2014年06月08日
母親という役割における社会からの重圧 その2
(写真 インドはリシュケシュの山の中にて。 若いお母さんと子ども。 2009 )
お待たせしました~☆
「母親という役割における社会からの重圧」 の続き その2です。
今日ね、なんだかとってもこの話題にリンクしたことがあったんです。
そのお話からさせてもらおうかと思います。
今日は日曜日。
私は子供達と母親と四人でランチしに行きました。
ご飯が来て、家族でわいわい賑やかにご飯を食べていると
7歳と5歳くらいのかわいい姉妹がお母さんに連れられて
お店に入ってきました。
入ってくるなり、お母さんは子供たちに怒りまくっていて、
娘さんたちはそんなお母さんにとっても緊張していて
一言も話しません。
あー、なんか叱られているのかなーなんて思っていたら、
突然、 ガシャン!!という大きなテーブルを叩く音がして
振り返るとお母さんがものすごい形相で子供を怒鳴り、
テーブルを叩いていたのでした。
がやがやした店内でしたが、その音は私たちの胸に突き刺さり、
私の娘もびっくりしていました。
おいおい大丈夫か?!
私はしばらくその親子の様子を勝手ながら伺わせてもらいました。
娘さんたちはびくりとも動かず、お母さんは真っ赤な顔をして
子供たちにイライラをぶつけています。
その瞳は我を忘れているようで、しばらくそのお母さんは両手を頭に付けて
あーもう!!というように顔を伏せていました。
なんだか、なんだか、、、。
うちの母は子供たちがあんな叱られ方をして
なんてかわいそうなんだ、と言っていましたが、
もちろん子供達もあんな叱られ方をされては気の毒ですが
私はその母親の姿を見て、なんだか泣きそうになってしまいました。
しばらく母親は一生懸命冷静になろうと 深呼吸などをして
10分後くらいには子供とふつうに会話を始めました。
よっぽど、、、お母さん何か
一人で抱え込んでるんだなーって。。。
自分自身にも似たような経験があるので、お母さんの気持ちが痛いほど分かるし、
なんだか、自分自身を客観的に見せられているような気がして、、、。
多分、子供達が怒られてる理由なんて傍から見れば大したことではないのでしょう。
お母さんが怒ってる理由は、子供が100パーセント原因ではきっとない。
とにかくもう、いっぱいいっぱい。疲れてるんです。
一人で何か抱えすぎてるんです。
もしかしたら、旦那さんとのこととか、仕事場でのこととか、お姑さんとのこととか?
自分のことを、自分で嫌いになっちゃうような出来事とか、、、
他でのストレスが沢山あって、
そこへもってきて
どうしてこんなに頑張ってるのに、
子供たちは言うことを聞いてくれないんだろう?と。
するとちょっとしたことでも、ムカムカムカ~!! と
子どもはイライラを出すはけ口になってる可能性大。
子どもはレストランであんな風に叱られ方をして
とっても身体もこわばって震えて、きっとごはんもおいしく感じられなかっただろうに、、、。
とても切ないですね。
その親子の話している内容までは聞こえなかったので、これは
あくまで私の勝手な妄想ですが、
でも、きっと 母親という役割を担っているみなさんなら、経験がひとつやふたつ
あることではないでしょうか?
公共の場ではしなくても、家の中でしてしまったこととか、、、。
「 お母さん、まあまあ肩の力抜きましょう。色々辛いですね。おつかれさまです 」 と、
肩でも揉んであげたい気持ちだったけど
ちょっとこちらも手がいっぱいで出来なかったな、、、。
ていうか、そんなこと見ず知らずの人からいきなりされたら
何?!って思われちゃうかしら??
でも、そういう他人事っまたはよそ様の家のこと的な 見えない距離感の壁があるのが
私は今の日本を象徴しているような気がする。
そういうのってどうなんだろうって思うんだ。
もっと気軽にふれあってもいいよね。
もしこれがタイで私が子供達にレストランで怒り狂っていたら
その辺のおばちゃんがきっと
「どないした~ん?ちょっと疲れてるんじゃないん?ほらこれでも食べなよ まいぺんら~い」って
してくれると思うんだよね。
昔は日本も、子どもは社会でみんなで育てていた。
私が今住んでる篠ノ井も、
私が娘とのお散歩の帰り道で、あーちゃんがぎゃんぎゃん泣いて
絶対に帰らない!!と立ち往生したときも
本当に私は困り果てていて(しかもミーを抱っこしていた)
そしたら近所のおじさんやおばあちゃんたちが、あーちゃんのでっかい泣き声を聞いて
出てきてくれて
「どうしたの~?帰りたくないの~?」って声をかけてくれた。
その一言に私はとても救われて、
イライラが爆発し、そろそろ噴火しそうだったのが、すーっと我に返ることが出来たのだった。
お母さんという生き物は、子供を危険な目に合わせまいという危機意識を常に持っている。
それはきっともう本能。
だからいつも子供のことを気にしてるし(特に幼少期)
他にもやることも沢山ある中で、いつも子供に目を向け
そして更に子供以外の家族の面倒からお世話から受け持ち
本当に一日中フル回転。
そんな中で常に、中々スムーズに思い通りにはいかない子供とのやり取りを受け入れて、
こーだあーだと躾もして
どんだけ毎日仕事量あるんだ?ってくらい。
普通に働きに出ている時間の方が、どれだけ自由でどれだけ快適かと
子育てをしてみて初めて思ったのが本音。
でも、それくらい、現代を生きるお母さんは
ちょっとお母さんとしての仕事量が増しすぎてるんではないか?
負担が多すぎてないか?
と、はたと思ったカミュなのでした。
ま、人それぞれ家庭環境によっても違うと思うですが。
私はシングルだけど、母と同居なので
子どもたちを一緒に育ててもらっているので
本当にありがたい環境です。
自分以外に子供のことを見てくれる人がいるかいないかは
とても大きい。
そして、みんなで子育てをしていく社会を育てていくためには
まずはお母さん自身が心を開く必要があるなーと思う。
優しさや思いやりを、受け取る姿勢があるかないか。
どんなに本当は協力してくれる人が回りにいたとしても、
それを自分が拒んでいるようだったら、やっぱり孤独な育児からは抜け出せない。
それは、今の私にとっても大きな課題の一つでして、、、。
受け取れば、きっと娘たちのためになる。成長の糧にもなるし体験も増える。
でも、受け取りたくない自分もいる。
それが、子供達の必要としている体験を奪っていることにも気が付いているんだけど、、、。
ぶつぶつ、、、独り言でした。
今夜はこの辺で その3へつづく~ ♪
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Posted by カミュ at 22:38│Comments(0)
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