2012年10月25日

旅とマッサージ 5

今日はサンボさんの誕生日です!!

ハッピーバースデー さんぼさーーん☆

昨日のれいちぇるに引き続き、お誕生日ラッシュ☆

ちなみに うちの娘は今日で二歳と半年になりました。

サンボさんは本当に自分のやりたいことをどんどん叶えていく人です。

かれこれ出逢って6年目?になりますが、

ずーっとそういう流れに乗ったままだからすごいなーと思います。

まほうのしずくが存在するのも、さんぼさんのお陰です。

本当にありがとうございます! 

いつまでも、健康な地肌を! 


変な一言で終わっちゃったけど、 (笑)



第五夜となる インドジプシー日記。

今夜はお休みにしようかと思いましたが、なんとか眠気がふっとんだので

書きたいと思います。

今日も出逢いの中から、沢山のいいメッセージを頂きました。

そこからのインスピレーションも含まれていくことでしょう。


はじまり  はじまり~~




☆  ☆  ☆  ☆





太陽が揺れる砂のベッドで、 私は出来るだけ笑顔を作って

彼女のマッサージを続けた。


言葉が交わせない私たちは、表情と手の動きでコミュニケーションを取っていた。

彼女は繊細に私の気持ちを読み解こうとするから

私はあえて「ここは私にすべてをゆだねて。」

という気持ちで

笑顔を大き目に作っていたのだと思う。


風が吹くたびに

彼女の息子の髪の毛が ふさふさとなびいて愛おしかった。

踊るサンギータを初めて見たとき、まさかこんなに小さな子供がいるなんて

全然思いもしなかった。

彼女は時折顔をあげては、子供が何をしてるのか様子をみて

穏やかな母の表情で微笑んでいた。

日本でも、どこでも、母が子を思う気持ちに違いはないのだと感じた。


サンギータの旦那さんは、とてもハンサムで、優しそうな人だった。

歳は少し上くらいだろうか。

でも、砂漠で彼は一体何をして過ごしているんだろう。と、ふと疑問に思った。

別にテントのスタッフでもないし、ダンサーでも音楽家でもない。

手には昼間から酒。

働き者の女房と、昼間から酒を飲む旦那 というスタイルも

どこの国でもみられるものだなあと思った。


きっと彼女が踊り子として一家を支え、

旦那さんは子守担当なんだろうな。






空は青い。

どこまでも  どこまでも、、、。



空は青い。

どこまでも  どこまでも、、、、


旦那さんはそれが生きがいなのかな?

彼女はそれでいいのかな?

なんて余計なことは考えないどこう。



それがこの家族のバランス。

彼女も子供もそのバランスでハッピーならそれでいいんだろう。





家族って、やっぱりいいもんだなー  

この二人はどうやって結ばれたのかしら。なんてのんきに思っていた私に

この後 ちょっとしたハプニングが起こるのだった、、、。

それはまた次回、、、。





マッサージを終えて、私は彼女に手を合わせて 終わりだよ。ありがとうと言った。


サンギータは むくっと起きて、すっきりした笑顔で私を見つめてくれた。

急いでテントへ戻った彼女が戻ってきて、私に手を差し出した。

私が手を出すと、

そこにはしわくちゃの20RPが。

私は断ろうかなやんだけれど、ありがたく頂くことにした。

彼女が 腰を痛めて踊って得た 大切なお金だ。

この20RPは、思い出にとっておきたいくらいだったけど、

また違うところに流して、ハッピーの連鎖となるといいな。と思った。


インドに来てから、私はカミュのマッサージ屋のスタイルをドネーションスタイルにしていた。

それはライブもそうだけど、聞いた人がその人のハートマネーとして

自分で値段の価値を決め、お金をドネーションする仕組みだ。

マッサージも、それと同じ感覚。

インドという国では生活の格差が激しいし、

そこを旅してる旅人たちや、いろんな国の人のお金の価値観というのは

様々であるから、色々考えた結果、その時の私にはドネーションという仕組みが一番しっくりきた。

時に物々交換もあったけれど。





人によっては大金をくださる方もいれば、カレーをご馳走してくれたインド人のおばちゃんもいれば、

歌をプレゼントしてくれた人もいるし、お返しにマッサージをしてくれた人もいる。

見返りを求めてはならないと思うときもあったけど、

お互いがそれで満足でハッピーなら、ドネーションスタイルは悪くない。

でもひとつわかったことは、お金もちほどケチだったこと。

ホテルのオーナーとか、本当にケチだし、人使いも荒かったなあ。




実際に、私たちはこの旅で、そうやって回ってきたお金と体験で生かされていた。

彼女たちジプシーと同じ。

彼らも、ドネーションスタイル。


自分たちの出来ることを生かして、恵まれたお金を頂き

そしてそれで次なる場所へと旅してまわる。

それをあえて体験したくてやった旅だった。

歌うことでお金を稼ぐということが、どれだけキツイことかもその時

よーく味わった。もちろん、その場所と人との出逢いから生まれる共鳴や、

楽しさもあったし、そちらの方が大きいけれど、

自給700円で与えられた仕事を淡々とこなす仕事は

ある意味守られている中での苦痛だけど、

自分のやりたいことで生きていくってことは、全責任が自分だし、

しかもそれが自分の表現であると、自分がだしたものへの評価が

お金で見えてきてしまうので、それをバロメーターにはしたくないけど、


そうならざるを終えなくなってくる。

いいときはいいけれど、悪いときはやっぱり落ち込んだりもした。




お腹がすいては、歌もろくに歌えなかった。

どこかで「稼がないと、生きていけない」 がちらつくたびに、

その歌はなんだかとても イガイガしたものになって

歌うことが嫌いになってしまいそうだった。

歌は、わたしにとって何なのか? 生命の喜びから湧き上ってくるはずのものだったはずなのに、、、。


いつも問いただしては、お寺でサドゥ―や家なしの人たちにふるまわれる無料のターリーを

彼らと一緒に食べさせてもらっていたこともある。



手を差し出す 物乞いの子供たちの気持ちもよく分かった。

100%相手の立場にたったわけではいし、私には日本という帰る場所があるから

もちろん一時だけの体験にすぎないけれど。






でもこういう旅のスタイルは面白かったけれど、もうしたくないかな。


日本でちゃんとお金を蓄えて、お世話になった人におごってあげられるくらいの人になりたいものだ。(笑)



でも、あのお寺のターリーは本当においしかったし、ありがたかった。

そしてそんな日本人旅行者を受け入れてくれていたインドという国の寛大さには

いつも本当にびっくりさせられる。 



彼らジプシーたちが、音楽や踊りを武器に砂漠で生き抜いてきた歴史を思うと

本当にすごいことだと感じた。

しかも作物が育つわけではないし、過酷なこの環境でだ。


彼らの音楽が、時に切なく、そしてどうしようもないほどに勇ましく

生命力に溢れ、人々の心に深く響くのは

様々なバックグラウンドがあってこそなのだと思うし

やはりそこには ジプシーの血  があるんだろうと思った。

そしてそんな辛いときこそ、人々には音楽が宿り

火をともしそこで輪になって歌い踊れば、

希望をうむことが出来るのだと思う。


お金を得るために音楽を奏でるのではなくて、

音楽はそういうものだと、私は改めて感じた。

サンギータのように、踊り子として踊り子たちの村で育った彼女にとって

音楽とは、踊りとは、一体どういうものなのか。

私は会話が出来たら聞きたかった。

そこをもっと彼女と話したかった。



でも私は彼女と過ごした数日間でなんとなく、なんとなくだけれど

感じさせてもらうことが出来た気がする。





今夜も砂漠の大地に鳴り響いてるんだろうな。


サンギータが踊るたびに

しゃんしゃんと鳴り響く

アンクレットの鈴の音が。



旅とマッサージ 5


つづく、、、























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