2013年07月24日
17万票☆
こんばんは。
やっとこ眠たい病に今夜は勝てて、書きたいことが書けそうです。
選挙のこと、書きたかったー。
そしてこれからのことも。
何かに胸を熱くしたとき
人は拍手したくなります。
(人によってはハグだったり、うおーって両手をあげたり、いろいろな表現方法がありますが、
ひとまず代表的な表現のひとつとして拍手にしておきますね)
誰も拍手しないから、なんとなくしちゃいけないような気がしてしない。
みたいなそういうの、私嫌いです。
誰かが拍手したから、なんとなくしちゃうってのもヤダ。
自分ひとりだけでも、その人が伝えてくれたことに対し
感動したよって、胸が熱くなったよって思うとき
まわりの人の評価なんかどうでもよくて、
心の底から拍手したくなっちゃうっていう人間の素直さ。
そういう素直さは、ずっと忘れたくない。
20歳から選挙権を手にして、かれこれ11年がたちました。
私は初めて、心から拍手したいと思わせてくれる
そういう候補者に出逢いました。
三宅洋平さんです。
多分、それは政治がどうのこうのっていうよりも
今、私たちが欲しかった言葉だったり、迷ってたり、どうしていいか分からかったことだったり
そういうまとまらない気持ちをぐっと引き寄せて
改めて再認識させて、火をつけてくれたって感じがします。
彼が立ち上がり、その熱意に心を熱くした人、何か動かされた人、
17万人以上!!
一人の人間という種が持つ力を、改めて感じました。
彼のメッセージと人間性への共感が、波紋のように広がっていった。
それってやっぱりすごいなーって思うし
冷静になってみても、やっぱりすごいなーって思う。
そして、すごいなーって思ってるだけじゃなくて
選挙が終わって、彼が当選しなくても
何か意識が変わって、自分なりのアクションを始めてる人たちがいるってこと。
私は日本で生まれ育って
この国の豊かさと歪みの狭間で、何がいったい本当の豊かさなのか?と自分を見失い、心と身体を病み
旅をすることによって日本で生きていた自分というものを客観視することが出来きたのをきっかけに、
自分の生き方を自分自身の手によって切り開く道を選んだわけですが、
結局は自分が一度は否定してた部分も受け入れた生活の中に
今生かされています。

((懐かしい、インドはゴアの思い出ビーチ。ちなみに左が私です。(笑))
海外を旅をしていた頃、まだそんな日本から逃亡してるだけの自分だったとき
私はレイブや野外フェスなどで、そのとき出逢った名前も知らない
どこの国の人かも知らない人たちと
とにかく音の中でおもいっきり踊り、抱きしめ合い、最高の日の出を共に迎え
ものすごい一体感を体中で味わっていたことがあります。
この一体感てなんなんだろう?
人は一緒に踊るだけで、どうしてこんなにも仲良くなれちゃうんだろう。
その会場はものすごいエネルギーを産みだしていて
宇宙から見たら、きっと温度がここだけかなり高いだろうなってくらいで。
でも、このエネルギーもったいないな。
ガソリンとかにならないのかな。この夜だけで発散して終わりだなんて。
とも思っていて。
そして
ここには、一切の戦いもなければ、喧嘩もなければ、いがみ合いもない、、、。
どこどこの国の人だからなんて、軽蔑する人もいない。
自分の魂と肉体だけがそこにあって、みんなと一緒になってるみたいな、、、
でも、私たちはみんな旅人で
自分の国へ帰れば、それぞれの持つ国と自分の生き方の狭間で
バランスをどうみつけ生きていくかで同じような問題を抱えて生きてるように感じられ。。。
みんな何か求めてて、どこからか逃げたくて、変わりたくて、でも、方法が見つからなくて、、、。
発散できる場所が、そういう音楽のうねる場所で、、、みたいな、、、
本当はみんな、こんなにもすごいエネルギーを一人一人が持っているのに
その発散場所を見つけられないでいるような、、、。
その時の私がそうだったから、そういう世界を見せてくれていたのかもしれないですが、
私は突然大きなむなしさに襲われて、自分を発散するだけの旅やフェスには
突然興味が出なくなってしまいました。
当時の私にとってのフェスは自分のエネルギーのただの発散だった。
でも、もう発散することがしたかったんじゃない自分に、その時気が付いたのです。
「そうか!私は産みだしたかったんだ!!自分から!」
と、、、
自分で自分がしたい暮らしをする。
自分で歌いたい歌を歌う。
自分が着たいものを作る。
自分が嫌だと思ったことから、手をひく。
どんどんやめていく。
世界が変わらないからってグレてたってしょうがない。
反発してたってしょうがない。
自分が変われば、自分が感じてる世界は変わるんだった!!って。
そうやって、自分自身の自給率を上げていく生き方に、シフトしたかったんだ~☆って。
もちろん、自分だけ王国に住むつもりはないです。
「自分」を固くしすぎると、入ってくるものも入って来れないことも体験し、
ほどよいバランスを、産後くらいからやっとこ感じられるようになり。
頭で考えすぎたことって、やっぱりバランス悪い。
感じたこと。
自分の手を通して、声を通して、身体を通して。
そういうことって、進むべき道を自然と感じさせ
教えてくれる。
選挙フェス
フェスならではのあの熱いうねりを
選挙にうまく持っていった三宅さん達のアイディアってすごいなって思った。
そうかー、そこを繋げられるんだって。
「みんな政治を待ってたんだ」
って三宅さんが言っていた動画があって。
そうそう、昔の私
迷子だったんだよね。て思い出した。
まだまだ分からないでいることもあるし、知りたいし、体験したいし。
間違うことも沢山ある。
でも、その間違いはいつだっていろんなことを教えてくれるから。
こういう暮らし、こういう世界で生きていきたい。っていう気持ちは
持ち続けたい。
自分がこういう暮らしがしたいなっていうビジョンは、大きな変化はなく
ずっと心の中に描いています。
そこにいつシフト出来るかは、タイミングと流れと
今の自分次第。
あと三年後。
自分が、そして日本が
どんな姿をしているか。
ともて楽しみです。
そして50年後の日本に
残したいものは何だろう。
残したくないものは何だろう。
そんなことを、ふと思いました。

夏祭りは、1000年後も
続いているといいなー。
やっとこ眠たい病に今夜は勝てて、書きたいことが書けそうです。
選挙のこと、書きたかったー。
そしてこれからのことも。
何かに胸を熱くしたとき
人は拍手したくなります。
(人によってはハグだったり、うおーって両手をあげたり、いろいろな表現方法がありますが、
ひとまず代表的な表現のひとつとして拍手にしておきますね)
誰も拍手しないから、なんとなくしちゃいけないような気がしてしない。
みたいなそういうの、私嫌いです。
誰かが拍手したから、なんとなくしちゃうってのもヤダ。
自分ひとりだけでも、その人が伝えてくれたことに対し
感動したよって、胸が熱くなったよって思うとき
まわりの人の評価なんかどうでもよくて、
心の底から拍手したくなっちゃうっていう人間の素直さ。
そういう素直さは、ずっと忘れたくない。
20歳から選挙権を手にして、かれこれ11年がたちました。
私は初めて、心から拍手したいと思わせてくれる
そういう候補者に出逢いました。
三宅洋平さんです。
多分、それは政治がどうのこうのっていうよりも
今、私たちが欲しかった言葉だったり、迷ってたり、どうしていいか分からかったことだったり
そういうまとまらない気持ちをぐっと引き寄せて
改めて再認識させて、火をつけてくれたって感じがします。
彼が立ち上がり、その熱意に心を熱くした人、何か動かされた人、
17万人以上!!
一人の人間という種が持つ力を、改めて感じました。
彼のメッセージと人間性への共感が、波紋のように広がっていった。
それってやっぱりすごいなーって思うし
冷静になってみても、やっぱりすごいなーって思う。
そして、すごいなーって思ってるだけじゃなくて
選挙が終わって、彼が当選しなくても
何か意識が変わって、自分なりのアクションを始めてる人たちがいるってこと。
私は日本で生まれ育って
この国の豊かさと歪みの狭間で、何がいったい本当の豊かさなのか?と自分を見失い、心と身体を病み
旅をすることによって日本で生きていた自分というものを客観視することが出来きたのをきっかけに、
自分の生き方を自分自身の手によって切り開く道を選んだわけですが、
結局は自分が一度は否定してた部分も受け入れた生活の中に
今生かされています。

((懐かしい、インドはゴアの思い出ビーチ。ちなみに左が私です。(笑))
海外を旅をしていた頃、まだそんな日本から逃亡してるだけの自分だったとき
私はレイブや野外フェスなどで、そのとき出逢った名前も知らない
どこの国の人かも知らない人たちと
とにかく音の中でおもいっきり踊り、抱きしめ合い、最高の日の出を共に迎え
ものすごい一体感を体中で味わっていたことがあります。
この一体感てなんなんだろう?
人は一緒に踊るだけで、どうしてこんなにも仲良くなれちゃうんだろう。
その会場はものすごいエネルギーを産みだしていて
宇宙から見たら、きっと温度がここだけかなり高いだろうなってくらいで。
でも、このエネルギーもったいないな。
ガソリンとかにならないのかな。この夜だけで発散して終わりだなんて。
とも思っていて。
そして
ここには、一切の戦いもなければ、喧嘩もなければ、いがみ合いもない、、、。
どこどこの国の人だからなんて、軽蔑する人もいない。
自分の魂と肉体だけがそこにあって、みんなと一緒になってるみたいな、、、
でも、私たちはみんな旅人で
自分の国へ帰れば、それぞれの持つ国と自分の生き方の狭間で
バランスをどうみつけ生きていくかで同じような問題を抱えて生きてるように感じられ。。。
みんな何か求めてて、どこからか逃げたくて、変わりたくて、でも、方法が見つからなくて、、、。
発散できる場所が、そういう音楽のうねる場所で、、、みたいな、、、
本当はみんな、こんなにもすごいエネルギーを一人一人が持っているのに
その発散場所を見つけられないでいるような、、、。
その時の私がそうだったから、そういう世界を見せてくれていたのかもしれないですが、
私は突然大きなむなしさに襲われて、自分を発散するだけの旅やフェスには
突然興味が出なくなってしまいました。
当時の私にとってのフェスは自分のエネルギーのただの発散だった。
でも、もう発散することがしたかったんじゃない自分に、その時気が付いたのです。
「そうか!私は産みだしたかったんだ!!自分から!」
と、、、
自分で自分がしたい暮らしをする。
自分で歌いたい歌を歌う。
自分が着たいものを作る。
自分が嫌だと思ったことから、手をひく。
どんどんやめていく。
世界が変わらないからってグレてたってしょうがない。
反発してたってしょうがない。
自分が変われば、自分が感じてる世界は変わるんだった!!って。
そうやって、自分自身の自給率を上げていく生き方に、シフトしたかったんだ~☆って。
もちろん、自分だけ王国に住むつもりはないです。
「自分」を固くしすぎると、入ってくるものも入って来れないことも体験し、
ほどよいバランスを、産後くらいからやっとこ感じられるようになり。
頭で考えすぎたことって、やっぱりバランス悪い。
感じたこと。
自分の手を通して、声を通して、身体を通して。
そういうことって、進むべき道を自然と感じさせ
教えてくれる。
選挙フェス
フェスならではのあの熱いうねりを
選挙にうまく持っていった三宅さん達のアイディアってすごいなって思った。
そうかー、そこを繋げられるんだって。
「みんな政治を待ってたんだ」
って三宅さんが言っていた動画があって。
そうそう、昔の私
迷子だったんだよね。て思い出した。
まだまだ分からないでいることもあるし、知りたいし、体験したいし。
間違うことも沢山ある。
でも、その間違いはいつだっていろんなことを教えてくれるから。
こういう暮らし、こういう世界で生きていきたい。っていう気持ちは
持ち続けたい。
自分がこういう暮らしがしたいなっていうビジョンは、大きな変化はなく
ずっと心の中に描いています。
そこにいつシフト出来るかは、タイミングと流れと
今の自分次第。
あと三年後。
自分が、そして日本が
どんな姿をしているか。
ともて楽しみです。
そして50年後の日本に
残したいものは何だろう。
残したくないものは何だろう。
そんなことを、ふと思いました。
夏祭りは、1000年後も
続いているといいなー。
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Posted by カミュ at 22:24│Comments(0)
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