな~。笑
当時の私はいちいち
「このまま熱が下がらなかったらどうしよう?!」(いやいや、下がらない熱はない。)
「脳にダメージとかいったらどうしよう?」(いやいや、高熱で脳にダメージとかはないない。)
きゃーどうしようどうしよう!!
って、慌てふためいていたけれど。RSウイルスにかかって肺炎で入院したこともあるし、
子どもがどれほどの体力があるのかとか、どこまでいったら危ないのかとか
見極めるような力も体験も全然なかったからなー。
来月で四歳になる娘は、月に一度は熱は出すけれど、
熱が出ても解熱剤とか使わなくても、ちゃんと自分の身体で菌と戦って、自分の力で治っていけるような
体力があることが、これまでの体験から分かってるので、
熱が出ても、特に何もしなないでも落ち着いて見守っていられるようになった。
といっても、子ども一人一人、これは全然違うものだと思うので、
毎日毎日、子供をみてる人にしか分からないことだと思う。
そうそう、この落ち着いて見守るっていうことが出来るようになるまで
色んな不安と戦ってきたけれど、
不安だったらお医者さんに診てもらえばいいし、薬だってちゃんと飲ませたらいいと思うし、
でも、どんなチョイスの上でも
お母さんが大丈夫だよってずっしりかまえていることが
子どもにとってどれだけの安心という薬になることやら。を実感。
あ、でもお母さんに気にしてほしくて病気になってるパターンもあるからね。
お母さんがあたふたして、自分のこと診てくれるのが心地いい。みたいな。
私も小学生のとき、母が仕事で遅くなった時に熱が出たことを今でもよく覚えてる。
あれはやっぱり、風邪ではなくて、さみしい熱だった気がする。
人は寂しいと、熱まで出せちゃうんだからすごい。
こっちをふりむけ熱っていうネーミングでもいいかもね。
自分を見て欲しい。大事にして欲しい。大切にされてる感を味わいたい。
幼少期のころ、よく思った。
甘えん坊で、いじけ癖の強かった私。
もしかしたら今でもその癖が抜けてないかもしれない。
恥ずかし~わ!!こんなに愛されて甘やかされて育ってるのにね。
それにしても、あーちゃん
発熱時何も食べたがらなかったけれど、カリカリ梅とおむすびだけは食べたい食べたい!と言ってた。
塩分と米、そして水分。 これだけで十分。
そして具合が悪いと私のひざまくらでないと寝ないのだけど、
ミーがおっぱいで泣くとどうしても、どいてもらわなくてはいけなくて、
でも意地でもどかないもんだから、そのまま頭の上に妹をのっけておっぱいしてみたり。(笑)
「やだー。みーちゃんうんこくさいから、やだー」って泣いていたけれど。(笑)
へへん。
熱のあと、なんだか少し肌も綺麗になったあーちゃん。
本当に、一皮むけたみたいに美しくなっていた。
大人の事情に色々巻き込んで、たくさん辛い思いをさせてきたけれど、
あーちゃんは私なんかよりいつも強くて、いつも受け入れていて、いつも私が一番好きだよと言ってくれる。
どんなお母さんでも、こどもはお母さんが好き。
だから、愛されないことに苦しんだり、お母さんが悲しんでることに悲しんだり
お母さんが喜んでくれることを必死になってやったりする。
私は、自分の母がずっと身体とメンタルが弱かったので、
出来るだけ負担をかけないようにと、私なりの優等生をしてきた気がする。
お母さんが望むこと。
お母さんが選んだこと。
お母さんが、不安に思わないこと。
でも、いつからかそれが逆転した。
お母さんに認められなくてもいい。
お母さんに選んでもらうんじゃなくて、私が選ぶ。
お母さんが不安に思っても、私がいいと思ったことはやる。
母はいつも私に言った。
「どうして普通に生きられないのよ?」って。
その言葉にまたイライラして、ふつうってなんだよ!!と、もっともっと
母が求める普通じゃないことに手を出したりして。
でも、いろいろ失敗して。
結局母が言っていたことは間違いじゃなかったことにも気がついたり。
ただの遅れてやってきた反抗期だったのかな。と思ったり。(苦笑)
「あーちゃんもミーも、あんたを守るために生まれてきたんだよ」
先日、母がそんなことを私に言った。
守るため、、、。
二人に挟まれて眠る夜は、とっても安心する。
この地球上で
いまここが一番のわたしの安らぎ場所であることは間違いない。
でも、それだけじゃないんだよ。
お母さんを守るためだけに、生きなくていいんだよ。
あなたは、あなたの人生を愛して生きて欲しい。
その中に、ありがたくも母という役割で、私が登場している。
いつも守ってくれてありがとう。二人の娘、そして私のお母さん。
これからも宜しくね。
それぞれの人生を、楽しみましょう。
2014年04月13日
メッセージ
こんばんは。
娘が風邪をひいて熱を出し、4日ほど休んでいます。
家にずーっといるとストレスもたまる。
今日は熱もひいたので、娘たちとうたを歌って遊びました。
「ほらママうたって。」 と あーちゃんにマイクを持たされ、
あーちゃんはキーボードで自由に演奏。
ミーをおんぶしながら、窓の外の空を見上げながらのびのびと。
ああ、やっぱりうたうのって気持ちがいいな~。
こころのポケットが広がる感じがする。
こころのポケットが広がると、たくさんの素敵なものが舞い込んでくる。
いま、ここにある幸せ。
いつも当たり前みたいに転がってる幸せに満腹になっていると
ついつい外へと気がいってしまうけれど。
私はもうすでに、こんなにも幸せだってこと。
忘れちゃいけないね。
今日はなんとなく、過去の自分の日記を読み返してみました。
2005年。
恥ずかしくて読めないような体験談が沢山書いてあるんだけど、
とっても懐かしくて。
そして、ニュージーランドへ行ってしまったある友人への
さみしさを伝えた時に、友達が私に残してくれた素敵なメッセ―ジを発見しました。
「 その場に自分がいなくても、
その人が楽しく過ごしていることを想像する。
それだけで一緒にいられるような気持ちになれるよ。
相手に負けないくらい 自分も楽しむ。 そしてもしどうしても我慢できなかったら
抱きしめに行けばいいよ。」
私の仲良くなる人には、旅人が多いんです。
私が素敵だなと思う人には、スナフキンみたいな人が多いんです。
彼らは、別れる辛さを、辛さと感じずにいられる術を持っていたりする。
そう、別れはハジマリ。
旅立ちであることを。
春の夜ですね。
おやすみなさい☆
2014年04月09日
ニートの気持ち

こんばんは☆
さあて、これはなんの卵でしょうか?
実は
恐竜の卵なんです!!
もうすぐ孵りそうです、、、。
今もバケツの水の中にありますが、怖くて覗けません、、、。
最近手を付けていなかった~空色カミュの日記~。
正直、書きたいことが前のようにありませんでした。
心の中から湧き上るような、今これ書いて伝えたい!残しときたい!
みたいなことがなかった。
自分、つまらん!!
つまらん自分と毎日一緒にいるのは本当に退屈。
そしてなぜか、二度目のお産で私は過去の様々な体験を忘れてしまった。
忘れてしまったというか、もう過ぎたことって感じで
リニューアルカミュ―になってしまったようだった。
ゼロな私。こんにちは。
でも、こんなゼロな私、どう手つけたらいいの?みたいな、、、。
産後5か月。
実はちょっとひきこもりになっていました。
そんなに人と会いたくないし、赤ちゃんと静かにしていたい。
というか、産後の疲れを結構ひきずっていたような、、、。
年齢もあるのでしょうか、、、。(笑)
29歳で長女をタイで産んだときなんて、二か月半でタイから二回も乗り換えして飛行機で帰ってきて、
そんでもって生後半年くらいから起業するため色々アイディアを出して
お店を作るためにおんぶしながらえっさほらえっさほらと
夜も寝ずに色々やって、スーパーハードに動きまくっていたし、
想像力も、やる気も満ち溢れていました。
でもなんか、二人目のお産のあとはどうもそんな行動力ないし、意欲もなぜか出ず。。。
病院でもみんなに助けてもらうようなお産だったし、どちらかというと
自発的というよりも、受け身な私になっていました。
いい意味で、まわりに頼れた環境があったからかもしれません。
そして、しまいには周りに頼ることになれて、甘えることが当たり前になって
なんだかゆとりある時間に自分の存在意味とかいろいろ考えちゃったり、
一日中家族意外と話したりしないもんだから、どんどん社会とズレていくような(もともとずれてるけど)
取り残されていくような?感覚を味わい。
あ~~!!ひっき―の気持ちが分かる!!
ニートの気持ちが分かる!!
というところまで来ていました。
そしてある衝撃の結末、、、。
これは本当に衝撃で、、、
自分の人生がひっくり返った感じでした。
そして自分と必死に向き合って向き合って
こんちきしょ~~!!っていろんなことを考えて
乳腺炎になって熱出して
身体も心も沢山沢山 自分を知るために必死に動いていて
で、そろそろ出てこようと。
春だしね。
結局
私が動かない限り、世界は変わらないわけですよ。
誰も変えてなんてくれない。
誰も引っ張り出してなんてくれない!!
誰かに期待して、おんぶしてもらってたら
それは自分の人生ではない!
私は自分の人生を、自分の足で歩ける人ではなかったか?
自分のやりたいことを、絶対やる人ではなかったか?
そして、自分の仕事についても色々いい機会だから考えました。
私がやりたいこと、そして私に出来ることで、人に喜んでもらえることを
必死に考えました。
そして自然に出てきた答え。
やぱりこれか。
というか、
お産してゼロに戻ったとか言ったけれど
結局自分が歩いてきた道が自分を作ってるわけでして。
好きなことも、変わらないわけでして。
あとはもうただ、動けばいいだけの話だった。
よし!!!
やることちゃんとやりますよ~☆宣言!!
ナチュラルセラピー空色 再開します!!
何日から?!
どこで?!
詳細はまた後日☆☆
2014年04月08日
入園式でした。
こんばんは。
なんだか久しぶりのナガブロです。
やっとこ、ここに戻ってきました。
長い冬が終わって、やっとこお花が咲く季節になりましたね。
今日は長女と次女の入園式でした。
お姉ちゃんの手をつなぎ、まだ5か月のミーを抱っこし
通いなれた園の扉を開きました。
「ごにゅうえんおめでとうございます」
のアーチの下で、みんな家族写真を撮っていて
ああ、そうだ!記念写真私も撮ってもらいたい!と思っていたら
丁度ご近所さんのお母さんがいらして、撮ってあげるよーと声をかけてくれました。
あーちゃんが恥ずかしがって逃げ回っていて、中々撮れなかったのですが、
一枚、素敵なのが撮れました。
いつかこの写真を見返して、ああ懐かしいなって思いだす日がくるのでしょうね。
私も心新たに、春の風に背中を押され
一緒に進級したような、そんな気持ちです。
あーちゃんをこの保育園に初めて預けた三年前、私は自分の心が大分社会に対し閉ざされていて
保育園に通うママたちと会話をしたことが実は一度もありませんでした。
「おはようございます。さようなら。また明日」
それだけ挨拶して笑顔を作ることだけで精いっぱいでした。
その頃、お店をやっていて、そこでは沢山のお客様や仲間たちと交流を持てたのに
保育園という場所では、なぜだか心が開くことが出来なかったのです。
どこかで、壁を作ってしまっていたんですね。
でも、同じクラスのお母さんたちと自然に話せるようになったのは、
子供同士が友達として遊ぶようになってからでした。二歳の後半くらいでしょうか。
お母さんたちはみんな
様々な職業、家族環境があり、みんなファッションも、好きなこと苦手なことももちろん違いますが
でも、同じときに、子育てをしているお母さんであることは変わりなく、
みんな似たような育児の悩みや葛藤の中で頑張っています。
私が妊娠中、おなかがとても大きかった時のことです。
朝の送りのときに駐車場の車の中で
「絶対に行きたくない!!」と言って大泣きだった娘を前に、どうすることも出来なくて途方に暮れていた私を
同じクラスのお母さんが気が付いてくれて、
「ほらほら、一緒に行こうよ~!」と言って
自分の子とあーちゃんを抱きかかえてクラスまで連れて行ってくれたことがありました。
そのたくましさと言ったら、本当に本当にかっこよくてありがたくって、、、。
嬉しかったな~。今でも思い出すとじーんとします。
子育ては、一人でがんばろうとすると苦しい。
でも、苦しいって言えないお母さんの現状も多い。
手伝って欲しいって言えない人も多い。
でも、気が付いてくれて、すっと手を差し伸べてくれる人もいる。
みんなで子育てしてるって感じ、すごく嬉しいです。
すごくありがたいです。
私も、そうでありたいなと思います。
最後になりましたが、
今年、保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校、短大
入学されたみなさま、おめでとうございます☆☆