2014年08月12日

たましいを宿してくれたあなたの器

たましいを宿してくれたあなたの器

(砂漠のジプシー 映像より)



写真展に向けて

最近ずっと

インドの写真を部屋にはって

にらめっこ。


わたしが当時 「撮りたい!!」と思った

瞬時にシャッターを思わずきってしまった

この人たちの

共通点て なんだろう?って

改めて問いただしてみた。


わたしの中の何に反応してるんだろうって。

「 美しい 」って思ったり

「 あっ 」て思ったり

何かに震えた その一瞬 引き寄せられたものの正体は??



その空気感を まるごと

切り取りたいって 感じたこと

その真髄たるものとは、、、


そして 出た答え。


それは 


「 生きてる 」

って感じるかどうか。

写真の中の彼らは どこか生きてることに誇らしげに見える。


思いっきり笑っていたり

思いっきり叫んでいたり

思いっきり 悲しそうだったり

写真撮るなら 金をくれよと わたしを睨みつけていたり

どこか 悲しそうだったり

その人の生きてきた道のりの年輪が 浮き出してみえているような

そんな感じ

その人が 生きた目をしているかどうか。




日本では

死んだような目をしている人

自分ではい仮面をつけて生きている人に

私は沢山出逢った。


そしてわたしもその一人だった

その人の 本来の表情

その人の 心からの素直な言葉

わたしの 本来の表情

わたしの 心からの 素直な 言葉、、、

そういうものから どこか遠のいた暮らしを

しているとき

人は 瞳から 生きてる力を感じられないし

言葉も すべて薄っぺらく 

人生も 身体も こころも 開いていかない。



そんなとき、わたしは蓄積された自分の気持ちを

吐き出すかのように 過呼吸になって

釣り上げられた魚のように うごめいていた。

本来の自分と 違う自分

自分の身体が 教えてくれるのね。

「 ちがうよね 」 って。

身体というのは 自分の一番のよき理解者。

自分のたましいを受け入れてくれた この器は

自分がなりたいと思って決めてきた自分 に対しては

とてもきもちよく動いてくれる。

でも、違う自分になろうとすると

すぐにブザーがなる。

頭が痛くなったり 胃が痛くなったり

身体がだるくなったり

原因不明の病気となって教えてくれたり

どんなに身体にいい食事をしても

どんなにお金もちでも

どんなに権力があっても

みんなに 偉い人として扱われていても

自分の人生を自分で生きていなかったら

人はどんどん 呼吸が浅くなって

自律神経が乱れて

めまいがおこる




等身大の自分として

いかにこの器を自分らしく生かしていくのか


自分の嫌いなところも

辛かった過去も

生まれてきた環境も 

変えられない宿命も

変えられる運命も

どーんと受け入れて 

自分という道を 歩いている人


日本にいたら 絶対にありえないような

過酷な人生が

インドには沢山あった

けど


生きてた


目をそむけたくなるくらいに

生命のエネルギーが ほとばしっていた。




たましいを宿してくれたあなたの器



誰かに癒しを求めるのでも  

誰かが癒しを与えるものでもないんだ


自分が自分を癒すこと


それは 自分が 

自分に還っていくことなんだ






たましいを宿してくれたあなたの器



わたしはインドのこの旅の中で

歌うことでどんどん開花していって

自分自身に還る体験をしました。

声というのは不思議なもので

自分というものが とてもよく現れるもの。

自分の波動が そのまま ダイレクトに

現れれるツール。

そして、自分だけでなくて

宇宙からの声を 通してくれたりもする。

どこに合わせるかのチャンネル次第で、色々可能。


インドにいたときのわたしの声と

いま

母と子のうたを歌うわたしの声では

ぜんぜん違う。



それでは おやすみなさい。


















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Posted by カミュ at 23:24│Comments(0)
 
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