2015年03月21日

わたしと母の物語



すっごい久しぶりにここに来ました。

毎日のように更新していたこのブログも

最近は一ヶ月に何回かしかアップすることが出来なくなっています。

パソコンを開く暇がない、、、。

そして平屋にまだネットを入れていない、、、という理由もあるけれど

何度か書いてはみたものの

すっきりまとまらない状態で、下書きばかりが増えていく、、、みたいな。(苦笑)

いやはや、大忙しの三月です。



三月のはじまりに、母が体調を悪くし、緊急入院するという出来事がありました。

今はもう退院し、大好きな片付けに精を出すほど元氣は取り戻しております。

入院するとき、実は母はかなり衰弱しておりまして、

わたしは一瞬、まさかのまさかを想像してしまったんですね。

母はずっと体調を崩していて、その夜私は実家にいたのですが、

母が倒れてしまい、二人の娘が寝付いたところだったので

私はこのままではまずいなと思い、救急車を呼んだんです。

二人の子供を置いて病院へは行けないし、かといって

動けない母とこどもを連れて病院に行くことも出来ません。


するとサイレンの音で長女が起きてしまって、

どかどかっと入ってきた救急隊員の人たちの姿を、ドアの隙間から長女はじーっと見つめていて。

「ばあば、具合悪いから、救急車呼んだんだ。でも大丈夫だよ。」

とあわてて抱きしめると、以外としっかりしていて、

これがうわさの救急車!!といった感じで興味津々、、、。

でも突然

「あーちゃんふるえてる」

と、ぽつり。

見ると、本当にガクガクと震えていました。

慌てて毛布に包んでぎゅっと抱きしめました。

実は私も、背中がとっても痛くなっていて、冷静を保ちつつも身体は本当に正直で、、、。

電話で兄に事情を説明し病院へ行ってもらうことにして、

わたしたちは家で待つことにしました。


サイレンを鳴らしながら救急車が遠のいていって。

少し春の陽気を感じる、生ぬるい夜の香りを嗅ぎながら

長女とぎゅっと抱きしめ合いました。

そして家へ入って

こたつに二人で並んでお茶を飲みました。


母のいない家は

どこか急に色を落としてしまったかのように暗くなり、

私は痛かった背中がお茶を飲むとすーっと癒えていくのを感じました。


もしこのまま、母がいなくなってしまったらどうしよう。


そんな妙な不安がわたしを襲って

私がいままで母に頼ってきたこと、してもらってきたこと が走馬灯のようにばばーっと

心に浮かんでは過ぎ去っていきます。



小さい頃から、母はずっと身体が弱い人で、

私は何度もこの不安に取りつかれたことがありました。

私はまるで小学校のときの自分になってしまったようでした。



母が手術のため入院してしまったとき。


寂しくて仕方なくても、

私には自分を大切にしてくれる兄がいました。

母が少しでもはやく退院してくれることを祈りながら

出来るだけ弱音をはかずに、前向きにいようと思っていました。

父が作ってくれた 野菜が大きなカレーの味。今でも覚えてる。

父も仕事に、なれない家事に必死だったんだろうな。



でも、母がいないだけで

自分の大好きな家は、家でないように感じました。

母がいないキッチン、いつも寝ている布団、母が座っている場所、、、

ひとつひとつに

子供だった私は寂しさを感じて、毎晩こっそり泣いていたのでした。



そして今

大人になった今

父はもう、カレーを作ってはくれません。

遠い空の彼方から見守ってくれているだけ。


兄には、守るべき兄の家族があります。

そして私は



私のとなりに

小さな女の子が座っています。



わたしにぴったりとくっついて。



その暖かさは

涙が出るほど心地よくて

そして私に、勇気をくれました。


「ママ、ばーばにあした会いに行こうね 」


「うん。もしかしたら、しばらく入院かもしれないね」


「あーちゃん、ママがみーちゃんうむときも、にゅういんしてるママに毎日会いにいったでしょ。

ばーばがにゅういんしてるときも、ぜったい毎日おみまい行くから!!」


「うん。 そうしようね」


わたしには、今

こんなにも愛溢れる娘がいる。


そして、何事にも動じずに

ゆっくりと寝てくれていた次女のみーちゃん。


二人の娘がいてくれる。



わたしの、家族。


小学生だった頃の私は

こんな未来を想像していたでしょうか?


母から産まれた私。

そして、いま私も母となり。



布団の中で、あーちゃんが寝たあとずっと

わたしの中から様々な想いが溢れてきました。


わたしと母との物語。


小さかった頃のことから、私が妊娠してタイへ渡ったときに

やりとりしてきた気持ち。

火の粉が見えるほど、衝突したときもあるし

ずっと、ずっと

母を越えようとしては失敗し、

母の願う娘になろうとしては失敗し、

母のようにはならないぞと反発し。。。



そうやって私は、母を通して様々なことを体験し

そして様々な気持ちを得てきました。


今は、本当に感謝しかないです。

このようなじゃじゃ馬娘と、よくぞ縁を切らずに

ずっと付き合ってくれ、孫たちのお世話までしてくれて。



長女が生まれてからもうすぐ五年。


言いたいことは言い合える母と娘の関係。

困ったときは、助け合える 家族の形。

思いっきり、ぶつけたこともあったけれど

わたしは母を選んで生まれてこれて、本当に良かったと思っています。

そして、私を選んでくれた母。


5月10日母の日に発売する 空色カミュのCDアルバム「産月」の

一番最初の曲に、「たましいの宿る場所」という歌があります。

この曲は、お腹の中にいる赤ちゃんが感じてる気持ちを歌にしたものなのですが

最後に、

「いつも大好きだよ お母さん」

という歌詞があります。

この一言を素直に言えるまでになったんです。わたし。

ずっと、言えなかったんだよね。



こどもは、お母さんが大好き。

うちの子はよく

「ママなんて大嫌い!!馬鹿!!」

って言うんだけど

これを翻訳すると

「ママ本当はすごく大好き!!もっとわたしを見て!」 なんだよね。


ありのままを好きになって

わたしを、みとめて。

ママのイメージした 子供像ではなくて

わたしという存在そのものを 愛して。


「どうしてあんたは普通じゃないの?」

という母の言葉に反発して

わたしはもっともっと、人とは違うわたしを、母に見せつけようと反発していたことがあるけれど、

今となっちゃ、

なーんだ

わたし、お母さんのことが大好きで

もっとそのままの自分を認めて欲しかっただけなんだよなーって

ジタバタしてる子供みたいだったなーっと。笑える。


そして、お母さんにもニコニコ楽しく

自分らしく人生を送って欲しいといつもこころの底から願っていたんだ。


私が自由に、自分がすきなことをして生きていくと決めているのも

母にもそう生きて欲しいとずっと思っていたから。


いつも、家族を一番に考えてくれてるお母さん。

でももっと、これからは自分の時間を

大切にしてもらえるように


私がちゃんと、していくね。


母にはじーじの分までしっかり、長生きしてもらいたい。


わたしは本当に、たくさんのギフトを両親からもらっている。

ほんとーーーに

いつも、ありがとう!!!!






(二歳のころのあーちゃん)

































  
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2015年01月24日

奇跡がおこったお話。






こんばんは。

癒し家アーティスト 空色カミュです。


怒涛の一月のスタート。

肋骨骨折三本 に 咳喘息に。

一体、わたしの身体 どうなっちゃった??

からはじまった 2015年の幕開け。


お陰様で、パソコンを娘達が寝てから開けて

こうしてブログが書けるくらい、元氣を取り戻しております。

みなさまありがとう☆



身体の健康って

本当に 本当に ありがたい☆☆

痛いところがないって、本当に本当に

それだけでまるもうけ。


そして今 生きてるって、めちゃ貴重、そしてハッピー。


「 わたし この地球に なにを叶えにきた?? 」 

大げさに思われるかもですが、

わたし今回、本当にもし明日死んでしまったら なんて考えてしまって

やり残したことなんだろう?って

本気で考えてしまって。


で、 もし一日だけ 時間があるとしたら何したい?  て考えてみたらね

お世話になった人みんなあつめて

コンサートしたい!!歌いたい  っていうのもあって。

あー、やっぱり

歌いたいんだって すごく思いました。



そして、はじめての妊娠からお産、そして自分育て、子育ての中で

自然にうまれた曲たちを

ちゃんとCDアルバムにして、娘たちへの贈り物にしたいって

すごく思ったんです。

もちろん、娘たちだけでなく、子宮から生まれたすべての人に。


というわけで、来週レコーディング決定!!

インドの旅の中で出会い、共に路上やカフェでライブをやったSHANTHI-K が

ちょうど長野に来ることになり、レコーディングをお願いしました。

共に母である喜び、葛藤、そして子宮の記憶を

コンサートで奏であってきた朋さんのすばらしいピアノの伴奏と共に、、、

キラキラした、まばゆい子宮の世界から

この世にうまれた喜びを もう一度思い出す曲を。



アカペラのこもりうた

眠りの世界へいざなう物語、、、

ただいま、イメージ 膨らませております。

このイメージが、どんな風に表現されるか今からとても とても楽しみ。


子宮が懐かしく、暖かくなる一枚として、産みだしたいと思います!!!!!!

みなさん、ぜひお楽しみに!!!


これもまた、 お産だわ。



今回の自身の痛みや辛い症状の苦しみの中で、こういう辛い体験を毎日している方や

もっともっと辛い思いをされて生きていらっしゃる方、

その家族を介護さてれいらっしゃる家族の方々の気持ちなど

様々なことに気がつかされました。

いつも元氣で、疲れていたり、痛みを抱えていらっしゃる方をケアする側だったわたし。

でも今回、動けなくてどうしようもなくて、

本当に身体も精神的にも ぽきっと折れてしまったような感じだったときに

起こった奇跡☆

そうそう、このお話まだしてませんでしたよね。



それってね。


ずっと

シングルマザーで、ふたりの子供をわたしが背負って生きていかなくては!

って、すごく強い気持ちで生きていたんですが、

あー

ちがった!!


わたしがそう思えば思うほど、実は妙なロックをかけてしまっていた!!

ということに気が付けたことです。

こどもを産んだわたしに、子育てというものすべての責任があるように感じていたわたし。

でもよく考えてみたら、そんなことないよね?

なんでわたし、そんな風に思い込んだんだろう???



シングルマザーなんだから。

わたしがしっかりしなくちゃ。

すべて 産んだわたしの責任。



どこでどんな風に そんな風にかたくなになってしまった??





動けないわたしに

あうらは、「ママはろっこつおっちゃったから」 と言って、いつもはおんぶに抱っこなのに

甘えることを我慢して、歩いてくれた。

一歳のみーも、わたしにわがままなんてまるで言ってこない。

いつの間にか、成長していく娘たち。



実家の母は、精一杯助けてくれた。

そして病気の子供らの父親に、育児なんて助けてもらえないと思い込んでいたのだけれど、

今回子供たちとたくさん遊んでくれ、本当に助かった。


あれ?

あれれ?

なんだ、、、わたしが動けなくても

こどもたち 幸せそうだし、生きてるし。

 

それにびっくり!!!


そっかー




どうにかなるもんだね。


それに甘えすぎてはいけないけれど、、、。


でも、 自分が自分がって

役割をすべて持ちすぎても

結局持てなくて折れてしまうんだから

役割分担、上手になる必要があるなあ。



それに気が付けたことが

奇跡。


シングルマザーのみなさん


肩の力

ほどよく抜きたいですね。


人は

みんな ひとりで生きてるんじゃないんだね。



そんな歌、そういえば自分で歌っていたよね。(笑)

歌では出てくるのに

なぜ日常にそれが反映されてないのさ~

もう。潜在意識ではわかってるのに

それを素直に反映できない

ヒネクレ者のわたしと今年はさよならしたいなあ。








PHOTO  BY KAMYU  @INDIA2009 PURI 















  
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2015年01月19日

忘れたくないもの


もしも、何か願いを叶えるために

それと引き換えにひとつ

自分の大事な記憶を失うとしたら?


あうらは

一番失いたくないものはなに?


そんな質問を、昨日寝る前にした。


するとしばらくだまり

真剣に考えたアウラがこう答えた。

『 ママの歌を忘れたくない。

あーちゃんの歌も。ババの歌も。

パパのうたも。みーちゃんの歌も


あーちゃんは歌を忘れたくない!』


ウルウルと目に涙をたくさん貯めて

そんな答えをくれたアウラ。


素晴らしい答えをありがとう。



それともう一つ。


これは今日の夕ご飯の時の話。

『 今回の骨折で本当に思ったけど、

人生いつ何があるか分からないから、

やりたいことは後回しにしないで、ちゃん

とやるべきだと思ったよ。

お母さんも、やりたいことやった方がいいよ。

人生に悔いが残らないように』


と母に語るわたし。

するとあうらが突然

『 あーちゃんは、ミーちゃんくらいの時に
同じこと思っていたよ!』


だって!

やりたいことやんなきゃって。

一歳くらいから気づいていたって。

アウラは本当に欲しい物はバンバン手に入れるし、

行きたいところは行くし

やりたいことはやるし

ガマンなんて全くしない人だ。

人の迷惑、顔色なんてさっぱり気にしないで

我が道をいく。

まわりは大変だけど、でも誰もアウラを見捨てたりしない。

すごいわ。笑




今日は久しぶりに自分の洋服を買いました。

欲しい物、全部買わせてもらいました。

明日はオシャレしよう♡


ずっとマスクにニット帽にコート姿で

本当にやばかった!苦笑

今年は沢山オシャレしたい。

髪型も変えたい♡


明日は新月。


新しいイメージ描き歩み出そう。

大分体力回復してます。

みなさん、応援ありがとう♡





  
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2014年12月12日

シュウマイの皮と夜空

私はしょっ中

あれない。これない。
どこいったんだろう?

と探し物をしている。

最近よくなくすのは帽子

帰って来て、帽子を脱いだらここに置く

と決めたはずなに、

何時の間にか別の場所にいっている。

そして長女も全く同じ。

あれない。これない。
と、一日中探し回っている。

やんなっちゃうなあー。

昨日、久しぶりに友人と長電話。

潜在意識について学んでいる彼女は

子供は自分の潜在意識の投影をしていることを教えてくれた。

子どもだけでなく、親も、パートナーも

好きな人、なぜか嫌いな人も

みんな自分の潜在意識の本音に気づかせてくれているようだ。

最近、長女のことで色々悩むことが多い日々を送っていたが、

娘の困ったちゃんなところは、実はそっくりそのまんま

わたしも親に困らせている部分でもある。

保育園に行かないのも、

実は私が行きたくない、行かせたくないと潜在意識レベルでは実は思っている?!

さてさて、冒頭でも書きましたが

わたしは本当に注意力散漫だし、

探すのが苦手。

目の前にあっても、なぜか探すと見えなくなる不思議。。。

今日は、夕ご飯の前に
シュウマイを作る準備をしていて
さあーて、皮で包むぞって

さっき買ってきたはずの
シュウマイの皮がどこにもない。

あれ?

と、探しても本当にどこにもない。

車を探したり、ゴミ箱の中まで探しても見つからず、

シュウマイ諦めようと思ったら

娘が絶対シュウマイ食べたい!!

と怒り出し。

まさかと思ったけれどスーパーに電話し、

『シュウマイの皮の忘れ物はありませんでしたか?』と聞くと

ありますよ。


の答え!!!


でも、もう夜だし寒いし、
明日にしようと思ったんだけど

娘がじーっと熱いシュウマイ目線おくるもんだから

取りに行きました。

夜空はキラキラ。

近所だから、走って行った。

まっていてね、あーちゃん!

シュウマイ、作るからねー!

ピューん



久しぶりのジョギング

しっかりシュウマイの皮を受け取った帰り道

こんな風に

冬の夜をひとりで歩いたのなんて

何年ぶり?

と、心がときめく。

まるで、はじめて夜をひとりじめした

少女に戻ったかのよう。

寄り道出来るほどの余裕はないよ。

寒いから。

本気で。 笑


その後

あーちゃんとシュウマイまるめて

みーちゃんは

よちよち

にこにこ。食べてくれた。



最近

ずっと一人になれなかったから

突然訪れた 開放感が

たまらなく癒されました♡

一人でいることが

当たり前だったあの頃が懐かしい。

この前、娘とばあばとスーパーで
買い物していると

案の定 こどもら騒いで色々大変で

わたしは少しイライラ

そしたら

知らない酔っ払いのおじさんに

『 絵に描いたみたいに幸せな光景だなあ』

と満面の笑みで言われて。

わたしね、

いつも

幸せそうな親子みるたびに

いいな〜なんて思ったりしてたんだ。

でも、そっか~!

私たちも

そんな風に人に見られていたんだ!




衝撃だったんだ。


なんだか

イライラしていたけど

この日常は

宝物だなあと

改めて


感謝いたしました。

あの酔っ払いおじさん

実は神様なんじゃ!?


あなたも

誰かからみたら

幸せそうな人

なのですよ。

そしてそれは


本当に

そうなんだと思う。







  
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2014年12月03日

世界のだっことおんぶの絵本




図書館でふと目にとまったこの絵本

~世界のだっことおんぶの絵本~ 

中をめくると とってもカラフルで素敵な

世界中のだっことおんぶ 肌にぴったりとくっついた赤ちゃんの日常が描かれています。

グアテマラのお母さんは、やわらかい布の中に赤ちゃんを入れて

お乳を吸わせながらパンを焼いています。

西アフリカのお母さんは 鮮やかな布で赤ちゃんを包みおんぶして

頭に水のいっぱい入ったボールを乗せて 赤い大地を歩いています。

パプアニューギニアのお母さんは お母さんの頭にひっかけられた

涼しい網の袋に まるで子宮にいるかのように丸くなって包まれています。

お母さんは頭だけで紐をぶらさげた状態で、両手には木の杖を持って

いさましく歩いています。上半身は裸ですから、赤ちゃんは好きな時に自由にお乳が飲めます。


世界には、たくさんのお母さんと赤ちゃんがいて

みんな手を動かし生きるためのこと、家族を守るためのことをやらなくてはなりません。

でも、こどもを離したままの状態だと、赤ちゃんはすぐに不安になり

泣いてしまいます。

しかし、お母さんや、お父さん、おじいちゃんおばあちゃん

肌のぬくもりにぴったんこしていると

赤ちゃんはとても穏やかな気持ちで

生きるためのことをしている自分を守ってくれている人たちの背中から

様々なことを見て、感じて、学び取っていきます。


わたしは長女をタイの山村でお産したとき

まさしく、こういった民族のお母さんのような育児を望んでいました。

暑い国の民族のお母さんのように

上半身はいつも裸で、腰に布をまき

いつでも赤ちゃんと肌を密着させ、飲みたいときにおっぱいをお飲みよ~と、

鼻歌を歌いながら抱っこしたり、おんぶしたり

洗濯したり、ごはんを作ったり

そんな暮らしが、とっても羨ましかった。

実際、タイにいる間は、

家の中ではそんな感じに過ごしておりました。

長女は、生まれてから数日はずっと裸でした。

本当に暑かったので、、、。布で包む感じにしていました。


日本にいる母に写真を送ったらとってもびっくりされて、

お願いだから服を着させてあげてと

日本からたくさんの産着を送ってくれました。

はじめての育児で、いままでまったく使っていなかった筋肉を使いはじめ

わたしは両腕腱鞘炎になりました。

少しの物音でもすぐに起きてしまうほど、感覚が敏感な子だったため

一日中本当にずっと、抱っこしていなくてはなりませんでした。


でも、上の子で鍛えられたためか

次女のお世話ではおんぶも抱っこも軽々出来るようになり、

腕の筋肉もつき、背中も強くたくましくなったため、

長女をおんぶし、次女を前抱っこして階段を登ったり

そんなことまで出来るようになってしまいました。

筋肉のある身体って、こんなにも動きやすいんだ~!!と

感動しております。

娘たちよ、鍛えてくれてありがとう。(苦笑)


育児に煮詰まったときなど

世界のお母さんたちの育児などを垣間見れる本など手にすると

わたしはとっても気持ちが落ち着きます。

特に、山岳民族とか、自然と共生して生きている民族の子育ての様子をみると

本当に、ほっとするのです。


山があって

野原があって

川があって

鶏とか牛とかが そのへんをウロウロしていて

わたしは大好きな柄の布をまいて 

こどもをおんぶして歩いて

夕日が美しいなーなんて

うたを歌って。


隣に住む家族と

ごはんをわけあったり

野菜を育てたり


子供たちは

別に無理に学校に行く必要もなくて

家族と一緒に 生きるためのことをしている中で

様々なことを覚えていく。


生きるために本当に必要なことって

毎日宿題に追われることじゃないと思うのです。

テストの点を気にして

覚えても仕方のないことを 必死に覚えるために使う時間よりも

もっともっと 大切なことってあるよなあ。


きっとみんな どこかで 思ってる。



そしてもう

窮屈なことを 

がまんする必要がない時代になってきている。


うちの娘は

それをわたしに教えてくれています。





あのお産から四年過ぎて、、、


わたしは

いつの間にか

この社会でうまくやれる方法と バランスを取ろうとして

またもや 本当にわたしが意図していることと

違うことをしていた部分があったかなあーって。

でもそれって、ある意味

それをしなくては生きていけないって思ったからだったし、

今のわたしにはとても大きな学びをくれた体験でした。


必要だったから得れた体験。



でも、本質のわたしに


もっと近づいてもいいんだなって思う。









わたしらしい 生き方 どんどんしていこう。

















  
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2014年11月30日

「ない」 は 「ある」。 

どんよりとした大きな雲は

なんとか流れ 

光がほんのりと差込出しはじめた。



まだ独身だった頃は

自分の浮き沈みの激しい性質にうんざりしつつも

何かを無償に描いてみたり

夜中踊り狂ってみたり

ひとり部屋に閉じこもって 音楽を足の裏から聞いてみたりして解消していたけれど

二児の母となったいまでは

自分の浮き沈みに付き合う暇もなく

忙しなく子供たちを追いかけなくてはならず

どんどん、自分に向き合う時間というものが減っていく。


自分で選んだ道とはいえ

シゴトと育児と、自分のやりたいことを叶えていく時間というのは

やはりちょっと持ちすぎているようだ。

人の手を借りなくては、もうどうにも回らない。

人というのは良く出来てる。

本当に無理になったら、やっぱり倒れるし

倒れてみると、自分がいかに持ちすぎていたかが分かる。

じゃあなんでそんなにひとりで持ってるのか?と考えてみると

お願いすることが苦手だったり、どこかでプライドがあったり

我を張っていたり、いろいろと勘違いしていたりする。

あとは思考の整理整頓できていないとかね。

ただでさえ頭の中がいつも大騒ぎでこんがらがっているのに

やることに追われてしまうと更にコードはからまり始め

二十代前半に過呼吸になっていたあの頃を

ちょっと思い出したりした。

そういえばあの頃

友人にこんなことを言われたことがあった。


「倒れたり出来る人はいいよね。わたしだって倒れたいよ」 と。

なんて嫌味なことを言うの!!と、そのときはカチンときた言葉だったけれど、

今となってみると理解出来る。

精神を病んで苦しんでいたころと私は今じゃ立場が変わり

フォローする側というのをここ数年体験しているが

それはそれで本当に切なかったり辛いことも多い。

でも、結局は人が人を治すことなんて出来ない。

自分の中で人は、成長していくことが出来る生き物だから。

自分に元々ないものは、出逢いによって気づかされ、

自分にないものを埋めようとしても、中々埋められないけれど

持ってるものをより生かすことによって、ないものをカバーすることは出来る。

結局のところ、私たちは 自分には「ない」があるからこそ 結びつく。






なくて良かった。おめでとう。

それに気が付けるのは

「それがある」人に出会ったときなのかもしれない。





ギフトのような 出逢い。






娘たちは

私から生まれてきたことは確かだけれど

身体は別々である以上 やはりたましいも別々で

どんなことを考えているのか どんな気持ちでいるのか

なにをしたいのか 何を怒っているのか

大体のことは察することはあっても、100パーセント理解することは出来ない。

それはもう、おなかの中にいる時からそうで

こちらがよかれと思ってしていることでも

実は子供にとってはプレッシャーだったり

すごく不安に感じることだったり しているかもしれない。

答えなど分からない。

わからないけど、出来るだけ分かってあげたいとは思う。


娘はよく自分の思い通りにいかないとパニックを起こすのだけど

とにかく、娘の気持ちにたって代弁してあげると収まるのが早くなる。

こどもは親がどうして怒るかなんて分かってるし、一度言われれば本当は理解できている。

でも、わかってるけどやりたくなってしまったり

あえてやってみたかったりすることってある。


そんな気持ちをただただ、わかってほしい わかってほしい。と言えないまま

泣き騒いでいるよう。


だから、親の立場から躾るつもりで叱ったりするともう、火に油を注ぐような感じ。


「そんなことはあーちゃんだって、わかってるの!!!」

と、30分、いやや一時間でも泣いている。

でも、こちらだって

気持ちをわかってあげていても、どうしたってイライラしてしまうこともあるんだよね。人間ですから。

母だって、ホトケではないのですよ。

子供たちの想いの強さのかんしゃくを

とにかく受け止めては過ぎ去るのを見守る

なんて忍耐が必要なんだろう、、、。


とりあえず

そんな忍耐の必要な暮らしだからこそ

リラックスしたり 共に楽しめる 落ち着ける空間づくりは必要で

特にわたしもストレスに弱いタイプなので

自分の住んでる場所や着るもの、食べることにおいても

ストレスのないものを選んでいる。

「 気持ちがいいことが 好き 」

リラクゼーションサロンをやっているのも、そんな理由。

精油が好きなのも、そんな理由。

食べ物も、最近のわたしは あまりこだわりはない。

こだわらないけど、おいしいものを、出来るだけわいわい楽しく食べたい。





ハンモックはそんな私たちの癒し処。

お母さんのおなかの中にいたときって

きっとこんな感じだったんじゃないかしら?


そりゃあ きもちええわ~。




明日はいよいよ12月。


タイヤ交換、みなさんはしましたか?


雪さん、もう少しだけ待って欲しいなあ。

窓の外、ぴゅーぴゅー言ってますけれど。。


それでは おやすみなさい













   
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2014年11月26日

立ち止まるとき

ご無沙汰しておりました。

こんばんはカミュです。

久しぶりにパソコンを開いております。

みなさん、お元気でしたか?


新月の夜に地震がありましたね。

日中、空色でみんなと集いあっていて

とても暖かく平穏な時間を過ごさせてもらっていて

空もとても美しい日でした。


しかし、あの揺れのあと

みんなが不安で恐ろしい気持ちに包まれました。

しかし、その後

たくさんの人が

人をほんとうに大切に想う気持ちに出逢いました。


女性はいのちを産みだしたり 愛で包み込む 育むエネルギーに長けていますが

男性は いのちを救ったり 助けたり 守ったりするエネルギが長けています。

救助の現場では本当にたくさんの男性が活躍されていて

すごいなあと改めて感じ、男性のすばらしさに気づかされました。

被災された方々が、少しでもはやくあたたかい暮らしに戻れることを祈っています。

なにも出来ないわたしが、言葉だけでこんな風に書くのは

なんだかとても申しわけないのですが、、、。





人のこころが揺れるときがあるように、

地球さんも 揺れるときがあります。

何に向かって、揺れているのでしょう。。。

どんな意図があるのかな?

それは、地球さんにもわからないことなのかな。



わたしたちの身体は、揺らすと、とっても緩みます。

そして変化を生み出します。


地震はほんとうに、地球上に暮らす私たちにとっては

辛いことですが、

誰も責められないですね。

わたしの家は揺れましたが、ありがたいことに特に物が倒れたりはしませんでした。

しかし、去年の夏から一緒に暮らしていた金魚が

死んでしまいました。


地震のせいなのかは分かりません。

ずっと、寂しそうにしていた金魚。

どうして、水槽で生きてるんだろうって、

わたしはいつもその光景にいたたまれない気持ちになっていました。

お祭りでもらった金魚。

わたしは正直、毎日ちゃんと世話をするのが苦手なのです。

金魚と、どうコミュニケーションとっていいのかも分からず、

水槽の掃除も嫌で仕方なく、

飼いたいと言った娘は、見向きもしなくなり、、、。

そんな気持ちで、生き物を束縛している自分にも嫌気がさして、、、。

金魚は、わたしたちといて幸せだったんだろうか。

満足な暮らしもさせてあげてなかったことが、ほんとうに申しわけない。


死んでしまった金魚。

いつもある場所に、いない。

会話はなくても、金魚からたくさんのことを学ばせてもらったことは確かで

小さな泡となったあなたを感じると

なんだかとても寂しくなるのでした。

いままでありがとう。 

どうぞ 安らかに。



長女が保育園に行かなくなって二ヶ月くらいたちます。

わたしたちの暮らしのリズムは、ガタガタと崩れました。


私から離れることを極端に嫌がる彼女のこころの中のトラブルを

もっとはやく改善してあげるべきだった。


わたしは間違ったことをしていたのだ。 と

今夜は認めざるとおえなかった。

寝る前に、彼女とこんな会話をしました。

今日は妹のミイのお迎えに保育園にあーちゃんと行ったので、

ついでにあーちゃんのクラスを覗きました。

みんな、とってもかわいい顔でお昼寝していた。

でも、なんだかそれはとても

遠い世界のような気がしました。



「あーちゃんは保育園で、あんな風にみんなとお昼寝してたんだね。」

とわたしが言うと

あーちゃんは

「 うううん。あーちゃんはずっと起きていた。おふとんの中で目をあけていたよ。
 
 あーちゃんがいない間に、ママやバーバが死んじゃったらどうしようって

 ふあんでずっと眠れなかった」

と言って、大声で突然泣き出してしまったのです。


そのあとずっと、 もしママがしんじゃったらどうしよ~!!って

大泣きが続き、、、。


「大丈夫だよ。みてごらん。いまここにママはいるでしょう。 

 そんなに簡単に、死んだりしないから安心して。」 と 抱きしめていたら

すーっと寝てくれました、、、。

最近、私から離れることをほんとうに嫌がっているあーちゃん。

保育園に通ってるとき、お昼寝出来ないから行きたくないと

たびたび言っていました。 でもそんなときもあるよね、なんて言って

誤魔化していた私。




わたしお母さん失格だ、、、



あーちゃんが寝たあと

急にわたしも涙腺がゆるんで

のどの奥が痛くなるほど 涙が出てしまいました。


わたし

間違っていたな


わたしが がんばれば がんばるほど

どうして あうらは保育園に行かなくなるんだろうって

あうらのこと ちょっとうざったいって

思ってしまってる部分も正直あった。


わたしが頑張らなくちゃ  みんなで生きていけないじゃんって思ってた。

外へ 外へと

母がエネルギーを注ぐってことは

それ以上に

こどもにエネルギーを注いであげないと

バランスとれないんだよね。

でも、そんな暇もなくて


ダメだ ダメだ


ストップ!!!


ちょっと ストップして やり直そう。


でも正直

経済的には、ストップしていられないのだけど、、、。


方向転換しよう。

イメージイメージ


子供たちが 安心して笑顔でいられて

わたしもハッピーで

みんなも ハッピーでいられる環境づくり

シゴトのあり方

私らしく

作り直してみればいいんだ。


自由でいいんだ。

とらわれなくて いい


過去のあり方に やり方に 制度に

わたしたちは あたらしい人間なのだから




たくさん 泣いたらすっきりしたわ。


もっと わたしたちが望む未来を

作っていけるよ


あうら ありがとう

気づかせてくれたね。


共に 作っていこうね。



























  
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2014年11月16日

頭、やわらかくして生きていこう☆彡


こんばんは、カミュです。

なんだか、おひさしゅうございます。

ある朝、目やにで目が開かなくなり、、、

そしてその後鼻詰まりと喉の痛みが続き

熱とかはないのですが、、、意識がもうろうとしてパソコンを開ける気にもなりませんでした、、、。



いつも、動物なみの嗅覚バリバリで生きてきたのに、まったく匂いも感じないし味覚もないし

どうしてしまった?? で4日目です。

一瞬このまま一生味覚も嗅覚も復帰しなかったらどうしよう?と真っ暗な気持ちに襲われたり

いやいや、そんなこたーないわい。と冷静になったり、

でも、なにを食べても味がわからないと喜びも半減、、、

食感だけが妙に口の中で踊り

料理の味付けに本当に困るのと、

においがしないと

食べ物がたとえば傷んでるのかどうなのか?とか、悪いもの入ってないか?とか

そういうのも分からないし、 

わたしの大好きな子供たちの匂いもかげないし、、、

うんちが出てるのかどうかも、見なくちゃわからない。

そして、大好きな精油をかいでも、まったく匂いを感じない切なさときたらもう、、、。

そこを思いつめるとちょっと、パニックになりそうなくらいに悲しい。

まあ、きっとそのうち治るでしょう。


五感のバランスが崩れて

テレパシーもいつもより出来ないような、直感力もさえないような、、、

人の話も聞き取り辛く、意識もぼけーっとしてしまう。

そんな中ではありますが

週末は、6年ぶり?!とかで会う、当時高円寺で一緒に住んでいた友人たちが

子供たちと一緒に長野に遊びに来てくれました。


久しぶりに会っても、まったく久しぶりな感じもせず、みんな母となっても対して変化なく(笑)

でも、子供たちに向ける眼差しや、言葉使いなどはとても新鮮で

あー、こんな風な隠された部分があったんだなー。

母となり、開花したんだなーって、人間てどんどん柔軟に変化していくんだなーなんて

しみじみしたり。 みんな、とっても素敵なおかあさんになっておりました。

本当に、素敵な家族のような存在。 そして子供たちもあっという間に仲良しになり

自分のこどものように、愛おしく感じるのでした。

帰ってしまったいま、寂しい。はやくまた会いたいなーって思う。

次会うときはまた、大きくなっているんだろうね。



今回、久しぶりに会った友人と

限られた時間の中ですが、本当に様々な気づきをもらいました。

東京で暮らしていた精神を病んでいた独人時代の自分と、

その後旅を経て、心身共に自分なりの健康を取り戻し 長野に帰ってきた自分。

タイで自力のお産をして、

そして長野の実家でシングルマザーとして母と共に子育てをしてきたこの4年と半年の時間の流れの中で

私の中には本当にたくさんの 価値観の変化がありました。

ひとつ屋根のしたに共に暮らすというのは

ある意味、大きな身体の中に違う意識を持った魂が宿っているような、、、。

ひとりで生きていれば 悩まなくてもいいような問題も

みんなで共に抱えることになったりもするし、

ひとりで生きていたら味わえないような喜びを

みんなで共に喜びあうハッピーなときもあります。


ひとつ屋根のしたに暮らすというのは、やはり家族になるってことなんだろうな。

だから、シェアハウスしていたみんなとも

とても家族を感じるんだろうなあ。


いまは、長野で本当の家族との暮らしをしているわけですが、


☆自分が大切にしたいこと

☆母が大切にしてきたこと してること

☆こどもが大切にしたいこと

大切に思うことは、どんなに近い家族であっても全然違ったりする。


その違いを押し付けることなく、分かり合えたら喧嘩なんてならないのだろうけど

そんな簡単にいかないこともあるんだよね。

時代の背景の差もあるしね。

喧嘩しても、なにしても

また仲直りして、やっぱり家族っていいねって笑い合えるのが

わたしたちカミュ一家の良さであるでしょう。

母の孫育てへの気持ちと、わたしの子育てへの気持ちが違ったりするとき

喧嘩にもなりますが

根本的には 娘たちへの強いLOVEがあってのこと。

でも、そんな親の気持ちなどつゆ知らず

こどもは子供の生き方で、親をバンバン 跳ね除けてきます。

必要のない心配はいらない

過保護はいらない

でも、見るとこはちゃんと見ていて欲しいし

甘えたいときは 甘えさせてほしい

長女の欲求はジェットコースターみたいで

わたしはたまに振り回されるし、自分も一緒に振り乱してしまうこともある。

 
自分がこれは大切だと思ってきた価値観も

娘に否定されると もう一度やり直しといった感じで

本当にそうなのかな? と一緒に考えてみたり。


娘を叱りながら、でもほんとうにわたしが言ってることが正しいのか?と

途中で躊躇してしまい、途中で撤回してみたり、、、。

娘よ。


お母さんが絶対じゃない。

お母さんは結構 頼りない。

お母さんは忘れっぽいし、ミスも多い。

お母さんの生き方でいいなと思うところはどうぞ真似して

でも、あんまりだなーって思うところは

ぜひとも もっといい改善策を編み出して

自分の武器にしていって下さい。

なんて、無責任な母でしょう。

ええ、それがカミュちゃんです。


もう、ママなんて呼ばないで

カミュちゃんでいきましょうか。


寒くなってきたので、もっと書きたいことあるけれど

集中力もないので

寝るとしましょう。


頭、やわらかくして

どっちもの道もあり

どんな自分も

どんな娘もあり

抱きしめ合って、眠れるこの夜が

数億年以上 待ち望んだいまかもしれないってこと。


長女が教えてくれたよ。

「 みーんなね、からだの中には かみさまがいるんだよ。

 そのかみさまは、まもってくれてるんだよ。

 だから、みーんな、死なないんだよ 」


そして今日はこんなこと言っていた。

「かみさまはね、あーちゃんが保育園いかなくたって かわいいねっていってくれるし

 あいしてくれているよ 」


って言っていた。


本当だね!!



すごいこと、


また教えてくれてありがとう☆彡















  
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2014年11月01日

お産の波と 共に


11月1日

次女みのりが今日 一歳のお誕生日を迎えることが出来ました。

いつも応援してくださっているみなさま

暖かく見守ってくださってるみなさま

家族のみんな (一番お世話になってるMyマザー)

本当に ありがとうございます。

みんなの力があって、今日まで健やかに成長することがで出来ました。



今日は

長女のあうらが熱を出し寝ていたので

久しぶりに みのりと二人だけでお風呂に入りました。

裸でぷにゅぷにゅのみのりを抱きしめると

愛おしい気持ちが わたしの内側から溢れ出してきて

ああ、わたしたちは

身体は別々だけど まだまだどこかで一体であるなあと感じました。

お風呂で にんまりと笑うみのり

わたしのおっぱいを見つけると

なんとも嬉しそうに触ったり 飲んでみたり。

一体いつ、母と子というのは分離するものなのでしょうね。

お乳をあげている間は、母はこどものおなかのすくリズムで

胸が張りだします。

それは、ちかくにいても、いなくても。

こどもは お母さんのお乳がいのちの源であり

睡眠のリズムも、お腹がすくリズムも

自然と同調していきます。

そんなミラクルなことが、この地球で起こっているなんて!!

わたしは母になるまで知りませんでした。

自分のぺちゃんこなおっぱいが

まさか 赤ちゃんを産んでから こんなにも大きくなるなんてことも

知りませんでしたよ。(笑)

ついでに、背中もね、声もね、腕もね  大きくなったけどね。

母になって思うのは

ドラゴンボールでいうならば スーパーサイヤ人に変身できるようになってしまったみたいな

自分の身体や精神の変化へのおどろき。



こどもはいつも、いろんなことを教えてくれます。

私という生き物の中にある、自然な部分

動物である 部分

強さ 弱さ  


わたしたちの生命って、ずーっとずーっと昔から続いてきたもの


人の数だけお産があって

人の数だけ 育児があって

、、、

人の数だけ  愛があって


何億年前から??  そういうのって続いてきたんだろうね





すごいね


あなたの生命も  わたしの生命も

みんな

誰かの手の中で 育ててもらってきたんだ



みのりが生まれたとき

わたしは歌をみのりからもらいました。


先日のオアシスのコンサートで歌った動画をYOUTUBEにUPしました。


わたしはライブをいつもビデオで撮っているのですが

子供たちへの未来の密かなプレゼントなのです。



彼女たちが大人になったときに

そういえばなーって

なんとなく思い出して聞いてくれて、

母の愛や葛藤、、、でもやっぱい 愛であることを うたを通して感じてくれたらなあ なんて

思っていたりして。

身内の歌って、どこか恥ずかしくて聞けないんだけどね。あれってなんでかな~??

今回は、最後のUKIとのセッションをあうらがビデオをはじめ撮ってくれてたんですが、

「ママ、もっとこっちだよ。 ちがうちがう。あーもー見えない!!」 とか

彼女の葛藤する声が入っていて笑ってしまいました。

あと、こどもたちがビデオにドアップで写っていたりとかね。。。かわいいの。(笑)


よかったらご覧下さいね。

「たましいの宿る場所」 今回は、途中からわたしの最近の気持ちが連なりだして

また新たな形になっています。

その時 そのときで変わっていく わたしたちのうた

10年後には どんな気持ちで歌っているんだろう。

曲も育っていく。




この一年

本当に 本当に

すごい波がたくさんきました!!!


泣いたことも すっごいたくさん

笑ったことも すっごいたくさん

苦しんで 辛くて どうしようもないときも たくさんあった!!!


でもね、なんか思ったことがあって

わたしよく 乗り越えるっていう言葉をうたうんだけど

乗り越えるっていうよりも

陣痛と同じように

受け入れて

流していく

乗り越えるっていうよりも

乗りこなすっていうか、、、


無理に 越えようとするから苦しくなることってあるでしょ

そうじゃないのかもなって気づいて。


陣痛のいきみは 最後まで呼吸と共に逃していくと

赤ちゃんは 自分の力で すとんと生まれてきてくれます。

そして、会陰は無理に伸びることがないので

切れないですむんだよね。(会陰マッサージとかしておくといいね)


そういうことなのかなーって

お産と感情ってとっても不思議。

結びついてるからね。すべて。

お産から学ぶことって山ほどある。

どんどん

紐解かれていく感じです。


みのり

わたしのもとへ来てくれて

ありがとう。 あなたのやさしさ 真のある強さ 美しさ

永遠のものだよ


これからも よろしく。


あうら

この一年よく頑張ったね。

今日はすっかり赤ちゃんになっていて

高熱で 苦しそう、、、

今夜は 一緒にねようね

こころゆくまで 甘えておくれよ









 











  
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2014年10月04日

そうだったのかー。



数年前 

私はある人に

自分の少し先の未来と

過去世をリーディングしてもらった。


まず過去世


 「 大草原、、、みどりの絨毯みたいなところで、 娘さんとふたりでお花を編んで遊んでる姿が見えます。

 この娘さん、いまのあうらちゃんですね。 」

私 「場所はどこですか?」

 「ヨーロッパのようです。 」

私「旦那さんはいますか?」

 「 どうやら一緒には暮らしてませんね。 」

私「え、そのときも?!、、、今世でも同じですね。。。」


「でも とても幸せそうです。 うん、とっても」


幸せなら、な、いいか。 でも果たして私、過去に夫婦円満だったことってあったのかな?
今世で、もうそういうの、やらなくていいのか?(笑)



そしてちょっと先の未来のお話で、住む場所のこと。

わたしはずっと、旅をしていたころから山の方で暮らしたいという願いとビジョンがあった。

こんな家で、こんな暮らしで、って

結構リアルに思い描いていた。 でも、どこか踏み切れずにいた。

「 私、山で暮らそうかどうか悩んでいるんですが、山で暮らしてますかね?」

「 それは、もうすぐ自分自身んで決めるときが来るし、自分自身で決めるべきだと、後ろの人に言われていますよ 」

私 「え?!  やっぱり、そうですよね。自分で決めなくちゃな~。」

というわけで、そんなリーディングから早三年くらい過ぎて、

わたしにようやく、その決断のときが来たのでした。

山で暮らすのか 町で暮らすのか。 

実は、長野を出るっていう流れも来ました。

でも結局、その流れは止まった。

でも、その長野を出ることになるかもっていう疑似体験のおかげで、

いま、わたしがどれだけここに、大切な仲間がいて、大切な繋がりがあるかってことが

本当によくわかったし、

長野がすごく大好きだってことも、分かったし、わたしが学ぶ必要があったことが

ちゃんと体験出来て、そしてそれを解決することが出来たの。


それがあったからこそ、

いまのわたしに一番、適してる場所ってのが分かって

今回、稲里町に引っ越すことが出来たのでした。

自分で必死に探したし、自分でたくさん思い描いた。



山で暮らしたい私の気持ち、

もう少し先でもいいなって思ったし、

よーく 想像してみると、わたしは町の方でやることがたくさんあるな、と思った。

山はたまに、イベントや催し物、友人たちに会いにいくって感じが

バランスとしてもいい。




自分の場所探し。

それまではどこか、誰かに身を任せていた。

わたしはあなたについていく。

そんな、感じに。あとは、流れにも身を任せていた。


人任せな人生ほど、楽なものはない。

でもね、人任せな人生になれちゃうと、本当の自分がわからなくなって

生きてる実感、持てなくなっちゃう。

わたしは誰だろうって。

わたしはその体験を二十代で散々してきたので、もういいんだった。

流れに身をまかせる旅人の生き方も、柔軟性においてはかなりいい面を持つけれど

でも、流れまかせすぎると、行き先があれ?ってこともありうるね。

やはり、自分でカジとりしたほうが、自分がしたい体験が出来る。



何事もバランスね。


そして、見つけ出した最初のアパートは、とっても気に入ったけれど

大家さんに二度も断られ、めげた。

かなり落ち込んだ。。。

でも、それからまた一生懸命探して探して探して~

いまの物件に巡り合い、そしたら一気に決まった。

そして、とっても大家さんもいい方で、わたしは物件がとても気に入ったので

現状維持でいいですと言ったのにもかかわらず、

古いキッチンとお風呂のガスを新しく

トイレをウォシュレットに、

畳をサロンの部屋を新しくフローリングに変えて下さり、しかも家賃まで下げてくださった、、、。

何も言っていないのに、とっても居心地のいい暮らしの家となった!!!

これにはびっくりです。

本当にありがとうございます。

いまのわたしたちに、ぴったりな

平屋で小さくまとまっていて

すてきなおうちとなりました。

これから、ここにたくさんの人が 訪れる。

わくわくします。


なんだか、本当に

自分の準備が整えば、宇宙は最大のエネルギーを注いでくれるんだなって思いました。

宇宙にはつねに用意されてる。

それを、自分が受け取るか 受け取らないか。 なんだなって


受け取りたいな、たーくさん










10月8日のまほうのて教室 「 ヘッドマッサージとアロマ温湿布の会」 まだ残席あります。

何回かやってきている内容ですが、毎回とてもみなさんに喜んで頂いております。

目の疲れ、肩こり、頭痛、ストレス、悩み、
なんとなく、元気ない、眠れないとき
こどもが、興奮してるとき

そういうのが ぽーーんと とれるヘッドマッサージと アロマのほやほや温湿布は
最高の組み合わせです。

家族に、お友達に、こどもたちにしてあげたら
絶対に喜んでもらえます!

その日ね、満月なんですよ。

一緒に秋のみのりをお祝いしましょう。

参加費  2000円 (お茶、お土産バスソルト 付き)

10時半~12時  講座後  お弁当食べながら雑談予定 

持ち物 午後残れる方はお弁当 

sorairo39room@yahoo.co.jp   090ー6798-3583

ナチュラルセラピー空色   (稲里一丁目)

ご予約、お気軽に お待ちしております。 お子様もご一緒にぜひどうぞ。








のんびり たのしく そして 学びあう   

そんなじかんを過ごしましょう











  
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2014年09月22日

平和を持ち寄る 






みなさん こんばんは。

ふあ~~~あ。

なんだかとっても、とっても。

ここ数日間の出逢いと繋がりと、愛と、、、 のボリュームがとっても多くて

大好きな天使のケーキ屋さんのチーズケーキみたいに

濃厚でほどよく甘く、食べ終わったあとにとってもシャンティな気持ちに包まれるあの感覚が

ずーっと続いております。

妊娠中にも、深く落ちついたところに あたたかい羽があるような気持ちに包まれることがあったよなあ。

懐かしい。 そうそう、それによく似た しあわせな感覚。


20、21日と篠ノ井長谷寺で秋分祭が行われました。

来てくださったみなさん、本当にありがとうございました。

ブログやフェイスブックを見て、興味を持って来てくださった方や、歌を聞きに来てくださった方もいて

とっても嬉しかったです。 (^^)

3,11の年より始まったこのお祭り。

私たちがあの震災で感じた、大きな悲しみや恐怖。

日本人のひとり一人が、これから生きていくうえで何が大切なのか、

何を選んで生きたいのかと、真剣に考え、

行動にうつしはじめる大きなきっかけを作ってくれた。


そんな気持ちにあふれた中で、はじまったこのお祭りに集まった人々の祈りが

今年で四回目になるお祭りの中でもちゃんと息づいていて

そして、毎年 お祭りは様々な表情を見せてくれてとても面白い。

ひとりひとりが発信したものが、大きなバイブレーションとなって

長谷寺を 彩る。


今年の秋分祭は とても暖かく 

繋がりをしっかりと深く見せてくれたように、わたしは感じました。


長谷寺での奉納演奏。

実はわたしは過去にも何度か長谷寺で歌わせてもらっているのですが、

空色カミュとしてのボーカルソロでは、初めてでした。

今年、色々なところでいのちやお産の歌を歌わせてもらっているそんな中で 

時折ふと

今年は長谷寺で歌いたいなーとどこかで感じていた。

そのイメージが9月に入ってからリアルさをまし

わたしの頭の中で流れだした アメージンググレイス。

そこに繋がった 言葉も出てきて、、、。

それを青空のしたで 気持ちよく歌っている自分が見えていた。

長谷寺について、丸さんのバンスりと 小西とっこさんの詩の朗読を聞きながらお参りし

そのすてきな詩にこころが踊り

すぐさまとっこさんの詩集を買わせていただき、ページをめくると

ひとつの詩がわたしの中に舞い込んできた。

これをぜひ今日、歌いたい!と思ってさっそく とっこさんの元へ。

そして更にダンサーでもあるとっこさんに、ぜひそのとき自由に踊っていただきたいとお願いすると

快くOKをいただきました。 

そして本番、 実はもうひとつ、わたしの中のイメージの中にあったもの。

それはまるさんのバンスリとアメージンググレイス!!

ライブ直前にこれまた突然お願いしましたが、こちらも快くOKをいただき

長谷寺スペシャルメンバーでの奉納演奏となりました。

みなさま、さすが音を楽しむ アーティスト です!!!

わたしと朋さんの間には楽譜は一切ないけれど

こうやって即興で ノリを合わせられるのは

なんともいえない パイプラインがあるのを感じられて とても楽しいです。





最初の曲は、朋さんのインスピレーションの即興演奏で始まり、、、
とーっても太陽がまぶしくて、目が開けれないほどで。

キラキラしたエネルギーがたーくさん降ってきて

光 、、、  という言葉が朋さんから生まれて。

わたしは、真言を音にのせました。 これは人々へというより

長谷寺でいつもわたしたちを見守ってくださっている 観音様 仏様たちへの

感謝の奉納です。

その後、ここに生まれてきた魂たちみんなへのうた

「きらめく命のうた」 を歌いました。



その後、アメージンググレイス を。

アメージンググレイスのメロディに オリジナルの詩を勝手に付けちゃいました。




雨が やみ 雲が流れて
ひかり さしこむ 大地に
みのり 溢れて
輝き 揺れる
美しい 我らの ふるさと

痛み 抱えて 生きる人々
それでも 一歩を 踏み出す
こころ 開いて 共に歌おう
すべての 平和を 祈って


  
やはりこの曲には とっても まるさんのバンスりの音色が合いました。

朋さんの奏でるピアノと絡まって きもちよく、空へと泳いでいった、、、





本当にありがとうございました。

うたえる喜び、奏であえる喜び。

わたしの中での平和の持ち寄りってなんだろうって考えてみても

やっぱり うたうことが一番だなって 再確認出来た演奏となりました。




そして、キッズスペースはこんな感じに。


たくさんの子供たちに囲まれて、とても楽しい時間となりました。





写真、とってる暇がまったくなくて、、、

ドリームキャッチャーも、とっても大きなものや、すてきなものが たくさん出来ていました。

わたしも新居用に作りました! やってみるととっても簡単でびっくり。編み方が難しそうって

勝手に思い込んでいたけど、、、。

そうそう、世の中って勝手に思い込んでることって結構あるよね。

やってみると、わたしにもできる ってこと、沢山ある。 

タイパンツ販売も大好評で、持っていったものは残りひとつだけ!! ありがとうございました。

マッサージは、手があかなくて出来なかった、、、(><) ご期待に添えなくて本当に残念。。。

楽しみにされていた方ごめんさい。ぜひ、ナチュラルセラピー空色へいらしてくださいね。

次は10月13日の清泉女学院で行われれる ヨガ祭り でお会いしましょう!!

地球のお母さんうた と 命のおはなしで 空色カミュ 出演します。

ヘッドマッサージ、メディカルアロマの講座やミニワークショップなどもやります。

詳しくはまたお知らせしますね。

二日目のとりのUKI で 最後はみんなとくるくる舞いました。

わたしもミーを抱きかかえながら 踊りまくり。

気持ちよかった~!!

そんなジャムバンド UKI と、 今度 飯綱OASIS さんで共にライブをする話が進んでいます☆彡

10月あたりのどこかで、、、。 まだ未定です。 わくわく ウキウキ!!

絶対楽しい。 ぜひお楽しみに~~。

10月は引越しに ライブに イベントに まほう堂でのインド108展に 

カミュは大忙しです。 

去年の10月はみのりを妊娠中で臨月でした。


またなにか わたしは産み落とすようです。

 
最後になってしまいましたが、長谷寺のご住職、ご家族の皆様、秋分祭を準備してくださったすべてのスタッフのみなさま

地域のみなさま、アーティストのみなさま、出展者のみなさま、、、お会いしたみなさま

来れなかったけれど、気にかけてくださっていたみなさま

本当にありがとうございました。



生きるって 素晴らしい。  ね。

わたしは勝手に 大きな家族を感じてる。。。


あうらも、二日間

わたしの手を離れた世界で とっても楽しそうでした。

成長したなあ~。

お互いに。





  
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2014年09月19日

明日、長谷寺で会いましょう。


いよいよ、明日は篠ノ井長谷寺の秋分祭です。





20日(土)は、フリーマケット、フリーパフォーマンス ワークショップなどあります。


21日(日)は 様々な催し物、 奉納演奏などがあります。 (出店、フリーマーケットはありません)


明日20日


キッズコーナーでは、先日もお伝えしましたが、

祈りのドリームキャッチャー作りをやります

参加費500えんです。


時間は 親子で木の実拾いができる方は 11時から15時半まで随時

13時からは あみあみしています。 お天気いいといいですね~!

物語のあるモノ作りnonoさん、まほう堂のれいちぇるが教えてくれますよ。

わたしは木の実を拾いにみんなと探索出来たらいいな♫

絵描き、フェルトのお花作りのSAIさん、ダンボール電車を作ってくれました。

子供たち、みんなでわいわい、楽しんでくれるかな? わくわく☆





そして、二時半頃、 (八坂村の朋さんが到着してから
フリーステージで朋さんと一緒にライブする予定です!!

空色カミュのうた、聞いてみたい~!と思ってくださっているありがたきみなさま、

ぜひ午後まで一緒にあみあみしながら いろんな日々のお話したりして楽しみましょうね。

わたしが知ってる限りだと、

まほう堂

nono

SAI

天使のケーキ屋さん

お菓子のマドさん

ままオーブンさんも出店
すると聞いています。

わたくし ナチュラルセラピー空色は 

大人気 かっこよく履ける巻きスカート風タイパンツ

子供のタイパンツを販売しますよ~。(^^)

気になっていた方、ぜひです☆

他にもとっても素敵なお店やフリーマーケットも大集合。

フリーステージもぜひお楽しみに!!


おまけ

☆手があいていたら、10分1000円 でカミュのマッサージもやりま~す☆












  
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2014年09月11日

平屋を借りることになりました。



実は、最近ずっと物件探しをしておりました。

私と娘たちがにこやかに、そして小さく、

そして想像力は無限大に暮らせるおうちを。

そしてそんなおうちの一室で、空色をやりたいなー。

と、ずっと思っていたんです。

おちびちゃんふたり。

あっちに行ったり、こっちに行ったり。

まだまだ目が離せないお年頃。

今の私たちに一番ありがたいおうちってどんなだろう?

やっぱり、平屋がいいな~。 日当たりがよくて、小さいながらもお庭も欲しい。

車も何台か停められて。 交通量が激しくなくて、音が静かなところがいいな。

出来たら公園も近くにあって、娘たちが一緒に遊べる小さなお友達が多いところ。

実家にもそんなに遠くなくて、今、空色に来てくださっているクライアントさんも

来てもらえやすい距離がいい。

訪れてくれた方が、なんだかほっと出来るような、暖かさが感じられるおうちにしたいなー。

ホテルみたいな高級感は、そういう意味では必要ない。

ほっこりする感じの、おうちがいい。


なんて、いろいろ思い描いて、この二ヶ月くらいでかなり色々な物件を見て周りました。

というか、最終的に わたしの中でまとまった 家への条件がこんな感じでした。

それまでは、色々 条件にも迷いがあったんです。

あーしたいな こうしたいな。でも山暮らしもしてみたいな、でもタイにも住みたいなー

あー、大きな古民家で畑もあってー でも街も近い方がいいよねー   とかなんとか。もう沢山。(笑)



でも実際見て回るたびに、自分の中の断捨離がどんどん行われて行く感じで、

あーしたい、こうしたい。でもなあー なんて迷っていたことも、

実際に自分が行動していく中で、イメージがどんどん具体的になっていって、

いまの自分に合った暮ら段々分かってきて

夢と現実がスリ合わさって、

「 これだ! 」 と決断していくことが出来るようになっていました。

わたしに必要だったのは、自由を外に求めることではなくて

自分自身から自由になるということだった。

自分が外に求めていた自由によって、自分は実は不自由にされていたという現実を知ったのです!!

視点を変えてみることって、すっごく大切だね。

大きな夢は、少し先にとっておこうと思います。

第一ステップとして、いまは貸家の平屋☆彡

いつかはおうちを建てれたらいいなーとか、どこかの古民家を買いたいなーとか

夢はどんどん膨らみますが、今の自分にはそれはまだ早い。


でも、欲を出すことは、悪いことじゃなかったよ。 

自分の素直な気持ちに気づくことが出来たから。それによって、今の自分を知ることも出来たし。



そして今日ついに!!! ここだーって思えるおうちに出会うことが出来ました☆彡



意外と平屋って 篠ノ井あたりは少ないのね。

そして古くてお安い物件は、お風呂がちょっとイマイチだったり、洗濯槽が外だったり。

最近、最後に見た物件は、千曲市にあった家賃四万円で、

3部屋プラス ダイニングキッチンが11畳あってとっても広い平屋でしたが、

なーんか、ちょっと、、、私とは相性が合わなかったみたい。

人が住んでない場所は、人が住むことによって

流れも変わるし、見違えるけれど、やっぱり最初の気持ちって大事だね。

きっと、あのおうちにはお似合いの住人さんが待っているでしょう。

わたしが今回出逢うことが出来たのは、

丹波島の元シュークリームさんというお菓子屋さんやおいしいラーメン屋さんるるもさんの裏の方。

自宅サロンをやってもいいよっていう大家さんに出会えたのも、ほんとうに感謝です。

不動産屋さんもとても親切で、話もトントン拍子に今回は決まった!!


ネットで見つけて、外観をすぐさま見に行き、

速攻不動産屋さんに電話をしアポをとり、そして今日内観。

古さとか、ドアをガラガラって開ける感じとか、タイル張りのお風呂とか

小さいキッチンについてる、戸棚とか。天井のデザインとか。

とっても懐かしかんじで、はじめてなのに、なぜかはじめての感じがしない

居心地がいいおうちです。 


 
気に入った!!!



そして、本当に小さいですが日当たりのいいお庭もある。 ここにデッキを作りたいな。

夢はどんどん膨らみます。 家や内装いじるのほど、楽しいことはないよね。

自宅サロンの許可も大家さんにちゃんと取れたので、一安心。

傷んでいるところは、壁の色も変えたりしていいとのことなので、

内装もいじれそうです。

わっくわく!!


10月の半ばくらいから、ナチュラルセラピー空色は丹波島に移動となります。

急で申し訳ありませんが、篠ノ井の今のおうちでの空色は、9月いっぱいとなります。

ここも、とってもとってもすてきな空間だったので、もったいないのですが、、、。

本当に、癒されるいいお部屋だったんですよ~。

しかしながら、次のステップにいくため、思い切って移動したいと思います☆彡


空色

9月24日(水) 10時から
9月26日(金) 10時から


ご予約可能です。

今のおうちで施術を受けてみたかった!という方、もしいらっしゃれば

ぜひご予約くださいね☆彡


9月25日(木)は10時半より 「妊娠~出産~産後~赤ちゃんのケアに役立つ、目からウロコのメディカルアロマ 講座」 です。

アロマ初心者の方、妊娠中にも使える精油をお探しの方、天然由来成分100パーセントのCPTG基準をクリアした

セラピー特級のdoTERRA社の精油を使った、目からウロコのメディカルアロマの使い方のお話会です。

ぜひ、お気軽にどうぞ。  


お問い合わせ  ご予約   sorairo39room@yahoo.co.jp











家を探してみて思ったけれど、この家を建ててくれた父と母のすごさを知った。

本当に、ありがとう。

わたしはこの家に守られていました。

娘たちも、この家で育ってきた。

本当に、大好きなおうちです。

私にとって、いまはこの家がお父さんみたいな感じがします。

お父さんやお母さんに守られていたいけど、

ちょっとばかし、またわたしは自分の人生の旅を楽しもうと思います。

シングルマザーで子供連れて自立するのは、正直、自信はあまりないんだけど

でも、子供をふたり抱えてって思うと、プレッシャーに負けそうでしんどいけど、

でも

わたしは一人じゃなくて、こども二人と一緒なんだって思うと

とても幸せだなって思える。


未婚でこども二人いますなんて、大きな声じゃいけないけどさ、

でも別に、小さな声で言わなくちゃいけないことでもない。

だって、わたし今

すごく幸せだから。

そして娘たちも、幸せだもの。

こういう生き方も、なかなかいいもんですよ。

おすすめはしないけど。 (笑)

























  
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2014年09月10日

母という器 




筋肉痛は痛い。

でも、その痛みのあとには、なんだかちょっとたくましくなった自分がいる。

子供との暮らしは、そんな筋肉痛によく似たこころの痛みがたまに伴う。

わたしは忍耐力とか、気合とか、我慢とか

昔から大の苦手。

そこうに辛抱強くいること、も苦手。

出来る限り、未来は予測不能でありたいし、

スケジュール帳に予定があまりない方が好きだし、

その日の感覚で動いていたい気質なのだった。

だから、無計画な帰りのチケットすらもたないその日暮らしの旅というのは

自分自身の気質にぴったりとハマって

今まで感じたことのないような、開放感と、喜びで身体もこころも生き生きして

ずっと自分を縛っていたものも、どんどん剥がれ落ちて

みるみるうちに、精神の病も治っちゃって、健康にもなっちゃったのだった。

旅にでると、わたしの 今ここに見えてる景色が びっくりするくらい違う日常に変わる。

海を超えて違う世界に足を踏み入れてしまうと、

不思議なことに、わたしは日本のことをまったく思い出さなくなってしまう。

頭の中にスイッチがあるのかなって思うくらいに、日本のことがOFFモードになっちゃうのだ。

だから今までホームシックになったことはなかった。

でも、タイでお産したときだけは違った。

生まれてきてくれたアウラが、あまりにも愛おしくて

こんな風な気持ちで、わたしを育ててきてくれた両親の気持ちにはじめて気がついて

あー、はやく あうらを抱きしめて欲しいって心から思った。

そして、父と母の顔の声が聞きたいな、会いたいなーと、すごく思った。

そんな風な気持ちになったのは、きっとわたしが今まで

父や母にほんとうに愛され、育ててきてもらったからだと思う。

忘れてしまってることもあるけれど、わたしが小さいころから求めてきた愛を

わたしはちゃんと父と母からもらってきた。

それって、ほんとうに、ほんとうに、ありがたいことだったなあと、

アウラを産んではじめて、両親への深い感謝が湧いてきたのだった。


わたしが日本を出て、フラフラと旅をしている間、

いつも実家の父と母は、わたしのことを心配してくれていた。

インドから中々帰ってこない娘。

来月帰ると言ったきり、やっぱりあと三ヶ月伸ばします。なんてこともあったっけ。

インドから母あてに送ったハガキには

「お母さん、わたしボーズにしようと思います。」なんて書いてしまって、

母に「お願いだからやめてください。」と、すぐさまメールの返事が来たこともあった。(笑)

結局はしなかったけれどね。

極度の心配性のうちの母にとって、それはとてもこころの筋肉痛をもたらしたことだろう。

うちの娘たちも、そんな風にして、わたしを育ててくれてるようです。

こころの筋肉痛をたくさん味わうと、人間としての器がどんどん広くなるに違いないと

わたしは思っている。

ちっぽけ~なわたしのこころ。

根性なんてまったくないのよね。

忍耐力なんてもってのほか。

でも、カレンダーに予約が入るのは、最近とても嬉しい。

わたしはここにいて、出会いたい人には出会えるし

やりたいこともやれるし、

好きなこと、たくさんしている。

自分がとっても、バランスよい感じになってきているような気がする。

わたしは9月うまれの天秤座。

今までの人生は、極度に偏ることによって自分本来のバランスを発見する喜びを体験してきたけれど、

もうそろそろ、そういう生き方はしなくても、自分のバランスがいいところを

見つけ出せるようになっていきたいな。

こどもから、大人へ。

そうそう、わたしはいつまでたっても子供みたいに社会を眺めていたけれど、

もう、十分大人なんだよね。

ふたりの母でもあるしね。

でもさ、愛って不思議だよね。

余分な愛は受けとりたくないんだよね、人間て。

両親がいくら自分を愛していても、その愛し方が自分を苦しめる方向だったりすると

受けとりたくないの。 拒絶しちゃうの。

でも、愛が足りなければ足りないで、人は飢えてしまう。

その人の心の中に、同じ愛の量があったとしてもね、

表現力の違いで、受け取り方がすごく変わってくるんだよね。

でも、あるとき

相手に完璧を求めていた自分に気がつくんだよね。

「こう愛してほしい。」 ってね。 

でも、そんなに人間みんな器用じゃない。

こどもは、お母さんに 自分が求めているものをちゃんと返して欲しいって

完璧を求めるし、母親は母親で、自分の理想の子ども像に子供が育たないことが

いらだちを生んだり、なんでうちの子はなんてことになってしまうけれど、

お互い、求め合うのはやめやめ。

自分の求める完璧な世界なんて、生身の相手がいる以上 ありえない。

父にも同じことが言えた。

なんでうちのお父さんは、、、てたくさん喧嘩して、いつも反発しあっていたけれど、

父が亡くなってから、

「あー、でも愛されていたなー。ありがとう 」って、父の性格をまるごと受け入れて

ほんとうに、心から 愛に気が付けるようになった。

ようは、素直にやっとなれたんだよね。

私はなんで素直になかなかなれないの?

もっと、生きてるうちに素直になれていたら、あんな風に反発しあう必要もなかったのになあ。

でも、そうやって、わたしは自分を試したり、チャレンジしたり、

親の言うことをまったく聞かなかったり、親が我慢していることをあえてやってみたり。

一通りのことは、こどもとしてやってきたので、

やはりもう、わたしは素直に大人になろうかな。 (笑)


大きな人にね。

































  
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2014年09月10日

母という器 




筋肉痛は痛い。

でも、その痛みのあとには、なんだかちょっとたくましくなった自分がいる。

子供との暮らしは、そんな筋肉痛によく似たこころの痛みがたまに伴う。

わたしは忍耐力とか、気合とか、我慢とか

昔から大の苦手。

そこうに辛抱強くいること、も苦手。

出来る限り、未来は予測不能でありたいし、

スケジュール帳に予定があまりない方が好きだし、

その日の感覚で動いていたい気質なのだった。

だから、無計画な帰りのチケットすらもたないその日暮らしの旅というのは

自分自身の気質にぴったりとハマって

今まで感じたことのないような、開放感と、喜びで身体もこころも生き生きして

ずっと自分を縛っていたものも、どんどん剥がれ落ちて

みるみるうちに、精神の病も治っちゃって、健康にもなっちゃったのだった。

旅にでると、わたしの 今ここに見えてる景色が びっくりするくらい違う日常に変わる。

海を超えて違う世界に足を踏み入れてしまうと、

不思議なことに、わたしは日本のことをまったく思い出さなくなってしまう。

頭の中にスイッチがあるのかなって思うくらいに、日本のことがOFFモードになっちゃうのだ。

だから今までホームシックになったことはなかった。

でも、タイでお産したときだけは違った。

生まれてきてくれたアウラが、あまりにも愛おしくて

こんな風な気持ちで、わたしを育ててきてくれた両親の気持ちにはじめて気がついて

あー、はやく あうらを抱きしめて欲しいって心から思った。

そして、父と母の顔の声が聞きたいな、会いたいなーと、すごく思った。

そんな風な気持ちになったのは、きっとわたしが今まで

父や母にほんとうに愛され、育ててきてもらったからだと思う。

忘れてしまってることもあるけれど、わたしが小さいころから求めてきた愛を

わたしはちゃんと父と母からもらってきた。

それって、ほんとうに、ほんとうに、ありがたいことだったなあと、

アウラを産んではじめて、両親への深い感謝が湧いてきたのだった。


わたしが日本を出て、フラフラと旅をしている間、

いつも実家の父と母は、わたしのことを心配してくれていた。

インドから中々帰ってこない娘。

来月帰ると言ったきり、やっぱりあと三ヶ月伸ばします。なんてこともあったっけ。

インドから母あてに送ったハガキには

「お母さん、わたしボーズにしようと思います。」なんて書いてしまって、

母に「お願いだからやめてください。」と、すぐさまメールの返事が来たこともあった。(笑)

結局はしなかったけれどね。

極度の心配性のうちの母にとって、それはとてもこころの筋肉痛をもたらしたことだろう。

うちの娘たちも、そんな風にして、わたしを育ててくれてるようです。

こころの筋肉痛をたくさん味わうと、人間としての器がどんどん広くなるに違いないと

わたしは思っている。

ちっぽけ~なわたしのこころ。

根性なんてまったくないのよね。

忍耐力なんてもってのほか。

でも、カレンダーに予約が入るのは、最近とても嬉しい。

わたしはここにいて、出会いたい人には出会えるし

やりたいこともやれるし、

好きなこと、たくさんしている。

自分がとっても、バランスよい感じになってきているような気がする。

わたしは9月うまれの天秤座。

今までの人生は、極度に偏ることによって自分本来のバランスを発見する喜びを体験してきたけれど、

もうそろそろ、そういう生き方はしなくても、自分のバランスがいいところを

見つけ出せるようになっていきたいな。

こどもから、大人へ。

そうそう、わたしはいつまでたっても子供みたいに社会を眺めていたけれど、

もう、十分大人なんだよね。

ふたりの母でもあるしね。

でもさ、愛って不思議だよね。

余分な愛は受けとりたくないんだよね、人間て。

両親がいくら自分を愛していても、その愛し方が自分を苦しめる方向だったりすると

受けとりたくないの。 拒絶しちゃうの。

でも、愛が足りなければ足りないで、人は飢えてしまう。

その人の心の中に、同じ愛の量があったとしてもね、

表現力の違いで、受け取り方がすごく変わってくるんだよね。

でも、あるとき

相手に完璧を求めていた自分に気がつくんだよね。

「こう愛してほしい。」 ってね。 

でも、そんなに人間みんな器用じゃない。

こどもは、お母さんに 自分が求めているものをちゃんと返して欲しいって

完璧を求めるし、母親は母親で、自分の理想の子ども像に子供が育たないことが

いらだちを生んだり、なんでうちの子はなんてことになってしまうけれど、

お互い、求め合うのはやめやめ。

自分の求める完璧な世界なんて、生身の相手がいる以上 ありえない。

父にも同じことが言えた。

なんでうちのお父さんは、、、てたくさん喧嘩して、いつも反発しあっていたけれど、

父が亡くなってから、

「あー、でも愛されていたなー。ありがとう 」って、父の性格をまるごと受け入れて

ほんとうに、心から 愛に気が付けるようになった。

ようは、素直にやっとなれたんだよね。

私はなんで素直になかなかなれないの?

もっと、生きてるうちに素直になれていたら、あんな風に反発しあう必要もなかったのになあ。

でも、そうやって、わたしは自分を試したり、チャレンジしたり、

親の言うことをまったく聞かなかったり、親が我慢していることをあえてやってみたり。

一通りのことは、こどもとしてやってきたので、

やはりもう、わたしは素直に大人になろうかな。 (笑)


大きな人にね。

































  
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2014年09月06日

ジンジャーな娘たち




ハピネスチャージ済みのカミュです。こんばんは。

びびっときた方、お疲れ様でした~!(笑)

今日は、劇場版ハピネスチャージプリキュアを観に

姪っ子と娘とバーバと一緒にキャピキャピしてきました。

先日、わたしの行きたかったコンサートに松本まで付き合ってくれた娘たち。

今日は、長女が大好きなプリキュアに会える!!ってことで、

今回はわたしが娘たちと一緒に楽しもうモードで行ってきました☆彡


正直、まさかこういう場所に自分がいるなんて、娘たちが生まれる数年前までは

想像すらしてなかったけれど、

わたしだけの人生にはなかったような体験が、

娘を通して体験できるのは、とてもおもしろいですね。

わたしの人生がごはんだとしたら、わたしの人生の主食はお米。

そして娘たちの人生は、おかずの中の生姜を噛み締めた時のように、

予想不可能なことが多いけれど、身体にスパイシーに効いて行く感じ。

(ごはん、、、ごはん、、、て書いてたら、お腹がすいてきちゃったよん、、、)





ドテラ社のエッセンシャルオイルで、ずっと気になっていた ジンジャーを先日ついに手に入れました。

すーーーっごい、 びっくりするほど ピュアで キリリ そして香りが甘いの!!

めっちゃくちゃ 好きな香りです。

ドテラのジンジャーは、そのままお肌に原液を塗布することが出来ます。

風邪で熱があるとき、ジンジャーをとることで、熱をかーっと出しきり、熱を冷ましてくれますし、

風邪の諸症状を緩和させてくれます。

消化器系、神経系にも働きかけてくれるため、下痢の症状や便秘も緩和してくれます。

あとは、吐き気にもいいそう。

子供ちゃんには、キャリアオイルで薄めて使いましょう。

ドテラのジンジャーの精油は飲用出来ます。

はちみつなどに入れて舐めてもいいし、炭酸水にジンジャーとレモンの精油を入れて飲んでも美味しそう。

この前、カレーを作るときにも入れてみましたが、とってもいい風味が出ていました。

これからの季節、重宝しそうな一本です。




9月10日の むくみやすく冷えやすい足のセルフトリートメントの会 ですが、
一名様キャンセルが出ましたので、一組様 再募集中です。

☆10時半より12時頃まで
☆参加費2000円 (お茶付き)
☆お子様連れOK


9月18日のアロマタッチは定員となったため募集は締め切らせていただきます♥

9月25日の マタニティ~お産~赤ちゃんのケア に役立つ
天然由来100パースントセラピー特級のドテラ社のエッセンシャルオイルのお話会 は
あと二組さま空きがあります。

聞いておいて絶対損はない内容となっております。
アロマのある暮らし、お薬の前に何か手段はないかな?などなど
精油について初心者の方 大歓迎です。
無理な購入などのおすすめはしておりませんので、
お気軽にご参加ください。

ご予約はこちらです!!

sorairo39room@yahoo.co.jp (お名前と電話番号を必ず明記してくださいね)
090-6798-3583









こちらは先日の、自分にご褒美 アロマハンドトリートメントの会 ☆の一コマです。

最近講座のとき、ついつい写真を撮るのを忘れてしまいます。

普段、中々自分の手を見る暇もないようなママさんたち。

ハンドトリートメント後、お肌はとってもつややか&ピカピカになられていました。

やっぱり、手は年齢が出ますよね。そしてその方の暮らしぶり。

私の手は、、、前よりは色が白くなったかな。

旅をしていたころは、いつもこんがり日焼けした手だったので~。

おかあちゃんの手になってきたな~。

楽しかったですね。ありがとうございました!

早速、家に帰ってお母様にトリートメントをして、喜んでいただけたとのご感想をいただきました。

自分だけでなく、家族との触れ愛の時間に繋がることがとても嬉しいです。



2日の お薬箱講座も、とても楽しかったですね。

参加してくださったみなさま、ありがとうございました!

実際にどんな風に自分の暮らしに役立てるのか?

この10本の精油のエネルギーが、どんな家族や自分のピンチを救ってくれるのか。

わたしもまだまだ知らないこともたくさんあります。

ひとつの精油の可能性は ほんとうに深い、、、。

そして、使う人によって、香りが変化することもとても興味深いです。

今はユーカリを散布中。

娘たち、のどが痛いので、、、。(><)

朝にはすっきりしているとよいなあ。

おやすみなさい。




































  
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2014年09月01日

日常が愛おしくなる



いま、わたしの住むここ 篠ノ井は

桃 と ぶどう の香りに包まれている。

フルーツが大好きなわたしにとって

そんな甘くてセクシーな果物の香りに包まれることは

祝福のとき。

そして、もうすぐりんごだね。

農家のみなさん、本当にありがとうございます。

去年の11月に生まれてきた次女みのりは、 そんな篠ノ井の果物たちを

お腹の中でたくさん食べて育った子。

だから、みのり。みのりんごちゃんのミー。


私たちが生きてる上で

ふとした瞬間に、感じることが出来る様々な香り。

たきたてご飯のにおい 味噌汁のにおいに包まれる朝。

保育園までの登園の道のりで、

自転車をこぎながら雨上がりの草花や、土のにおいを感じたり、

こどもを抱きしめたときに、ふと感じる 甘い汗の香り。

太陽をたくさんあびた洗濯物をたたむ時

思わずほほをくっつけたくなるような、おひさまのあたたかい香り。。。

みなさんは、どんな香りが好きですか?

あとあと、大好きな人のにおいってあるよね。

ずっと家にいると、外から帰ってきた人のにおいとか、わかるよね。

あー、外のにおい連れてきた。って思う。

初めて長女を保育園に預けた日。おかえりって抱きしめたとき

保育園のにおいがしていて、いつもの娘じゃないみたいな気がして

なんだかとても寂しかったことがある。

わたしは知らず知らずのうちに、こどもたちを自分のにおいをまとわせて

自分の子であるというマーキングをしていたんだ!とそのとき思った。

動物のお母さんも、そうだっていうじゃない?

人間のにおいがついた赤ちゃんは、自分の子でないと判断して

育てることをやめてしまたっりするって聞いたことある。

それくらい、においって生き物にとって大事なものであり、大切な役割が色々あるんだろうな。



実は自由になりたいお母さんの日記を書いた私に、

自由を与えてくれる体験が土曜日の夜に待っていました。

大好きなアーティストのライブをどうしても聞きたくて、松本まで娘ふたりを連れて

車で一時間半くらいかけて、仕事が終わったあと、出かけて行きました。

長女には行く前からお約束をしました。

「お母さんの大好きな人のおうたを聞きに行きたいんだけど、一緒に静かに聞いてくれる?」って。

そしたら娘はとっても嬉しそうにうん!いいよ~!と言ってくれて、

私はうれしくて嬉しくて、ちょっと疲れていたけれど、疲れてないふりして行きました。

でもね、結局ライブ、、、15分くらいしか見れなかった。 

夜になって、ロウソクの光がとっても美しい時間だったんだけど、

長女にとってはとっても怖い空間だったようで、途中で泣き出してしまった。

「電気つけてー。こわいよ~!」って。おうち帰りたい。はやくおうち帰りたい~~!!

ってね、大泣き。 わたしは顔面蒼白状態。 会場からはやく出ようって思ったけど、

アーティストの方が、気をきかせて、娘の前にキャンドルを集めてくださったの。

すごくありがたかった。。。

しかし、それでも怖さが拭えなかった娘はまたもや大泣き。。。

そしたら、うしろで見ていたおじさんが 突然 娘の耳元で

「おい、おまえ!うるさい!」 って怒鳴ったの。

もう、私すっごいショックだった、、、。

確かにうるさかったし、はやく会場から去るべきだったよね。

でもさ、耳ととでいきなり 「うるさい!」って、どうなの??って正直思っちゃった。

とてもストレートな一言、、、。

「 うるさくしてどうもすみませんでした。 」 と言って、

泣いている長女と、おっぱいして寝ているみのりを連れて

会場からそのまま去りました。 みなさんにも本当に申し訳なかったけれど、

私はとってもこころが痛かった。




でも、よく考えてみると、他人の子を中々叱ることが出来ない世の中で

あのおっさんはよくぞあそこまで 「うるさい」なんて言えたよな。

でも、なんかあれは 愛のある感じの叱り方ではなかったから、ぐさっときたんだよね。

「うるせーよ てめ~」 的な 言い方をこどもにされたから

ぐさっときたんだよね~。 

でもさ、わたしも娘にあんな風に怒ったことあるある。

「うるさい!!」って いやな言葉だなーって思うんだけど、

使ってることが最近多かった。

だって、ほんとうにでっかい声で泣かれると うるさいんだよね。

でも、改めておっさんの 「うるさい!」っていう言葉のエネルギー、やっぱり浴びてみて嫌だったな。


なんで嫌だったのかなって考えてみると、やっぱり

威圧的だったからかな。

こどもは不安で泣いてるんだから、うるさいって言って泣き止むわけないのにね。

親である私も、さっさと出るべきだったね。でもこころのどこかで

もうすぐ泣き止むような気がしていて、それを待っていたかった部分もあったかも。


会場には子供たちが他にもたくさんいました。

みんな寝っ転がったり、気持ちよさそうに音楽を聞いていた。

そういうこと、うちの子にも出来るって勝手に願っていた私。

そこに、夢を抱いていた私、、、。

うちの長女あうらは、わたしが歌うライブにも何度か連れて行っているけど、

いっつも嫌がっていて、いっつもはやく帰りたいと言っていました。

音に敏感だったり、空間に敏感だったり、人ごみが嫌い。

わたしが歌っていることが嫌なのかな?とか、まだ年齢が低いからかな?って思っていたから

一緒に観る側なら平気かなって思っていたけれど、

どうやらそうじゃない様子。 じっとしてるのもいやだったんだろうね。

あとは、暗かったのもダメだったんだな。 いつもとは異空間過ぎた。

そういうことにとっても敏感であるタイプであることを

わたしはもっとしっかりケアしなくちゃね。 一緒に楽しむことは無理なんだなーって思ったら

ちょっと悲しかったけど、わたしの趣味はわたしのものであるんだな。



もっと、娘の気質を理解して行動すべきだったなーと

改めて思ったし、わたしの欲に娘たちを付き合わせすぎたこと、

おまけにおじさんに怒られて

みんなにも迷惑かけて、、、

アーティストの方も、不愉快な思いをされたかもなーなんて思ったら

かなり落ち込んだけど、、、 たった15分だけど、大好きな人の生の歌声が聴けて

わたしはっても嬉しかったし、パフォーマンスも刺激になったし、ありがたい15分だった。

それと同時に、わたしがいまやっている昼間のコンサートは

お母さんが子供達と一緒にいつも楽しそうにしてくれてるし、

わいわいがやがやしてる中でも

届くところに届き

そういう悲しい想いをせずに、聞けるコンサートでありたいなと思った。

お母さんたちや子供たちが 気兼ねなく楽しめる場所でありたい。

わたしの 今までのライブの音源を聞くとね、

こどもの泣き声とか、おもちゃで遊ぶ音とか、叫び声とか入ってるんだけど

それがとてもとてもタイミングいいの!!

何回も何回も聴いてると、どこでどんな声がするか、音がするのか覚えてしまうんだけど、

それをすべて含めて曲になってる。





家に着いたのは夜11時近く。

車で娘たちはぐっすりだったので、帰りは楽だったけど、

雨の中の遠出ドライブと、こどもふたりの子守と、楽しみたかったのに中々楽しめなかったエネルギーたちが

想像以上に肉体的にも精神的にもどっと押し寄せて、

日頃の疲れや夏の疲れも織り交ざって

突然、発熱という形でわたしの中から飛び出してきた。


次の日 母にエピソードを話すと

「 こどもが小さいうちは、自分の楽しみなんてしちゃいけないのよ。 こどもを見るのが一番の母親の仕事なんだから、
 
  そのことをしっかりやってあげないと、こどもに負担がくるでしょう」 と言われ

わたしはそれでも

「 そうだけど、わたしは毎日ずーっとこどものことを一番にしてるし、夜遊びに行ったことだって今までないし、

シゴトも育児もして、ホントに、コンサート見に行くのだって、すっごい久しぶりのことなのに、

お母さんには楽しみひとつあっちゃいけないの?わたしはそうは思わない」

と、身体中、熱が出て痛い中、必死に答えていた。

そして答えながら、自分の貪欲さにもうんざりしていた。

そして、どこかで、ほんとうにそうだよね。とも思ってた。

なのに、どうしてわざわざ、わたしは自分の自由に打ち勝とうと戦ってるんだろう。


そして、はたと気がついた。

小さい頃から育児と家事と家族一筋だった母に対して、反発してる自分が未だにいることを。

 あーそうか。

私がこんなにも、自由を追い求める理由のひとつって

自分の母親を自由にしたいっていう願望の現れなのかもって。

わたしは母に、「 わたしたちを理由に、不自由にならないで」って 小さい頃から思っていたんだ。

こどものために、自分のものは一切買わない母親。

こどものために、自分の楽しみを一切しない母親。

こどものために、家にずっといる母親。

なんでそんなに自分を犠牲にするの?ってずっと思っていた。

母親に

もっと、自分のために服を買って欲しいし、自分の楽しみのために出かけて欲しい。

もっと、わたしをおいて遊びに行って欲しい。

もっと、自由になってよってずっと思っていた。

わたしの自由になりたいっていう気持ちは、もしかしたら、そんなふうに

自分を抑えて生きてる母親を見て、そんな風な母親に大きな疑問を抱いていた娘のわたしが

反発していたからこそのものなのかも、、、。

「もっと自由になって欲しい」 とう母親へのメッセージを

わたしは母に、自分の生き方を見せて伝えたかったんだ。


でも、結局 最近思ったんだよね。

そういう風な生き方を選んできたのは母であり、それはなんだかんだ言って

母のやりたかったことなんだって。それと同時に

ほんとうに、母親って自分のことなんて中々出来ないし、ましてやお金に余裕のある家庭ではなかったので

家族のためにまずお金を使ってくれていた母親は、ほんとうに子供たちのことを一番に考えてくれていたのだ。


わたしは罪悪感を感じてた。

お母さんが不自由なのは、わたしのせいなんだって。

だから、「お母さんは自由にしていい」を訴えたかった。

でも、それでもお母さんは自由を選ばなかったし、選べなかった現実もある。

いつでも、「子供のことが一番。」 であることが、うちの母のステイタス。

わたしだって、子供のことは大事。 でもね、自分のことも大事にしたいってわたしは思うし、

それって、悪いことじゃないと思うんだ。

でも、時期ってあるね。

わたしは、子供がいても、シングルマザーでも

出来ないことはないって思って戦っていたけれど、

その戦いから降りることにしたよ。

今回のことで身にしみた。

それは、わたしのやりたいことで、むすめたちのハッピーではない。

そしてそれを無理して行動にうつしたところで

疲れるのは自分だし、そんな状況では楽しめないし、娘たちの笑顔も見れないだろうと。

そして思ったよ。

旅に今はでなくてもいいなって。

身近なところにも、冒険はたくさん溢れてる。

いつも通ったことのない道を歩くだけでも

こどもにしてみたら、大冒険。

その旅を、わたしも一緒に楽しもう。

そして、それだけでは解消できないわたしの エネルギーは

表現に向けて、今ここからわたしのARTを旅させよう。


わたしの数秘術の数字は 「 3 」

なんだって。

3 はね、自分の内側を表現するエンターテイナーで、自分を表現することにより

他社の感情を解き放つことが出来るみたいなの。

愛の表現。 どんどんしていきたい。 わたしの人生の役割なんだね。

こうして、ブログに書く事もそう。

わたしの内面をさらけ出しているけれど、

だからこそ、誰かのこころの扉を開いくことがあるのかもしれない。

書く事も、歌うことも、セラピーも。

感情を開き、どんどん浄化していくような感触はとてもある。

お陰様で、熱は下がりました。

土日はゆっくり休んだ。

わたしがもうしばらく 旅はお預け って決めてから、

不思議なことが起こった。

旅ができない人生なんて、不自由だわって思っていたのに、

そんな気持ちにぜんぜん今、ならないの。

今、ここでこうやって暮らせていられること、

ももの香り ぶどうの香りに包まれいること

娘たちの寝顔

自分の大好きな志事が出来ること。

すべてが 愛おしいなーって思うし、刺激がなくても

そんな暮らしが

今のわたしの産後の身体にも、こころにもとても合っていて、

等身大のハッピーの中にいるんだなって。



長い文章、最後までお読みいただき

ありがとうございます。


明日からまた、楽しもう~。

たまに遊びのためにエネルギーをかなり使うと、 また淡々とした毎日が愛おしくなるね。

この愛しさを知るために、わざわざ遠出して疲れて熱出したのかもな。ははは。


おやすみなさい。







































  
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2014年07月17日

お腹の中からのプレゼント 動画UPしました。


寝る前に うたを歌っていたら

あうらがこんなことを言った。


「 あのね。ママのうたね、あーちゃんがお腹の中でつくったの。それをね、お腹の中から

ママにって、プレゼントしたんだよ 」


まあ。なんて素敵な!!



「 やっぱりそうだったんだね! じゃあ、ママのうたは あーちゃんが作りましたって、

 今度のライブの時言わないとね。 うふふ。素敵なうたを ありがとう 」


最近、あーちゃんが作ったというおうた達。

一緒に歌ってくれます。

いつか一緒にライブで歌って欲しいな~。


たくさんの子供達と、一緒に大合唱もいつかやりたいな。


15日、うるおい館でのライブを池尻さんに撮ってもらいました。

三曲あるのですが、

最後に歌った 前日に作ったうた

「つないだ手 のびてゆく影」 をYOUTUBE にアップしたので

よろしかったらぜひ、聞いてみてください。

この曲はまだ出来たてで

これからきっとライブで何度も歌っていくうちに

もっと変化が起きていくと思うのですが、

初めて歌った記念のライブとして

残しておこうと思います。


この曲は 

子供との暮らしの中で

どうしても辛くて

苦しくて

子供がわたしを求めて手を出してきたのに

振り払ってしまったときの

うた。






今日、泣いちゃったら

今日 喧嘩しちゃったら



寝る前に ハグして

愛を感じて




明日は 笑おう


それでいいんだよ


22日のライブにむけて、胸が高鳴っております。


コンサートの依頼なども受け付けています。

お気軽に、お問い合わせくださいね。

sorairo39room@yahoo.co.jp

090-6798-3583


kamyu

  
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2014年07月02日

こどものこころ 戦争と平和





小さい頃

夕ご飯を食べながら

テレビの中で どこかの国の兵士たちが

戦ってる姿を見て

とても とても怖くなって

ごはんがのどを通らなくて

そのニュースを食い入るように観ている父親に、

「どうしてこんなことするの?」

って聞いたら、

「めぐちゃんだって、友達と喧嘩するでしょ?それと同じこと」

って言われて、

「でも、けんかしても仲直りしたいし、殺し合ったりしないよ」

と返すと

「そうだな。 、、、大人にはこどもには分からない事情がいろいろあるんだよ。
めぐちゃんも、大人になったら分かるさ」

と返されて、、、。

「にほんでも、せんそう おこるの?」

って聞くと

「日本には、戦争は絶対にしません。ていう法律があるから、大丈夫なんだよ。
 むかし、日本は、戦争でとても辛い目にあったからね。
 おじいちゃんたちの世代の人が、そう決めてくれたんだよ。」

と話してくれた。


よかった。日本は、戦争はしない国なんだ。
でも、他の国ではこんなこと、起きてるなんて、、、。
信じられないけど、本当のことなんだ、、、。

 

その夜

布団にはいって

目をとじるときも、怖くてしょうがなくて

おねがいだから、戦争しないでほしい。

神様、お願いだから、戦争をやめさせてください。

誰も死ななくて、良くなりますように

って必死で祈った。

そしてもし、同じことが自分のまわりで起ったらと思うと

母親の布団にもぐりこんで

背中に抱きつきたくなった。

大人の事情ってなんだろう?

あの人たちは、こどものころ

わたしみたいに、人を殺すことは、とても悲しいことで

絶対にしてはいけないことだって

思っていたんじゃなかったのかな?

もしかしたら、今だってそう思いながら

戦ってるのかな?


そうだとしたら、なんて苦しみだろう。

なんて、悲しいだろう。

なんて、辛いだろう。

はやく、帰ってきて。

家族のまつ家に、銃を捨てて はやく帰ってきて。

お母さんは待ってるよ。

でも、それが出来ない状況に追い込まれているなんて

そんなことに、巻き込まれているなんて

想像しただけで、ものすごくかなしい。




なんの意味があるんだろう。

みんな、大好きなひとと

ごはんたべたり、どこかへ出かけたり

誕生日をお祝いしたり

手をつないだりして 

家族や友達のことが

大好きで 愛する人との暮らしを 守りたいんじゃないのかな?

そこに、幸せがあるんじゃないのかな?

ひとが大事にしてることを、お互いに大事にしあえば

殺し合いなんてする必要ないんじゃないのかな?

それ以上に だいじな おとなの事情ってなんだろう?

誰かが大切にしてることを うばっては

本当に幸せになることなんて出来ないって

しらないのかな?

ほんとうは、 みんな 殺し合いなんてしたくないのに

しなくちゃいけない理由がもしあるのなら

その理由を みんなで解決できないかな、、、。

おかあさんとも おとうさんとも

兄ちゃんとも おじいちゃんとも

先生とも ともだちとも

ずっと ずっと 仲良く 暮らしていたい。




☆  ☆  ☆





32歳

ふたりの娘の母親となった今。

戦争のことを わたしに話してくれた おじいちゃんはもういない。

おばあちゃんも、もういない。

おじいちゃんは、私が会いに行くたびに

いつも戦争のことを話してくれた。

おじいちゃんが、まだ中学生のころ

おじいちゃんは、大好きな勉強が出来ずに

戦う場所にいた。

青春を、そこで過ごした。

おじいちゃんの心には、戦争がものすごく色濃く、刻み込まれていた。

そしてどこか、時折 悲しそうで、時折 誇らしそうだった。

わたしは、そんなおじいちゃんをみて

おじいちゃんのこころの一部が、戦争というものに

蝕まれてしまったんではないかと思って、とても辛くて、悲しかった。

でも、おじいちゃんの戦争の話を、わたしは耳をそらさずに聞かなくてはいけないと

どこかいつも思っていた。

そして、戦争によって奪われたたくさんのいのち

沢山の悲しみ、苦しみがあったことを忘れてはならないし、

そして、もう戦争をしないと決めた日本であることが、とても嬉しかった。

そしてそれはこれからも、ずっとずっと

そうあるべきだし、


今、戦争している国も

ぼくたち、もう、戦争なんてやめた。と、

銃を放棄し、助け合う方向にエネルギーを使い始め


未来の人が、戦争の一切ない地球に
暮らし

笑顔でいる姿を、


夢見ていた。


いまも、

そうなるようにと 祈ってるし

すべての子供たちが

純粋な いのちが

戦場の悲しみを体験しにきたわけでないことを

祈っている。


人が殺し合って、奪い合ってまで


その先に 何があるの?



地球の歴史

いつまで 殺し合いを 続けるんだろう。



わたしたちには

様々な感情の表現が神様から与えられている。

喜び、悲しみ、苦しみ、憎しみ、怒り、、、



無感情でいること、平和を装うこと

哀しみを、包み隠すこと

平気そうな顔をすること

そんなことが いつの間にか 得意になってしまった日本人。

でも、いまこそ

間違ってることは、声に出して怒りたい。




「 お母さんは怒ってる。 」



全身全霊で、今

日本中のお母さんたちは怒ってるし、悲しんでいる。




こどもの頃の わたしたちの純粋なその気持ちを

わたしは忘れられないし、

きっと、憲法を変えたかった人たちもまた

こどものころはそうだったはずなんだよ。

忘れちゃったんだとしたら、思い出すまで おしりペンペン!!



彼らはもう、降りられないステージに上がってしまったのかもしれない。

だとしたら、引きずりおろして、押し入れにしばらく入れて

冷静な判断が出来るまで、おふくろの味のしたご飯を食べさせて

いのち とは何かを、もう一度 思い出してもらおうじゃないの。



ああ、でもどうしたら、いいんだろう。


声にして、伝える以外

わたしは方法が浮かばない。

みんなは、どうしたらいいと思いますか?











 































 


  
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2014年06月20日

みなさまからのコメント




昨日アップした

「辛いって泣いてもいいですか?」 という私のブログの記事。

様々な人が読んでくださり、

うちもそうなのよ~!! と、共感されたお母さんも多かった様子!

私のフェイスブックにコメントを下さった方々のメッセージが

とても暖かく、そして様々な気づきをくれたので

ここでぜひ、シェアさせてください。



「完璧に、理想通りに、って、がちがちにすればするほど、

理想から離れてしまうものですね。

最後の1文。

笑っているお母さんが好き、これに尽きる♡

どんな手の込んだ料理よりも子供の免疫を上げてくれますね」



「私は昔、子どもを預かる仕事をしていて、 こだわりがものすごく強い子とか、

言葉でのコミュニケーションが極端に苦手な子と接するのも日常茶飯事だったから、

耐性もあるし、それなりのテクニックも身についてたりしてるんだろうな~と思う。

でも、それでもムリだもの!息子にイライラして感情的に怒ったり、振り払って泣かせちゃうこともしょっちゅうだよ。

子どもが1人の時はまだマシだったけどね、2人目妊娠中あたりからはもう、

自分のダークサイド、見える見える(^_^;) だから気持ち、わかるよ~。

私だって、手抜きばっかりだよ。でなきゃ、やってられん(笑)。

しんどい時は、いっぱい話そ♪いつだって味方だからね(^-^)」



「自分でも知らなかった一面を知らしてくれたっていうこの子育ては

きっと自分をさらに成長させてくれるね。」



「本当に本当にそうだよね!」


「カミュがんばってるねー!二人の要求をひとりで満たすのはの難しい。

強い感情をぶつけて要求され続けると疲れちゃって、これが恋愛なら別れるかも!って感じだよね笑

わたしも最近、愛に関しては子どもの方が明らかに大きな心を持ってるなぁと感じてたよ。

子どもは母親がどんなでも離れたりしない。

娘を見ていて、人って『許すこと』を備えて生まれてきているんだと思った。

誰しも、人生の最初に備えているんだと。

『許せない』は、生きてるうちに持つようになる感情。

小さな子どもの頃はまだ持ってない。

子どもを傷つけたい親なんていない。

なのに、傷つけてしまった時は落ち込んじゃうよね。

その傷はひとつひとつ癒して愛してゆこう。

子どもはお母さんからの愛を感じられたなら、きっときっとマイペンラーイ!

子育てってほんと学びのときだね!カミュの笑顔がわたしも見たいー☆」


「ほーんとだね。

ダークサイド…
前にもカミュちゃんのblogで出てきたときにすごくぴたりな言葉だと思った。
ドキリとしちゃった。

まさにそんな自分を掘り起こして発見させてくれるよね。
彼らは笑っている母ちゃんが好きなんだよね。
成長してきていろいろな言葉や態度を表現してくれて、
そこから彼へ投げ掛けた自分の言葉や態度を改めて“ハッ”と気づかせてくれることもしばしば。
心がシュンとなるけどなかなか素直になれないときもあったりでね。。

日々学び成長だね。
子どもってすごい存在だわ!」





みなさん、本当にありがとうございます。


私たち母親は、子供を授かり、子供を産み、そしていつの間にか

お母さんという生き物になりました。

中には、自分では産んでいないけれど、お母さんになった方もいます。

こどもとの暮らしの中で、

本当に沢山のことを学ばせてもらっているし、

たくさんの楽しみ、喜びも感じさせてもらっています。

答えのない、出口のない?! 正解も不正解もない?!

そんな、母と子の関係。



昨日は、辛いがたくさん溢れてしまったけれど、

今日はなんだかとてもスッキリ。

みなさんからのメッセージで、とてもあったかい気持ちになったし、

最近ずっと、ぎくしゃくしていた四歳の娘との関係を

見直すきっかけになり、

「なんでいつもそうわがままばっかりなの?」 とついつい娘を責めていたけれど

相手の問題を探って責めるのを辞めて、

自分の行動を改めてみたのです。

そしたら、なんだか娘も落ち着いて、今日はキーキー言わなかったのです。


私がしたことは、そんな大したことではなく、

下の子をばーばに預けて保育園のお迎えに自転車で行って、あーちゃんを乗せて

保育園の今日の出来事の話を聞いて

その後一緒にお買いものをして

娘と2人だけの時間を持ったこと。

自転車から降りるときに、ハグをしながら

耳元で、「大好きだよ」 と伝えたこと。

そしたら娘は照れながら、「 あーちゃんも大好きだよ。ママ今日は朝ものなげて ごめんね」

って、、、。言ってくれて。わたしも 「怒ってごめんね」って伝えました。

朝のもめごとの仲直り♪


そしてその後、夕ご飯の準備のとき、

「お手伝いしてくれる~?」とお願いして、あーちゃんの大好きな包丁仕事をお任せしたこと。

いつもは、夕方は時間がないからメンドクサイなーと思って、平日は自分でやっちゃうんだけれど

そこをあえて、お願いしてみた。じゃがいもと、ニンジンを切ってもらった。

「あぶない。」とか「やめて」 とかは一切言わずに、

彼女のやる気と集中力を信頼してみた。

そしたら、ひとりで全部やってくれた。 そして「あーちゃんの切ってくれたじゃがいもは本当においしいね」

と言って、みんなでニコニコしてカレーを食べた。

あとは、彼女の小さな欲求をちゃんと聞いてあげた。

「今、無理」 「あとでね」 「そんなの今はだめだよ」


考えてみれば、最近は忙しいや、下の子の面倒をみなくちゃならないことを理由にして

私の都合にばかりに合わせようとしていたなーと気が付いたんだよね。


その忙しさに焦っているのは自分で、その焦ってる自分についてきてくれない娘が

とても重たく感じていた。

でも、彼女には彼女のリズムとやりたいこと、欲求があって

それを私がいつも 「はやくして」 「いまやらないで」 「だめ」 「あぶない」 ばかり言っていたから

そりゃあ、荒れるよね~。

しかも、娘は本当は行きたくない保育園にまで通ってさ、たくさん我慢しているというのに。

家に帰ってきてまで、我慢の連続じゃあ

ちょっとしたことでも爆発もするよね、、、。

わたしの「忙しい」や「 いっぱいいっぱい」を解放し

娘の歩調をもう少し感じて、一緒に楽しむことを

もう一度、大事にし直そうと思ったよ。


そして、娘をもっと信頼していこうと思う。

四歳になったばかりの彼女は、いまとても 自立心旺盛。

「わたしが出来る!ママはやらないで!」 「わたしがしてあげる!」

そういう気持ちがとっても育ってるとき。

そんな気持ちをもぐようなことはしないように、

素直に任せよう。お願いしよう。


過去に色々あったとしても、

親子なら、

自分が変われば

いつでも、関係をやり直せるよ。


そんなことに、気づかされた今日。


変われない自分にやきもちすることも

もちろんあるけれど、

勇気はそういうところに使おうと思う。



みんなのおかげです。


ありがとう。


さ、ねよねよ~。



























  
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