2013年01月22日
砂漠の村 クーリー 1
旅とマッサージ ~ ラジャスターン砂漠のジプシー編~
~前回までのあらすじ~
2009年、インドのジャイサルメールの砂漠にて
一年に一度開催される満月祭で出逢ったジプシーたちと、
私と彼は歌っては踊る 月と砂漠と炎の生活を共にしていた。
そこで出逢った踊りの子のサンギータ。
彼女の美しい夜の姿には、痛々しいトゲの輝きも交じっていたことを知る。
世界にはいろんな暮らしがあり、そこで生きる人にもまた色々な人生がある。
自分を他人の美しさや幸せと比較しては落胆していた私の人生。
しかし私はどこでどう生きても、私なのだというメッセージが私に届く。
最後の夜を、サンギータの細い足首にからまる鈴の音と、
ジプシーたちの螺旋を描く歌声と共に過ごした私たちは、
お世話になった砂漠のキャンプを抜け、バックパックと共にキャラバンの車に乗りこみ
クーリー村へと向かうことになったのだが、、、。
前回のストーリーはこちらから 1~9 で続いています。
気になる方はぜひ暇つぶしにでも読んで見てください。
きっと暇じゃなくなっちゃうよ☆
旅とマッサージ 1
http://chapathi.naganoblog.jp/e1124715.html

(写真 みんなで晩御飯)
砂漠の夜に、月の姿は見えない。
もしかしたら今夜は新月だろうか?
大きなバックパックを、ぎゅうぎゅうになった荷台に押し詰めて
なんとか私たちは車に乗り込むことが出来た。
ドアをばたんと閉めたと同時にエンジンがかかる。
砂煙を飛ばして、車は夜の砂漠へ向かう。
満月の夜に出逢ったジプシーたちが、
私たちに手を振っている。
私も思い切り手を振る。
「ダンニャワード!! 」 (ありがとう)
彼らの姿が砂煙とライトの光と共にどんどん小さくなっていくと
とたんに寂しさが、のどの奥の方まで登ってきてしまった。
寂しさを飲み込んで、
「チェロ クーリー !! 」
と手を叩く。
バックミラーを覗く運転手のオーナーと目があう。
少しふとっちょなオーナーの目がぎらりと光りどきっとする。
月のない夜を、砂漠の道を延々と進む一台の車、、、。
まわりには何もない、、、。
この半月、音楽と共に心のハーモニーを楽しんだジプシーたちも、サンギータもここにはもういない。
このギラギラしたウイスキー好きなオーナーを、私は実はあまり信用していなかった。
「ねえ、あたしたちホントにだいじょうぶかな?」
彼らにわからないように、こんな時ばかり日本語が役立つ。
「どうだろうね、、、。大丈夫だよきっと。ははは」
彼はそんなのんきなことを言って外を眺めている。
でももう、どうしようもない。
ここは砂漠のど真ん中。
すべてを流れにまかせてみるしかない。
流れはわたし達を そこへ向かわせていることには間違いないのだから。
男たちだけの車内はなんともお酒臭くて、窓を開けて外の空気を吸っていないと
酔ってしまいそうだ。 車のライトが照らす景色は
キャメル色の砂と、黒い夜にぶきみな植物が、まるで海藻の様に漂うだけ。
乗客は12歳の目がくりくりしてかわいい少年と、カンガルーというあだなのおじちゃん。
この二人もオーナーと一緒にクーリー村へと移動のようだ。
彼らはこの辺の村の出身で、このオーナーに雇われているお手伝いさんらしい。
まー、この二人からは何も邪気は感じないし、
しばしクーリーまでの道のりを、ハラハラしながら味わってみるか。
私たちの旅はいつも、何も決まり事がない。
だからいつ終わるのかも分からない。
そんな生活が、日本にいた時あっただろうか、、、。
すべてがサイクルで回っていく忙しい日常。
何々しないとお金が稼げない。
稼げないと家賃が払えない、ごはんも食べれない
必要なものも買えない。
自分のリズムで、自分のままに生きていくことが、どうしてこんなにも人に煙たがれるのか。
私は私を見失い、私の意志を見失い、
私の感情さえも手放していたあの頃、、、。
すべてを人のせいにして、社会のせいにして、日本のシステムのせいにして。
その悪循環から抜け出すには、何も計画のない旅はもってこいだった。
日本から出るたびに、私はやっとこ深呼吸出来た。
自分の感覚を取り戻す。
自分の感性を取り戻す。
自分の感情に気が付いていく、、、。
そうしてはじめて生みだされる わたしというたましいの声。
わかるのは、今夜が新たなハジマリだってこと。
耳の奥にまだ残ってる、サンギータの美しい鈴の音を感じながら
私はそっと瞳を閉じた。

写真 お手伝いの少年と

お世話になったキャラバン。
~前回までのあらすじ~
2009年、インドのジャイサルメールの砂漠にて
一年に一度開催される満月祭で出逢ったジプシーたちと、
私と彼は歌っては踊る 月と砂漠と炎の生活を共にしていた。
そこで出逢った踊りの子のサンギータ。
彼女の美しい夜の姿には、痛々しいトゲの輝きも交じっていたことを知る。
世界にはいろんな暮らしがあり、そこで生きる人にもまた色々な人生がある。
自分を他人の美しさや幸せと比較しては落胆していた私の人生。
しかし私はどこでどう生きても、私なのだというメッセージが私に届く。
最後の夜を、サンギータの細い足首にからまる鈴の音と、
ジプシーたちの螺旋を描く歌声と共に過ごした私たちは、
お世話になった砂漠のキャンプを抜け、バックパックと共にキャラバンの車に乗りこみ
クーリー村へと向かうことになったのだが、、、。
前回のストーリーはこちらから 1~9 で続いています。
気になる方はぜひ暇つぶしにでも読んで見てください。
きっと暇じゃなくなっちゃうよ☆
旅とマッサージ 1
http://chapathi.naganoblog.jp/e1124715.html
(写真 みんなで晩御飯)
砂漠の夜に、月の姿は見えない。
もしかしたら今夜は新月だろうか?
大きなバックパックを、ぎゅうぎゅうになった荷台に押し詰めて
なんとか私たちは車に乗り込むことが出来た。
ドアをばたんと閉めたと同時にエンジンがかかる。
砂煙を飛ばして、車は夜の砂漠へ向かう。
満月の夜に出逢ったジプシーたちが、
私たちに手を振っている。
私も思い切り手を振る。
「ダンニャワード!! 」 (ありがとう)
彼らの姿が砂煙とライトの光と共にどんどん小さくなっていくと
とたんに寂しさが、のどの奥の方まで登ってきてしまった。
寂しさを飲み込んで、
「チェロ クーリー !! 」
と手を叩く。
バックミラーを覗く運転手のオーナーと目があう。
少しふとっちょなオーナーの目がぎらりと光りどきっとする。
月のない夜を、砂漠の道を延々と進む一台の車、、、。
まわりには何もない、、、。
この半月、音楽と共に心のハーモニーを楽しんだジプシーたちも、サンギータもここにはもういない。
このギラギラしたウイスキー好きなオーナーを、私は実はあまり信用していなかった。
「ねえ、あたしたちホントにだいじょうぶかな?」
彼らにわからないように、こんな時ばかり日本語が役立つ。
「どうだろうね、、、。大丈夫だよきっと。ははは」
彼はそんなのんきなことを言って外を眺めている。
でももう、どうしようもない。
ここは砂漠のど真ん中。
すべてを流れにまかせてみるしかない。
流れはわたし達を そこへ向かわせていることには間違いないのだから。
男たちだけの車内はなんともお酒臭くて、窓を開けて外の空気を吸っていないと
酔ってしまいそうだ。 車のライトが照らす景色は
キャメル色の砂と、黒い夜にぶきみな植物が、まるで海藻の様に漂うだけ。
乗客は12歳の目がくりくりしてかわいい少年と、カンガルーというあだなのおじちゃん。
この二人もオーナーと一緒にクーリー村へと移動のようだ。
彼らはこの辺の村の出身で、このオーナーに雇われているお手伝いさんらしい。
まー、この二人からは何も邪気は感じないし、
しばしクーリーまでの道のりを、ハラハラしながら味わってみるか。
私たちの旅はいつも、何も決まり事がない。
だからいつ終わるのかも分からない。
そんな生活が、日本にいた時あっただろうか、、、。
すべてがサイクルで回っていく忙しい日常。
何々しないとお金が稼げない。
稼げないと家賃が払えない、ごはんも食べれない
必要なものも買えない。
自分のリズムで、自分のままに生きていくことが、どうしてこんなにも人に煙たがれるのか。
私は私を見失い、私の意志を見失い、
私の感情さえも手放していたあの頃、、、。
すべてを人のせいにして、社会のせいにして、日本のシステムのせいにして。
その悪循環から抜け出すには、何も計画のない旅はもってこいだった。
日本から出るたびに、私はやっとこ深呼吸出来た。
自分の感覚を取り戻す。
自分の感性を取り戻す。
自分の感情に気が付いていく、、、。
そうしてはじめて生みだされる わたしというたましいの声。
わかるのは、今夜が新たなハジマリだってこと。
耳の奥にまだ残ってる、サンギータの美しい鈴の音を感じながら
私はそっと瞳を閉じた。
写真 お手伝いの少年と
お世話になったキャラバン。
Posted by カミュ at 10:33│Comments(0)
│ちきゅう色日記(ジプシーな旅日記)