2012年09月06日
卒乳中です。2
いやあ~~
まいった まいった。
昨日、
おっぱいを我慢して一日過ごし、園では元気いっぱいだった娘さん。
お迎えに行くと
やっぱり限界だったようで、すでに保育園の教室内で
「ここでおっぱいする~~!!!!」
と、大泣きがはじまり。
お友達の男の子が寄ってきて、
泣き叫ぶアウラの頭をずーっとなでなでしてくれて。
あうらは寝っころがって、ばたばたじたばた。
私の上着をめくって、吸いつこうとするくらい、
なんだか発情期の動物みたいな状態、、、。
先生がじゃあ気分転換しようか♪と、外へ連れ出してくれたお陰で、
なんとかおっぱいのことを少し忘れ、泣かずに家まで帰ることが出来きた。
「アウラ、今日はよく頑張ったお祝いに、お菓子を一緒に食べようか!!」
と、なんとかおっぱいから気をそらそう作戦で
お菓子と飲み物を準備して、さようならおっぱいをお祝いするムードつくり。
最初はアウラも、「やった~~!!」
と言って喜んでいたけれど、
やっぱりすべて食べ終わった後に、
わたしの手をひっぱって、「まま、おっぱいしよう」と誘ってくる。
私は、左のおっぱいに絆創膏を貼って、見せて
「ほら、ママのおっぱい、けがしてて、痛いんだよ。」
と言うと 、
「けがしてるの?痛いの? あーちゃんのおっぱいは?おっぱいは~~~?」
とまた泣き出した。
こんなにもアウラの心をつかんで離さない、おっぱいとは一体なんぞや、、、。
と、思うくらいに、アウラはおっぱい大好きっ子であることを
改めて実感する。
それと同時に、どうしてこんなにもおっぱいに依存?執着?してしまっているのか。
と、ふと不安に思ったりもする。ただたんに、大好きなだけなんだろうか。
何かおっぱいの裏に隠された、何か満たされない欲求でもあるんだろうか?と。
私は生まれた時から赤ちゃん時代を哺乳瓶からのミルクで育っている。
母は、自分のおっぱいから母乳が出なかったから
すぐ哺乳瓶に切り替えたと言っていた。
だからお母さんのおっぱいから、母乳を飲んだことは一度もない。
「あんたは、すごい飲みっぷりのいい子で、哺乳瓶を与えると一人でごくごくと飲んで、
しかもその瓶をぽーいいって投げ捨てるのよ。笑 」
と、母から私の赤ちゃんのころの思い出話としてよく聞いていた。
私の赤ちゃんのときの写真を見ると、兄が私に母乳瓶でミルクをあげてる姿の写真とかもあって、
哺乳瓶を通して、私は家族の愛情を感じていたのであろう。
とにかく、空腹を満たしてくれるミルクで、
私はそれなりに大満足な赤ちゃん時代を過ごしていたんだう。。。 か?
赤ちゃんのころの記憶は思い出せないから、なんとも言えないけれど、
三歳くらいのとき、ふとお風呂に入っていて、
お母さんのおっぱいを飲んでみたい、という欲求が突然出て、
それを母に告げ、「ダメよ」と言われたことがあるという記憶は今でも残っている。
たぶん、吸う、というのはとても本能的な、哺乳類的な行いで、
ずっとおなかの中でお母さんのおっぱいを吸う練習をしていて
それを楽しみに出てきて、それがなんだか違う物体であったとしても、
赤ちゃんはそれをおっぱいだと錯覚してミルクを飲んでいるのだろうし、
でもどこかで、本能的な?何か違う感が意識の底に残ったりもしてるのかもしれない。
((と、これは私の分析で、真相はわからないケド。))
そして夜。
アウラはママのおっぱいを飲まないで眠ったことなんて一度もなくて、
昨晩は初チャレンジ!!だった。
絵本を読んだり、わんわんをおんぶしたり、うろうろ、行ったり来たりしながら
必死に自分で寝ようとしてる姿は、とてもかわいらしかった。
何度もごろごろして、目をこすって、
うとうと、、、とするんだけどやっぱり起きてしまう。
そして眠くなってきて、ちょっと我を忘れそうになった頃、
「おっぱい~~~!!!!」
が、始まってしまった。
本当に私も乳頭が痛かったので、本当におっぱいするのが嫌で、
「ごめんね。どうしてもおっぱい痛くて無理なんだよ。」
と伝えてみても、この意識状態では聞いてはくれない。
あばれにあばれ、壁に頭をぶつける始末。
これは名づけるとしたら、「おっぱいちょーだい発作。」だ。
卒乳を、断乳という形で進めるお母さんたちの話によれば、
このおっぱいちょーだい発作のときに、甘えを出さずに、我慢して絶対にあげてはいけない。という話だった。
3日間泣かせるとか、一週間泣かせるとか、聞いたことがある。
そうこうしてるうちに、卒乳できるよ。と。
私にそれが果たして出来るか、、、。
泣き叫ぶわが子を見ていて、たぶん芯の強さを持ったお母さんならそれが出来るんだろうな。
でも、私は、そういうところのメンタルが甘いタイプなので、
ついつい痛くない右のおっぱいを出してしまった。
弱いなー、、、。
でも、アウラの吸わなくなったお気に入りでない右の乳だ。
どうなるんだろう?
と、思ったら
この際、右でもいいわ~~!!
とばかりに右を吸い始めた。(笑
しかし、何回か吸ってみて ひとこと
「、、、でない。」
そしてまた泣いた。
そしてまた吸ってみた。
「でた~~!!」
え=?
二年ぶりなのに?
でもまたしばらくして
「でない。。。」
そして吸いついて吸いついて、すっごい痛くなってきて
またもや激痛の授乳に涙をこらえながら、アウラが寝付くのを待って、
あとで見てみたら真っ赤になって血がにじんでいた、、、。
どんだけ吸い付く力が強いんだ~~?!!
二年ぶりだったから、もう本当に痛かった。
はじめても授乳のときを思い出した。。。神経に触る感じの、、、あの痛み。
そう、初めての授乳のとき。
今日、そのことであることに気が付いた!!
私はタイでのお産で、お産が初めての彼と、私と、生まれたばかりのアウラと
三人だけの産後の時間を送っていた。
お産まではなんとかいったものの、大変だったのは産後だった。
私はどこかで、お産がゴールのような気持ちをもって妊婦ライフを過ごしていた。
妊婦であることだけで精一杯で、産後のことまで考えられなったこともあるし、
一番つらい波はお産で、その後は赤ちゃんとの幸せな時間が待ってると
勝手にイメージしていたのだった。
しかし、、、
身体は激痛だし、
おっぱいが出ない!!
というのは、話にも聞いていたし、知っていたけれど、
あの暑いタイの気温の中で、わたしのおっぱいは3日出なかった。
私は自分の信じ切っていた一冊の本をバイブルとばかりに
読んで、その本と自分と赤ちゃんだけを信じてお産に望み、
ある意味とても無知で危険なことをしていたんだけれど、
なぜだか妙に不安もなく、たぶん、アウラに導いてもらってたんだろうと思う。
その本に、赤ちゃんは生まれてから3日間は何も飲まなくても食べなくても
大丈夫なくらい栄養を蓄えてあると書いてあって、それは本当にその通りではあった。
私は綿に少し水を含んだものをアウラに与えてはいたけれど、
それだけでも、しっかりアウラは生きてくれた。
しかし、今思うと、そこに、
あうらの満たされてない意識の欲求の塊みたいのがある気がした。
生まれたばかりのアウラは、とにかくおなかが減ってたんだよね。
だからあんなに泣いて泣いて、、、。
なのに三日間も、私は数滴の水しかあげてあげなかった、、、。
おっぱいは吸っても出ない。
おなかも気持ちも満たされない。
かなりのサバイバルの中三間を過ごしていたに違いない。
と、思うと、
生まれたばかりのあの三日間の中で、かなりの空腹と欲求が満たされない感を味わってしまったアウラの
意識が今も残っていて、今でも、おっぱいが少しでもない時間が
あんなに発作的な不安になるのではないか、、、。と。
考えすぎだろうか?
考え方によっては、あのサバイバルを生き抜くほどの力が
アウラにはあるんだから、その強い心を忘れないでね!と伝えたいところではあるし、
きっとそうなんだと思ってるけどね。

身体的に観れば、三日間は何も飲まなくてもいいのかもしれない。
でも、精神的には?
ちゃんと空腹を満たしてあげれば、アウラはもっと安心出来たかもしれない。
でもそこで何を飲ませていいのか、何の知恵もなかった新米の私たちには
何も出来なかった。
親の勝手な助っ人なしのプライベートなお産が生んだ、
アウラにとっては悲劇だったのかもしれない。。。
いい面と、やっぱりもっと改善しなくてはいけない点と
体験から色々見えてくる。
産後は特に、身近にお世話をしてくれる人がいることが、どれだけありがたいことか、
なんで多くの人が、お産のときに里帰りするのか、産後、やっとこ私は意味が分かったのだった。
とうのも、私はそれまで、お産を終えたお母さんたちの姿を
一度も見たことがなかったし、話に聞いたこともなかったのだ。
アウラのパパは、産後相当大変そうだった。
お産も立ち合い、アウラを取り上げ、へその緒も切り、胎盤を料理し、
一週間寝たきりの私のためにごはんを三食つくり、毎日バイクで街まで買い物に行き、
産後の書類の手続きのために、タイ語で色々なところに申請に行ったり、
なんと途中でバイクに乗っていて車とぶつかり、怪我をして、身体がボロボロの中で、
アウラのおむつを洗ってくれたり、、、。
タイでのスローライフを夢見ていたはずがとんでもない!!
スーパー忙しい人となっていた。(笑)また忙しいことが苦手な人なのにね。
そしてその結果、彼は衰弱して産後うつになってしまった。
「あれっ産後鬱って、産後のお母さんがなるものじゃなかったっけ ?」
と、一瞬思ったけれど、こういうこともあるんだな、、、と、
私は鬱状態の彼に代わり、産後二週間から家事やオムツ洗いをし始めた。
しかし、立つと子宮が外に飛び出してきそうな感覚に襲われた。
アウラはとにかく泣く子で、抱っこし続けてなくてはいけなかった。
寝てる間に、、、と思っても、布団に寝かせるとすぐ泣いてしまうのだ。
だからずっと彼女を抱いたまま、家事をこなし、乳をくれ、
産後うつになった彼を支え、私はマンゴーの木の下で、アウラと一緒に泣いたりもした。
旅に出て、私は初めてホームシックになった。
早く長野に帰りたくてしょうがなかった。
お母さんの作ってくれるご飯が食べたかった。
生まれたばかりのアウラのかわいさを、みんなに見て欲しかった。
抱っこして、喜んで欲しかった。
きっと、お父さんもお母さんも、
それを望んでいたからこそ、タイでのお産を反対していたんだ、、、。
と、お産してみて初めて分かったことだった。
でも、ここはタイの山奥。
山を四時間下り、チェンマイからバンコクまでバスで11時間。
そこから飛行機で7時間くらい? 成田から長野まで三時間。。。??
と、、、遠い。
今更だけど、、、この身体でそれは
遠いぜ。
なんならみんなが来てくれれば、、、。
でも、父は病気で入院している、、、。
産後一か月は寝てなくてはいけない、水仕事もNG というのは、本当だと思う。
あれは、身体に響く。そしてそのときの響きは、長引く。
産後は一か月寝ていたって、全然悪いことじゃない。
それにしても、書いてると泣けてくるくらい、パパは色々頑張ってくれていたね。
ありがとう。
こういう時に、ベテランな助産師さんや、お母さんがそばにいてくれたら、
とても安心出来ただろうな、と思う。
分からないことも、沢山質問出来たのにね。
産後のことまで、しっかり考えるべきだったよな~~。
そこが、突っ走り型の私たちが生んでしまった、結果だった。
そう思うと、
私とアウラの卒乳の在り方がなんとなく分かってきた。
アウラが満たされるまで、飲ましてあげたい。だ。
アウラが、自分からもういいやーって思えるまで。
自分の身体的には、結構もうキツイんだけど。
でも、一生で考えてみたら、
おっぱいを吸う時間なんてそんなにないもんね。
左のおっぱいも、一日休んだら復活。右乳さんののおかげだ!!ありがとう。
一日母乳を溜め込んだ、ぱんぱんになってしまったおっぱいを、アウラが吸ってくれた時、
なんとも言えないほっとした気持ちを味わってしまった。
また私の中のホルモンが、そんな気持ちよさから、母乳をわんさか作るんだろうな。
一歩進んでは、一歩さがる~~ みたいな、私とアウラの卒乳までの道のり。
少しずつでいいかな。
ゆっくりゆっくり。
アウラと私の性格だもん、すぱっとはいかないよなー。
おっぱいのケアも大事だから、身体もいたわりつつ、
栄養と睡眠をしっかりとって。
涼しくなれば、大分楽になるだろうさ。
今日は、そしてアウラの発熱!!
どんどん、強くなっていくね。アウラ、がんばってるね。
まいった まいった。
昨日、
おっぱいを我慢して一日過ごし、園では元気いっぱいだった娘さん。
お迎えに行くと
やっぱり限界だったようで、すでに保育園の教室内で
「ここでおっぱいする~~!!!!」
と、大泣きがはじまり。
お友達の男の子が寄ってきて、
泣き叫ぶアウラの頭をずーっとなでなでしてくれて。
あうらは寝っころがって、ばたばたじたばた。
私の上着をめくって、吸いつこうとするくらい、
なんだか発情期の動物みたいな状態、、、。
先生がじゃあ気分転換しようか♪と、外へ連れ出してくれたお陰で、
なんとかおっぱいのことを少し忘れ、泣かずに家まで帰ることが出来きた。
「アウラ、今日はよく頑張ったお祝いに、お菓子を一緒に食べようか!!」
と、なんとかおっぱいから気をそらそう作戦で
お菓子と飲み物を準備して、さようならおっぱいをお祝いするムードつくり。
最初はアウラも、「やった~~!!」
と言って喜んでいたけれど、
やっぱりすべて食べ終わった後に、
わたしの手をひっぱって、「まま、おっぱいしよう」と誘ってくる。
私は、左のおっぱいに絆創膏を貼って、見せて
「ほら、ママのおっぱい、けがしてて、痛いんだよ。」
と言うと 、
「けがしてるの?痛いの? あーちゃんのおっぱいは?おっぱいは~~~?」
とまた泣き出した。
こんなにもアウラの心をつかんで離さない、おっぱいとは一体なんぞや、、、。
と、思うくらいに、アウラはおっぱい大好きっ子であることを
改めて実感する。
それと同時に、どうしてこんなにもおっぱいに依存?執着?してしまっているのか。
と、ふと不安に思ったりもする。ただたんに、大好きなだけなんだろうか。
何かおっぱいの裏に隠された、何か満たされない欲求でもあるんだろうか?と。
私は生まれた時から赤ちゃん時代を哺乳瓶からのミルクで育っている。
母は、自分のおっぱいから母乳が出なかったから
すぐ哺乳瓶に切り替えたと言っていた。
だからお母さんのおっぱいから、母乳を飲んだことは一度もない。
「あんたは、すごい飲みっぷりのいい子で、哺乳瓶を与えると一人でごくごくと飲んで、
しかもその瓶をぽーいいって投げ捨てるのよ。笑 」
と、母から私の赤ちゃんのころの思い出話としてよく聞いていた。
私の赤ちゃんのときの写真を見ると、兄が私に母乳瓶でミルクをあげてる姿の写真とかもあって、
哺乳瓶を通して、私は家族の愛情を感じていたのであろう。
とにかく、空腹を満たしてくれるミルクで、
私はそれなりに大満足な赤ちゃん時代を過ごしていたんだう。。。 か?
赤ちゃんのころの記憶は思い出せないから、なんとも言えないけれど、
三歳くらいのとき、ふとお風呂に入っていて、
お母さんのおっぱいを飲んでみたい、という欲求が突然出て、
それを母に告げ、「ダメよ」と言われたことがあるという記憶は今でも残っている。
たぶん、吸う、というのはとても本能的な、哺乳類的な行いで、
ずっとおなかの中でお母さんのおっぱいを吸う練習をしていて
それを楽しみに出てきて、それがなんだか違う物体であったとしても、
赤ちゃんはそれをおっぱいだと錯覚してミルクを飲んでいるのだろうし、
でもどこかで、本能的な?何か違う感が意識の底に残ったりもしてるのかもしれない。
((と、これは私の分析で、真相はわからないケド。))
そして夜。
アウラはママのおっぱいを飲まないで眠ったことなんて一度もなくて、
昨晩は初チャレンジ!!だった。
絵本を読んだり、わんわんをおんぶしたり、うろうろ、行ったり来たりしながら
必死に自分で寝ようとしてる姿は、とてもかわいらしかった。
何度もごろごろして、目をこすって、
うとうと、、、とするんだけどやっぱり起きてしまう。
そして眠くなってきて、ちょっと我を忘れそうになった頃、
「おっぱい~~~!!!!」
が、始まってしまった。
本当に私も乳頭が痛かったので、本当におっぱいするのが嫌で、
「ごめんね。どうしてもおっぱい痛くて無理なんだよ。」
と伝えてみても、この意識状態では聞いてはくれない。
あばれにあばれ、壁に頭をぶつける始末。
これは名づけるとしたら、「おっぱいちょーだい発作。」だ。
卒乳を、断乳という形で進めるお母さんたちの話によれば、
このおっぱいちょーだい発作のときに、甘えを出さずに、我慢して絶対にあげてはいけない。という話だった。
3日間泣かせるとか、一週間泣かせるとか、聞いたことがある。
そうこうしてるうちに、卒乳できるよ。と。
私にそれが果たして出来るか、、、。
泣き叫ぶわが子を見ていて、たぶん芯の強さを持ったお母さんならそれが出来るんだろうな。
でも、私は、そういうところのメンタルが甘いタイプなので、
ついつい痛くない右のおっぱいを出してしまった。
弱いなー、、、。
でも、アウラの吸わなくなったお気に入りでない右の乳だ。
どうなるんだろう?
と、思ったら
この際、右でもいいわ~~!!
とばかりに右を吸い始めた。(笑
しかし、何回か吸ってみて ひとこと
「、、、でない。」
そしてまた泣いた。
そしてまた吸ってみた。
「でた~~!!」
え=?
二年ぶりなのに?
でもまたしばらくして
「でない。。。」
そして吸いついて吸いついて、すっごい痛くなってきて
またもや激痛の授乳に涙をこらえながら、アウラが寝付くのを待って、
あとで見てみたら真っ赤になって血がにじんでいた、、、。
どんだけ吸い付く力が強いんだ~~?!!
二年ぶりだったから、もう本当に痛かった。
はじめても授乳のときを思い出した。。。神経に触る感じの、、、あの痛み。
そう、初めての授乳のとき。
今日、そのことであることに気が付いた!!
私はタイでのお産で、お産が初めての彼と、私と、生まれたばかりのアウラと
三人だけの産後の時間を送っていた。
お産まではなんとかいったものの、大変だったのは産後だった。
私はどこかで、お産がゴールのような気持ちをもって妊婦ライフを過ごしていた。
妊婦であることだけで精一杯で、産後のことまで考えられなったこともあるし、
一番つらい波はお産で、その後は赤ちゃんとの幸せな時間が待ってると
勝手にイメージしていたのだった。
しかし、、、
身体は激痛だし、
おっぱいが出ない!!
というのは、話にも聞いていたし、知っていたけれど、
あの暑いタイの気温の中で、わたしのおっぱいは3日出なかった。
私は自分の信じ切っていた一冊の本をバイブルとばかりに
読んで、その本と自分と赤ちゃんだけを信じてお産に望み、
ある意味とても無知で危険なことをしていたんだけれど、
なぜだか妙に不安もなく、たぶん、アウラに導いてもらってたんだろうと思う。
その本に、赤ちゃんは生まれてから3日間は何も飲まなくても食べなくても
大丈夫なくらい栄養を蓄えてあると書いてあって、それは本当にその通りではあった。
私は綿に少し水を含んだものをアウラに与えてはいたけれど、
それだけでも、しっかりアウラは生きてくれた。
しかし、今思うと、そこに、
あうらの満たされてない意識の欲求の塊みたいのがある気がした。
生まれたばかりのアウラは、とにかくおなかが減ってたんだよね。
だからあんなに泣いて泣いて、、、。
なのに三日間も、私は数滴の水しかあげてあげなかった、、、。
おっぱいは吸っても出ない。
おなかも気持ちも満たされない。
かなりのサバイバルの中三間を過ごしていたに違いない。
と、思うと、
生まれたばかりのあの三日間の中で、かなりの空腹と欲求が満たされない感を味わってしまったアウラの
意識が今も残っていて、今でも、おっぱいが少しでもない時間が
あんなに発作的な不安になるのではないか、、、。と。
考えすぎだろうか?
考え方によっては、あのサバイバルを生き抜くほどの力が
アウラにはあるんだから、その強い心を忘れないでね!と伝えたいところではあるし、
きっとそうなんだと思ってるけどね。
身体的に観れば、三日間は何も飲まなくてもいいのかもしれない。
でも、精神的には?
ちゃんと空腹を満たしてあげれば、アウラはもっと安心出来たかもしれない。
でもそこで何を飲ませていいのか、何の知恵もなかった新米の私たちには
何も出来なかった。
親の勝手な助っ人なしのプライベートなお産が生んだ、
アウラにとっては悲劇だったのかもしれない。。。
いい面と、やっぱりもっと改善しなくてはいけない点と
体験から色々見えてくる。
産後は特に、身近にお世話をしてくれる人がいることが、どれだけありがたいことか、
なんで多くの人が、お産のときに里帰りするのか、産後、やっとこ私は意味が分かったのだった。
とうのも、私はそれまで、お産を終えたお母さんたちの姿を
一度も見たことがなかったし、話に聞いたこともなかったのだ。
アウラのパパは、産後相当大変そうだった。
お産も立ち合い、アウラを取り上げ、へその緒も切り、胎盤を料理し、
一週間寝たきりの私のためにごはんを三食つくり、毎日バイクで街まで買い物に行き、
産後の書類の手続きのために、タイ語で色々なところに申請に行ったり、
なんと途中でバイクに乗っていて車とぶつかり、怪我をして、身体がボロボロの中で、
アウラのおむつを洗ってくれたり、、、。
タイでのスローライフを夢見ていたはずがとんでもない!!
スーパー忙しい人となっていた。(笑)また忙しいことが苦手な人なのにね。
そしてその結果、彼は衰弱して産後うつになってしまった。
「あれっ産後鬱って、産後のお母さんがなるものじゃなかったっけ ?」
と、一瞬思ったけれど、こういうこともあるんだな、、、と、
私は鬱状態の彼に代わり、産後二週間から家事やオムツ洗いをし始めた。
しかし、立つと子宮が外に飛び出してきそうな感覚に襲われた。
アウラはとにかく泣く子で、抱っこし続けてなくてはいけなかった。
寝てる間に、、、と思っても、布団に寝かせるとすぐ泣いてしまうのだ。
だからずっと彼女を抱いたまま、家事をこなし、乳をくれ、
産後うつになった彼を支え、私はマンゴーの木の下で、アウラと一緒に泣いたりもした。
旅に出て、私は初めてホームシックになった。
早く長野に帰りたくてしょうがなかった。
お母さんの作ってくれるご飯が食べたかった。
生まれたばかりのアウラのかわいさを、みんなに見て欲しかった。
抱っこして、喜んで欲しかった。
きっと、お父さんもお母さんも、
それを望んでいたからこそ、タイでのお産を反対していたんだ、、、。
と、お産してみて初めて分かったことだった。
でも、ここはタイの山奥。
山を四時間下り、チェンマイからバンコクまでバスで11時間。
そこから飛行機で7時間くらい? 成田から長野まで三時間。。。??
と、、、遠い。
今更だけど、、、この身体でそれは
遠いぜ。
なんならみんなが来てくれれば、、、。
でも、父は病気で入院している、、、。
産後一か月は寝てなくてはいけない、水仕事もNG というのは、本当だと思う。
あれは、身体に響く。そしてそのときの響きは、長引く。
産後は一か月寝ていたって、全然悪いことじゃない。
それにしても、書いてると泣けてくるくらい、パパは色々頑張ってくれていたね。
ありがとう。
こういう時に、ベテランな助産師さんや、お母さんがそばにいてくれたら、
とても安心出来ただろうな、と思う。
分からないことも、沢山質問出来たのにね。
産後のことまで、しっかり考えるべきだったよな~~。
そこが、突っ走り型の私たちが生んでしまった、結果だった。
そう思うと、
私とアウラの卒乳の在り方がなんとなく分かってきた。
アウラが満たされるまで、飲ましてあげたい。だ。
アウラが、自分からもういいやーって思えるまで。
自分の身体的には、結構もうキツイんだけど。
でも、一生で考えてみたら、
おっぱいを吸う時間なんてそんなにないもんね。
左のおっぱいも、一日休んだら復活。右乳さんののおかげだ!!ありがとう。
一日母乳を溜め込んだ、ぱんぱんになってしまったおっぱいを、アウラが吸ってくれた時、
なんとも言えないほっとした気持ちを味わってしまった。
また私の中のホルモンが、そんな気持ちよさから、母乳をわんさか作るんだろうな。
一歩進んでは、一歩さがる~~ みたいな、私とアウラの卒乳までの道のり。
少しずつでいいかな。
ゆっくりゆっくり。
アウラと私の性格だもん、すぱっとはいかないよなー。
おっぱいのケアも大事だから、身体もいたわりつつ、
栄養と睡眠をしっかりとって。
涼しくなれば、大分楽になるだろうさ。
今日は、そしてアウラの発熱!!
どんどん、強くなっていくね。アウラ、がんばってるね。
空色カミュ ホームページ
http://sorairokamyu.jimdo.com/
Posted by カミュ at 21:02│Comments(4)
│カミュの子育て、アウラの親育て
この記事へのコメント
Posted by 広子
at 2012年09月06日 23:00

ひろこちゃん
ありがとう!本当にこどもの成長って、びっくりする。
身体だけじゃなくて、こころもちゃんと成長してる。
その姿に、勇気をもらう毎日です。
ひろこちゃんの育児も、もう始まってるね☆
ゆっくりと、スローペースで、大丈夫だよ!
現代の速さに、巻き込まれないように、
赤ちゃんのペースで、毎日を楽しく、遊び過ごしてね!!
ありがとう!本当にこどもの成長って、びっくりする。
身体だけじゃなくて、こころもちゃんと成長してる。
その姿に、勇気をもらう毎日です。
ひろこちゃんの育児も、もう始まってるね☆
ゆっくりと、スローペースで、大丈夫だよ!
現代の速さに、巻き込まれないように、
赤ちゃんのペースで、毎日を楽しく、遊び過ごしてね!!
Posted by カミュ
at 2012年09月08日 12:20

世界には、オッバイ村なんてのもあるらしい。
その家の長男だけはオトナになっても、母親のおっぱいを吸う権利があるのだとか・・・突然襲うカルチャーショック!
聞かなかったことに・・・しようー。ー
オッバイで長男の自覚を高めるのか・・・いやーマイッタ!
その家の長男だけはオトナになっても、母親のおっぱいを吸う権利があるのだとか・・・突然襲うカルチャーショック!
聞かなかったことに・・・しようー。ー
オッバイで長男の自覚を高めるのか・・・いやーマイッタ!
Posted by 無度・も度・高度 at 2012年09月11日 22:41
無度さん
かわいいリンゴちゃんたちありがとうございます!!
すっごいおいしいですね!!!
畑にもそろそろ遊びにいきたいなーと思っております。
それにしても、そんな村が!?
どこに~~?!
不思議発見ですね!!
かわいいリンゴちゃんたちありがとうございます!!
すっごいおいしいですね!!!
畑にもそろそろ遊びにいきたいなーと思っております。
それにしても、そんな村が!?
どこに~~?!
不思議発見ですね!!
Posted by カミュ
at 2012年09月13日 22:58

あうらちゃんが心ゆくまで飲んでほしいね!
でも、おっぱいを出すかみゅちゃんのカラダも大事だもんね。
あーちゃんが「ママ、痛いの?おっぱいバイバイ~」のところ、
泣けてきたよ~
そうやって優しくしあったり、時には自分の気持ちを
伝え合ったりして親子は成長するんだねえ。
育児が楽しみになってきたよー!!