2011年03月16日
みんなの力
先日開始した被災地へ送るウェア募集の件ですが、
こんなにも沢山の方がアジアンに持ってきてくださってるようです!!
詳しくはこちらをどうぞ!
締め切りは16日の四時までとさせて頂きます。
http://samboanm.naganoblog.jp/e691133.html
長野も今日は雪。
被災地の方は本当に寒く、そして怖い思いをされているかと思います。
本当に心が痛いです。
ガソリンや灯油も足りてないようだし、
被災地でないところで、我慢できるところはして
どんどん被災地にエネルギーがまわっていくことを願います。
協力してくださってるみなさん
ほんとうにありがとうございます!!
私に出来ることは
エネルギーを無駄にしない様に、小さく暮らすこと。
原発は必要ない!と反対するならば、
今までそれに頼ってきた、恩恵に感謝したうえで、
次にどういう暮らしに転換していく必要があるのか。
日本人が考えて行動に移していかなくてはなりません。
みんなで変わらなくてはいけない時がきたのかもしれません。
まずは自分から。
こんなにも沢山の方がアジアンに持ってきてくださってるようです!!
詳しくはこちらをどうぞ!
締め切りは16日の四時までとさせて頂きます。
http://samboanm.naganoblog.jp/e691133.html
長野も今日は雪。
被災地の方は本当に寒く、そして怖い思いをされているかと思います。
本当に心が痛いです。
ガソリンや灯油も足りてないようだし、
被災地でないところで、我慢できるところはして
どんどん被災地にエネルギーがまわっていくことを願います。
協力してくださってるみなさん
ほんとうにありがとうございます!!
私に出来ることは
エネルギーを無駄にしない様に、小さく暮らすこと。
原発は必要ない!と反対するならば、
今までそれに頼ってきた、恩恵に感謝したうえで、
次にどういう暮らしに転換していく必要があるのか。
日本人が考えて行動に移していかなくてはなりません。
みんなで変わらなくてはいけない時がきたのかもしれません。
まずは自分から。
2011年03月14日
平常心
自分が出来ることは何かないだろうか?と
テレビを見ていると、とても歯がゆい気持ちになります。
さまざまな情報がメディア以外でも出回っております。
特に携帯でのチェーンメールは、発信元をちゃんと把握したうえで
受け取る側も、回す側も慎重になる必要がありそうです。
相手を思いやる気持ちが
かえって逆効果になってしまうこともありうるので、
ちゃんと一呼吸おいてよく考えて行動するようにしないとですね。
情報は時に害になる。
私も冷静にならないと、、、。
長野市は地震での災害は今のところありません。
すぐ近くで困ってる人達が沢山いるのに、
手助けする方法が今見つからないのは
とてもいたたまれませんが、
今、自分にあるこの日常をまずは大事にして、
被災地の人たちにこれ以上の負担がかからないよう、
祈りたいと思います。
自然の恩恵の上に
私たちの生活は成り立っているということが、
改めて身にしみます。
言い方が少しあれですが、
日本が新たに変わることが出来る。というチャンスを
与えられているようにも思います。
私は私に出来ることをしていきたいと思います。
アジアンナイトマーケットのサンボさんが所属している
U.G にて、こんな動きがあるようです。
長野市にお住まいで、アジアンに近い方、
協力していただけだた幸いです。
私も探してみます!
アジアンでの締め切りは明後日です。
詳しくはこちらを!!
http://samboanm.naganoblog.jp/e688483.html
2011年03月12日
どうか無事でありますように。
本当に大変なことが起きてしまいました。
ニュースを見るたびに、すごく心が痛いです。
長野も北部に今朝方大きな地震がきました。
友人からまわってきた転送メールです。
どうかみんなみんな、助かりますように。
一人でも多くの人に。
お願いします。
【転載、拡散希望】
全国非難場所一覧
http://bit.ly/eVdXpd
au災害用伝言掲示板
http://bit.ly/euuWSb
ウィルコム
http://bit.ly/ehTZkT
docomo災害用伝言掲示板
http://bit.ly/etnjvX
携帯各社の伝言ダイヤルです。
au: http://bit.ly/eoeUc2
ドコモ http://bit.ly/hF2BHS
SF: http://bit.ly/eoeUc2
イーモバ http://bit.ly/eY2sIe
伝言を残せます。
災害用伝言ダイヤル「171」◆被災者の方
1.伝言ダイヤル「171」を押す。
2.自宅の電話番号を押す。
3.伝言を録音する。
◆安否を確認したい方
1.伝言ダイヤル「171」を押す。
2.安否を確認したい方の電話番号を押す。
3.録音された伝言を再生する。
日本透析医会災害情報ネットワーク http://www.saigai-touseki.net/
携帯で見やすい東京都23区避難場所
http://cgi.mobile.metro.tokyo.jp/aps/tosei/bousai/hinan.html
仙台市内の避難場所
http://pinqa.com/qa/655/
★携帯の電池がない方はビックカメラへ。充電器を無料開放しているらしいです。飲料が欲しい方はサントリーの自販機が無料開放しています。
★自宅から避難の際
□現金 □身分証明書 □印鑑・預金通帳・保険証
□飲料水(1人1日3リットルが目安) □非常食(缶詰等) □携帯電話と非常用充電器
□家族の写真(はぐれた時の確認用)
□ホイッスル(倒壊に巻き込まれた際に最小限の労力で居場所を伝えられ生存率が格段に上がります)
★【簡易トイレの作り方】
便器の中にビニール袋を二重に入れ、口の部分の一部を管などに括る。
ビニール袋の中に新聞紙を入れ、消毒液を入れるか、スプレーする。
必要に応じてビニール袋を替える!水がなくても大丈夫!
阪神淡路大震災の時、自衛隊員から伝授されました
★家具に埋もれて動けなくなったら机の脚でも何でもいい、とにかく叩けるものを叩いて音を出せ。
“2・5・2”のリズムは「要救助者あり」の信号。消防職員が必ず救助する。
***精神面を***
★近くに、過呼吸や呼吸がしんどくなっている方、泣いている方がいらっしゃったら、どうか側について居てあげてください。
誰かが側にいるだけで、ずっと安心します。
新潟中越地震の時に、パニック障害がひどくなった経験から、お願いします。
★若者でツイッター見てる方、避難所では高齢者や独り身の方に話しかけてあげて!
体育館で余震に怯えながらも周りの方とのおしゃべりで気がまぎらいました!(実体験)
他愛もないことでいいので声を出す機会をあげて下さい
★外国人の方の中には地震を知らない人もいます。
文化の差から、避難の仕方、避難所での過ごし方で、日本人と同じようには考えたり行動したりできない人がいます。
彼らも被災者、心はかき乱され、そして不安に思っています。寛大な心で、助け合いの心で。
★被災地の妊婦さん。妊娠中であることを自己申告し、優先的に救助されて下さい。
外見からでは妊娠初期は分かりません。
妊婦さん、乳幼児の周りにいる方、妊婦さんの声を聞いて下さい。
妊婦さん、戦時でも沢山の健康な赤ちゃんが産まれています。
安心して。絶対に大丈夫です。
2011年03月11日
地震
みんな、大丈夫でしょうか?
心配です。
これ以上被害が広がらないことを祈って、、、。
寒い中、辛い思いをされてる方がいらっしゃると思うと
心が痛いです。(>_<)
みんな、無事でありますように!
2011年03月07日
母性で守らた社会

昨日
アジアンナイトマーケットで
さっそく届いたハーブティを検品していると、
お子様連れのお母さまたちが
ランチしに来てくださいました。
とっても元気なお子さんたちに
あうらも囲まれてうれしそう(*^_^*)
やっぱり子供は子供同士の世界があるなあって
見ていて感じました。
本当に元気よかったなあーー。
子供が元気がいいって、気持ちがいいですよね☆
色々とお話をさせていただけて、
まほうのしずくのこともご紹介させていただくと
とても楽しみ!とみなさん応援してくださいました。(ToT)/~~~
お話の中で、
「よく思うんですが、家にいる主婦の方で才能を持ってる方って
本当に沢山いるんですよ。とてもいい知恵を持ってるのに
発揮する場所がなくて残念だなあって思うんです。」
ということをお客様がおっしゃっていて、
私も本当にそうだなーって思いました。
お母さんたちって
本当に色々な知恵だったり、才能を実は沢山隠し持ってる方
多いんですよね。
育児や、旦那さんや家族のために家の仕事をしていると
結構そればかりに追われちゃったりで
中々それを社会に反映することって出来なかったりすると思うんです。
しかも女性って、やはり母性があるせいか
お金の使い道や、環境への配慮だったり、カラダのことだったり
間違った方向へ行こうとはしない人が多いと思います。
無駄にすることも、独り占めにしようともしない。
政治家が男性が圧倒的に多いのは
ちょっと残念に思います。
もちろん男性でも、とても素敵な考え方や発想をお持ちの方も沢山いらっしゃいます!
しかし、あういうところにこそ
本当は母性の強い女性人が多ければ!と思っちゃうのは私だけ??
お金や権力ではなくて、母性で守られた社会作りって
とっても暖かいものになるんじゃないかなあ?
なんて、偉そうなこと言ってすみません。(;一_一)
でもわざわざ
政治家にならなくたって、
世の中を変えることは出来きると思います。
それはとても簡単でいて
ちょっと難しいこと。
自分の家族を大事にすることからだなって思います。
一番傍にいる人たちをハッピーに出来るのは
ママの仕事だって思います。
そこからみんな 社会へ出て行くわけですから。
お母さんがハッピーだと
旦那さんも子供たちも
みんなハッピーな気持ちで
学校や会社へ行くことが出来る。
子育ては特に、
未来人を育てているわけですから、
これほど大事な任務、創作活動はないなーって思います。
私は絵を描いたり、歌を歌ったりと
アート活動が大好きですが、
人を育てるというものほど
人間に与えられた大切なアートはないんじゃないかって思っています。
それは自分の子どもに限らず、です。
私は子供を産むまで
旅をしながら いろんな国で歌い
まるでジプシーの様に
その日暮らしで生きていくのもありだなって思っていました。
タイであうらを産んで、
そのまま、旅を続けることも出来ました。
でも、私はそれを選びませんでした。
風来坊でその日暮らしな不安定な人生に
この子を巻き込む前に、
ちゃんと、根を張り、安定した基盤の中で
子育てをしないと安定した心が育たない。
と気がついたからでした。
人間は、人を愛することも出来るし
愛してるからこそ、戦争だって出来てしまう。
いじめてしまうこともあれば、
いじめられてしまうこともある。
人生には色々な試練があるので、まずは
一緒に暮らしてる人に
一生懸命ごはんを作って
おいしいって沢山笑ってもらいたい。
そしていっぱい一緒に遊びたい。
沢山いろんな体験を一緒にしたい。
そして私を育ててくれた人を大事にしたい。
それがすべてに繋がっていくのだと思っています。
まほうのしずくは
知恵があり、賢く生きるママたちにとっても
情報交換の場だったり、その人の才能を生かせるようなお手伝いの場でも
ありたいと考えております。
現代のマジョって
実はそういう女性のことだって私は思うんです。
偉そうなこと色々書いちゃいましたが、
私もまだまだ勉強真っ最中の身。
みなさん、色々教えてくださいね☆
それでは 今日も素敵な一日を☆
2011年02月23日
春風のにおい
とても暖かい日でしたね。
夜風もどこか 春の匂いがしました。
こういう季節の変わり目のときって
どうして懐かしい匂いがするんでしょうね。
この春の匂いは
一体どこから流れてくるのか、、、。
春に向けて準備を始めた植物たちからでしょうか?
雪がとけた、あたたかい土のような、
生まれたての赤ちゃんみたいなつぼみのような
そんな匂い。
今日は、なんだか特別な日でした。
うちの父は実家の一階で、約13年間
鍼灸あんまマッサージの治療院をやっていたのですが、
その大事な父が使っていた仕事道具を、
今日、引き取って頂きました。
父が亡くなってから、治療院にあった多くの物は
まったく使われることなく
そこに佇んでいました。
沢山の人を治療してきたベッドや、父がよく座っていた椅子
カルテの棚。。。
まだそこに、ニコニコした白衣を着た父がいるかのようで、
それらが無くなるというのは、やはり
こみ上げてくる熱い想いがありました。
「死ぬまで治療院はやめない」
そう言っていた父の姿を、時々ふと、思い出します。
自分が大腸がんで辛い身であるのにもかかわらず、
父は少しでも体の調子がよくなると
仕事をしたがりました。
父の復活を待っていてくれた患者さんが、
本当に沢山いらっしゃったので
父はいつも大事な患者さんのことを
気にしていました。
病気が分かって
初めて治療院を休まなくてはならなくなった時
父は本当に残念そうでした。
父は、体を治すだけではなくて、
心に元気と勇気を与えてくれる人でした。
何年も通ってくださっていた患者さんはみな、
父に話を聞いてもらうと安心すると言って
信頼して足を運んでくださっていました。
治療院を片付けていると、患者さんからの手作りのプレゼントも
出てきて、どれだけ父がここへ来てくださってる患者さんと
暖かい交流をしていたのかが、伝わってきました。
父が亡くなった時、
「俺が死んだら見てくれ」と言われていたファイルがあって、
そこには父からの遺言と病気が分かってからの日記が残されていました。
A4のノートに、大きな太いマジックで
二言三言。
目がほとんど見えなかったのに、
父の字は大きくたくましく書かれていました。
告別式について、お墓について、知らせて欲しい人について
遺品について、家について
それはとてもシンプルに、でも的確に書かれていたので、
残された私たちはそれを見て、みんなで協力して色んなことを
スムーズにこなすことが出来ました。
そしてその中に
「一年以内に、治療院のものを破棄してほしい」
と書いてありました。
「みんなの使いたいようにしていいからね。俺の残した物に縛られなくていい」
父らしいなと思いました。
治療院のものに関しては、身内では誰も使う人がいなかったので、
それを買った業者の人にただで引き取ってもらい、
欲しい人がいたら、ぜひその方へ。ということにしました。
なんだか、寂しい。
だけど、手放すということは、
また新しい何かが入ってくるということ。
春はもう すぐそこまできています。
手伝いに来てくれた兄が、帰りがけに
思いがけないことを言い出しました。
「そうそう、お父さん、治療院のどこかに、へそくりを隠したから
みんなで俺が死んだら宝探ししろやって言ってたんだよね。」
えーーー!
「でも俺探したんだけど、見つからなかった。どこに隠したんだろうなーー」
えーーー!!独り占めしようとしてたの?!笑
「お父さんらしいね。そんなお茶目なことするなんて」
母と兄と私とで、宝探しを始めましたが、中々出てこない。
「お父さん、どこに隠したのか教えてよー」と仏壇に声をかけながら
探し始めてしばらくして
カルテのボックスの間に、お財布を発見!!
開けてみると、、、
「あったーーー!!!」
でも、本当にこれがその正体なのかは謎。
へそくりをお財布にいれとくかな?
ただお財布に入れといたの忘れてたんじゃないか?!
謎はまだ解けませんが、
楽しませてくれたお父さんに感謝です。
ありがとう お父さん。
ゆっくり休んでね。
2011年02月21日
テレビとストレス
例えば
久しぶりに会った友達と
楽しくお茶をしたり
今ここでない世界の誰かに思いをはせたりすることは
自分の感情とうまく付き合いながら
相手のことを簡単に思いやれたりする。
例えば
海の向こうからやってきた食べ物や衣類に
毎日お世話になってるけれど
それを作った人や運んできた人の生活のことまでは
関係ないような気がしてしまったりする。
ある意味「無責任」でいられる「距離感」
というのがこの世にはあるんだろうなって思う。
それとは逆に
家族だったり
友人だったり
恋人だったり
仕事仲間だったり
誰でもいいんだけれど
一つ屋根の下
一緒に食卓を囲む相手となると
ぐっとその「距離」が近くなってきて
「無責任」ではいられない部分がでてくる。
私は家族との関係において
常々 「社会の縮図みたいだな」と感じている。
社会の縮図であり、世界の縮図でもある。
人間は、身近なところから
すべてを学ぶことが出来るなと、
さんざ旅をしてきてなんだけど、
ああ、ここにこそ。か。と思ったりする。
「隣人を愛しなさい」
とマザーテレサは言った。
インドでマザーハウスのボランティアに行ったことがあるけれど、
そこからもいろんなことを学んだけれど、
結局のところ、マザーが教えてくれたことの意味が
実家で家族と暮らすことにより
しみじみと分かるようになってきた。
隣人との人間関係は
お互いの精神状態とのバランス
好きなものと嫌いなもののバランス
思いやり
シェアのこころだったり
簡単に日本人的に言うと
「和」のこころ が
色濃く目の前に日々現れてくる。
まるで鏡のように
自分の行いがすぐ手にとって現れてくるので
びっくりすることもある。
昨夜
夕ご飯のときに
久しぶりに母親と喧嘩になってしまった。
喧嘩になる前触れというのは
なんとなく感じてはいた。
私がではなくて
母が私に対して、「何か言いたげ」な表情とオーラを出していた。
その「何か」を、ぐっと我慢しているな。というのを
ここ数日いくつかのタイミングで私は感じていた。
「なんだろう。私何かしたかな?」
部屋が散らかっていたのをそのままにして
仕事へ行ったことだろうか。
布団を干したままにして
日が暮れてから帰ってしまったことだろうか。
それとも、、、
色々怒られそうな原因の種は私をいくつか持っていた。
でも、それもそうなんだけれど、
今回はそれとは少し違う種だった。
夕飯のとき、母がテレビが赤ちゃんに及ぼす関係についての番組を見た
という話になって、
私が
「どういう内容だったの?」
と聞いた。
元々私はテレビを必要としていないタイプで、ほとんど見ない。
たまにおもしろそうな内容の番組とかがあれば、タイミングがよければ見る程度。
ちなみに今月はまだ一度もテレビを見てないない。
なければないで、全然結構。
テレビに対して執着がないという理由と、赤ちゃんや子供にとって、テレビはあまり目やカラダに良くないんじゃないかというのもあって、あうらからもテレビを遠ざけていた。
私は生まれて8ヶ月の人間に
どう考えてもテレビは必要とは思えなったし。
タイからあうらを連れて帰ってきたばかりの頃なんて
タイで電気が少ししかない生活をしていたもんだから
家がまぶしくて仕方なくて、薄暗い部屋にわざわざしてもらったりしていた。
(今はもう、普通に暮らしているけれど。)
日本で普通に暮らす親にとっては、
そういう娘の行動は「変」なものに映ってしまっていたようだ。
「別に親と一緒に会話をしたりしながら見る分にはいいみたいよ。」
テレビのおよぼす影響の番組を見た母から返ってきた返事だった。
「ふーーん。でも、うちはちょっとテレビが大きすぎるし、ニュースとかのカメラマンのフラッシュとか
連続で映ってるときとか気をつけないとだね。私でもまぶしすぎるよ。気持ち悪くなるもん」
と私。
「そうかなあ?気にしすぎじゃないの?」
と母。
うちのリビングにあるテレビは大きい。
これは父が生前買ったもの。
目が不自由だった父は、大きい画面でないとよく見えなかった。
一日中マッサージの仕事をして、特に外出も出来なかった父の
唯一の楽しみの一つが昔からテレビだった。
テレビは父の大事な娯楽であり、そして情報源でもあった。
よく私は父に言われた。
「ニュースをちゃんと見たほうがいい。世界で何が起こってるか、ちゃんと知っておいたほうがいい」
父は、よくニュースを見ていた。
政治にも詳しかったし、世界で起きている色んな問題にも詳しかった。
だけど、なんでいつも夕ご飯のときに
誰かが殺された話や、世界の悲しいニュースや
政治家の口論やらを見なくてはならないのかは私は疑問だった。
私は今ここにあるご飯を
おいしく食べたり、
今日あった出来事をみんなで楽しく話したりすることのほうが
大事だと思っていた。
「テレビがうるさくて嫌」
私はよくそう思った。
でも父にとっては
一日仕事をして、ニュースの時間がちょうど夕ご飯の時間と重なってるし、
世界と繋がるためのひとつの方法でもあったのだし、
ショウガナイことだったんだと今は思っている。
ひとつ屋根の下
その人の好き嫌いとのバランス
自分を優先させるのか
相手を思いやるのか
そこのバランスがどうもまだまだ
私には出来ていなかった様だ。
どこでどう折り合い点を見つけていくかが
家族のあり方であり、
社会とのあり方であり、
世界とのバランスでもあるのだと思う。
今回の母との喧嘩も そこ だった。
「お父さんが欲しいって言ってがんばって買ったテレビを、今度はあんたが必要ないって言って、
お母さんだって見たい番組あるのに、あんたがあうらには見せないでって言うし、
お母さん、自分の家にいるのにどうしてこんなに気を遣かわなくちゃいけないのよ?
息がつまる。さんざ我慢して生きてきたんだから、もう我慢して生きるのはうんざりなのよ。」
さっきまでおいしかったごはんの味が
まったく消えていくのを感じた。
どよーーーーん。
そうか、、、。
そうだよね。
その大きなテレビが家に来たのは
私がインドの旅中だった。
インドは、裕福な家以外は、
小さな小さな日本の昔チャンネルを手で回すようなテレビみたいので、
近所の人を集めてみんなでわいわいとテレビを見てるような感じである。
それが日本の自分の家に帰ったら、
めちゃめちゃ大きな薄型の最新のテレビがどどーーんとリビングにあるのを見て
腰を抜かしたのを覚えている。
「これ、いくらしたの?!」
すごい金額だった。
私が半年間インドにいた生活費よりも全然高かった。
でも、旅に行けない父にとって、
大きなテレビで映画を見たり、ニュースを見たりするのは
最高の贅沢であり、癒しの時間だったのだろう。
でも私とは、そこの感覚が合わなかった。
ニュースの多くが 海外の恐ろしい出来事や起こっているデモやら災害
ばかりを流すものだから、長野から何十年も離れた事のない父や母にとっては
「海外は怖いところ」というイメージが強い。
私が実際、歩いてきたインドと、両親がテレビで見た「インド」は
あきらかに違っている。
私は小さい頃、テレビは嘘をつかないと思っていたけれど、
テレビは嘘をつきまくっている。と大人になってから知った。
もちろん事実も写している。
いい番組もあると思う。
雑誌でもテレビでもメディアでも人との関係においても、
やはりすべてをまるまる信じてしまうというのは
気をつけなくてはならない。
情報にただただ、流されないこと。
流されやすい私にとっては大事な練習だ。
そして色々な情報ばかりに目を白黒させるのではなくて、
自分のまわりに起こってることや、
自分の体験している今ここ、
自分が興味のあるファクターと 「的」をある程度絞って
情報に溺れないことが大事だとなとも思っている。
窓口を広げすぎると
結局 すべてが中途半端で終わっていくだけな気がする。
自分の人生の学びにおいて必要なことは
必然と自分の足元に転がっている。
そうやって私は自分自身の生活スタイルをシフトしてきた。
でも一方で、そういうある意味テレビ好きな両親からしてみてれば
私のテレビへの気遣いはストイックなものであり、
迷惑な話であったのだろう。
父も母もやさしい人なので、私の「テレビは見ない」という気持ちを
優先させてくれていたのだった。
しかし、両親は見たいのをしぶしぶ我慢していただけであって、
私は「テレビ」というものを彼らから遠ざけ、
「見ない」ことを押し付けてしまっていたようだ。
「お母さんは短い人生、もう誰かのために我慢して生きるのは嫌なのよ。
あんたは自分の好きなことをして楽しく生きてるかもしれないけれど、
お母さんはあんたの言う事を聞いて、なんで我慢しなくちゃいけないの?
フェアじゃないじゃない。あんたはいろんなことをして、いろんな人とあって、
色んな情報を得てるかもしれないけれど、お母さんにとっては、
テレビは大事な情報源であって、楽しみでもあるのよ」
父が去年の末亡くなるまで、
母はずっと家族のため、そして父のための人生を送ってきていた。
目が不自由だった父の足にもり、手にもなった。
そして私たちが困らないようにと、いつも先まわりして色々
助けてくれた。
父の看病が終わると同時に
母はある意味、やっとこ「自分」の人生と向き合うときが来たのだった。
それなのに、今度は私が赤ちゃんを連れて実家に帰ってきてしまったものだから、
母はまた 「自分」の人生を抑えて、私やあうらのために時間を割いてくれてる。
もちろん、かわいい孫といれる時間と言うのは母にとってもうれしいことだったり
心の支えではあると思うけれど、
そうじゃない面もあるんだと思う。
私は少し、母のやさしさに甘えすぎていたなと反省した。
そして何より有害なのは、テレビの悪影響ではなくて
私が私の考えを押さえつけてしまっているという
母に対ししての「ストレス」であったと思ったのだった。
一緒に暮らすことというのは
お互いへの尊重があってこそ。
尊重というのは何かと思ったときに
私から出た答えは
「相手が大事だと思っていることを大切にすること」であった。
それは初めて訪れた異国の地でも同じ事。
そこで生きている人の文化、宗教、食べ物
そういったものを大切にすることは
とても大事なことだと私は旅を通して感じたことだった。
それは近い存在である母と私においても
同じ事。
一晩寝て
出た答えを
朝ごはんのときに 母へ話した。
「お母さんが好きなように生きることが大事だから、
テレビも我慢しないで見ていいからね。
ただ、あうらちゃんがそばにいる時は、テレビにあまり近づけないでね」
すると母は、
「あんたが母親なんだから、娘がテレビの近くにいたら離れさせるようにしなさいよ。
人に頼らないで。でもお母さんは見たい番組がある時は自分の部屋でテレビを見るからいよ。」
とのこと。
ほ。
少しだけごはんがおいしく感じられました。
他にもテレビ以外に、私と母の生活において色々と価値観が合わないことは多々あって、
そこの話し合いもついでに済ませ、
なんとか和解への道を辿りました。
私は今回の喧嘩で
嬉しかったことがある。
母が 「自分の人生を歩みたい」 と 強い意志で突き進んでいること。
私は小さい頃から、母は家族の犠牲になっているのではないかと
不安に思っていた。
自分のことを優先に出来ない、やさしすぎる人柄なので、
これからはどんどん、自分のために生きて欲しいと願うのだった。
そのためにはまず、私がちゃんと自立しなくては
いつまでたっても母が心配してしまうので、
私はがんばっていかなくちゃ。
せっかくこの世に生まれてきた命として、
ついこの間生まれたばかりのあうらも
58歳である母も
等しいものなのだから。
貴重な時間を、ぜひ母らしく生きて欲しいと思う。
そして私はそんな母の生き様を見たい。
頭でっかちになると
ついつい本当に大事なものを見失いがちだ。
私はすぐ偏ってしまうので
そこをいつも気がつかせてくれる母に
感謝したいと思う。
たまにはお互いの気持ちを言い合わないとね。
たとえ価値観が違っても、センスが違っても
好きなものや嫌いなものが違っても、
その人が、好きなもの、大事にしてることを大切に思えるという力は
愛だなって思う。
そこを否定したり、比べたりすると
おかしなことになる。
でも 自分が大事にしてることが
誰かを傷つけていたり、
環境を汚染していたり、
未来を暗くするようなものだったら、
それは考え直す必要があるんだと思う。
ちなみにトップの写真は
インドのリシケシにて。
子ザルに足を噛まれ、
それを見ていた家族が 暖めたギー(ヤギの乳)とターメリックを混ぜて手当てをしてくれました。
ありがとうの記念写真。
この大家族で
ひとつの部屋で暮らしてました。
とても暖かい暮らしだったなあー。
2011年02月11日
お雛様
雪でしたね。
寒い一日でした。
みなさん、今日も一日お疲れ様です。
まほうのしずくは今日はさんぼさんにお任せして
私は家で色々と仕事をやっておりました。
最近あうらが、なぜかしつけてもないのに
食卓の隅のほうに一人でハイハイしていって
そこで必ずうんちをするようになりました。
最初はまぐれかなって思ってたんですが、
最近は家にいると必ずといっていいほど
そこに出向いて ぶぶぶーっと。(あら失礼)
8ヶ月頃の赤ちゃんて、
そういうことが出来るようになるんでしょうか?!
オマルでも置いてみようかな、、、!
正直最近ついに
オムツがめんどくさくなってきました。
6ヶ月までは布おむつオンリーで頑張ってきましたが、
動き回るようになってからは
紙おむつも使うようになりました。
本当にゴミも沢山出るし、無駄だなーって感じます。
オムツはそろそろ卒業したいなあ。
さてさて、今日はお雛様を飾ってみましたよ♪
お雛様は私の母方のおじいちゃんが
29年前に私のために贈ってくれたものです。
小さい頃は一緒に飾ってましたが、
ここ数年、この時期はいつも日本にいなかったり
実家にはいなかったりで
いつも父が飾ってくれていました。
父は昨年の12月に、この世を去ってしまったのですが、
毎年毎年、どんな気持ちで飾ってくれてたんだろうなーと思うと、
箱を開けたとたんに、胸が熱くなりました。
今日は二回目の月命日だったので、この日に飾りたかったんです。
今年は、私がちゃんと飾ろう。
母にあうらを抱っこしてもらい、
色んな思い出話しに花を咲かせながら飾りました。
「お父さん、絶対毎年ちゃんと飾ってくれてたよね。なのに私は
全然、興味しめさなかったよねー。悪い事してたなあ。」
私も29歳、お雛様も29年たち、
少しばかり髪の毛がほつれたりして
ちょっとかわいそうな感じになっていました。
おじいちゃんが私のためにと買ってくれた気持ちも
親になってみて初めてよく分かって、
毎年父がちゃんと飾っていてくれた気持ちも
痛いほど感じて、、、
反省と感謝をこめて
お雛様の髪の毛や衣装を整えました。
それにしても、豪華な装い。
昔の貴族の人は、こんなにも布を重ねて
色を楽しんでいたなんて
すごいなあ。と感じながらも、
多分私がこの時代に生きてたら、きっと農民だったろうな。
なーんて感じたり。
お雛様って、そもそもどんな意味があるのか
みなさんはご存知ですか?!
実は私、この歳になるまで知りませんでした。
先日あーちゃんのためにお雛さまを人形屋さんに見に行き、
そこで色々と説明を聞きました。
女の子の誕生を祝ってかなーくらいにしか考えてなかったんですが、
調べてみたら、
「娘が素敵な結婚が出来ますように」的なものだったんですね。
お雛さまの下の赤い絨毯は
病気や悪いものを寄せ付けないためのものなんですって。
小さい頃からどう見ても、私はお雛様より
楽器をもっておかっぱ頭の 「ごーにんばやしの笛太鼓ー♪」方だと感じていました。
ちゃんと小さいころから、
自分のポディションを心得ていたのですね。笑
赤い絨毯に お雛様の白さが
まるで窓の外の雪のようで 美しかったです。
出来るかなー いつか。
結婚。
タグ :お雛さま
2011年02月04日
心 新たに
今朝、いつものように朝ごはんを作り
母とあうらとごはんを食べ
こたつでお茶タイムをしていたときのこと
母とこんな話をしました。
「夜中の二時にぱっと目が覚めちゃって寝れなくなったから
川柳を考えてみたの」
と母。
「へえー、どんなの考えたの?」
「それが中々傑作なのよ。見て見て」
メモ用紙にずらりとならんだ 川柳の数々。
というわけで
一番面白かったのを載せてみます。
「 家族写真 面白いのは 家族だけ 」
いかがでしょうか。
胸に響きましたでしょうか。
昨日は新月。
新月は新しいことをスタートするにもってこいな時。
昨日はあうらの前髪を切ってみました!
おんざまゆげです!!
まるかった顔が更に丸くなりました~~♪
おんざまゆげ って今思ったんですけど、
on the まゆげ ってこと ですよね?
ですよね??
誰かが考えた和製英語ってやつでしょうか。
では、心新たに!
今日もがんばりましょう~~!!
2011年01月22日
物について考える。
人は死んだら
この世で手に入れた物というものはすべて
この世に置いていかなければならない。
がんばって何かを手に入れたとしても
結局それってこの世での人生に幕を閉じたら
嫌でも置いていかなくちゃいけない。
人が天に持っていける「物」なんて
この世にはなにもないってことかな ?
もしも物という物が 本当に大切だとしたならば
きっと死んだ後も持っていけるはずではないかと
なんとなく思ったのだった。
でもそれはこの世のルールでは一応ありえないことになってる
なんでだろーなあ
肉体というものがあって始めて必要になる物
魂だけになったら
必要ない物
自分の手にとれるものは全て置いていかなくてはならない。
けれど、手にとれないものは持っていけるのだとしたら、
やはり本当に大事な物は、目に見えないのかもしれない。
物というのは 人生を楽しむため
そして何かを学びえるための道具(アイテム)にしか
過ぎないのだろうか。
だとすると
やはり物に支配されお金のことしか考えられなくなってしまった
人間というのは愚かなのだろうか
大切なものは
その物に宿る想いであり 思い出であり 気持ちであり
それを手にいれるための経過であり
その物を手放す時の学びであり
見栄を張るだけ プライドのためだけの表面的なブランドじゃなくて
もっと奥にある見えないものなのかな。

私はインドで
イスラエル人の女の子から
その子がずっと持っていたある大事な石を貰った
その石は
その辺の川原に落ちていたらそこにあるただの石だけど
私はその石を彼女からもらった瞬間から
彼女の想いを石を通して感じて 大事に思うのと同じように
物にも 人の気が宿り 想いが宿る
生きていくために
人生に本当に必要な物って
一体どれくらいあるだろう
捨てられていく物
拾われる物
いらない物
足りない物
欲しい物
わがままだ物
死んだ人が残していったもので大事なものって
知恵だったり 絆だったり 優しさだったり
言葉だったり 音楽だったり 生き方だったり
見送る人に対して
本当に大事な人生のお土産って そういうものだなあって
父が死んだとき
私は父からもらった数々の言葉が
胸に沢山浮かんできた。
そして父が私にくれたプレゼントを見ては
そのときの思い出を想いだした。
父が作ってくれた家具や、
父が座っていた椅子などを見るたびに
どんな風にそこの椅子に座っていたかとか
どんな会話をしたなあとか、
どんな表情をしてテレビを見ていたな、とか
ふっと思い出し 心が熱くなる。
そして人生に与えられた目に見えない大切なもの。
人生って
学びだから
どんなことがあっても
それを生き抜くことがとても大事だから
その中で
どれだけ自分に与えられた課題というギフトを
楽しく受け入れてばねにしていくかだなって。
「物」にはストーリーがある。
地球がその素材を生み出してくれるまでの物語
人がそれを紡ぎ、創り出すまでの物語
そしてそれを手渡す人の物語
それを使う人の物語
そしてそれを捨てる人
それを燃やす人 それを拾う人
何百年と続く物から
一回きりで失われていくものの物語。
物を売る人として、
私はどんなものを、どんな風にして
それを待つあなたに届けたいか。
とっても大事なことだと思うのです。
ただの消費社会の一員ではなくて、
売りたいだけの、セールスマンではなくて。
私は
素材を生み出してくれた自然も、
それを育ててくれた人も、
創ってくれた人も、
それを欲しくて買ってくれた人も
みんながハッピーでいられることを祈っています。
みんなが、その物に寄り添っている時間があるわけで、
その時間がその人にとって、愛おしい時間であることを願います。
まほうのしずくに置かせてもらう品物は、
そんな暖かい気持ちが感じられるものを集めたいな。と思っています。
ごはんだって、
作ってくれた人がすっごい怒りながら作っていたり
泣きながら作っていたら、
食べてもなんだかおいしくないですよね。
きっとそれと同じなんだと思うんですよね。
どんなに素敵な物を発見しても、
店員さんがすっごい不機嫌だったり、適当な接客をされたりすると、
それだけで、せっかくのうれしい気持ちが半減したりしますよね。
私はそういうタイプなので、
ごはんも、物を買うときも
結構、店員さんとの愛称をみたりしちゃいます。
インドやタイを旅してるときも同じです。
まったく知らない土地、地図も持たずに何を頼りにするかって、
おばちゃんの気さくなやさしい笑顔だったり、
手の厚さだったり、皺の数だったり、
真剣そうなまなざしだったり。
人を見てお店を選ぶと、失敗はないです。
逆に、多少のことは性格と笑顔でカバーされているともいえますが。笑
まほうのしずくをオープンするにあたって、
私も沢山の人とモノを通して出逢うことになります。
それはとても嬉しいことですし、
きっとまた色んな学びがあると思います。
タイやインドで出逢った
かわいいおばあちゃんたちのように、
わたしも笑い皺を沢山つくることの出来るように、
私らしく、がんばりたいと思います。
来てくださった人みんなが
なんだか気が楽になれる場所を目指したいと思うので
どうぞ、よろしくお願いしますね。

この世で手に入れた物というものはすべて
この世に置いていかなければならない。
がんばって何かを手に入れたとしても
結局それってこの世での人生に幕を閉じたら
嫌でも置いていかなくちゃいけない。
人が天に持っていける「物」なんて
この世にはなにもないってことかな ?
もしも物という物が 本当に大切だとしたならば
きっと死んだ後も持っていけるはずではないかと
なんとなく思ったのだった。
でもそれはこの世のルールでは一応ありえないことになってる
なんでだろーなあ
肉体というものがあって始めて必要になる物
魂だけになったら
必要ない物
自分の手にとれるものは全て置いていかなくてはならない。
けれど、手にとれないものは持っていけるのだとしたら、
やはり本当に大事な物は、目に見えないのかもしれない。
物というのは 人生を楽しむため
そして何かを学びえるための道具(アイテム)にしか
過ぎないのだろうか。
だとすると
やはり物に支配されお金のことしか考えられなくなってしまった
人間というのは愚かなのだろうか
大切なものは
その物に宿る想いであり 思い出であり 気持ちであり
それを手にいれるための経過であり
その物を手放す時の学びであり
見栄を張るだけ プライドのためだけの表面的なブランドじゃなくて
もっと奥にある見えないものなのかな。
私はインドで
イスラエル人の女の子から
その子がずっと持っていたある大事な石を貰った
その石は
その辺の川原に落ちていたらそこにあるただの石だけど
私はその石を彼女からもらった瞬間から
彼女の想いを石を通して感じて 大事に思うのと同じように
物にも 人の気が宿り 想いが宿る
生きていくために
人生に本当に必要な物って
一体どれくらいあるだろう
捨てられていく物
拾われる物
いらない物
足りない物
欲しい物
わがままだ物
死んだ人が残していったもので大事なものって
知恵だったり 絆だったり 優しさだったり
言葉だったり 音楽だったり 生き方だったり
見送る人に対して
本当に大事な人生のお土産って そういうものだなあって
父が死んだとき
私は父からもらった数々の言葉が
胸に沢山浮かんできた。
そして父が私にくれたプレゼントを見ては
そのときの思い出を想いだした。
父が作ってくれた家具や、
父が座っていた椅子などを見るたびに
どんな風にそこの椅子に座っていたかとか
どんな会話をしたなあとか、
どんな表情をしてテレビを見ていたな、とか
ふっと思い出し 心が熱くなる。
そして人生に与えられた目に見えない大切なもの。
人生って
学びだから
どんなことがあっても
それを生き抜くことがとても大事だから
その中で
どれだけ自分に与えられた課題というギフトを
楽しく受け入れてばねにしていくかだなって。
「物」にはストーリーがある。
地球がその素材を生み出してくれるまでの物語
人がそれを紡ぎ、創り出すまでの物語
そしてそれを手渡す人の物語
それを使う人の物語
そしてそれを捨てる人
それを燃やす人 それを拾う人
何百年と続く物から
一回きりで失われていくものの物語。
物を売る人として、
私はどんなものを、どんな風にして
それを待つあなたに届けたいか。
とっても大事なことだと思うのです。
ただの消費社会の一員ではなくて、
売りたいだけの、セールスマンではなくて。
私は
素材を生み出してくれた自然も、
それを育ててくれた人も、
創ってくれた人も、
それを欲しくて買ってくれた人も
みんながハッピーでいられることを祈っています。
みんなが、その物に寄り添っている時間があるわけで、
その時間がその人にとって、愛おしい時間であることを願います。
まほうのしずくに置かせてもらう品物は、
そんな暖かい気持ちが感じられるものを集めたいな。と思っています。
ごはんだって、
作ってくれた人がすっごい怒りながら作っていたり
泣きながら作っていたら、
食べてもなんだかおいしくないですよね。
きっとそれと同じなんだと思うんですよね。
どんなに素敵な物を発見しても、
店員さんがすっごい不機嫌だったり、適当な接客をされたりすると、
それだけで、せっかくのうれしい気持ちが半減したりしますよね。
私はそういうタイプなので、
ごはんも、物を買うときも
結構、店員さんとの愛称をみたりしちゃいます。
インドやタイを旅してるときも同じです。
まったく知らない土地、地図も持たずに何を頼りにするかって、
おばちゃんの気さくなやさしい笑顔だったり、
手の厚さだったり、皺の数だったり、
真剣そうなまなざしだったり。
人を見てお店を選ぶと、失敗はないです。
逆に、多少のことは性格と笑顔でカバーされているともいえますが。笑
まほうのしずくをオープンするにあたって、
私も沢山の人とモノを通して出逢うことになります。
それはとても嬉しいことですし、
きっとまた色んな学びがあると思います。
タイやインドで出逢った
かわいいおばあちゃんたちのように、
わたしも笑い皺を沢山つくることの出来るように、
私らしく、がんばりたいと思います。
来てくださった人みんなが
なんだか気が楽になれる場所を目指したいと思うので
どうぞ、よろしくお願いしますね。
