2014年09月10日
母という器
筋肉痛は痛い。
でも、その痛みのあとには、なんだかちょっとたくましくなった自分がいる。
子供との暮らしは、そんな筋肉痛によく似たこころの痛みがたまに伴う。
わたしは忍耐力とか、気合とか、我慢とか
昔から大の苦手。
そこうに辛抱強くいること、も苦手。
出来る限り、未来は予測不能でありたいし、
スケジュール帳に予定があまりない方が好きだし、
その日の感覚で動いていたい気質なのだった。
だから、無計画な帰りのチケットすらもたないその日暮らしの旅というのは
自分自身の気質にぴったりとハマって
今まで感じたことのないような、開放感と、喜びで身体もこころも生き生きして
ずっと自分を縛っていたものも、どんどん剥がれ落ちて
みるみるうちに、精神の病も治っちゃって、健康にもなっちゃったのだった。
旅にでると、わたしの 今ここに見えてる景色が びっくりするくらい違う日常に変わる。
海を超えて違う世界に足を踏み入れてしまうと、
不思議なことに、わたしは日本のことをまったく思い出さなくなってしまう。
頭の中にスイッチがあるのかなって思うくらいに、日本のことがOFFモードになっちゃうのだ。
だから今までホームシックになったことはなかった。
でも、タイでお産したときだけは違った。
生まれてきてくれたアウラが、あまりにも愛おしくて
こんな風な気持ちで、わたしを育ててきてくれた両親の気持ちにはじめて気がついて
あー、はやく あうらを抱きしめて欲しいって心から思った。
そして、父と母の顔の声が聞きたいな、会いたいなーと、すごく思った。
そんな風な気持ちになったのは、きっとわたしが今まで
父や母にほんとうに愛され、育ててきてもらったからだと思う。
忘れてしまってることもあるけれど、わたしが小さいころから求めてきた愛を
わたしはちゃんと父と母からもらってきた。
それって、ほんとうに、ほんとうに、ありがたいことだったなあと、
アウラを産んではじめて、両親への深い感謝が湧いてきたのだった。
わたしが日本を出て、フラフラと旅をしている間、
いつも実家の父と母は、わたしのことを心配してくれていた。
インドから中々帰ってこない娘。
来月帰ると言ったきり、やっぱりあと三ヶ月伸ばします。なんてこともあったっけ。
インドから母あてに送ったハガキには
「お母さん、わたしボーズにしようと思います。」なんて書いてしまって、
母に「お願いだからやめてください。」と、すぐさまメールの返事が来たこともあった。(笑)
結局はしなかったけれどね。
極度の心配性のうちの母にとって、それはとてもこころの筋肉痛をもたらしたことだろう。
うちの娘たちも、そんな風にして、わたしを育ててくれてるようです。
こころの筋肉痛をたくさん味わうと、人間としての器がどんどん広くなるに違いないと
わたしは思っている。
ちっぽけ~なわたしのこころ。
根性なんてまったくないのよね。
忍耐力なんてもってのほか。
でも、カレンダーに予約が入るのは、最近とても嬉しい。
わたしはここにいて、出会いたい人には出会えるし
やりたいこともやれるし、
好きなこと、たくさんしている。
自分がとっても、バランスよい感じになってきているような気がする。
わたしは9月うまれの天秤座。
今までの人生は、極度に偏ることによって自分本来のバランスを発見する喜びを体験してきたけれど、
もうそろそろ、そういう生き方はしなくても、自分のバランスがいいところを
見つけ出せるようになっていきたいな。
こどもから、大人へ。
そうそう、わたしはいつまでたっても子供みたいに社会を眺めていたけれど、
もう、十分大人なんだよね。
ふたりの母でもあるしね。
でもさ、愛って不思議だよね。
余分な愛は受けとりたくないんだよね、人間て。
両親がいくら自分を愛していても、その愛し方が自分を苦しめる方向だったりすると
受けとりたくないの。 拒絶しちゃうの。
でも、愛が足りなければ足りないで、人は飢えてしまう。
その人の心の中に、同じ愛の量があったとしてもね、
表現力の違いで、受け取り方がすごく変わってくるんだよね。
でも、あるとき
相手に完璧を求めていた自分に気がつくんだよね。
「こう愛してほしい。」 ってね。
でも、そんなに人間みんな器用じゃない。
こどもは、お母さんに 自分が求めているものをちゃんと返して欲しいって
完璧を求めるし、母親は母親で、自分の理想の子ども像に子供が育たないことが
いらだちを生んだり、なんでうちの子はなんてことになってしまうけれど、
お互い、求め合うのはやめやめ。
自分の求める完璧な世界なんて、生身の相手がいる以上 ありえない。
父にも同じことが言えた。
なんでうちのお父さんは、、、てたくさん喧嘩して、いつも反発しあっていたけれど、
父が亡くなってから、
「あー、でも愛されていたなー。ありがとう 」って、父の性格をまるごと受け入れて
ほんとうに、心から 愛に気が付けるようになった。
ようは、素直にやっとなれたんだよね。
私はなんで素直になかなかなれないの?
もっと、生きてるうちに素直になれていたら、あんな風に反発しあう必要もなかったのになあ。
でも、そうやって、わたしは自分を試したり、チャレンジしたり、
親の言うことをまったく聞かなかったり、親が我慢していることをあえてやってみたり。
一通りのことは、こどもとしてやってきたので、
やはりもう、わたしは素直に大人になろうかな。 (笑)
大きな人にね。
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Posted by カミュ at 22:49│Comments(0)
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