2013年04月20日

自分が反映する子育て





子供は子供の魂と意志を持って生まれてきている。

でも、母親になってみて改めて気が付いたことは

子供は母親の顔色を見て 

いろんな自分を作り上げていることもあるってこと。

もちろん母親だけでなく

父親もそうだし、一緒に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんもそうかもしれない。

でも、自立が不可能な子供にとって一番影響を受けるのは

「その人がいないと生きていけない」 という状況にある大人の存在ではないだろうか?

この人に見捨てられてしまったら、自分はどうなるんだろう?

という恐怖心が意識の奥の方に合った場合、

子供は必死にその人に忠実になるか、その人に好まれる自分を作ろうとする。

それが母親だとしたら

お母さんにとってかわいい存在

お母さんにとって好かれる自分

お母さんに都合のいい自分

お母さんを泣かせない自分

お母さんを救える自分

お母さんを

お母さんを、、、


と、お母さんが教祖様みたいになってしまう可能性がある。



そんなお母さん教祖様像を捨てられないまま大きくなった大人たちに

次に起こることは、

いかにそこから脱出し、本当の自分を見つけ出すかの模索。


そこには母親への反発をはじめとする、自分探しの旅が始まる。

でも、母親に認められる自分 にしか存在価値がないと

根強く思いこんでいる自分からの脱出はとても難しかったりする。

そして


「どうして本当の、ありのままの自分を誰も認めてくれないんだろう?」



そんな気持ちがどんどん膨らみ始めると、人生はどんどん難航しだす。


でも、自分を自分が認めてない限り

誰かに自分の存在価値を認めてもらえたとしても

求める欲求はエスカレートするばかりだ。


自分に自信が持てない

自分の存在価値が分からない

誰かに必要とされていないと 孤独が埋められない


そんな心の闇は、自分の周りにどんどん変なものを呼び寄せてしまう。



答えを求めて、

私も随分と旅をした。


お母さんと正反対の自分の本質を、お母さんにどうやったら認めてもらえるか?に固執したり、


お母さんが許してくれなくても、自分がやりたいことをつらぬける自分にならなくちゃ。とえらく反発したり。



それが例え、お母さんを傷つけたとしても

私は私になるために必要な過程を、自分の足で歩いているんだと

思えるようになるまで、とても時間がかかった。

そしてそんな旅をした後

今でさえも、たまに自分の意志や基準でなく

お母さんの基準に合わせてしまったりする自分がいて驚く。





お母さんを悲しませるのって

子供からしてみれば、本当に悲しいこと。


いけないことをしてる気がすること。

自分が犯罪者のように感じることさえあった。

ここまで育ててもらったのに、感謝してるのに、

裏切ってはいけない。


そういう感情は時に人を正しい道へと導いていているかのように見える。

でも、自分自身の道をちゃんと歩いているのか


親の道を歩いているのか

そこはしっかりと自分の瞳をこじあけて見てみる必要がある。

子供は、親の道を歩かせるために生まれてきたんじゃない。


自分が気づいてきた道とは違う、

新たな発見を一緒に楽しむことが出来る子育てが、とても素晴らしいものと実りますように。






その子の可能性は、この世界に繋がるものとして必要があって生まれてきている。


親はそれをサポートし、いかにその子の可能性を引き出せるか、なのかな?

それとも、、、


その子らしさを、愛おしむだけでもいいのかも。

その子らしさを愛おしむ、、、♪





もし自分の子供が

そんな風に私の顔色を見て、パーソナリティーを作り上げてしまってるとしたら

それはとても恐ろしいことに感じた。

そしてそのようなことをしてしまってるなと感じることが

多々あるので本当に反省。


その子を自分のためにコントロールしてはいけない。

そして躾とコントロールを勘違いしないように気をつけないといけない。



子供の強い意志に

お母さんが太刀打ち出来ないくらいが、もしかしたらちょうどいいのかも。


「うちの子、言うことまったく聞かない!」



そんな悩みは、いつしか宝物になる。





なんて思った朝でした。






お姉ちゃんが縄とびしてる姿をじっと

ただただじっと見つめる娘さん。






  
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