2014年04月16日
販売という仕事
最近、25歳の時の日記を読んでいる。
25歳。
今これを読んでくださっているあなたは、
まだ25歳になってないですか?
もう通り過ぎていますか?
今まさに、25歳ですか?
通り過ぎた人、その時あなたは
何してましたか? 何を思っていましたか?
私は25歳のとき、新宿のマルイに入っている
あるレディースファッションブランドのお店で
副店長として働いていたんだけれど、
その当時の過剰消費スタイルの生き方を変えたくて、辞めて旅に出る決意をした
人生の分岐点ともいえる歳。
「仕事を辞めます。」 と言うとき、それはそれは厳しい次長になんて言われるだろうと
すごくすごくドキドキしたことを今でもよく覚えている。
その手に汗握るドキドキは、インドに行くよりも緊張感の高いものだった。
もともとこの仕事に就くきっかけとなったのは
私がお客としてお店に遊びに行った時、
たまたま来ていた次長にスカウトしてもらったのがきっかけだった。
次長は40代前半の女性で、いつも本当にオシャレで
二十代の小娘たちに負けないくらいの大人の女オーラをまとった
とても仕事が出来る人だった。 彼女を色で例えるとゴールド。
独身で、バリバリ仕事を謳歌して、タバコを吸う様もなんだかしっくりとくる。
彼氏、いたのかなー?それだけは誰も怖くて聞けなかったけれど、、、。
でもとってもとっても厳しくて、その仕事の厳しさに泣かされたスタッフは何人もいた。
でも、今思い出してみて思うことは
その厳しさはプロ意識の表れで当然であり、そのブランドを本当に愛していたからこそだったんだなと。
販売という仕事は本当に難しい。
若い販売員がやりがちなことは、自分の好きなものをよかれと思ってお客様に押し付けてしまうということ。
趣味があえばそれもいいかもだけど、
自分の趣味と、お客さんの趣味が同じとは限らないということをちゃんと認識した上で、
その人のニーズにあったものを提案しコーディネイトすることが本当に喜ばれる提案となる。
それを知る手がかりとして
「どこに着ていく物をお探しなのかな?それとも、ただ何となく見てるだけなのかな?」
「どんな人と一緒にデートするのかな?何回目のデートなのかな?」
「寒がりかな?暑がりかな?冷え性かな?」
「柄ものが嫌いなのかな?でもインナーでちょっとなら入れられるかな?」
「変わったファッションが好きなのかな?いつも通りな感じが好きなのかな?何か違ったアイテムを着てみたいのかな?」
などなど、会話とその人の着ているものや身に着けているもの、職業、髪の毛の色
肌の色から爪の切り方まで瞬時に見て、観察して、今あるお店にある洋服の中から
何パターンかコーディネイトをチョイスして見せて、着てもらって、着まわし方も沢山あることを見せて、
ほかのお店も見てもらって、
最後に戻って来てもえるような接客をする。というのが私の販売の仕方だった。ふ~。
そして売る、ということよりも
やっぱり心の奥に、本当に喜んでもらいたいっていう熱意があったからこそ
当時、売上ナンバー1の販売員であったわけだ。
今は、「自分で好きなものを選んで買えば、それでいいーじゃん」
というのが私の結論なんだけど、、、。それを求めてる人もいるからこそ成り立った仕事。
新宿という場所柄、一日にすごい人の数を接客しているうちに
その人の服装や話し方、ふるまい方などで、職業を聞かなくても大体分かるようになった。
多分、私が思うにベテラン占い師とかも、占いっていうよりも人を見たらわかっちゃうんだろうなーって思う。
カウンセラーとかもそうなんだろうな。もちろん、勉強もしないといけないこと沢山あるんだろうけれど、
やっぱり人に沢山会ってるうちに分かってくることってあると思うな。
話はそれてしまったけれど、、、、
次長に「辞めます」って話をした時のこと。
二人でランチをしながら、これからの未来について話をして、最後に次長が言った言葉。
その言葉がずっと耳から離れなくて、
私はずっと潰れそうになるたびに
その言葉の重みを糧にしてきた部分もあって。
次長がご飯を食べ終わって、ナフキンで口を抑えて
私の話を熱心に聞いてくれて
それで最後に優しい笑顔で言ってくれた言葉。
「あなたの10年後を楽しみにしているよ。がんばれ!」
辞めると言ったら、怒られると思っていた。
副店長として、無責任であること。
でも、次長は私を責めなかった。
それまで、ずっと会社に染まっていく自分が怖かった。
売上ばかりを気にして、
自分という存在が、なんだかロボットみたいになっていくような、
会社に魂を取られてしまうような、そんな感覚があった。
そしてこの会社にいたら、どんな風な未来が待ってるのかを
想像出来てしまうことが怖かった。
その未来像は、私を息苦しくさせた。
次長も、私をただの社員の一人としてみてるだけだと思っていた。
でも、次長は私の背中を押してくれた。
その10年後まで
あと三年。。。
この7年間、色々あったなー。
てんこもりだな~。体験だけは、本当に豊だ。
あのとき、仕事を辞めてなかったら私は何者になっていたんだろうか。
どちらにしても、東京にずっと居たとは思えないな、、、。身体がNOと言っていたからな。
というか、やっぱり今の人生しか自分にはないのだ。
色んな意味で、私は今自分が歩いてきた道のりのツケを沢山払うときが来ている。
自分が逃げてきたこと、向き合えなかったこと、傷つけたこと、無責任だったこと。
楽してきたこと。勉強してこなかったこと。あ~おろかな私!!
ご迷惑かけっぱなしのみなさんの顔が、何人も浮かぶわ。
本当に、申し訳ない。
でもそれが私。自分でまいた種は、結局は自分で刈り取らないとね。
「現実逃避は逃げ切ったもん勝ちさ。」と言ったラッパーがいたけれど(降神だったか?)
私は逃げ切れなかったよ。 でも、現実逃避が現実だったことも確かなんだ。
でもこの7年間
等身大の私らしく生きてきたことだけは、胸をはって言える。
無駄な体験はひとつもない。
沢山の素敵な人と出逢った。自分を知る旅を、沢山してきた。
素敵な生き方をしてる人たちと、たくさん出逢った。
それは本当にありがたい人生だった。
そしてこれからも、自分らしく、等身大で生きたいと思う。
子ども二人と手を繋ぎながらね☆
どんな人生も、アリだよ。
でも、やっぱりこの人生を振り返ってみて思うのは、
快楽が多ければ多いほど、なぜか波乱も多くなる気がする。
エゴが強くなればなるほど、他者からの抑圧も強くなる気がする。
自分が欲しがれば欲しがるほど、遠のくものがあったり
助けてもらうことを選びすぎると、相手から奪うことにもなりかねないし、
良かれと思った優しさは、人をダメにしたり、
言わないでいる勇気よりも、言える勇気のほうが結果的にいい方向にいくことを学んだり
でも言いすぎると人を傷つけてしまったりでどっちやねーんと嘆いたり
期待すれば裏切られるし、お茶でも飲んで待ってればなんとかなったり。
分からないこと、まだまだ沢山あるけれど
未来に不安を抱えてても時間のムダ。
祈ることや未来を想像することも大切だけど、
動かなかったら実現化はしない。
だから、これからもひたすら動き続ける。
目の前に、転がってる靴下を拾うよ。
それが今の、わたしの答えだ。