2013年12月07日
お産ピクニック2
最初のお産はタイでの無介助プライベート出産を体験した私。
そして今回のお産は、長野で病院でのお産を体験した私。
すばらしい娘たちに出逢えました!
本当にありがとうございます。
ふたつの両極端ともいえるお産を体験した私。
タイでのお産を
~お産ピクニック~と題して書いてきたので、
ちょっと振り返りながら
今回は~お産ピクニック2 ~というタイトルで綴っていきたいと思います。
はじまり はじまり☆
2010年
私は長女をタイのPAIという村で産みました。
私は二十代前半、都会での暮らしから6年ほど精神病み、
あーどうして私はこうなってしまったんだ!ともがいてもがいて
バックパックを背負ってとりあえず日本から出ることにしたのでした。
そして自分の中の今まで貯めてきた価値観や
こうしなくてはならないっていうがんじがらめの意識を
ひとつひとつ脱いでいくような旅をして
脱ぎ捨てられたハイヒール分だけ大地に近くなり、
そして自分の中で、社会で生きる私という仮面と、
本当はこんな風に生きたいんだけどって思ってる自分の
本心に出逢ったのでした。
仮面をつけることで病気になったんだったら
じゃあ仮面をぬいで、本当の自分が望んでる生き方を選んで生きていけばいいんじゃん!
という簡単でいたってシンプルな答えに出逢いました。
そして2009年に半年のインドの旅より帰国後妊娠。
本来の自分と出逢う旅を続けてきた私が
流れに流れて辿り着いた自分の内面の旅の第一章の最終ステージが
「 自然の中で、気持ちよくお産したい 」 でした。
私は何でそんなわざわざ清潔で安全な病院ではなくて
自然の中のお産を求めていたんだろう?って、最近振り返って思うのが、
たぶん、自分の中にある野生に出逢いたかったんだと思います。
人間という生き物としての野生。
妊娠という、いのちを宿した私の身体は、どんどん変化し
そして変化すればするほど、私は自分の中にあるメスとしての感覚を味わっていきました。
果たして私にはまだあるんだろうか?野生ってやつが。。。
現代的な暮らしをしてきた私の身体。
便利で簡単で、インスタントで、買ったものにどんどんうもれていくような暮らしの中で、
私は私をどんどん見失っていきました。
そして私の身体はどんどん呼吸が浅くなり、過換気症候群になって
ふと自分の生き方に、疑問を持ったり、出したものを片付ける暇もないまま立ち止まることすら許されず、
働いてはそのストレスを発散するために消費というライフスタイルを繰り返していました。
でも、旅をとおしてそんな自分から抜け出し、
そして私はどんどん、自分の中にある「野生」に出逢いたいと強く思ったのでした。
そしておなかの中の赤ちゃんも、そんな私の願いを聞いてくれているようでした。
というよりも、そんな私の中の野生を目覚めさせてくれたのは、お腹の中にいた長女だったのだと思います。
(この寒い夜に、彼女は今日も裸で寝ております。)
そして、私はこのブログでも書いてきましたが、
バックパックを背負ってタイに向かい、自分と赤ちゃんが気持ちがいいと思える
場所を旅をしながら探し、
出逢った土壁の家にて、とても神秘的で、感動的なプライベート出産の中で長女のあうらと出逢いました。
先生も、助産師さんもいない、
天井からつりさげられたロープにしがみついた、月明かりから朝日に見守られてのお産でした。
外からは沢山の生き物たちの歌声が聞こえてきました。
私はそこで、私の中にある本来の姿、野生にやっと出逢えたのでした!!
しかし、私はこのとき、お産という体験からはとても素晴らしいギフトを沢山もらいましたが、
自分中心的な行いによって、長野で待っていた闘病中だった父と、毎日そんな父を看病していた母を
ほったらかしにし、とても辛い思いをさせてしまっていました。
ひとつとても大切な願いは叶ったけれど、
何か大きな間違いを犯しているような気持ちにも何度も出逢いました。
あうらを産んでみて初めて気が付いた、両親の気持ち。
そして産後の辛さ、、、。子育ての喜びと困難。
元パートナーとの別れ。
正直、お産以外は上手くいかないことだらけだったあの頃。
私は私のしたいこと、求めた生き方をしただけなのに、どうして上手くいかないんだろう?
どうして悲しませたり、傷つけたりしてしまう人がいるんだろう?
あの頃の私には分からないことだらけでした。
そして、、、
長野へ帰って来て実家にお世話になり
日々成長する娘と仕事に忙しい毎日を送り、
なんと二度目の妊娠発覚!!
2013年3月のことでした。
つづく
Posted by カミュ at 22:13│Comments(0)
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