2014年05月30日

30代のわたし、母だけど、私。



30代のわたし、母だけど、私。



子どもを産んでから

一日があっという間すぎてびっくりする。

朝起きて、朝ごはん作って、洗濯して、子供たちを保育園に送って

そうじして、仕事して、おひるごはん食べて

また仕事して あっという間にお迎えの時間で


そして子供達とおやつタイム

夕ご飯作って、 お風呂にこどもたち入れて

あーだこーだと 泣かれたり、怒られたり、時には叩かれたりしながら

かわいい娘たちをやっとこ寝かせて、、、

寝顔だけは本当に天使だなんてよく聞いたけれど

本当にそうだな~なんて思いながら

自分もすごい睡魔に襲われそのまま寝てしまいたいのを

起き上って、やっとこ訪れた自分の時間に

自分のやりたかったことを詰め込んでいる私。

やらなくてはならないことは、私は後回しに平気でするくせに

やりたいことは意地でも起きてやれちゃうから、

やっぱり自分のやりたい!!っていうモチベーションは

人生においてとても大切な力であることには違いない。

というわけでやらなくてはいけないことも、やったら楽しいに変換し

習慣化する癖をつけているところ。

人はやらなくてはいけないと思うと、時間を奪われているような気持ちになる。

たとえば私があまり好きではない食器洗いの時間とか

あえて時間を見て何分で終われるかを見てささっとやると

案外6分くらいで終わったりして。 なんだ、たった6分くらいへのかっぱ。と思ったり。

洗濯干す時間は音楽をガンガンかけて、のりのりでダンスしながらやってみたり。

家事を自分の時間として組み込んでしまえば、こっちのもの。

仕事は自分のすきなことだから、とても楽しい。

やりがいもあって、それでいてもっと学びを深めていきたいと思うし、

色々なアイディアも浮かぶ。人との出逢いは私をどんどん好転させてくれる。

そして私と出逢った人も、どんどん様々な繋がりが生まれていく。

それは私の特技であると思う。(とかいって、みんなそうだけどね。笑)


20代の自分が培ってきたことが、今のわたしにちゃんとバトンを渡せていることは

ちょっと嬉しい。

いや、大分嬉しい。

そして今の私がしていることが、40代の私にどう手渡されるのか、自分の人生の見どころ。


母になって、わたしはお母さんというものになろうなろうと

必死にこの4年やってきた気がする。

そしてそれと同時に、限られた時間の中で、捨てられなかったやりたいことを

出来るだけやってきた。

今出来る、自分の精一杯。


でももともと効率が悪い私。 もっと手際よくやれるようにしたいな。


二十代の私は独り身で、自由で、時間なんていくらでもあったし

未来の自分に妙な自信があって不安なんて持ったこともなかった。

でもそれは、知らなかっただけ。

娘が生まれいのちの素晴らしさを教えてもらい

父が死んだとき、この人生には終わりがくることを知った。

それはどんな人にも、どんな人生にも。

母という役割をもらった私の人生は、いつの間にか子供との時間が増えて

自分のやりたいことをやる時間なんて

限られていることを突き付けられた。


いいお母さんでいようと思えば思うほど、その時間はなくなっていって。

こんなに頑張ってるのに、こんなに娘を思ってるのに

娘が言うことを聞かないと、イライラしたり、カーッとなたりした。

どうして、わたしの思い通りにいかないんだろうって、子宮がきゅーってした。


だからやめた。

私が勝手に思い描いているいいお母さん像は、100パーセントを目指す必要ないし

そんなもの、最初からなかったんだと。


子育てもどうやら即興ライブみたいだ。

なんとなくのイメージは持てても、相手の出し方、自分の出し方次第で

音色はどんどん変化していく。


そうなんだよね。

自分以外の人を自分の思い通りにコントロールするなんて出来ないし、しなくていいことなんだと。

自分だってコントロールされたらいやだし、そんなの出来ないもの。

でも、相手がきもちいい出し方をすると、すばらしいハーモニーがそこに響くんだと。



私は娘の父親である人との関係がどうもうまくいかず、

結局シングルマザーという道を歩み始めたけれど

それを相手のせいばかりにして、ずっと責めてきたけれど

結局この未来を選んだのは自分の選択であり、

そして未来の私、これからの私の役割に必要であったからこそ、

その様々なトラブルを体験していたんだと、最近気が付いた。

そして問題は、相手のせいだけではなくて

自分自身が引き起こしたこと。

たくさんのことに気づかせてもらったし、たぶんこれからも気づいていく部分はあるんだろう。

どんな悲しみも、苦しみも、困難も、幸せを感じられないことも

ぜんぶ自分の肥やしになって、そしてそういう体験を

どんどん自分の中で耕して、次に生かしていくことが出来る自分になっていくことは

人生って面白いな~、と感じさせてもらえる。


辛いことを誰にも辛いと言えなかった時が、一番苦しくて

泣いたり、誰かに話したり出来るようになるのが第二関門。

そして次に訪れるのは、相手の気持ち、立場に出来るだけなってみて

自分を客観視できるようになるのが第三関門。

そんな関門を、イライラしたり、怒りが噴火したり、でも許したいと思ってみたり

それでもやっぱり無理だったりを繰り返しながら、私は最終的に

どんな感情に至るんだろうか。許すとか、許さないとかそういうんじゃない

もっとすごい、もっと緩やかな 穏やかな感情に。


相手が悪い、自分が悪いって、そういったジャッジこそがとてもむなしさを生んでる。


それぞれの価値観、それぞれのルールがあって、大切にしたい生き方があって。

その人がそうなっていったわけが、長いその人の人生というバックグラウンドにあって。

そこには、その人が体験してきたことが、宝物のようにたくさんあって。

家庭環境があって、学校があって、先生がいて、友達がいて、、、

そう思ったら、違って当然だし、違うからこそいろんなことが興味深かったわけで。


でも、それでもその価値観の違いに 最後に残った 怒り。


その怒りを紐解いていくと、ああ、わたし 自分を守りたい自分がいたんだ。

これ以上、わたしを傷付けてないで欲しいっていう自分がいたんだなって、、、。

怒りというか、防衛だったんだと。 

そして、その怒りが私の次へのエネルギーとなってふんばれたこともあったり。


怒りを自分を保つモチベーションに転化するのは、どん底から這い上がるのは

そんなに悪い使い方ではなくて、

気がついたらそんなことも忘れて、自分の好きなことに没頭している。そんな私が

なんだかとてもたくましくなったもんだと

雨上がりの夜に、ひとり

思うのであった。


シングルマザーも悪くないよ。



空色カミュの日記でした。



































































  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

空色カミュ ホームページ http://sorairokamyu.jimdo.com/
同じカテゴリー(カミュの子育て、アウラの親育て)の記事画像
旅で発揮されるこども力
繰り返される感情と病からのお知らは
だいだいだいすきだよ。
月と花火
サヨナラとハジマリと
与えられた家族
同じカテゴリー(カミュの子育て、アウラの親育て)の記事
 旅で発揮されるこども力 (2016-12-30 23:23)
 繰り返される感情と病からのお知らは (2016-10-02 23:00)
 だいだいだいすきだよ。 (2016-09-10 23:24)
 月と花火 (2016-08-06 23:00)
 サヨナラとハジマリと (2016-08-02 22:33)
 与えられた家族 (2016-07-28 18:21)

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。