2011年11月18日
人生のパートナー
もしも
この世の常識が
目が覚めたらまっ白になっていたら
人間はどんな風に生きて行くだろうか。
と、たまに考えたりする。
それは特に 「結婚」
という形について。
私は小さいころからずっと「結婚」という関係について色々感じていて
結婚という実態がうまくつかめないまま
気が付いたら 結婚しないで子供がいる生活を送っている。
もしも まっ白になったら。
あなたならどうしたいですか?
好きな人と
一番近くにいることだけが
人生ではないけれど、
愛する人たちと助け合って
お互いを生かし合って生きていけたら
それってすごく幸せなことだよね~~。
家族みんなが一緒に住める時間も
考えてみたらそんなに長くないんだよね。
娘が
ぞうきんをかけてる私の背中に ぎゅーっと抱きついてきた時
ものすごく
ものすごく
幸せで、
ああ 幸せって、
やっぱりぬくもりの温度と同じ温度なんだなーって
思いました。
大好きな人とは
やっぱりたくさん くっついていたいね。
夫婦のみなさん
カップルのみなさん
長年 手すら繋いでないなんていう状態は
やはり寂しい!!
どんどん
生きてるんだもん
おたがいの体温を感じて
LOVEを深めましょう~

カラダに触れることって
すごく大事なことだって
私は思います。
独り身のみなさんは
歌って踊って
暖まりましょう~~

私のことですけど~~ (笑)
人だけじゃないよ。
自然とも
動物とも
ぬくもりを感じ合えることは沢山あります

寒くなりましたね。
まほうのしずくで 暖まっていってくださいね~

2011年10月28日
一緒にいる時間

太陽が、きらっと。
朝のひととき♪
昨日は色々やりたいことがありすぎて、
朝からずっと どれからやろうかと考え、計画をメモしていたんだけど
結局 ぼけーっとしていてわからないままだった。
どうやら昨日の冷えが原因か、
カラダもだるくて、頭痛もひどく、吐き気まで~~。 (;一_一)
アジアンにネパールから届いた商品を見に行くのを
すごく楽しみにしていたのに、、、カラダは Don't go サイン。
最近忘れ物も多かったり、
探し物が見つからなかったり、
色々なものが壊れたり、、、。
これらのことが私に何を教えようとしてくれているのか?と考えたところ
お風呂に入りながら ふと
「 ものごとをひとつひとつ、しっかりと見ていない自分 」
に気が付くことが出来た。
多分、頭の中が忙しすぎて、からだも魂も追いついてない。
もともとのんびり屋さんな私なくせに、欲張りすぎたかなーー。
物を探すときも、目の前にあるのに、
わたしにはまったくそれは見えてなかったりする。
それって、モノだけじゃなくて、気持ちにもいえること、、、だよね?
目の前にある大事な気持ちを、置き去りにしていたり。
人の気持ちに気が付けてなかったり。
「ちゃんと目の前にあるものに、意識を向けなさいよ」
という、メッセージだったのかな。
新月の日に、こういうメッセージに気が付けたのは、いいスタート。
それにしても授乳中のおっぱい、乳腺がつまってしまっていて、痛い。(>_<)
最近何たべてたかなーって考えてみるけど、そんなに悪くはなかったと思うけど、
乳腺が詰まるってことは、ちょっと見直さなくてはなぁ。
ジャガイモ湿布(ジャガイモをすったものと、お酢と小麦粉をパスタにしたもの)を痛いところに張っていたら、
どうもあーちゃんが匂いが嫌だったみたいで、おっぱいが飲みたいのに飲めない!と怒って
わーわーと泣いた。鼻水が滝のように出て、ちょっとそんな泣きっ面がかわいかった。
「いつものママのおっぱい♪」 ではなかったことに、ちゃんと気が付くあたり、すごいねえ。
このまま、おっぱい卒業なるか?!とおも思ったけれど、
お風呂からあがったら、ちゃんと吸ってくれました。
やっぱり、おっぱいを吸ってるあーちゃんが、愛おしくて愛おしくて。
まだ、やめれない~~。
でも、いたずらで噛むのはやめてほしい~~。ほんとに、痛い。
痛いと言うと、更に笑って噛む。。。
私の痛がる顔が好きらしい、、、。
あーちゃんの将来が、ちょっと心配になったり。(笑)
さ、今日はフルパワーではないけれど、
地味に動けそう。
目の前のものをいっこいっこ。
ではでは、素敵な10月28日をお過ごしくださいませ♪♪
2011年10月10日
人生は友と共に
10月8日から9、10と
私の大好きな友人と
濃密な時間を過ごしていました。
一人は
5年くらい前
バリで出逢った友人。
月があまりにも美しい夜に出逢った人です。
突然まほう屋に来てくれて
驚かせてくれました。
数年ぶりの再会。
その友人は最近少し元気がないということだったけれど
そんな中、長野まで私に会いに来てくれたこと
すごく嬉しかったし、
こうやって、人生の途中途中で
お互いの魂の成長を抱きしめあえるというのは
とても幸せなことだと思うのです。
あの頃の自分と今の自分
そして時代の変化
時の流れ
すべて同じものは一つもないけれど、
思い出は写真以上に美しく
心に宿っています。
あの日の私たち
森にうかぶ月の輪
朝の温度と霧
いつまでも続く雨の音と共に
感じる体温
ガムランの音が生み出す螺旋模様
人と人との間には、色んなドラマがありますね。
そしてもう一人。
東京から毛糸でぼんぼん作りのワークショップをしに
来てくれた麻生さん。
「まほうのしずくが出来たら、ぼんぼんつくりのワークショップを」
という夢が叶いました☆
色々なことを共感できるとてもいい友達、
そして私の尊敬できる人の一人です。
二十代の頃の共通点として、
私たちはさんざ色々旅をしていました。
一緒に旅をしたことはなかったけれど、
インドは私と麻生さんのポイントの場所かな。
その中で麻生さんはインドの修行僧babaが持つ
bababag作りをインドで学び、
そして彼女のオリジナルを交えて生み出され続ける
作品は、どんどんパワーアップしています。
彼女が見てきた、彼女の魂から覗いた世界の色が
そこには反映されているのだろうなあと思います。
ひとつのバッグを仕上げるのにかかる時間は
だいたい二ヶ月くらいだそう。
一日で仕上がるバッグもあれば、
二ヶ月かかって出来るバッグもある。

その手と時の流れの間にあるものは、
とてもかけがえのないものの様に思うのです。
彼女と色々な話をしていると、いつも自分を見つめなおすことが出来ます。
刺繍を丁寧に縫うように
人生を生きる彼女が私は大好きです。
いい3日間でした。
明日はお店にいますよ。
私の大好きな場所。
まほうのしずくに。
自分のやりたいことを仕事にして、みんなを笑顔にしたい。
そう思っていたけれど、中々それが出来なかったあの頃。
旅立つ私に父は
「逃げてるんじゃないのか?」
とよく言いました。
「私には見たいものが沢山ある。この足で感じたいことが沢山ある」
そう言ってきたし、それも本当だけど、
基本的な土台がなかった私は、大きなことは言えなかったな。
確かに、日本から逃げたい自分がいたのは確かです。
でも、自分は日本を選らんで生まれた。
自分が生まれた国が嫌いなんて寂しいなって思うんです。
何がじゃあ嫌いなのか、色々言い訳なら沢山並べられるけれど、
そうじゃなかった。
自分が変われば、自分がいる世界はどんどん変わっていくことを
ここ数年で体験してきました。
旅の中からも沢山のことを学びました。
様々なパーティやお祭りからも。
それはそれで私の実りとなっておりますが、
またひとつ、フィールドが変わった感じです。
今を、
今日を
いかに楽しむか。
学ぶか。
長野でも、インドでも、タイでも
たぶんどこでもそれは変わらなくて、
どこにいても私は私で、
幸せだってことです。
今日もありがとうございました
そしていつも色々なことを気づかせてくれる
友人たち、仲間たちに感謝です!!
私の大好きな友人と
濃密な時間を過ごしていました。
一人は
5年くらい前
バリで出逢った友人。
月があまりにも美しい夜に出逢った人です。
突然まほう屋に来てくれて
驚かせてくれました。
数年ぶりの再会。
その友人は最近少し元気がないということだったけれど
そんな中、長野まで私に会いに来てくれたこと
すごく嬉しかったし、
こうやって、人生の途中途中で
お互いの魂の成長を抱きしめあえるというのは
とても幸せなことだと思うのです。
あの頃の自分と今の自分
そして時代の変化
時の流れ
すべて同じものは一つもないけれど、
思い出は写真以上に美しく
心に宿っています。
あの日の私たち
森にうかぶ月の輪
朝の温度と霧
いつまでも続く雨の音と共に
感じる体温
ガムランの音が生み出す螺旋模様
人と人との間には、色んなドラマがありますね。
そしてもう一人。
東京から毛糸でぼんぼん作りのワークショップをしに
来てくれた麻生さん。
「まほうのしずくが出来たら、ぼんぼんつくりのワークショップを」
という夢が叶いました☆
色々なことを共感できるとてもいい友達、
そして私の尊敬できる人の一人です。
二十代の頃の共通点として、
私たちはさんざ色々旅をしていました。
一緒に旅をしたことはなかったけれど、
インドは私と麻生さんのポイントの場所かな。
その中で麻生さんはインドの修行僧babaが持つ
bababag作りをインドで学び、
そして彼女のオリジナルを交えて生み出され続ける
作品は、どんどんパワーアップしています。
彼女が見てきた、彼女の魂から覗いた世界の色が
そこには反映されているのだろうなあと思います。
ひとつのバッグを仕上げるのにかかる時間は
だいたい二ヶ月くらいだそう。
一日で仕上がるバッグもあれば、
二ヶ月かかって出来るバッグもある。

その手と時の流れの間にあるものは、
とてもかけがえのないものの様に思うのです。
彼女と色々な話をしていると、いつも自分を見つめなおすことが出来ます。
刺繍を丁寧に縫うように
人生を生きる彼女が私は大好きです。
いい3日間でした。
明日はお店にいますよ。
私の大好きな場所。
まほうのしずくに。
自分のやりたいことを仕事にして、みんなを笑顔にしたい。
そう思っていたけれど、中々それが出来なかったあの頃。
旅立つ私に父は
「逃げてるんじゃないのか?」
とよく言いました。
「私には見たいものが沢山ある。この足で感じたいことが沢山ある」
そう言ってきたし、それも本当だけど、
基本的な土台がなかった私は、大きなことは言えなかったな。
確かに、日本から逃げたい自分がいたのは確かです。
でも、自分は日本を選らんで生まれた。
自分が生まれた国が嫌いなんて寂しいなって思うんです。
何がじゃあ嫌いなのか、色々言い訳なら沢山並べられるけれど、
そうじゃなかった。
自分が変われば、自分がいる世界はどんどん変わっていくことを
ここ数年で体験してきました。
旅の中からも沢山のことを学びました。
様々なパーティやお祭りからも。
それはそれで私の実りとなっておりますが、
またひとつ、フィールドが変わった感じです。
今を、
今日を
いかに楽しむか。
学ぶか。
長野でも、インドでも、タイでも
たぶんどこでもそれは変わらなくて、
どこにいても私は私で、
幸せだってことです。
今日もありがとうございました

そしていつも色々なことを気づかせてくれる
友人たち、仲間たちに感謝です!!
2011年10月05日
20代よありがとう~!!
今日の雨は
なんだか気持ちがななめになりがち。
朝からちょっとすっきりしないし
ハートが閉じてる感じがしていました。
まほう屋を出て、電車に乗って、
本を読んで、
駅について、傘をさして歩き出して。
なんとなく、目を閉じてみました。
傘にあたる しずくの音が、とても綺麗だった。
ああ、やっぱり、憂鬱なのはわたしの心なんだなって思いました。
世界はやっぱり雨だって晴れだって
美しさを秘めている。
家に帰ってあーちゃんを抱きしめて
なんだか急に片付けがしたくなりました。
そしてついに。
手放すことが出来ました!!
どど~~~~ん。

写真を載せるのはちょっと恥ずかしいなあとも思ったのですが、
これ、私の部屋のクローゼットにたんまりと溜め込んでいた
二十歳から今日までの衣類や小物たちです。
この十年の間に、沢山のものを手放してはきましたが、
中々この子たちは手放せなかった。
19歳から東京に6年間住み、そのころ買ったものとか、
インドやタイ、インドネシアで買ったものとか
友人からのお下がりとか、
出てくる出てくる。
基本的に自分が大好きで買ったもの、着ないけどいつか着るだろうと思っていたもの、
ほつれていたり、穴があいてるけど、それをハギレにして何か作ろうと思っていたもの、
とにかく、思い出もあったりで捨てれなかったものたちです。
でも、それは言い訳であって、実はここ数年 身に着けてはいませんでした。
もう充分だなーって思いまして。
30歳になったことだし、20代はもう気持ちよくさようなら~~♪(^ー^)
わたしの節目の日となった様です。
わたしの目指すこれからの女性は、
ひとことでいうと
すっきり☆軽やか

20代は何かと 衝動的で、執着も多く、過去に縛られがちだった。
でもこれからは、もっとひとつひとつ丁寧に。
急ぐのではなくて、速やかに。
そして色々なものを手放して、新しいものを吸収していきたいな。
洋服も使い心地が良くて、しっかりしていて、肌に気持ちがいいものを。
そして美しいものを身に着けたいな。
すっからかんになった衣装スペース。
まだ着れるものもありますが、誰かにあげるほど綺麗でもないので、
ここは一つ、心からお礼を言い、さよならをすることにします。
今まで私のそばにいて、私を助けてくれてきた 洋服たち
本当にありがとう!!
そして、それと共にある思い出も ありがとう。
大事なものはすべて、ハートの中にあるから。
だからもう、さようなら。
とてもすっきりしました。
なんだか 軽くなったな~~。
2011年09月30日
30歳になりました。
9月29日は私カミュの誕生日でした☆
ついに30歳になりました。
まってました30代☆
実りある毎日が過ごせますように。
昨日長野は あっぱれなほどの秋晴れ。
光と風が透き通るほどの美しい一日。
父と母、そして命を繋いでくださったご先祖様に感謝し、
今、私を支えてくださってる家族、友人、お仲間たちみんなにも感謝。
そしてここまで生きてきた
いや、生かされてきた自分へおめでとうを。
風になびくススキがなんだか見たくなって
希望湖へ。
光と水の揺らめきがとても美しかった。
写真が、沢山いいのが撮れたのですが、
パソコンが実は壊れてしまって、アップ出来ず、、、。
取り合えずまた今度♪
自然派まじょ まぁるちゃんのはらっぱノートにもお邪魔しましたよ☆
とっても素敵なところだった~~!まるさんありがとうございました☆
こちらもまた写真は今度♪
沢山の自然の恵を体中に吸い込んだおかげで
美しく歳を重ねられた気がします。
やっぱり、山暮らしいいなぁ~。
次のビジョンはやはりマウンテンサイドだな。
9月、素敵な月でした。
10月もどうぞよろしくお願いしますね

命の繋がりに感謝。
空色カミュ
2011年09月27日
新たな原点へ
こんばんは。
今夜は新月ですね。
長谷寺さんでの秋分祭が終わってから
なんだか色々なことがまた自分の中で動き出していて、
ちょっと興奮気味。
しかしながら昨日の寒さに体が追いつかなくて、
ちょっと風邪気味です。
今夜は、体もこころも、少しだけお休みが必要な気がしています。
でも、忘れたくない感覚を書き残しておきたかったので、
パソコンに向かっております。

長谷寺さんでの秋分祭で、
私は新たな原点に戻ることが出来た。と日記にも書いたんですが、
それについてちょっと。
基本的に、私は野外が好きです。
見上げると空がある。
ただただ 大きな空があるのです。
空の下にいると、なんだかそれだけで安心します。
まほうのしずくのブースを広げて
風を感じながら空の下で来る人を待つというのは
なんだかとても幸せな時間でした。
私たちは地球に生まれて、地球にある素敵な植物や物に囲まれて、
それに惹かれた人がなんとなく足をとめて
「こんにちは」
「こんにちは」
って挨拶して。
みんな、ひとりひとり、心の中にはいーーっぱいおもしろいものが詰まっていて。
だけど、それをすぐにすべて知ることは出来なくて。
もしかしたら、その人のすべてなんて
一生かけても知り尽くすことが出来ないことかもしれないけれど。
でも重なりあった瞬間を楽しむことは、神さまは許してくれている。
生きてきた歴史も、場所も、環境も違うんだけど、
今というときを 共感しあうことが出来きる私たち。
人と出逢うという瞬間が、とても愛おしく感じます。
もしかしたら、もう二度と会うことがないかもしれない。
でももしかしたら、また会うのかもしれない。
人間は生きてる間に、出逢ったり別れたりを何度も何度も繰り返して
そうやって一生を終えていくのなら、
出逢いという瞬間が、とても愛おしくて楽しくてわくわくして、
生きてるっていいなーって思うのです。
「生きてるっていいなーっ♪」ていう歌、今頭の中にあります。分かりますか?!
私の原点には、
道売りがあります。
その昔、二十代前半ころでしょうか。
井の頭公園でよく、自分の描いた絵や小物などを売ったりしていました。
地面に一番近いところからは、色々な人の足元が見えました。
焦ってる人とか、ムキになってる人とか
無気力になってる人とか、
欲に向かってる人とか、悩みをどっさり抱えこんでる人とか
気楽に生きてる人とか
みんな足もとを見ると分かってしまうんです。
公園には、色んな人がいました。
ある意味、世捨て人な人との出逢いが私には強烈で、
色んなことをそこから学ばせて頂いたいたりもしました。
大好きだったなー。
空の下、のんびりと、お店を広げて。
私が楽器を覚えたのも、井の頭公園でした。
沢山のさっきあったばかりの人たちと、
私はその瞬間瞬間を楽しみ過ごしていました。
私の原点はそこなので、今こうしてまほうのしずくというお店をやり
運営していくっていうのも、根の部分ではやはり道売りのような
気楽な感じからきています。
お高いプライドを張ってやるような店にはしたくないのです。
「こんにちは。気持ちがいい日ですね。歌でも歌いましょうか?」
そんなノリなんです。
秋分祭ではそんな ノリをしみじみと思い出させてもらいました。
この前載せさせてもらった写真も、
そんな嬉しさからきています。
みんなの笑顔、素敵だったでしょ?!
私がお店をやってるのは
物を売りたいのではなくて、
たぶん、物を通して
あなたと出会えたことを楽しむ時間が欲しいのかもしれません。
その出逢いのスポットとしてまほうのしずくがある。
もちろん、欲しいものが見つかって、喜んでもらえて、
それを大事にしてもらってるのはとても嬉しいことですけどね♪
長くなりました。いつものごとく。
いい夜をお過ごしくださいませ。
おやすみなさい。

写真はインドのリシュケシュにて
明日は水曜日、五時までの営業となります☆
かみゅでした。
今夜は新月ですね。
長谷寺さんでの秋分祭が終わってから
なんだか色々なことがまた自分の中で動き出していて、
ちょっと興奮気味。
しかしながら昨日の寒さに体が追いつかなくて、
ちょっと風邪気味です。
今夜は、体もこころも、少しだけお休みが必要な気がしています。
でも、忘れたくない感覚を書き残しておきたかったので、
パソコンに向かっております。

長谷寺さんでの秋分祭で、
私は新たな原点に戻ることが出来た。と日記にも書いたんですが、
それについてちょっと。
基本的に、私は野外が好きです。
見上げると空がある。
ただただ 大きな空があるのです。
空の下にいると、なんだかそれだけで安心します。
まほうのしずくのブースを広げて
風を感じながら空の下で来る人を待つというのは
なんだかとても幸せな時間でした。
私たちは地球に生まれて、地球にある素敵な植物や物に囲まれて、
それに惹かれた人がなんとなく足をとめて
「こんにちは」
「こんにちは」
って挨拶して。
みんな、ひとりひとり、心の中にはいーーっぱいおもしろいものが詰まっていて。
だけど、それをすぐにすべて知ることは出来なくて。
もしかしたら、その人のすべてなんて
一生かけても知り尽くすことが出来ないことかもしれないけれど。
でも重なりあった瞬間を楽しむことは、神さまは許してくれている。
生きてきた歴史も、場所も、環境も違うんだけど、
今というときを 共感しあうことが出来きる私たち。
人と出逢うという瞬間が、とても愛おしく感じます。
もしかしたら、もう二度と会うことがないかもしれない。
でももしかしたら、また会うのかもしれない。
人間は生きてる間に、出逢ったり別れたりを何度も何度も繰り返して
そうやって一生を終えていくのなら、
出逢いという瞬間が、とても愛おしくて楽しくてわくわくして、
生きてるっていいなーって思うのです。
「生きてるっていいなーっ♪」ていう歌、今頭の中にあります。分かりますか?!
私の原点には、
道売りがあります。
その昔、二十代前半ころでしょうか。
井の頭公園でよく、自分の描いた絵や小物などを売ったりしていました。
地面に一番近いところからは、色々な人の足元が見えました。
焦ってる人とか、ムキになってる人とか
無気力になってる人とか、
欲に向かってる人とか、悩みをどっさり抱えこんでる人とか
気楽に生きてる人とか
みんな足もとを見ると分かってしまうんです。
公園には、色んな人がいました。
ある意味、世捨て人な人との出逢いが私には強烈で、
色んなことをそこから学ばせて頂いたいたりもしました。
大好きだったなー。
空の下、のんびりと、お店を広げて。
私が楽器を覚えたのも、井の頭公園でした。
沢山のさっきあったばかりの人たちと、
私はその瞬間瞬間を楽しみ過ごしていました。
私の原点はそこなので、今こうしてまほうのしずくというお店をやり
運営していくっていうのも、根の部分ではやはり道売りのような
気楽な感じからきています。
お高いプライドを張ってやるような店にはしたくないのです。
「こんにちは。気持ちがいい日ですね。歌でも歌いましょうか?」
そんなノリなんです。
秋分祭ではそんな ノリをしみじみと思い出させてもらいました。
この前載せさせてもらった写真も、
そんな嬉しさからきています。
みんなの笑顔、素敵だったでしょ?!
私がお店をやってるのは
物を売りたいのではなくて、
たぶん、物を通して
あなたと出会えたことを楽しむ時間が欲しいのかもしれません。
その出逢いのスポットとしてまほうのしずくがある。
もちろん、欲しいものが見つかって、喜んでもらえて、
それを大事にしてもらってるのはとても嬉しいことですけどね♪
長くなりました。いつものごとく。
いい夜をお過ごしくださいませ。
おやすみなさい。
写真はインドのリシュケシュにて
明日は水曜日、五時までの営業となります☆
かみゅでした。
2011年09月12日
☆☆☆満月の夜☆☆☆
今夜は中秋の名月。
みなさんのところからは、まんまるなお月さま
見えますか?
お
見えた見えた。
今、私がパソコンを打っているところの窓から
うっすらと雲がかかった満月が見えました。
なんだかやわらかい穏やかな光です。
やっとこ心が落ち着いてきました。
ふうっと一呼吸。
今日は私はお休みだったので、
色々と買い出しに行っておりました。
朝からちょっとぼーっとしてしまって、イマイチ感覚がピンとこない日でした。
せっかく買ってきたものも、サイズを間違えていて使えなかったり、
あーちゃんが気に入らなかったり、なんか無駄なことばかりしてしまって、、、。
どうしちゃったんでしょうか。
自分の中に、欲しいもののイメージがぼんやりとしてたくらいだったので、
そういうモノを選びとってしまっていのたのでしょうか。
やはり、欲しいものや目的、目標のイメージは、
出来るだけ明確にもっておかないとなって改めて感じました。
しかもすごく行くところ行くところ人が多くてびっくり。
今日って平日だよなあ??と思いながら、これも満月パワーかも?
私は人ごみに行くとすっごく疲れてしまうタイプなので、
家に帰ってからはすぐさまひと休み。
そしてあうらもぐっすりと寝ていたところに、
「ご声援ありがとうございます~~!!」
の車が、、、。
あうらがあまりのスピーカーの声の大きさにびっくりして起きてしまい、
その後おお泣き。
さっきも寝る前にまた「ご声援ありがとうございま~す!宜しくお願いいたしまーす!」
の車 により寝りが妨げられてしまい、、、
正直、自分をアピールするやり方、他にもっといい方法があれば
そちらをぜひチョイスしてもらいたいなーと思うのでした。
なんだか、久しぶりにちょっと気分的に疲れてしまったので、
今夜は自分を癒すため、
アロマキャンドルをたきながら、久しぶりに瞑想をしました。
妊娠中は毎日瞑想をしていましたが、
産んでからはまったくやっていませんでした。
やっぱり火って美しいですね。
美しいものを見ると、心が同じように美しくなる気がします。
素敵な夜が取り戻せてよかった♪
やっぱり自分の心の持ちようですね。
27日の新月は、
自然派まじょ まぁるちゃんとアロマキャンドルを作る会があります。
よろしかったら、素敵なあなたのアロマのキャンドルを作ってみては??
お気軽にご参加くださいませ。
2011年08月18日
たましいと宇宙
久しぶりに図書館へ行きました。
あうらが色々な絵本をひっぱり出してきた中で
とっても素敵な絵本に出逢うことが出来ました。
タイトルと見て 最初はどきっとしてしまいました。
その名も 「死」

谷川俊太郎さんが書いた文章に
かるべめぐみさんという方が、とっても素敵な絵を描いています。
内容もとても素敵なんですが、
かるべさんの絵がまたとってもとっても素敵。
大好きな一冊となりました。
中でも好きな絵があって、おじいちゃんが亡くなって
みんながお葬式でお寿司を食べてるときの切り抜き方が、
なんともそれっぽいんです。
お寿司の減り方とか。
泣いてる人の前のお寿司には手が付けられていないんですが、
ビールを飲みながら、じいちゃんもいい人生だったよなー みたいにしてるおじさんの前の
お寿司は、イカとかマグロとか結構食べてある。
そういうところから、日常が溢れだしていて、見ていてとても面白い。
最後の方のページで、死について描かれてる下りでは
おじいちゃんが洋服を脱いでいく絵があって、さらには自分の体まで脱いで
しまいには体だったところが宇宙になって、おじいちゃんはエネルギーとして
宇宙にかえっていく!!
ああ、なんか、そうそう!!そう思ってたんだよね~私も ♪
って、「死」ということに怖さを感じさせない、素晴らしい一冊となっております。
父が死んだとき、兄が病院で看取ってくれたんですが、
その時、兄は
「人が死ぬ瞬間を初めて見たけど、なんか魂がすーーーって、夜空に吸い込まれていくみたいな感じだった」
と教えてくれました。
魂の抜けた父の体はとても冷たかったけれど、とってもとっても美しかった。
ああ、父はいい死に方をしたんだな。
いい、生き方をしたんだな。と、感じたのを覚えています。
だけど、肉体を離れただけであって、やっぱり父の魂はどこかにある気がしてなりません。
この世ではもう父は役目を果たしたのだと思うし、
肉体という囚われから外れることによって、
またひとつ自由になれたんではないかなとも思います。

そもそも、たましいってどこからやってきたんでしょうね?
「たましい」はどうやって産まれたんでしょうか?
娘は私のお腹から出てきました。
だけど、私が彼女を作ったわけではありません。
もちろん肉体を持つきっかけは作ったかもしれませんが、
彼女のたましいを私が作ったわけではないのです。
だから命は、「授かった」というのでしょうね。
育児をしていると、たまにどうして自分のいうことを聞いてくれないの?
思うようにならないの?と思ってしまうことがあります。
子供は自分の分身ではないので、そりゃあ思い通りにはならないでしょうね。

子供には、どんなに赤ちゃんだって、その子の魂が宿っている。
私を選らんでここに来てくれたこと、本当に感謝します。
本当にすごい奇跡だよなーって、鳥肌がたっちゃう。
いっぱい遊んで、いっぱい抱きしめあって、
どうぞ私に色々教えてください。
実はついこの間まで、結構育児疲れなるものを経験していました。
正直、しんどい時も多かった~~。
でも、やはりそういう時は、
この世に一生懸命産まれてきてくれたことを思い出します。
初めてあなたに会ったときの、感動。

初心にかえると、やっぱり愛おしい命と楽しまなくちゃ!って思います。
疲れてる時は大体、 いい母親として頑張らなくちゃ!と思ってる時。
そう思っていて、駄目なことがあるとへこむ。
でも、やっぱり駄目なとこを見せて、ああ、お母さんも駄目なとこあるんだなーって
子供が見て学んでくれれば、それはそれでいいかなって思ったりもしました。
完璧な人などいないんだし、
完璧を求めてしまうと、駄目な自分を隠して繕ってしまうこともある。
人に好かれようと生きてしまうと、結局人に好かれない自分が駄目だと思ってしまう。
それは生きることをとても辛くしてしまう。
私の経験からですが、人間なんて完璧じゃなくていい。
人に好かれようとするのではなくて、
自分が好きな自分になることが、一番大事なことだと思います。

ちなみに私は死ぬことを怖いと思ったことが、不思議と一度もありません。
ケガをしたり、病気で苦しかったり、痛かったりというのは怖いと思ったりしますが。
その後の世界がどうなってるのか、やっぱり死なないと分らないから、
死んだ後の楽しみの一つです。
でも、人間であるうちに、やりたいこと、やっておきたいことは
味わっておきたい!悔いが残らないように。
そして、娘ともいつか別れなくてはならないんだったら、
私がいなくなっても、ちゃんと生きていける強さと、たくましさを持った子に育てていきたいと思いました。
何年なのか、何十年なのかは分らないけど、
やっぱり今という時間を大事にしたい!
そう思うと、眠るのがもったいないんだけど、
やっぱり寝ることも楽しみの一つってことで。
P,S
いつも長い文章を最後まで読んでくださってる皆さん
ありがとうございます!
素敵な毎日を抱きしめて、沢山笑いましょ~!!
あうらが色々な絵本をひっぱり出してきた中で
とっても素敵な絵本に出逢うことが出来ました。
タイトルと見て 最初はどきっとしてしまいました。
その名も 「死」

谷川俊太郎さんが書いた文章に
かるべめぐみさんという方が、とっても素敵な絵を描いています。
内容もとても素敵なんですが、
かるべさんの絵がまたとってもとっても素敵。
大好きな一冊となりました。
中でも好きな絵があって、おじいちゃんが亡くなって
みんながお葬式でお寿司を食べてるときの切り抜き方が、
なんともそれっぽいんです。
お寿司の減り方とか。
泣いてる人の前のお寿司には手が付けられていないんですが、
ビールを飲みながら、じいちゃんもいい人生だったよなー みたいにしてるおじさんの前の
お寿司は、イカとかマグロとか結構食べてある。
そういうところから、日常が溢れだしていて、見ていてとても面白い。
最後の方のページで、死について描かれてる下りでは
おじいちゃんが洋服を脱いでいく絵があって、さらには自分の体まで脱いで
しまいには体だったところが宇宙になって、おじいちゃんはエネルギーとして
宇宙にかえっていく!!
ああ、なんか、そうそう!!そう思ってたんだよね~私も ♪
って、「死」ということに怖さを感じさせない、素晴らしい一冊となっております。
父が死んだとき、兄が病院で看取ってくれたんですが、
その時、兄は
「人が死ぬ瞬間を初めて見たけど、なんか魂がすーーーって、夜空に吸い込まれていくみたいな感じだった」
と教えてくれました。
魂の抜けた父の体はとても冷たかったけれど、とってもとっても美しかった。
ああ、父はいい死に方をしたんだな。
いい、生き方をしたんだな。と、感じたのを覚えています。
だけど、肉体を離れただけであって、やっぱり父の魂はどこかにある気がしてなりません。
この世ではもう父は役目を果たしたのだと思うし、
肉体という囚われから外れることによって、
またひとつ自由になれたんではないかなとも思います。
そもそも、たましいってどこからやってきたんでしょうね?
「たましい」はどうやって産まれたんでしょうか?
娘は私のお腹から出てきました。
だけど、私が彼女を作ったわけではありません。
もちろん肉体を持つきっかけは作ったかもしれませんが、
彼女のたましいを私が作ったわけではないのです。
だから命は、「授かった」というのでしょうね。
育児をしていると、たまにどうして自分のいうことを聞いてくれないの?
思うようにならないの?と思ってしまうことがあります。
子供は自分の分身ではないので、そりゃあ思い通りにはならないでしょうね。

子供には、どんなに赤ちゃんだって、その子の魂が宿っている。
私を選らんでここに来てくれたこと、本当に感謝します。
本当にすごい奇跡だよなーって、鳥肌がたっちゃう。
いっぱい遊んで、いっぱい抱きしめあって、
どうぞ私に色々教えてください。
実はついこの間まで、結構育児疲れなるものを経験していました。
正直、しんどい時も多かった~~。
でも、やはりそういう時は、
この世に一生懸命産まれてきてくれたことを思い出します。
初めてあなたに会ったときの、感動。
初心にかえると、やっぱり愛おしい命と楽しまなくちゃ!って思います。
疲れてる時は大体、 いい母親として頑張らなくちゃ!と思ってる時。
そう思っていて、駄目なことがあるとへこむ。
でも、やっぱり駄目なとこを見せて、ああ、お母さんも駄目なとこあるんだなーって
子供が見て学んでくれれば、それはそれでいいかなって思ったりもしました。
完璧な人などいないんだし、
完璧を求めてしまうと、駄目な自分を隠して繕ってしまうこともある。
人に好かれようと生きてしまうと、結局人に好かれない自分が駄目だと思ってしまう。
それは生きることをとても辛くしてしまう。
私の経験からですが、人間なんて完璧じゃなくていい。
人に好かれようとするのではなくて、
自分が好きな自分になることが、一番大事なことだと思います。

ちなみに私は死ぬことを怖いと思ったことが、不思議と一度もありません。
ケガをしたり、病気で苦しかったり、痛かったりというのは怖いと思ったりしますが。
その後の世界がどうなってるのか、やっぱり死なないと分らないから、
死んだ後の楽しみの一つです。
でも、人間であるうちに、やりたいこと、やっておきたいことは
味わっておきたい!悔いが残らないように。
そして、娘ともいつか別れなくてはならないんだったら、
私がいなくなっても、ちゃんと生きていける強さと、たくましさを持った子に育てていきたいと思いました。
何年なのか、何十年なのかは分らないけど、
やっぱり今という時間を大事にしたい!
そう思うと、眠るのがもったいないんだけど、
やっぱり寝ることも楽しみの一つってことで。
P,S
いつも長い文章を最後まで読んでくださってる皆さん
ありがとうございます!
素敵な毎日を抱きしめて、沢山笑いましょ~!!
2011年08月13日
お盆の過ごし方
昨日は母とあうらと、お墓のお掃除に行った。
お墓がこんなに好きな場所のひとつになるなんて、
正直父が亡くなるまで思いもしなった。
お墓に行くと、とても心がすっきりする。
きっとお墓がなくても、こころの中で感じることは出来るけれど、
こういう場所があると、多分気持ちをうまく整理することが出来るし、
静かに手を合わせ、ゆっくりと父と会話をすることが出来る時間は
特別なもの。
確かに、あの歌のように、お墓に魂が宿ってるわけではないかもしれないけれど、
この世に残された者の気持ちを慰めるには大事だなあと思います。
中学校の時住んでいたことのあるアパートは、お墓のすぐ裏で、
私はいつも目を閉じて早足で駆け抜けていました。
そもそも、なんでお墓が怖い場所として認知されていたかと言えば
小学校のころからテレビやらマンガやらで
お墓にはお化け~~的な怖いのを見すぎたせいもあるのではないかと。
あの頃やたらと流行ってましたよね~。ホラー。
トンネルズの番組とか、好きでよく見ていました。
そういうイメージを心に焼き付けてしまったのは良くなかったな。
(あうらには、そういうイメージを植えつけないようにしたいな。)
それでも今は、お墓への印象がまったく変わっている。
今日は、兄と兄の子供たちが、父とご先祖様をお墓まで迎えに行ってくれました。
昨日の夜からみんなでジージの話しで盛り上がり、
私は父が大好きだったポテトサラダを夕ご飯に用意。
「多分、これを目印に来てくれるはずだよ♪」
と、甥っ子にお供えしてもらいました。
お墓に向かう、提灯をもった甥っ子たちに
「じーじ、ちゃんと連れて来てね!」
と言うと、「はいよ~~!!」とおおはしゃぎ。
なんだか、よくよく考えてみるとお盆の風習ってユニークだよなあと。
亡くなった人を迎えに行って、一緒に過ごして、そしてまたお見送りするなんて
考えた人はなんて素敵なユーモアに溢れてるのかしら。
まるで子供みたい。
なんて、ちょっと失礼な感じで申し訳ありませんが思っちゃいました。
うちの甥っ子たちは、みーーんなジージのことが大好き。
ジージが病気で寝込んでいる姿も、亡くなった姿も、骨になった姿も
全部ちゃんと見てきました。そのせいか、怖い。という気持ちはないみたい。
「死」というものを自然に受け入れていることが、すごいなーって。思います。
今日の夕ご飯のときも、
「これ、ジージにあげよう!」
とか、
「あ、お茶もあげよう!」とか、
みんなすごーーくジージのことをいたわってくれていました。 涙
父は幸せもんですねえ~~。
昨日は8月と7月生まれの母と父のお誕生日のお祝いを
いつも一緒にお盆にしていたことを甥っ子が覚えていて、
お誕生日ケーキを買ってきてくれたんです。
蝋燭に火をつけて お誕生日の歌をうたって
さー火を消そう!と したその時!!
ちょうど風がふ~~っと 母の息と共にその火を消したんです!
まるでそこに本当にお父さんがいるみたいで、
みんなで顔を見合わせて
「いま、ジージも一緒に消したよね?!!」 と。
なんだか、とても嬉しい出来事でした。
亡くなった家族への寂しい気持ちを共に味わい、
そして今は共にそれを乗り越え、
心の中にいる父の面影をみんなでまた懐かしくおもったり
なんだかそういうのって、とても心が温かくなります。
私たち家族の愛もまた、それによって深まっていく。
我が家には今日は親戚が大集合し、
お坊さんのありがたいお教と木魚に、あうらはさんざ踊って、、、
「これこれ」 と 何度も洋服をひっぱたり 膝の上にのせてみたり色々して
今度は大泣き。。。そして疲れ果ててころりと眠りにつきました。
子供のころ、正直この時間が一番退屈だったなーー と思い出し、
踊れるあうらを羨ましく思いました。 踊らさせてあげたい。と思う自分もいましたが、
いやあ、さすがに失礼だよな。と自分を奮い立たせました。 (社会性を身に付けてきましたかね)
まだ一歳だから許されることよなあ。
このお盆には親戚が集まる。というのも、
なんだかそういうのが嫌。っていう成長過程も正直ありましたが、
自分も母親になり、色々な大事なことに気が付き初めてからは、
楽しみのひとつになりました。
私とどことなく似た親戚の方々。
そして縁あって家族に仲間入りしてくださった方々。
共通点は、みんな おっとり型 ということでしょうか。
多分、これがうちの家系の持ってる「特徴」なのでしょうか?
先生 と呼ばれる職業の方が多いのもなぜでしょうか。
私には先生は縁遠いですが、、、。
ご先祖様にはどんな方がいらっしゃったのか、
「自分のルーツ」というのも、最近気になっています。
いろんな意味で、いろんな角度から自分を知るのは面白いですね。
お盆、みなさんはどうお過ごしですか??
他の世界各地の宗教にも、お盆のように、お迎えする的なことってあるんですかね??
2011年08月11日
おかえりなさいの準備

もうすぐお盆ですね。
うちは今年は新盆。
昨年旅立っていった父を、お迎えいたします。
もちろんご先祖さまも。
親戚も沢山くるので、家を掃除したり、
兄がわざわざ朝から来て草取りをしてくれたり、
母も私も色々とお盆に向けての準備を。
押し入れを開けると、
「お盆用品」 と、父の字で書かれた段ボールが出てきました。
毎年お盆前になると、父がいつも色々準備してくれていたのを思い出しました。
いつも大事に大事に、
ご先祖様を迎える準備をしていた父。
今回は、迎えられる方になったなんて、、、
なんだか不思議な気持ちです。
母と買い物へ出かけた帰り道の車内で、
「 今頃お父さん、色々準備満タンにして、家に帰ってくるの楽しみにしてるんだろうね~」
と私が言うと、母が
「ほんとだね。 ああ、お母さんもう一度、元気だったころのお父さんに会いたい。
一緒にご飯食べ行ったり、買い物したり、思いっきりケンカしたりしたいなー。」
と言いました。
父が旅立ってから、「全然寂しくないわよ。」と言っていた母。
「本当だね。」
私はそれだけ言うのがやっとで、なんだか急に、寂しい気持ちがこみ上げてしてしまいました。
人間は、いつかみんなこの世を去る時がきます。
今、この地球上にいる人、生き物すべて、
いつかはいなくなる時がくるんですよね。
そして繋がれていく、新しい命。
それが自然の摂理。
いつかは、自分も。
今、この胸の中にいる愛おしい娘とも、いつかお別れがくるんだと思ったら、
なんて宝物の毎日を過ごしてるんだろうって思いました。
もちろん、人は死んでも、心の中にずっと生き続けます。
父もきっと今頃、どこかで私たちを見守っていることでしょう。
だけど、もう一緒にご飯食べたり、ケンカしたり、お父さんの大好きだった花火大会に
行くことは出来ない。
あともう少しだけ時間があったらな~。
一緒にハワイでも行けたかもしれない。
なんて、思っちゃったりしました。
父はずーーと ハワイに行きたがっていたんです。
いつか、連れてってあげよう。
ハワイ。
そう思ったまま、間に合わなかったな~。
それだけが、悔やまれす。
生きてるうちに、やりたいこと、したいこと、
自分が進みたい道をちゃんと歩いていきたいと思います!!
明日からしばらくお店はオープンしていますが、私はお盆休みを頂きます(*^_^*)
れいちぇるがまほう屋にいますので、ぜひみなさん遊びに来てくださいね♪
お父さんの好きだったものいっぱい用意しとくぞ~~!!
2011年08月08日
自然治癒力
小さいころから
私は体調が悪くなるとすぐ 薬を飲んで治していました。
だけど、旅に出るようになってから
「お腹がもし痛くなったらこれ、、、
頭が痛くなったら 、 吐き気止めは、、、もし胃が痛くなったら、、、」
などと、心配なものを全て持っていったら、
薬って本当に場所とるなーってことに気がつきました。
あるとき、
「乾燥梅を持っていけば、大体のことに効く気がする」
と自分で気が付いてからは、私の旅は乾燥梅を持っていくだけになりました。
乗り物に酔いそうなとき、、、
頭が痛いとき、
風邪っぽいとき、
私は梅が大好物なので、梅ですべてが治ってしまうんだから
これにこしたことはない!!
それからというもの、私の旅は随分身軽になりました(*^_^*)
薬に頼らない生活を初めてから、私の体はかなり自然治癒力がアップしたように思います。
お肌もそうです。
化粧水もなにも付けない生活を初めてから、肌はすっごい生き帰りました。
最近、ひとつ気がついたことがありまして。
ああ、体もそうだけど、こころにも自然治癒力なるものがあるなーと。
何かに大きく傷ついても、その傷から膿を出さない様に
むやみにお酒を飲んだり、閉じ込めたりしようとすると長引くけど、
その傷をよく観察して、ゆっくり癒えるまで寄りそって
ああ、もう大丈夫だなーって思ったら手放すと、
心の自然治癒力がアップする!!
次、何か似たような苦しみが襲ってきたとしても
治りが早い!
精神も肉体と同じように
鍛えることが出来る。
旅はそういった意味でも、精神力を鍛えるのにはいい体験でした。
そして育児もこれまたいい体験だな~~。
自然治癒力、どんどんアップしていきたいな☆
こころも体も たくましい大地のように。
タグ :自然治癒力
2011年08月03日
平等

今日はあうらを保育園に預かってもらいました。
保育園って、必ず子供が勝手に出て行かない様に柵があるんですけど、
私はいつもついつい
「え~~い」
と、その柵を乗り越えようとしてしまうんですね、、、。
でも、あ、ダメダメ!子供が真似しちゃうし、品が悪い。と
慌てて心にブレーキをかけます。(;一_一)
野生的に育ってしまったので、「 品 」 のある女性を目指すには
ちょっと訓練が必要です。
まあ、そんな話はいいとして、、、
100%自分だけの時間て、子供を生んでからは
とにかく貴重でありがたく、
「さあ、何をしよう!」と
一分一秒でも無駄にしたくない感じがします。
ひとりきりの電車の時間
いつも景色なんて見る余裕がないけれど
今日は光がキラキラと反射する犀川を見ることが出来ました。
こころにゆとりが持つことが出来るこういう時間も
たまには、お母さんにも必要だなーって
思いました。
本当にありがたい!!
やっとこ出来たひとりの時間
今のうちに色々なことを考えておこうと思って
最近私の中に湧いてきたあるテーマについて
考えてみました。
その今回のテーマというのは、
「 どうして人は、他人が持ってるものが羨ましいと感じてしまうことがあるのか。」でした。
「羨ましい」という感情は
裏を返せば、自分が満たされてない気持ちを表してるわけで、
「ならばどうして人は自分の人生に満たされずにいるのか。」
というところにたどり着きました。
自分が相手に対して 「いいなー」と思っていたとして、
でも誰かから見たら、そんな私も「いいなー」と思われていたりして、
結局みんな ただのないものねだりにすぎないような気がするのですが、、、。
「そもそも人間は果たして、不平等なんだろうか?と平等なんだろうか?」
という考えを深めてたどり着いた一つの答え。
私たちはあることに対して
絶対的に平等だったんだ!
ということに、気が付いたんです。
なんだと思いますか?
この地球上に生きとし生けるものすべてに
平等であること。
それは
「命」でした。
当たり前の答えですみません。
だけど、
その当たり前の「命」の平等さって
以外とみんな忘れがち、、、??
と思ったんです。
今 この星に生きてる人は
みーーんな 同じ 「命」 を持ってるんです。
それってすごい☆
あなたも 私も 八百屋のおじちゃんも お相撲さんも 入院してる人も
走ってる人も 赤ちゃんを抱っこしてるママも 仕事一筋で生きてるキャリアウーマンも
お医者さんも ホームレスの人も 物乞いしてる子どもも
隣の芝が美しく見えちゃう奥さんも 中々出世しないお父さんも。。。
みんな 「 命 」を持ってる。
それって平等だよなーー
みんなが裸に見える眼鏡をかけて
その人の本当の姿を見てみてください。
どくん どくん どくん。。。
生きる音色
ハートビートが聞こえてきます。
羨ましがることないなー
「みんな、等しく持ってるものがあるではないか!」
と。
自信を持って、自分の「命」を最後まで奏でること。
それでいいじゃん(*^_^*)
そう思うと、命ってとっても大事だよなーー
すべての生き物に等しい「命」は
やっぱり勝手に奪い合っちゃいけないね。
尊重しなくちゃ。大事にしなくちゃ。
そしてその「命」は、やっぱり自分で一番大事にしないとね。
そんなことに気が付けた
ひとりの時間。
仕事を終え電車から降りると
駅まで迎えに来てくれたあうらと母の姿。
聞こえてくる
ハートビート。
嬉しかった~~!!
いい一日でした。
「みんな持ってるもの」 を みんなで大事にしたいですね~~☆
2011年07月29日
友人からの贈り物とユーモア

(以下、まほうのしずくを休んだ水曜日の出来ごと)
朝起きてみると
体に痛いところが沢山あった。
右手の中指のささくれ
頭のてっぺん
腰
のどと鼻の間のあそこ
熱を計ると38度
こんな日は
どんなに動きたくても体は休もうという。
さんざ悩んだけれど、無理なものは無利であると思い、
思いきってお店を閉めて、
私は夏だというのに冬用の布団をかけて
団子虫みたいにごろごろしていた。
体調が良くなったあーちゃんが、遊んで欲しくて
私の重たい体に体当たりしてくる。
本気で痛いし、しんどい。
いつもはかわいい我が娘も、こんな時は正直ちょっとめんどくさかったりする。
思いっきりのどの上に乗っかられた時は
本気で息が出来なかったりもする、、、。
将来は女子プロかもしれないなー、、、なんてつぶやきたくなる。
こんな日すら静かには寝ていられないのが母という役目。
しかし、動けないでいる私を助けてくれた私の偉大なる母。
見かねてあうらを連れて外へお散歩へ行ってくれた。
ほっ。
お互いに笑顔で手を振る。
やっとこ静かになった部屋でひとり、うなされながらも
なぜだか空はとても美しく見える。
体に痛いところは確かに何か所かあるけれど、
たったそれだけで私はこんなにも動けないなんて
よわっちーなーと思う。
だけど、確実に今、そのやわっちーとこを治そうと
体中が生まれ変わろうとしていることが、なんか分る。
体さん、ありがとう。いつも至って健康でいてくれて。本当にありがとうね。
久しぶりに私の中に
ユーモアの泉が生まれた。
みなさんは持ってますか?ユーモアの泉。
私はふとした時に、突然このユ―モアの泉が湧き出てくる。
本当に突然ふっと。
ただただ歩いてる時とか、
誰かと話してるときとか、
トイレの壁に虫を見つけたときとか、
ご飯が炊けた匂いと、夕日が美しかったときとか。
「あ」
って。
色々なアイディアとか、モノガタリのイメージとか、こんなことしたら面白いなーとか。
日々のひとつひとつが、自分の頭の中では小説のように流れてる時もある。
頭の中では沢山のアイディアやユーモアが溢れだしているというのに、
それを形にする時間が最近持てずにいた。
だからこそこの体温38度の休日、あうらがばーばとお散歩の
「今だ!」 だった。
紙と筆ペンだけあればいいのだ。
布団に入ったまま、そのユーモアの泉を形にすることに。
のどが痛くてしゃべれなくても、、痛いところが沢山あっても、
こうやって絵にしてモノガタリにしてみると、すらすらと描けるから嬉しい。
プロからみたら、なんだこりゃ??に違いないけれど、
日常の1ページを彩ってくれる私のマンガは、私が見るには面白い。
そんな日常の絵日記マンガを、私は小さい時から時々書いている。
ひそかな私の楽しみ。
でも今回書いたこのマンガは、実はある人への手紙なのだった。
私が熱で苦しんでいたその日に届いた、彼女からの突然のプレゼント。
中にはCDと、手づくりシュシュが3つ。そして一冊の素敵な本。
そしてまほうのしずくのマークによく似たもの。 が入っていました。
彼女からの手紙はなし。
急に訪れた私の休日をまるで知っていたかのようなその癒しグッツに
私はびっくりしてしまいました。
そんな彼女に、ありがとうの電話をしようか、メールを送ろうか悩んだけれど、
こんな素敵な時間をプレゼントしてくれたお礼にしては、
電話もメールも早すぎる、重たさが匹敵しないなーと思って。
彼女に、どうやったらこの素敵な時間をお返し出来るだろう。と思った結果が
彼女にあてたこの絵本マンガでした。
素敵な友人を持って、私は幸せです。
あ、熱で寝てるのにマンガなんか描いて、、、!なんて怒らないでくださいね♪
これも癒しの薬箱ですから。
久しぶりのお絵かき、楽しかった~~~!!☆(*^_^*)
明日はまほうのしずくに行きます!
おかげさまで元気になりました~~☆
ありがとうございました(*^_^*)
2011年06月02日
思いやりベタ
対人関係で悩みがあるとき、
例えば
思わずカッとなって傷つけることを言ってしまったり
自分の想いがうまく口に出来ずに、誤解をまねいてしまったり
勘違いが勘違いを呼んでしまったり
なんで~~?!!って思うようなことってたまにあります。
だけど、ちょっと火が落ち着くまで様子をみて
ひとり空でも眺めてゆっくりしてれば
流れる雲の上にぽわーーんと
暖かい晴れ間が覗いてたりします。
喧嘩はチャンス
その人と
もっと仲良くなれる チャンス
その人を もっと知ることが出来る チャンス
その人を もっと理解して
絆を深めることが出来るんだよっていう メッセージ
解決策は
色々あるだろうけれど
やっぱり
相手を思いやる心
自分のプライドを守るのではなくて
けんかしてしまった相手を
思いやる心
思いやれれば きっと見えてくるものがある。
そう信じています。
でも、素直に思いやれないときは
まだきっとどこかで火がくすぶってるから
もう少しひとりで
散歩でもしてればいいかなって思います。
私はまだ ある人との間で
お散歩中です。
どこかで多分
私をもっと思いやって欲しい。
優しくして欲しい。大切にしてほしい。 と思ってるのかもなあ。
私がまず
そうするべきなんだけどね。
動物や子供には
素直になれるんだけどなあーー
なかなかねえ、、、
(写真は2008年インドにて。
一枚目 甘いクッキーとはっぱのお皿
二枚目 あてもなくさまよう
三枚目 リシュケシュのガンガーのビーチで。野良犬と沐浴したあと
2011年05月23日
食べるということ

今朝
お味噌汁を作っていたときに
玉ねぎの中に 蓮を発見しました。
いつも思うんですが、
野菜や果物、植物や木
地球に生きてるものって、とっても形が素敵ですよね。
ふと、
食べ物を食べることって
実は食べものを
抱きしめることなんだなって気が付いたんです。
私はあると時から
お肉が食べれなくなって、
それは精神的にもカラダ的にも受け付けなくなってしまったというか、
食べたくなくなってしまった。と言ったらいいのでしょうか。
23歳くらいの時までは、全然好きだったし、
ハンバーグとか大好物だったくらいなんですけれど。
だけど、お肉はどうも、おいしいそう!とも見えてこないし
実際に口にしてもお腹を下したりしてしまうんですね。
理由は色々あるんですが、長くなるんで省いときます。
おいしいって思ってる人が食べたらきっとそれは生かされる命になりますが、
私みたいな気持ちで食べるのはもったいないし命に失礼。
野菜も、お肉も
みんな命が宿っていますものね。
食べることって
その命が自分になって、一緒に生きていくこと。
食べることって、その命を抱きしめることなんだなーって思ったら
一口一口がとてもおいしく感じました。
また変な人と思われそうなことを書いてしまいましたが。
そういうことを私はまじめに考えてしまう人です。(;一_一)
あうらにとっては、まだ食べ物はおもちゃみたいな存在なんでしょうか。
たくわんを手でぽいぽい。
ごはんを口からぺっと吐いたり。
のりの中に手を突っ込んでぐちゃぐちゃにしたり。
「ちょっとちょっと~~!!」と心が焦ることばかり。
あうらが落としたものを拾って食べるのが
私の習慣となってしまいました。
でもおっぱいを飲んでる時は幸せそう。
まだ彼女にとっては、おっぱいが一番のご馳走のようです。
母と子は、こうやって命を分けあってるんだなーーって
暖かい気持ちになりました。
いつまでおっぱい飲むのかなーー。
2011年03月22日
東北関東大地震
まほうのしずくで作業をしていると
さんぼさんが戻ってきました。
おかえりなさいが言えて嬉しかったです。
さんぼさんが撮ってきた写真がUPされています。
http://samboanm.naganoblog.jp/
さんぼさんが戻ってきました。
おかえりなさいが言えて嬉しかったです。
さんぼさんが撮ってきた写真がUPされています。
http://samboanm.naganoblog.jp/
タグ :東北関東大地震
2011年03月20日
こころひとつ。
さっきまで降っていた雨がいつの間にか上がり
今 窓からは 美しいお月さまが
揺るがない光を放っています。
私の部屋の窓からも
東京のオフィスからも
原発のある海岸からも
砂漠からも
地球の裏からでも
どこからでも
地球から見えるお月さまは
いつでも 揺るがない光を映してくれます。
揺らいでるのは 私たちの心なんだと
改めて感じました。
今日は
父の納骨式でした。
父が生前に言っていた通り
日当たりのいい
とても景色のいい場所に
父のお墓を建ててあげることが出来ました。
昨年12月に父が亡くなる前
私は丁度まほうのしずくを企画中で
父はすごく私を応援してくれていました。
病院へ行くたびに
いつも父は
「お店どうなった?」と話を聞きたがりました。
どんどん衰弱していく父の看病と
同時進行して まほうのしずくがありました。
私は父に 私が楽しんでる姿と
頑張ってる姿を見せたかった。
私が唯一 お父さんを安心させてあげられることは
それだと思ったのでした。
「お店、春にオープンするから見に来てね」
「楽しみにしてるよ。」
父は、きっとオープンしたお店を自分の足で見たかったろうな。と思います。
最後まで、生きることを諦めなった父の姿。
私は、どんなことがあっても
生きようとする人の輝きは美しいものだと
その時改めて感じました。
生命とは 生きようとするエネルギーなのだと 思ったのでした。
草も 花も この地球上に誕生したすべての命は みな
それぞれの生を迷いなく
精一杯に輝かせていますね。
父は亡くなる終日前まで、正直に言うと大変苦しみました。
それは本当に辛くて、辛くて、、、
その光景は今でもはっきりと私の胸に刻まれていますし、
そこだけを思い出すと、やはり泣けてきます。
でも、父はその辛さの中で
最後の自分の生を精一杯に燃やしていたのでした。
きっと今も、私たちを天国から見守ってくれてると思います。
本当に不思議なのですが、
他にも色々と家の家族には
昨年末からこの三カ月の間に試練があったのですが、
今日に向けてそれがすべていい方向に収まることになりました。
願いがすべて叶った状態で
父の納骨式を親族みんなで見守ることが出来たのは
本当に幸せなことだと思いました。
きっと父が、見守っていてくれたのだと思います。
父が亡くなってから、
不思議なことに、もっと父の存在が近くに感じられるようになりました。
やはり、人は死んでも
生きてる人の中に、その人の存在は生き続けます。
その人の残したメッセージも、生き様も、知恵も、面影も、
父が生きていたときよりももっと色濃く、
もっと愛に溢れ
もっともっと 自分にエネルギーを与えてくれている。
そんな気がします。
「その人の分まで生きるんだ」という言葉をよく聞きますが、
本当にそうだなって、父を亡くしてから思いました。
その人からもらったものを一緒に共有しながら、
そして教えてもらった知恵やメッセージを自分の肥やしとして未来へつなげていく。
そして更に、亡くなった方は愛してる人たちに
沢山の愛を送り続けてくれてるように感じます。
東北地方太平洋沖地震により、
今なお、行方不明の方が沢山います。
崩れおちた家の下で苦しんでおられる方もいるかもしれません。
突然、大事な人を失ってしまった方も沢山いらっしゃいます。
私は父の死を受け入れるのに 心の準備をする時間がありました。
父の癌を告知されてから一年半という時間があり
家族と共に向き合った時間があり
思い出を作る時間があったのでした。
大事な人を失うというのは
人間はいつか死ぬということは分っていても
本当にそれを受け入れるのには こころに暖かいクッションが必要です。
私はありがたいことにそれがあったから、
父の死に こころを暗くすることはありませんでした。
死を前向きにとらえ、
父の教えてくれたことを生かし
頑張っていこう。と更に父の分まで力強さをました気がしました。
でもきっと、突然の大事な人の死に戸惑い、ショックで心が衰弱されてる方、
または生きてるかどうかもわからなくて
不安と恐怖の中におられる方が沢山いらっしゃることと思います。
それは本当に辛いことです。
本当に、苦しいことだと思います。
でも、自分が生きることによって愛する人と共に生きている!!のだと
私は思っています。
どうか、みなさんの心の苦しみが癒されますように。
心からお見舞い申し上げます。
今 窓からは 美しいお月さまが
揺るがない光を放っています。
私の部屋の窓からも
東京のオフィスからも
原発のある海岸からも
砂漠からも
地球の裏からでも
どこからでも
地球から見えるお月さまは
いつでも 揺るがない光を映してくれます。
揺らいでるのは 私たちの心なんだと
改めて感じました。
今日は
父の納骨式でした。
父が生前に言っていた通り
日当たりのいい
とても景色のいい場所に
父のお墓を建ててあげることが出来ました。
昨年12月に父が亡くなる前
私は丁度まほうのしずくを企画中で
父はすごく私を応援してくれていました。
病院へ行くたびに
いつも父は
「お店どうなった?」と話を聞きたがりました。
どんどん衰弱していく父の看病と
同時進行して まほうのしずくがありました。
私は父に 私が楽しんでる姿と
頑張ってる姿を見せたかった。
私が唯一 お父さんを安心させてあげられることは
それだと思ったのでした。
「お店、春にオープンするから見に来てね」
「楽しみにしてるよ。」
父は、きっとオープンしたお店を自分の足で見たかったろうな。と思います。
最後まで、生きることを諦めなった父の姿。
私は、どんなことがあっても
生きようとする人の輝きは美しいものだと
その時改めて感じました。
生命とは 生きようとするエネルギーなのだと 思ったのでした。
草も 花も この地球上に誕生したすべての命は みな
それぞれの生を迷いなく
精一杯に輝かせていますね。
父は亡くなる終日前まで、正直に言うと大変苦しみました。
それは本当に辛くて、辛くて、、、
その光景は今でもはっきりと私の胸に刻まれていますし、
そこだけを思い出すと、やはり泣けてきます。
でも、父はその辛さの中で
最後の自分の生を精一杯に燃やしていたのでした。
きっと今も、私たちを天国から見守ってくれてると思います。
本当に不思議なのですが、
他にも色々と家の家族には
昨年末からこの三カ月の間に試練があったのですが、
今日に向けてそれがすべていい方向に収まることになりました。
願いがすべて叶った状態で
父の納骨式を親族みんなで見守ることが出来たのは
本当に幸せなことだと思いました。
きっと父が、見守っていてくれたのだと思います。
父が亡くなってから、
不思議なことに、もっと父の存在が近くに感じられるようになりました。
やはり、人は死んでも
生きてる人の中に、その人の存在は生き続けます。
その人の残したメッセージも、生き様も、知恵も、面影も、
父が生きていたときよりももっと色濃く、
もっと愛に溢れ
もっともっと 自分にエネルギーを与えてくれている。
そんな気がします。
「その人の分まで生きるんだ」という言葉をよく聞きますが、
本当にそうだなって、父を亡くしてから思いました。
その人からもらったものを一緒に共有しながら、
そして教えてもらった知恵やメッセージを自分の肥やしとして未来へつなげていく。
そして更に、亡くなった方は愛してる人たちに
沢山の愛を送り続けてくれてるように感じます。
東北地方太平洋沖地震により、
今なお、行方不明の方が沢山います。
崩れおちた家の下で苦しんでおられる方もいるかもしれません。
突然、大事な人を失ってしまった方も沢山いらっしゃいます。
私は父の死を受け入れるのに 心の準備をする時間がありました。
父の癌を告知されてから一年半という時間があり
家族と共に向き合った時間があり
思い出を作る時間があったのでした。
大事な人を失うというのは
人間はいつか死ぬということは分っていても
本当にそれを受け入れるのには こころに暖かいクッションが必要です。
私はありがたいことにそれがあったから、
父の死に こころを暗くすることはありませんでした。
死を前向きにとらえ、
父の教えてくれたことを生かし
頑張っていこう。と更に父の分まで力強さをました気がしました。
でもきっと、突然の大事な人の死に戸惑い、ショックで心が衰弱されてる方、
または生きてるかどうかもわからなくて
不安と恐怖の中におられる方が沢山いらっしゃることと思います。
それは本当に辛いことです。
本当に、苦しいことだと思います。
でも、自分が生きることによって愛する人と共に生きている!!のだと
私は思っています。
どうか、みなさんの心の苦しみが癒されますように。
心からお見舞い申し上げます。
2011年03月18日
届きますように
アジアンにウェアを持って足を運んでくださったみなさん
本当にありがとうございました!!
締め切らせていただきましたので
よろしくお願いします。
みんなの暖かい気持ちが
被災地の方の勇気となればいいなと思います。
今日もみんなと
生ることを楽しみたい!
沢山会話を楽しみたい☆
心配してるぶんを祈りに変えたい!
きっと大丈夫。
2011年03月16日
暖かい場所
窓の外の雪をみつめながら
家にいた。
たまにテレビで被災地の状況や原発の状況を見る。
見れば見るほど、辛い気持ちが押し寄せてくる。
もしも、あうらがいなくなってしまったら。
もしも、家族の誰かが行方不明になってしまったら。
もしも、アジアンのメンバーの誰かがいなくなってしまったら?
友達が生き埋めになっていたら、、、。
もう帰る家がなくなっていたら、、、?
その もしも という現実に向き合っている人たちが沢山いる。
必死に家族が生きているかどうかの安否確認をして
避難所を回ってる人もいた。
涙が浮かぶ。
こたつのまわりで
あうらがいつものようにはしゃいでいる。
当たり前のこの光景が、
本当にありがたいことだと身にしみる。
家で小さく生活していようと思ってましたが
結局お昼過ぎにアジアンに行ってきました。
スキーウェアが四枚ほど見つかったので
それを持って
あうらを連れて。
あうらは家に置いていこうか悩みましたが
やっぱり何かあったら離れ離れは絶対やだし
どこにでも連れていくことにしました。
車の中で
ラジオを聴いていたら
アンパンマンの歌が流れてきました。
アンパンマンの歌を流すと
被災地の子供たちが喜んでくれているとのことでした。
子供たちに今、何が必要だろう?
物資も必要なのは確かですが、きっとメンタルの面でも
長丁場になるときつくなってくると思います。
辛いときこそ、
みんなの心を癒してくれるものが必要だと感じました。
まだそんな気持ちになれないかもしれないけれど、
こんな時こそ、
歌ったり、笑いあえるような人との交流があればいいなと思いました。
人は暖かい食事と
暖かい人との交流がとても大事なことだって
私は感じています。
家で一日中テレビを見ていると
それだけでとても不安だったり悲しくなったりするけれど
一歩外へ出て
今ここにある現実に目を向けたり
人と会って話をすると、
心がほっとします。
アジアンへ行くと
いつものメンバーがそこにいて、
いつもの暖かさがありました。
すごく安心した。
いつもそこにあるものが そこにあるということが
本当に幸せなことだって感じました。
あうらもみんなに会えて
すごく嬉しそうだったな。
アジアンには
なんと70枚以上のウエアが集まってました!!
これは被災地の極寒の場所へ送られる予定です。
くわしくはサンボさんのブログに載ってます。
みんなの熱い気持ちに
本当に感動しました。
今 自分に出来ることをして
被災地のみんなが
そして日本が
この悲惨な状態を
乗り越えることが出来ると祈っています。
サンボブログ
http://samboanm.naganoblog.jp/