2013年09月10日
暮らしのバランス
お腹のベイビーもついに31週となりました☆
おなかぽっこり妊婦のカミュです。こんばんは。
物を拾うとき、いつもの感覚で腰をかがめて取ろうとすると
お腹が圧迫されて おっとっと となるくらい
おなかが大きくなってまいりました。
そうそう、こういうときに腰を痛めるんだよなー。
ちゃんとスクワットして拾わないとね。
足の爪も切り辛い。
そして
激しい胎動に、いちいち 「うわわ~~!!」 と声をあげてしまいます。
何とも言えない、あの身体の中で生命がうごめく感じ!!
さてさて、今日は検診日。
家から一番近いという理由だけで選んだ総合病院へ通っております。
第一子のあうらの時はお産へのこだわりがすごかった私ですが、
今回はこだわらなさすぎモードです。
というか、お産にあまり意識がチューニング出来ておりません。
他に色々やることや、意識を向けることがありすぎて、、、。
ごめんよ~~。
というか、たぶんアウラの時に勢いがありすぎてタイまで行ってしまったので
その時良かった部分と、反省点と自分の中で感じた部分の調整を
今回のお産を通して取ろうとしているような気もします。
両面みたい。
てんびん座だからでしょうか。
感情のバランス、意識のバランスをどこかどこかで取らないと、すっとしない感じ、、、。
おなかのベイビーはといいますと、あまり自己主張しない感じです。
「 どこでもいいさ~♪ 」 みたいな感じ。
それはとてもありがたい!!こだわらなくても生きていけるというのはある意味すごい!
あうらは最近お風呂に入ると、よく 生まれたときのことを話してくれます。
「あーちゃんね、タイで生まれたんだよ。あーちゃんね、だってね、タイで生まれたかったんだもん」
でれでれに照れながら、そんなことを言ってくれて
どうしてあんなにも私がタイに行きたくなったのか
分かった気がしました。
やっぱり アウラが連れてってくれたんだなーと。
「あーちゃんね、ずっとお空でさみしかったの。でもね、ママと会えたからもうさみしくないんだよ」
そんなことも言ってくれて、、、。
う~~ 泣けますね~、、、。
私のところに来てくれて、本当にありがとう。
今日はエコーで赤ちゃんのお顔が見えて、目を開けたり、口をぱくぱくさせていたり
とっても可愛かった☆
それにしてもあの白黒のエコーって、どうみてもかわいい赤ちゃんが宇宙人にしか見えません、、、。
なんて言ったら失礼か!(笑)
でも、あれ初めてみた男性とかはびっくりするでしょうね~。
こ、こ、これが顏、、、?!みたいな感じの映り方。。。(笑)
エコーでは目がとても大きく見えたけど、
どう考えても遺伝子的にそれはないので、あれはエコ―マジックだな。
実は通ってる病院は、私が生まれたところでもあります。
そして父が亡くなった場所でもあります。
そういう意味では、いのちが誕生し、そしていのちが旅立つ場所でもあって
検診へ行くと沢山の身体の体調を悪くされてる方ともすれ違うし
いろんな感情が芽生える場所でもあります。
「お産」というものがオブラートで包まれてない、ある意味とても
人間の一生というものを感じさせてくれる場所かもしれません。
そういう意味でも、私の今のバランスに適合してる心の中の反映でもある場所です。
私の心の中の反映は、色々なところで顔を出します。
イメージはすぐ現実化する。 それはいいイメージも、悪いイメージも。
最近マタニティブルーのときに感じる不安の世界は、
作り出してるのは自分自身であって、現実にそれは起きてないのですが、
結局その不安を作り上げてそこに自分がいる以上
それは現実のように自分を苦しめます。
なんて無意味な時間!!
と思うんだけど、そこにすっぽりはまってると、はまっちゃうんだよなー。
はまってはそうではないことに気が付き
ほっとして
そしてまた新たな不安を探す自分、、、。
暇なんだなー。
そうそう。不安を考えちゃう時間がるっていうのは暇な証拠。
そういうときは、運動するか、本を読むか、手を動かし仕事をするか、掃除するか!!
自分の思考と向き合わない!!がコツ。
向き合わないっていうとちょっと否定的な感じかなー
とうよりも、雲のように 眺めて観察
が本当は気持ちいいのかもね。
どんなときも、自分の感情を眺めていられたら。
きっと自分はぶれないで済むんだろうな。
私は色々極端に走る傾向が昔からあって
やれ 旅人だ~ 自由人だ~アーティストだ~ マクロビだ~ベジタリアンだ~自然派育児だ~ ナチュラルだ~
と色々やってきたわけですが、
アウラが生まれて実家に帰って来てから、私が大切にしたいと思ってる感覚と
母親との感覚がまったく違ったりすることによって
色々気が付くこともあったりで
時に自分の中のこだわりというものは、
人を傷つけたり、悩ませたり、反感をかったり、その人の生き方を否定してると思われたりするってことに
気が付きました。
私にとってそれが正しくても、それを相手に押し付けるのは違ったり。
その逆ももちろんあって。
普通っていうのはその人の中の普通であって、相手にとっては普通ではなかったり。
それが人間ていうものであって。
そういうことを生生しい毎日の暮らしの中から沢山学ばせてもらいました。
同じ方向を見て、同じことが大切だと思えている仲間やパートナーと暮らすのは
そういう部分での摩擦は少ないのかもしれませんが、
夫婦の離婚の原因によく出てくる
「価値観の違い」 的な (笑) ものって、やっぱり一つ屋根の下で暮らすと
ひとつひとつが時にバトルになりかねなかったりして。
で、結局 「譲り合い」 そして「その人が大切に思ってることをお互いに尊重する。」 がピースを生むという答えがひとつ。
こだわりって、時に素敵なアートを産むこともある。
かっこいいって思われるようなこだわりもある。
でも、こだわりってへそをまげると否定的な感情でもあったりする。
のかもなーなんて最近思ったりしています。
こだわりすぎた物や空間にちょっと最近 拒絶反応的なものを感じるのも
多分自分の中で今までのこだわり過ぎた部分の調整が始まってる証拠かな。
そして最終的に行きつく、私のバランスのいい暮らしのポイントはどこになるでしょうか。
まだ探し中。旅の途中。。。
一番近くにいる人を、笑顔にすることって
本当に大切だけど、自分のエゴが出てくると難しい。
あー、今夜もまとまりのない文書にお付き合い頂き
ありがとうございました。
書いてちょっとスッキリ。
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Posted by カミュ at 23:34│Comments(0)
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