2015年03月21日

わたしと母の物語



すっごい久しぶりにここに来ました。

毎日のように更新していたこのブログも

最近は一ヶ月に何回かしかアップすることが出来なくなっています。

パソコンを開く暇がない、、、。

そして平屋にまだネットを入れていない、、、という理由もあるけれど

何度か書いてはみたものの

すっきりまとまらない状態で、下書きばかりが増えていく、、、みたいな。(苦笑)

いやはや、大忙しの三月です。



三月のはじまりに、母が体調を悪くし、緊急入院するという出来事がありました。

今はもう退院し、大好きな片付けに精を出すほど元氣は取り戻しております。

入院するとき、実は母はかなり衰弱しておりまして、

わたしは一瞬、まさかのまさかを想像してしまったんですね。

母はずっと体調を崩していて、その夜私は実家にいたのですが、

母が倒れてしまい、二人の娘が寝付いたところだったので

私はこのままではまずいなと思い、救急車を呼んだんです。

二人の子供を置いて病院へは行けないし、かといって

動けない母とこどもを連れて病院に行くことも出来ません。


するとサイレンの音で長女が起きてしまって、

どかどかっと入ってきた救急隊員の人たちの姿を、ドアの隙間から長女はじーっと見つめていて。

「ばあば、具合悪いから、救急車呼んだんだ。でも大丈夫だよ。」

とあわてて抱きしめると、以外としっかりしていて、

これがうわさの救急車!!といった感じで興味津々、、、。

でも突然

「あーちゃんふるえてる」

と、ぽつり。

見ると、本当にガクガクと震えていました。

慌てて毛布に包んでぎゅっと抱きしめました。

実は私も、背中がとっても痛くなっていて、冷静を保ちつつも身体は本当に正直で、、、。

電話で兄に事情を説明し病院へ行ってもらうことにして、

わたしたちは家で待つことにしました。


サイレンを鳴らしながら救急車が遠のいていって。

少し春の陽気を感じる、生ぬるい夜の香りを嗅ぎながら

長女とぎゅっと抱きしめ合いました。

そして家へ入って

こたつに二人で並んでお茶を飲みました。


母のいない家は

どこか急に色を落としてしまったかのように暗くなり、

私は痛かった背中がお茶を飲むとすーっと癒えていくのを感じました。


もしこのまま、母がいなくなってしまったらどうしよう。


そんな妙な不安がわたしを襲って

私がいままで母に頼ってきたこと、してもらってきたこと が走馬灯のようにばばーっと

心に浮かんでは過ぎ去っていきます。



小さい頃から、母はずっと身体が弱い人で、

私は何度もこの不安に取りつかれたことがありました。

私はまるで小学校のときの自分になってしまったようでした。



母が手術のため入院してしまったとき。


寂しくて仕方なくても、

私には自分を大切にしてくれる兄がいました。

母が少しでもはやく退院してくれることを祈りながら

出来るだけ弱音をはかずに、前向きにいようと思っていました。

父が作ってくれた 野菜が大きなカレーの味。今でも覚えてる。

父も仕事に、なれない家事に必死だったんだろうな。



でも、母がいないだけで

自分の大好きな家は、家でないように感じました。

母がいないキッチン、いつも寝ている布団、母が座っている場所、、、

ひとつひとつに

子供だった私は寂しさを感じて、毎晩こっそり泣いていたのでした。



そして今

大人になった今

父はもう、カレーを作ってはくれません。

遠い空の彼方から見守ってくれているだけ。


兄には、守るべき兄の家族があります。

そして私は



私のとなりに

小さな女の子が座っています。



わたしにぴったりとくっついて。



その暖かさは

涙が出るほど心地よくて

そして私に、勇気をくれました。


「ママ、ばーばにあした会いに行こうね 」


「うん。もしかしたら、しばらく入院かもしれないね」


「あーちゃん、ママがみーちゃんうむときも、にゅういんしてるママに毎日会いにいったでしょ。

ばーばがにゅういんしてるときも、ぜったい毎日おみまい行くから!!」


「うん。 そうしようね」


わたしには、今

こんなにも愛溢れる娘がいる。


そして、何事にも動じずに

ゆっくりと寝てくれていた次女のみーちゃん。


二人の娘がいてくれる。



わたしの、家族。


小学生だった頃の私は

こんな未来を想像していたでしょうか?


母から産まれた私。

そして、いま私も母となり。



布団の中で、あーちゃんが寝たあとずっと

わたしの中から様々な想いが溢れてきました。


わたしと母との物語。


小さかった頃のことから、私が妊娠してタイへ渡ったときに

やりとりしてきた気持ち。

火の粉が見えるほど、衝突したときもあるし

ずっと、ずっと

母を越えようとしては失敗し、

母の願う娘になろうとしては失敗し、

母のようにはならないぞと反発し。。。



そうやって私は、母を通して様々なことを体験し

そして様々な気持ちを得てきました。


今は、本当に感謝しかないです。

このようなじゃじゃ馬娘と、よくぞ縁を切らずに

ずっと付き合ってくれ、孫たちのお世話までしてくれて。



長女が生まれてからもうすぐ五年。


言いたいことは言い合える母と娘の関係。

困ったときは、助け合える 家族の形。

思いっきり、ぶつけたこともあったけれど

わたしは母を選んで生まれてこれて、本当に良かったと思っています。

そして、私を選んでくれた母。


5月10日母の日に発売する 空色カミュのCDアルバム「産月」の

一番最初の曲に、「たましいの宿る場所」という歌があります。

この曲は、お腹の中にいる赤ちゃんが感じてる気持ちを歌にしたものなのですが

最後に、

「いつも大好きだよ お母さん」

という歌詞があります。

この一言を素直に言えるまでになったんです。わたし。

ずっと、言えなかったんだよね。



こどもは、お母さんが大好き。

うちの子はよく

「ママなんて大嫌い!!馬鹿!!」

って言うんだけど

これを翻訳すると

「ママ本当はすごく大好き!!もっとわたしを見て!」 なんだよね。


ありのままを好きになって

わたしを、みとめて。

ママのイメージした 子供像ではなくて

わたしという存在そのものを 愛して。


「どうしてあんたは普通じゃないの?」

という母の言葉に反発して

わたしはもっともっと、人とは違うわたしを、母に見せつけようと反発していたことがあるけれど、

今となっちゃ、

なーんだ

わたし、お母さんのことが大好きで

もっとそのままの自分を認めて欲しかっただけなんだよなーって

ジタバタしてる子供みたいだったなーっと。笑える。


そして、お母さんにもニコニコ楽しく

自分らしく人生を送って欲しいといつもこころの底から願っていたんだ。


私が自由に、自分がすきなことをして生きていくと決めているのも

母にもそう生きて欲しいとずっと思っていたから。


いつも、家族を一番に考えてくれてるお母さん。

でももっと、これからは自分の時間を

大切にしてもらえるように


私がちゃんと、していくね。


母にはじーじの分までしっかり、長生きしてもらいたい。


わたしは本当に、たくさんのギフトを両親からもらっている。

ほんとーーーに

いつも、ありがとう!!!!




わたしと母の物語

(二歳のころのあーちゃん)


































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この記事へのコメント

お久しぶりです。
かみゅちゃんの文章は やっぱ いいですね~。
やさしい気持ちになりました。
Posted by hasi at 2015年03月22日 01:46
ハッシー さん
お久しぶりです☆元氣かな?
嬉しいコメントありがとう!
やさしい気持ちになってもらえて、わたしも嬉しいな。
(^^)
家族の根源は愛。
またたまに、ブログのぞき見してくださいね~
Posted by カミュカミュ at 2015年03月23日 22:42
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