2013年05月29日
愛とはなんだろう? 5 インド編
自由ってなんだろう。
愛ってなんだろう。
考えれば考えるほど分からないけれど、
気が付いてないだけで、きっと私はもう知ってるのかもしれない。
いや、知らないふりをしているのか、それとも知らないからこそ知りたいと思うのか、、、。
いつしかあのイスラエリーカップルのように
パートナーとインドを旅したいなという夢が、案外早く叶った2009年のインドの旅。
のちに私は彼との間に二人子供を授かることになるなんて
あの頃はまったく考えもみなかった。
その頃の彼ときたら、「夢はブッダになること」 と真剣に(いや、多分今でもそう思ってるかもしれないけど)
言うような、ガンガーのほとりで瞑想しているサドゥ達と同じ方向を見ているような
そんな状態だった。
あの頃の私には、そんな彼がとても興味深かった。
自分が本当に求めてることが分かっていてすごいなと思った。自分がまだ知らない世界を
この人は感じている。
この人と一緒なら、きっと面白い旅が出来るなと思っていた。
二人で音楽を奏でるたびに、最高のハーモニーを感じた。
そしてこのインドの旅は、彼と半年間インドを旅することで本当に面白いことが沢山起こった。
それと同じくらい、波乱も巻き起こった。
これほどまでに魂と魂をぶつけ合い、傷つけ合い、そしてその傷口に塩を塗っては
また音楽を奏でることにより 愛に気が付いてもう一度やってみようと思い直す、、、。
なんだかとてもハードな旅となった、、、。
その話はまたにして、、、。
ガンジスでの沐浴が終わった後、あのゆりかごのような鐘の音が鳴り響くアシュラムに戻り、
太陽が出ているうちに屋上へと急ぐ。
濡れた洗濯ものを数枚と、バンスリ(竹の横笛)を片手に、螺旋階段を裸足で歩く。
床の冷たさがとても心地いい。
階段を登る途中、このアシュラムを管理しているお手伝いさんの家族の部屋が見えた。
パンジャミにセーター姿の奥さんが、料理の下ごしらえをしていた。
旦那さんがそんな奥さんを横目に、ほうきを持ちながらこちらに歩いてきた。
「ナマステ」
手を合わせて挨拶をすると、彼もまた、最高の笑顔でナマステと手を合わせてくれた。
子供が二人、お母さんの周りで遊んでいた。
なんだかそれはとても愛おしい光景で、私は心が温かくなるのを感じていた。
家族、、、。
私にもいつか、子供との暮らしが待ってるんだろうか?
螺旋階段を登ると、目を細めるくらい眩しい太陽が目の前に現れた。
そしてその向こうに、サロンを腰にまいた、金髪のドレッドをたばねた白人のおじさんが
ゆっくりと屋上を歩いて回っていた。
あまりにも美しい髪の毛の色に、私は見とれてしまった。
ドレッド頭なのに、やさしいやさしい妖精の羽みたいに見えた。
「ナマステ~」
目があったので、挨拶をした。
「ナマステ」
低くて、とても澄んだ声のナマステだった。
それ以上話すことも見つからなかったので、私は洗濯物をロープにぶら下げた。
すると、サルがやってきた。
親子だった。 子ザルをお腹にぶら下げて、サルはノサノサと歩いていた。
「 バナナとかビスケットとか持ってると、突然取られちゃうのよ。気を付けてね 」
どこからか日本人の女性の声がして、振り向くと、
そこにはゴザを敷いて縫い物をしている女の人が座っていた。
穏やかな笑顔だった。
それが、マイケルとえみさん(仮名)との出逢いだった。
つづく
Posted by カミュ at 09:35│Comments(0)
│ちきゅう色日記(ジプシーな旅日記)