2012年08月06日

赤ちゃんのおっぱいを自由に。

8月8日の気楽房さんで行われる

ナースアウト(外で授乳するという意味)のイベントで

妊娠8か月目の朋さんのピアノで歌わせてもらうにあたり、

授乳について色々最近 想いを馳せています。

今現在も授乳中の私として、いまおっぱいの詩を作っています。

お母さんが、自由に、自然の営みのままに

おっぱいする美しさを、歌で表現できればと思っています。


そして、ちょっとタイでのお産のときのことを

綴ってみました。 

☆  ☆  ☆  ☆





赤ちゃんのおっぱいを自由に。

はじめてアウラにおっぱいをあげたときのことを

私は今でもよく覚えている。

日差しを避けるために布を重ねた暑い暑い蚊帳

海と空を混ぜたみたいな青い色のテントの中で、

生まれたばかりの小さな生命は

大声で泣いたあと、長旅からの疲れを癒すように少し私の胸の上で眠り

しばらくして何かを求めるようにしてぎゃんぎゃん泣いて目を覚まし

小さな口をぱくぱくさせて

私の乳首を探し求めた。


大きく張った私の胸は、娘の泣き声を聞いた途端

さらに大きく膨らんで

痛いくらいだった。

妊娠する前の私の胸は本当にぺったんこで

なんのためについてるのか分からないくらいだったのに

この10か月で ずいぶんと成長したものだ。

人間の身体は本当によく出来ていて、

大きく膨らんだおっぱいと同じくらいにおなかが大きくなったころ

おなかの中の赤ん坊はそのおっぱいが飲みたくて

外へ出てきたような気さえした。

娘が必死に胸にしがみついてきたとき

誰が教えたわけでもないのに

彼女は生きるためのすべをもう知ってるかのように見えた。

本能はすごい。

そして私のおっぱいが、はじめてこの時のためについていたことを

私は知った。

私の女として生まれてきたこの身体を

ふんだんに、全身で、全力で、あますことなく今発揮している。

そして必要とされている。

ああ、私は母という大地であったんだ。と

そのときほど自分が女であったことを感じたことはなかった。

どちらかといえば中性的な私の身体。

背も大きいし、骨格もしっかりしていて、おっぱいもぺったんこ。

色気とは正反対のところにいた私の身体だけれど、

そうか、母体としてこんな可能性を秘めていたのか。

全然気が付かなかった。




しかし私のお乳は出てこなかった。

彼女が泣きながら吸っても吸っても

出てこない白いお乳。

アウラは欲しくて欲しくて泣いているというのに。



「生まれてくる赤ん坊は、三日分のお弁当をしょって出てくる。」


私が読んでいた本に、そんなことが書かれていたことをふと思い出す。

アイヌのお産婆さんも同じことを言っていたし、私がバイブルとしていたその本にもそれが書かれていたし

私はこの暑いタイの小さなテントの中で、(扇風機も冷房もない)

ただただその一筋の文章と、目の前にある命の強さだけを信じて

私は本当に彼女に何も与えなかった。

そしてその三日間はある意味、生きる戦いでもあった。



私はそこにまったく何の不安もなかったわけではないけれど、

命をただひたすらに受け止めた。

そして彼女はそれをちゃんと乗り切った。

結局、私のお乳がちゃんと出始めたのは三日目の朝になってから。


私は三日間くらい、飲まず食わずでも 赤ん坊には生きる力があることを知った。

(もちろん、その子に先天的な障害や問題があったらそれは危険なことであると思います。)



お産をしたばかりの女性の身体は本当にあちこち痛むというのに、

どうしてこんなにも授乳がまた痛いのか。。。

私は激痛に耐えながら、何度か彼女の口に指を入れてごまかしながら

娘の欲求に答えた。

しかもお産の後、私を襲ったのは奥歯の激痛。

歯医者もないここで、この歯の激痛には本当に悩まされた。

クローブをかんだり、冷やしたりしてごまかすくらいしか、方法がなかったけれど、

あるとき、 この痛みは温めるべき?とひらめいて

温めてみたら、なんとすーっと痛みがひいたのには驚いた。





「おっぱいでなくてごめんね~。もうすぐだからね~」

半べそかきながらアウラにそうつぶやく私を見ていた彼が

バナナの花のスープがおっぱいにいいと聞き

さっそく料理してくれた。

そのスープが効いたのか、

最初は透明な液体のようだったお乳が、やっとこ白くなった。


それはとてもとても美しい白で、

私はこんなにもやさしい色に初めて出逢い、

思わず感動して泣いてしまった。


小さなテントの中で、

母と子、小さく一つになって

汗をたくさんかきながら

お乳を飲むときの

娘のあの本当に安心した表情。



赤ちゃんのおっぱいを自由に。

(右側にアウラがいるんだけれど、あまりにも小さくてよく見えないですね。。。)



おなかの中で、白い一本の絆であるへその緒を

しっかり握りしめていた あなたのことが思い出され、

私はやっとこおなかの中にいた近くて遠い存在に出逢えた感動に

ただただ胸がいっぱいで

この命を

全力で一生守るんだ。と誓った。






何もわからない はじめてのお産

はじめてのおっぱい

はじめての 


はじめての、、、


たくさんのはじめてとの出逢いが

わたしをどんどんお母さんにさせていってくれた。


そしてそこに

医療や他者からの手助けは何もないままに

私は日本にいたらきっと受け取っていたであろう

溢れだしそうなほどの情報にもまったく惑わされることもなく、

ただただ自分の本能と

生まれたばかりの彼女の本能の欲求のままに

すべてがありのままに自然になされていった。


それはとてもシンプルだった。

動物のお母さんと子どものように。


しかし、もしもそばにベテランのお母さんが一人いてくれたら

色々なケアの方法やアドバイスなど聞けて

きっともっと気持ちが楽であったかもしれないとも思う。



育児の本は読むひまもなく、

お産をしたばかりの私は、誰と連絡もとらずに

ただただ娘との時間と向き合っていた。

光がとにかくまぶしかったので、一か月間、私は一歩も家の外へ出なかった。

携帯も、パソコンもなかったので、連絡が遅れ

日本にいた仲間たちはとても心配してくれていたようだった。

そこは申しわけなかったなー。

そうえいばここはタイだったけ?!と思ったくらい。うちにいたなー。



一度出始めたお乳は、その後噴水のごとく吹き出し、

私が何か食べる度に、洋服はおっぱいでびっしょりになるほどだった。




最初の何日かくらいおっぱいが出なくても、それはよくあることで

赤ちゃんにちゃんにおっぱいを吸わせ刺激を与えていれば

お乳が出る可能性は充分にあるのだと、そのとき感じた。

 
母であることを、赤ちゃんがちゃんと刺激してくれるチャンスをくれる。

そのチャンスを何者かが奪わない限り、何か大きな病気でない限り、自分でやめない限り、


人はちゃんと自然のままにお母さんになっていくのだろうなあと思う。

しかし、現実的に考えると、

中々そうもいかない状態におかれているお母さんが多いことも事実。

そして、それを選ぶのは人それぞれなので、

決して私が正しいとか正しくないとかではなくて、

その人個人のチョイスなのでなんともいえないけれど、

赤ちゃん中心に考えてみると、どうだろうなーと思う気持ちはある。





お産は神秘的であり、宇宙と繋がるものであり、

そして人生でこれほどまでに感動することはないってくらい

自分の魂を、生き方を揺さぶるものだった。


生きることも

死んでいくことも

二つとも きらめく 誕生でありますように。



私がお産をしたときの 祈りの言葉だ。


人は生まれたときから

死にむかって生きていく。


それがどれだけの長さなのかは分からないけれど、

生きることも

死ぬことも

同じ 誕生であるのだと、お産を通して思ったのだった。



日本にアウラを連れて帰ってきて

半年後

父が亡くなったときも、


父はまた新たな誕生を迎えたのだと思った。


大きく手を振って  夜空に吸い込まれていった父の魂は

永遠にどこかで キラキラと

夜の星のように光っているに違いない。

そしてその魂はもっと深く

もっと穏やかに

自分に繋がっている気がした。






赤ちゃんとお母さんのおっぱいタイムは

命をつなぐ

自然な営みです。

そこには何の恥じらいもいらないと、私は思うのです。

どうぞ、心ゆくまで

どうぞ、好きなときに

お母さんが赤ちゃんに

おっぱいを自由にあげられる

世界でありますように。



隠さなくてもいいんだよって。

おっぱいは

赤ちゃんのためのもだなんだって。


もっともっと

そんな自然で当たり前だったことが

当たり前である社会の中に

おかあさんとこどものおっぱいタイムがありますように。


赤ちゃんのおっぱいを自由に。



追伸




いつも、こうやってお産の話を書くたびに思うんですが、
乳がんなどでおっぱいを切除された方や
色々な原因で赤ちゃんを産めない女性もいらっしゃいます。

そういう方が、こういう文章を読んだときに、心が痛くなる方もいらっしゃると思うのです。
私のただの自慢話のように感じられていたら、と思うと本当に私も悲しいです。

私は私の体験を通して感じた世界を
文章にして表現することにより、
過去の自分との対話から生まれる新たな気付きなどを自分自身で発見し
それを自分の人生の学びとしています。

そして、それをシェアすることにより、読んでくださった方の中に
小さな小さな、本当に小さな新たな発見があれば、いいなあと思っています。

それは疑問でもいいし、そうは思わないという気持ちでもいいし、
変な人がいるんだなーでもいい。

出来れば、暖かい気持ちになってもらえたらとは思っていますけれど☆☆


人それぞれ、与えられた生き方があると思いますし、

子供がいるいない関係なく、
女性にはもともと持った、すばらしい母性がみんなに存在していると思います。

その母性のすばらしさは、育児だけでなく、
幅広いところでこの世の中を美しく変えていく、包み込んでいく力を秘めています。

女性に生まれてよかったな~♪

母性があって良かったな~♪

しあわせだな~♪

そんな風に、最近思っています。


長々読んでくださって、本当にありがとうございました。




























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この記事へのコメント

ただの通りすがりのものです。 私も授乳中です。 おっぱい本領発揮してます。 感動しました。ありがとう。
Posted by みぃ at 2012年08月18日 23:13
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