2013年07月13日
風の吹く方へ

ある日突然
今まで絡まった毛糸みたいに感じていたことが
するっと紐解けることってあったりする。
そしてその毛糸の向こうには
もうひとつの手が見える。
あれ、私ひとりで
この毛糸をほどいていたんではなかったんだね。って。
ひとりでほどこうとしても
全然進まなかったのに
誰かが手をかしてくれたことによって
こんなにもするすると
解けることもあるんだね。
そして相手も、同じことを思ってたりする。
そんな体験を最近しました。
人には沢山の才能の引き出しがあって
でも、まだカギがかかってる状態のことも多い。
そしてその鍵穴にぴったりとはまるカギとなるのが
魂を揺さぶるような体験や、ソウルメイトのような人との出逢いだと思うのです。
私の人生にはそういった体験が何度かあります。
きっとみなさんの中にも、いくつか心に浮かぶことがあるでしょうね。
私のそういった幾つかの体験の中の一つに長女のアウラとの出逢いがあります。
人生をがらりと変えてくれた彼女との出逢い。
アウラは、まだ見ぬ私の才能をどんどん引き出してくれました。
それはいつか、若い頃
「絶対ありえないな 」と思っていた自分の姿だったりしています。
「 こんな私もいたんだなー。出逢えてよかったよ。 」
若いころ抱いていた子育てのイメージは
自分を犠牲にするってことだった。
でも、実際アウラとの暮らしの中で気が付いたことは
子育ては、まだ見ぬ自分の才能や可能性を
沢山引き出してくれるおまけだらけだった!!ってこと。
もちろん、子供は天使にも怪獣にもなるけれど。
そしてお母さんである私も同じようなものだけど。w
生きることが、なんだかとても気楽になってきたこの頃。
自分はこうだから。とか
こういう人間だから。とか
決めつけるのはやめてみようかなって最近思っています。
私には受け取っていい愛情が沢山あって
受け取っていい才能が沢山あって
両手を広げて受け取っていい 恵まれたことが沢山あるんだと思っています。
自分で始めから拒まないどこうって。
そして泣いてもいいし
怒ってもいいし
笑ってもいいし
嫉妬してもいいし
ださくてもいいし
みっともなくてもいいかな。
とも思ってる。
それが今の私の姿なのだから。
傷つけられても
傷つけてしまう相手の弱さや、気持ちを受け入れること、そして許すことが出来てこそ愛だと思っていたあの頃。
私は自分の気持ちを沢山封じ込めて、私には大きな愛があると見栄を張って
ただ我慢していただけだったのかもなって思ったり。
受け入れられない、許せない自分が許せなくて
プライドだけで、だらだらしていたかなって。
無理なことだってある。限界もある。
私は仏様じゃなかったんだ。(顔は似てるけど。w)
簡単なことのようでいて、実はとても難しかったこと。
許すことの方が、案外 すぐ楽になれた。
でも、時には、許してはいけないこともある。
それは育児においても、常に同じような課題をふっかけられることがある。
相手のエゴを許した方が楽。
でも、そこを許しては相手のためにも、自分のためにもならないこともあるんだよね。
その行為は相手を尊重することなのか。それともただの惰性なのか?
まだその辺の見極めは
難しかったりするなー私。
でも、完璧な人なんていないさ。
弱さはもっていて当たり前だっちゃ。
許せることの方が多いっちゃ。
でも、許せない行為は、無理して許さなくていいのだと、思ったのでした。
そういう本当の自分の弱さと強さを見せてくれてるのは
今、お腹の中にいる赤ちゃんの存在が大きいです。
この子は、とても私の感情対して素直に反応します。
うやむやにしないで、はっきりと意志を出していけと、伝えてくれてるようです。
だから、最近の私はとても素直な気がする。
お腹の子供の魂の持つパワーと
自分がシンクロしていく感じは、妊婦ならではの感覚なのかもなー。
面白い。
アウラの時はどちらかというと、母性が強く、受け身だった気がするんだけどね。
お腹の子が本当の大切なことを教えてくれたことによって、
私には大きなサヨナラが訪れた。
でも、それがあってこそ、未来が新たに動き出すんだよね。
本当に何かを手放した時
人にはすっぽりと
新しい未来が訪れることになってるみたい。
心地よい 風の吹く方へと。
自然に身をまかせよう。
そんな洋服を最近作りたいと思って
見よう見まねで色々作ってみています。
創造することって本当に楽しい。
暮らしってすべてがアートになるね。
アートの中にいたら、人の心は楽しくて、とても豊になれる。
そんな暮らしの中に、生きていたいな。
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Posted by カミュ at 23:52│Comments(0)
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