2013年10月02日

七五三を迎えて




今日は善光寺さんに、娘の三歳の七五三のご祈祷に行ってきました。

ちょっと早いけれど、丁度11月はお産と重なってしまうので

動けるうちにと、早めに予定を立てました。

「お父さんも今日は一緒にいる気がするね。」

朝、そんなことを母と話しながら、天国の父とご先祖様に手を合わせました。


あー、生きていたらどんなに喜んでくれただろう。なんて、ちょっと思ってしまった。

孫のことを、本当に大切に思っていてくれた父。

今日まですくすくと、大きな病気もなく健康に過ごせたこと

本当にありがとうございます。姿は見えないけれど、父からの大きな愛はいつもここ(ハート)に届いています。

そして、身体が弱くて自分のことだけでも大変なのに、

シングルマザーの私の支えに、ずっとなってきてくれた母。

アウラを今日まで一緒に育ててくれて、本当にありがとうございます。

お母さんがいなかったら、どうなってたことやら。



「なんか、七五三を無事迎えられて、お母さんほっとしたわ。」

車の中で、そんなことを呟いていたね。


過ぎてしまえばあっという間の今日までの道のり。

でも、今日があるのは、その過ぎ去った日々の小さな小さな積み重ね。


あうらが産まれてから今日まで

私はずっとあなたを見つめてきた。

かわいい寝顔から、うめぼしみたいに泣き叫ぶ姿から、くしゃくしゃの笑顔から、、、。

魔の二歳のときは本当にどうしようかと思ったけれど、

三歳と5か月を迎えた今のあうらは、とっても成長して、出来ることがいっぱい。

一年間ほど本当に頭を悩ませた、想いが通らないと物を投げる癖も、いつの間にかなくなっていた。


娘と母と私との暮らしは

とっても気持ちよく過ぎていく日もあれば、イライラしてどうしようもない日もあれば

育児から逃げ出したくなる日もあれば、(母と喧嘩して家出したくなったときもあるし)

あうらをどうしようもなく抱きしめたくなる日もあれば、

本当に毎日が様々な表情を見せる素敵な素晴らしい日常でした。

そしてまた、変化が訪れる。

家族が増える喜び。

助け合ってくれるあなたの大きな存在、安心感。




私は娘との暮らしの中に自分を見て、悩んだりへこんだり、嬉しくなったりしながら

まだ見ぬ自分を常に教えてもらっています。

そして、やはり思うんだ。

子供との暮らしは、新たな可能性を沢山広げてくれる、見せてくれる 素晴らしいギフトだって。






赤ちゃんだったアウラが、今度は赤ちゃんを迎える番になる。

お姉ちゃんになるんだ。

まだまだ想像できないけれど、10年後、20年後、30年後、、、

家族の絆がどんどん深まって

私はどんどん年老いて

そして子供たちはどんどん成長して

つないだ手の温度が、どんどん暖かくなって、、、






そしていつか、この星から旅立つときに


ああ、いい人生だったな

って笑って旅立ちたいな。

そして子供たちが、私の生き方から何かを見つけて感じて、暖かい気持ちに溢れてくれたらいいな。

そんな生き方を、していきたいな。



さあさあ、予定日まであと一か月ちょっと。

妊婦の目の酷使は赤ちゃんにも母体にもあまり良くない。


大好きなこのブログを書き自分を見つめる時間も、そろそろお休みしようかな。

みなさん、いつも最後まで読んでくださってありがとう。


赤ちゃんを大切に迎えたいと思います。

そして今まで通り、自分らしく生きたいと思います。

自分らしさって、みなさんは何ですか?

私は自分らしさってなんだろうって最近ちょっと気が付いたことがあって

それは、私のまわりにいるみんなが嬉しくて、みんなが元気なバランスの中にいると安心するってことでした。

(ん?自分らしさっていうのかこれは、、、?)

自分らしさを追求しすぎて、たとえば誰かを悲しませている場合、

それでも自分は自分だからと割り切れるほど、私は実は強くないし

出来るだけみんながハッピーなバランスを選んでいくほうが

実は自分がほっとしていてハッピーでいることに気が付いたのでした。

自分が運転手のこの人生。

自分の車に、どれだけの人を乗せて

どんなドライブを楽しめるか。

目標に向かって一人で走るのも楽しいけれど

同じ車に大好きな人や家族を乗せて、その人たちが行きたいところに寄り道するのもいいものです。


きっと今の私には、そんな体験が必要で、そんな体験が心地よいのでした。


年齢と共に、家族や自分の魂の成長と共に

そこはまた変わっていくんだろうな。






それではみなさん、

ごきげんよう!!!


素敵な人生を!!






















































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年09月30日

なまけものさん

9月29日は私の生まれた記念日。

32歳になれました!

嬉しい!!

とても気持ちよい青空に

黄金の稲穂

そして真っ赤に色づくりんごたち。

なんとなく、自分がどうしてこの実りの季節を選んで生まれてきたのか

分かるような気がしました。

だって食いしん坊だから!!

わー、美味しそうー!


そんな純粋な単純な気持ちで、空からお母さんのお腹の中に飛び込んだような気がします。(笑)

そしてそんな私にぴったりな名前を授かりました。

恵です。

恵みある人生を、歩ませてもらっております。

最近、お腹のベイビーの名前を考えているのですが、その考えている時間がすごく楽しくて、ウキウキして、
中々これだ!と決まりません。

候補は今のところ、ふたつ。

きっと生まれてくるころになったら
お腹の子が教えてくれるでしょう。

どんな子かなー?

楽しみだなー!!

そうそう

32歳になった妊婦なわたし。

新たな発見!

相方に
「 なまけものに似てるよね」

と言われました。

えー、似てないよ!と言いつつ画像検索。

あー、、、

確かに。

表情がねー。w

初めて言われたけど、くやしいけど結構似てるわいっ。

なまけもの。

さてさて、

自分のこりかたまった思考やとらわれをそぎ落とし

やわらかく、しなやかに、穏やかに。


そんな私であれますように。

暖かい家族みんなに囲まれた

とても楽しいお誕生日でした。

本当にありがとうございます!!

幸せです!!









  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年09月23日

長谷寺秋分祭でした!

9月23日秋分の日

今年も篠ノ井長谷寺の秋分祭に参加しましました!

毎年、このお祭りはたくさんのスタッフさんがそれぞれ知恵を出し合い
すべて手作りで行なわれている本当に暖かいお祭りです。

あの場を作り上げてくださった
すべての方に、感謝いたします!

ありがとうございました!

今年も良かったー!



今回はカミュは妊娠9ヶ月ということもあり、ただただ、よっこらせと言ってニヤニヤしているだけでしたが、
nonoさん、saiさん、solosoloさん、まほう堂によるキッズスペース、てのひら曼荼羅ワークショップもとっても素敵な場作りとなっておりました!

前日からの準備を含め、みんなと顔を合わせながら作り出すことが本当に楽しくてワクワクしました。

子供たちが楽しそうに遊んでいる表情がたまらなかった。

ありがとうございました!

そして今年は、ハコニワブースにて
藍染や柿渋で染めた布で作った
巻きスカートや、ショール、タッセルアクセサリーなど販売しました。

手作りしたものを、沢山の人に手にとっていただき、本当に嬉しかったです。

ありがとうございましたー!

娘は疲れ果ててバタンきゅう。

私は目が冴えて眠れず、布団の中でこのブログを書いています。


長谷寺秋分祭

ありがとう!!!

写真が携帯からだとなぜか逆に!
くやしい。

また写真は後日アップします。


  →続きを読む
タグ :秋分祭
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年09月10日

暮らしのバランス


お腹のベイビーもついに31週となりました☆

おなかぽっこり妊婦のカミュです。こんばんは。

物を拾うとき、いつもの感覚で腰をかがめて取ろうとすると

お腹が圧迫されて おっとっと となるくらい

おなかが大きくなってまいりました。

そうそう、こういうときに腰を痛めるんだよなー。

ちゃんとスクワットして拾わないとね。


足の爪も切り辛い。

そして

激しい胎動に、いちいち 「うわわ~~!!」 と声をあげてしまいます。

何とも言えない、あの身体の中で生命がうごめく感じ!!



さてさて、今日は検診日。

家から一番近いという理由だけで選んだ総合病院へ通っております。

第一子のあうらの時はお産へのこだわりがすごかった私ですが、

今回はこだわらなさすぎモードです。

というか、お産にあまり意識がチューニング出来ておりません。

他に色々やることや、意識を向けることがありすぎて、、、。

ごめんよ~~。

というか、たぶんアウラの時に勢いがありすぎてタイまで行ってしまったので

その時良かった部分と、反省点と自分の中で感じた部分の調整を

今回のお産を通して取ろうとしているような気もします。

両面みたい。


てんびん座だからでしょうか。

感情のバランス、意識のバランスをどこかどこかで取らないと、すっとしない感じ、、、。



おなかのベイビーはといいますと、あまり自己主張しない感じです。

「 どこでもいいさ~♪ 」 みたいな感じ。

それはとてもありがたい!!こだわらなくても生きていけるというのはある意味すごい!


あうらは最近お風呂に入ると、よく 生まれたときのことを話してくれます。

「あーちゃんね、タイで生まれたんだよ。あーちゃんね、だってね、タイで生まれたかったんだもん」

でれでれに照れながら、そんなことを言ってくれて

どうしてあんなにも私がタイに行きたくなったのか

分かった気がしました。

やっぱり アウラが連れてってくれたんだなーと。


「あーちゃんね、ずっとお空でさみしかったの。でもね、ママと会えたからもうさみしくないんだよ」

そんなことも言ってくれて、、、。



う~~  泣けますね~、、、。

私のところに来てくれて、本当にありがとう。








今日はエコーで赤ちゃんのお顔が見えて、目を開けたり、口をぱくぱくさせていたり

とっても可愛かった☆

それにしてもあの白黒のエコーって、どうみてもかわいい赤ちゃんが宇宙人にしか見えません、、、。

なんて言ったら失礼か!(笑)

でも、あれ初めてみた男性とかはびっくりするでしょうね~。

こ、こ、これが顏、、、?!みたいな感じの映り方。。。(笑)

エコーでは目がとても大きく見えたけど、

どう考えても遺伝子的にそれはないので、あれはエコ―マジックだな。




実は通ってる病院は、私が生まれたところでもあります。

そして父が亡くなった場所でもあります。

そういう意味では、いのちが誕生し、そしていのちが旅立つ場所でもあって

検診へ行くと沢山の身体の体調を悪くされてる方ともすれ違うし

いろんな感情が芽生える場所でもあります。

「お産」というものがオブラートで包まれてない、ある意味とても

人間の一生というものを感じさせてくれる場所かもしれません。

そういう意味でも、私の今のバランスに適合してる心の中の反映でもある場所です。

私の心の中の反映は、色々なところで顔を出します。

イメージはすぐ現実化する。 それはいいイメージも、悪いイメージも。

最近マタニティブルーのときに感じる不安の世界は、

作り出してるのは自分自身であって、現実にそれは起きてないのですが、

結局その不安を作り上げてそこに自分がいる以上

それは現実のように自分を苦しめます。

なんて無意味な時間!!

と思うんだけど、そこにすっぽりはまってると、はまっちゃうんだよなー。

はまってはそうではないことに気が付き

ほっとして

そしてまた新たな不安を探す自分、、、。

暇なんだなー。

そうそう。不安を考えちゃう時間がるっていうのは暇な証拠。

そういうときは、運動するか、本を読むか、手を動かし仕事をするか、掃除するか!!

自分の思考と向き合わない!!がコツ。

向き合わないっていうとちょっと否定的な感じかなー

とうよりも、雲のように 眺めて観察

が本当は気持ちいいのかもね。

どんなときも、自分の感情を眺めていられたら。

きっと自分はぶれないで済むんだろうな。



私は色々極端に走る傾向が昔からあって

やれ 旅人だ~ 自由人だ~アーティストだ~ マクロビだ~ベジタリアンだ~自然派育児だ~ ナチュラルだ~ 

と色々やってきたわけですが、

アウラが生まれて実家に帰って来てから、私が大切にしたいと思ってる感覚と

母親との感覚がまったく違ったりすることによって

色々気が付くこともあったりで

時に自分の中のこだわりというものは、

人を傷つけたり、悩ませたり、反感をかったり、その人の生き方を否定してると思われたりするってことに

気が付きました。

私にとってそれが正しくても、それを相手に押し付けるのは違ったり。

その逆ももちろんあって。

普通っていうのはその人の中の普通であって、相手にとっては普通ではなかったり。

それが人間ていうものであって。



そういうことを生生しい毎日の暮らしの中から沢山学ばせてもらいました。

同じ方向を見て、同じことが大切だと思えている仲間やパートナーと暮らすのは

そういう部分での摩擦は少ないのかもしれませんが、

夫婦の離婚の原因によく出てくる

「価値観の違い」 的な (笑) ものって、やっぱり一つ屋根の下で暮らすと

ひとつひとつが時にバトルになりかねなかったりして。

で、結局 「譲り合い」 そして「その人が大切に思ってることをお互いに尊重する。」 がピースを生むという答えがひとつ。

こだわりって、時に素敵なアートを産むこともある。

かっこいいって思われるようなこだわりもある。

でも、こだわりってへそをまげると否定的な感情でもあったりする。

のかもなーなんて最近思ったりしています。

こだわりすぎた物や空間にちょっと最近 拒絶反応的なものを感じるのも

多分自分の中で今までのこだわり過ぎた部分の調整が始まってる証拠かな。

そして最終的に行きつく、私のバランスのいい暮らしのポイントはどこになるでしょうか。

まだ探し中。旅の途中。。。







一番近くにいる人を、笑顔にすることって

本当に大切だけど、自分のエゴが出てくると難しい。






あー、今夜もまとまりのない文書にお付き合い頂き

ありがとうございました。


書いてちょっとスッキリ。














  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年09月01日

生みだす旅のハジマリ





妊娠8か月目

お腹はぽっこり、あまりハードに動けない感じになっていました。

が、身体とは逆に ハートの中は色々やりたいことだらけって感じです。

もともとエネルギー量が多いので、発散したりどこかに回していかないと

むーっとしてしまうタイプのようです。 動ける日はいいけど、動けない日は むーーです。(--)




夜は三歳の娘が赤ちゃん返りをしていて三度くらい目を覚まします。

おねしょがいやだと言って泣いたり、かといってトイレに行くのを嫌がったり

おむつはもう履きたくないと言ったり、、、。

夜中のわがままは本当にシンドイ!!

娘と二人で向き合うことにほとほと疲れ切ってしまったときに

私の右手に登場したうさぎさん。

ピースにして、「うさぎさんだよ~。」と人形劇のように話しかけてみたのです。

そしたらまあ、すっごい嬉しそうに娘はそれにくらいついてきました。

右手はグーにしてカエルさん。

私もうさぎさんとカエルさんを演じることにより、だめなお母さんぽいシンドイ自分と向き合わなくてすみ、とても楽。

そして娘も、うさぎさんとカエルさんの言うことなら聞きます。

「そろそろおまるでおしっこしようか~」 なんてカエルさんが言うと、

「うん!あーちゃん一人で出来るから見ててね!」 なんてにこにこで言うのです。

私が言っても全然聞かないのにね~。

最近は 私 アウラ、ウサギさん カエルさんという四人グループで夜を過ごしているので

とても楽になりました♪

それにしても夜の三度起きはやはり辛い、、、。


産後のあの寝れない感じを思い出しました。

三歳の娘が赤ちゃんに戻った時の、うにゃあうにゃあと演技してる感じの

どくどくな表情が笑えます。  笑えてるうちはまだ自分に余裕があります。

笑えなくなってくると私の頭から湯気が、、、(笑)




最近、色々な物を作るようになりました。

今まで頭の中で こんなのあったらなーと思っていたイメージ。

いつかまたタイに行ったときに、デザインだけ描いてオーダーメイドで作ってもらおうなんて

考えていたのですが、今ここにいる自分の手でも出来た!!と言う感じでびっくりしています。

「 やれば出来るじゃん!! 」

こんな自分もいたんだなーと、新たな自分を発見した感じでとても嬉しい。

そして楽しい。 そしてそんな自分を引き出してくれた人に感謝。

トップの写真のイヤリングたち。

刺繍糸でタッセルを作ってみました。

とりあえず練習にと自分用に右側のを。

そして可愛く出来たので、 朋さんへのお誕生日プレゼント(大分過ぎてるけど)で左のを。

少し早く起きて朝陽の中作ったのですが、不思議なことに

朋さんが今日着ていたワンピースの刺繍の配色と同じでした!とっても似合っていた♪

音楽の世界でいつも共になれるピアノの朋さんと私は

こういう時もちゃんと同調しているんだなって感じて、やはり私のシスターだなーと実感しました。




ハコニワさんが藍で染めた糸も仕上がったので

今度はいよいよ藍染めの糸で作ってみたいと思います☆

楽しみだ~!!

そして、私と朋さんが付けていたイヤリング。娘たちに奪われてしまいました~!





山岳民族みたいでかわいいぞ!

そして、ハコニワさんが藍で染めた布を使って作った 巻きスカート☆




巻きスカートも色々挑戦中です。

今度のびんずる市も出店予定です。


お楽しみに~!!





ハコニワ キッズTシャツ   お月様から しずくがこぼれて、、、☆ おやすみなさい☆

   
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年08月25日

覚悟を決める パロサントの夜




最近お天気のように心が不安定な

妊娠8か月に突入したカミュです。

こんばんは。

最近無性に何か匂いをかぎたくなる衝動に駆られます。

妊娠初期は匂いはまったくダメ、中期はなくてもいいかなー。そんな感じでしたのに。


大好きだった精油の香も強く感じて

今の私には必要ないなと感じていましたが、ここへ来て急に

自分が幼少期の頃からなぜか好きな

靴屋さんの妙に新しい匂いとか、本屋さん独特の匂いとか、

ガソリンスタンドでガソリンを入れる時の匂いとか、、、

(ちょっと危ないですねー)

とにかくかぎたくなる。。。なんでだろう?!これもホルモンの仕業なのか?!

でも、なんだかどの香をかいでも、私が今かぎたい匂いから少しポイントがずれている、、、!?



そして今夜、その私が欲している香の正体が分かりました。

アウラをお産した時に炊いていた パロサントという木の香りです。

甘くて、神秘的で、そして浄化されるような独特の香りで

なんだか今の私にとっても必要な香りだったような気がします。

私が臨月を迎えるときに、仲良くしてもらっていた

タイはPAIの、インディアンが好きな手作りの皮製品を扱う雑貨屋さんの奥さんが

私のお産のときのお守りにと、この香木をくださったのです。


アウラのお産の時に炊いてから今日まで、ずっと箱に大切に白い布にくるんでしまっておきました。

たまたまその箱を手にとったときに、その匂いが私を誘いました。

これだったか!!



ラテンアメリカの先住民たちはこれを「神の木=パロサント、Palo Santo (Holy Wood)」と呼んでいたそう。

土着のシャーマンたちは伝統医療や清めの儀式に使っていたとか、、、。その歴史はインカ帝国にまでさかのぼるとか、、、。

なぜ私の元にこの香がやってきたのか?

それはもう、見えない流れに守ってもらってるとしか考えられません。


最近気持ちが乱れ気味で不安定なのも、

そろそろ覚悟を決める時がくる前触れなんだと感じています。

アウラをお産するときも、それはそれは揺れた。

でも、あの時と今では全然揺れてる内容が違う。

やはり、アウラの時にはアウラを迎えるために必要な、自分自身が乗り越えなくてはならないことがあって、

そして今回は今回で、自分自身で乗り越えていかなくてはならない部分がある。

お産は妊婦にとっては、ある意味逃げ場のない戦いな気もします。

この子を産むのは、私しかいないのだから。

他の誰も変わってはくれません。



アウラの時も言えたことだけど、覚悟を決めた時。

そこが私のターニングポイントだった。

本当にタイでお産していいのか?長野に帰らなくてはいけないのではないか?

そんな想いの中で揺れていた時期が長く続き、

迷ったり、不安になったり、苦しんだり、泣いたり、わめいたり。

でも、タイで産もう。と覚悟を決めたその時から

私は大きなギフトを受け取ることが出来た。


自分が迷ってる最中は、きっと宇宙もどこにこのギフトを降ろしていいのか?と悩んでしまうのかな。

でも、自分が覚悟を決めた瞬間

宇宙は私に最高のエネルギーを降ろしてくれた。

自分でこうしようと覚悟を決めたとき、

はじめてそれに向かう強いエネルギーを受けとることを、自分も宇宙も許すかのようだった。


だから、今の私の不安定な気持ちや、不安や、おそれは

悪いことではなく、覚悟を決める上での準備体操みたいなもの、、、




と、この香りは今夜私に教えてくれた気がする。



今日は松本から

私の大好きなありここさんが遊びに来てくれました。

私のアロマトリートメントの師匠でもあります。

ありここさんの生き方からは、いつも学ぶことが沢山ある。

妊婦の私をぜひトリートメントしたいと言ってくださり

久しぶりに身体をオイルマッサージしてもらいました。

人の手のぬくもりは、どんな上等な機械も決して真似できない。

どうしてだろう? そこにはやはり、いのちのエネルギーが宿っているから。

「今までで一番きれいな身体になってるねー」

と、ありここさんに褒めてもらい

自分で言うのもなんですが、

妊婦の私の肌はとても柔らかく、まるく、そしてなめらか。

若い子のようなぴちぴちとは違いますが、妊婦には妊婦の身体が持つ

不思議な魅力があるのでした。

そしてやはり、こうやって自分自身の身体とこころを見つめ直せる時間って

とても素晴らしいなって思いました。

ナチュラルセラピー空色をまたはじめるときが楽しみです。

今、私が感じている様々な体験が、

きっと誰かのお役に立てる時がくるような気がします。

すべては無駄ではない。

私が今抱えてている、私ならではの悩みや不安も、

きっといつか役に立つ時がくる。

すべては自分がまいた種でもあり、そして神様からのギフトでもある。

自分の生き方や人生に自信が持てない時もあるけど、

そういう道を選んで生きているのにはきっとわけがあるから。

乗り越えていこうと思います。



ありここさん、ありがとうございました♪

最後の頭のマッサージがすごかった!!

何か ぽーんって、抜けていきました。



いのちが二つも宿る身体。

私とこの命が同調していくのに、不安になったり不調になることだってもちろんある。

つわりだって、そういうことだと思う。

そうやってどんどん母体と胎児の鼓動が同調していく素晴らしさ

そして同調しつつも、 個 としてこの世に降り立つ。

でもすぐ個になるわけではなくて

それはとてもゆっくりと、、、。同調したり、同調から外れてみたりしたがら

母と子は繋がりつつも、離れていく、、、。




夕方、カーディガンを羽織ってアウラと近所の公園までお散歩しました。

意外と寒くて、私が寒い寒いと言っていたら

アウラが私の太ももに抱き付いて言いました。

「あっためてあげるね~!ほら、あったかいでしょ~!」

それから公園まで、ずーっと私の太ももに抱き着いて離れなかったアウラ。

正直歩き辛かったけれど、アウラの優しさがとっても嬉しかった。

沈みゆく夕日の中、二人の影が道に伸びてゆく、、、


こうしてアウラと私だけで過ごす時間も

あとわずかなのかと思うと、急に泣けてきました。


お腹の中にいたとき、生まれてきてくれたとき、そして今日までの一日、一日、、、。

ここまで一緒に育ってくれて本当にありがとう。



そして今お腹の中にいるあなたとも

そんな毎日が始まってるんだと思うと、とても嬉しい気持ちになったのでした。

そしてまた始まる、新たな家族のかたち。



こんなダメダメ人間な私を母にしてくれて、

神様ありがとうございます。



覚悟を決めていこうと思います。

































  →続きを読む
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年08月20日

満月と妊婦 


明日は満月。

毎月 満月が近くなると

私の中の海が溢れ出す。お腹はパンパンに膨れ

動くことも寝ていることもなんだかシンドイ。


私の中には色々な波が存在していて

とにかく幸せでうれしい波もあれば

わけもなく悲しさを感じる波もあれば

不安で息が詰りそうな波もあるようだ。


それが女という生命が持つ 海の正体?

どこまでも深く広くありたいものだけれど、、、。


普段あまり波のたたない私の精神も、

満月が近くなると、どうも荒れ始める。


今回の満月も、そんな私の中の波をちょっとだけ激しくしている様子。

喜びの波よりも 少しだけ高く

不安の波が押し寄せているようなのだ。



二人目の妊娠というのは、

はじめての妊娠とはまた違ったレッスンが沢山あるようだ。


初めての妊娠とお産。


アウラを授かり、私の中で開花した野生動物のようなメスの感性。

自然の中でお産したいとタイの山奥まで旅をして

先生も助産師さんも居ない中での、あの宇宙を見たお産から

私の中のジプシー人生は一度幕を降ろした。

バックパックはおんぶするわが子に変わり、長野での初めての育児と、

シングルマザーとして働くお母さんと育児のバランスの狭間で

様々な葛藤と喜びを体験させてもらった。

家族の持つ素晴らしいエネルギーと、

血のつながり、古来から引き継がれている遺伝子、ご先祖様、

そして血のつながりのないところでの愛についても

沢山学ぶ体験があった。


 

そして今回、二度目の妊娠。

またもや、色々なことがあって

本当に心が痛む辛いことも沢山あったけれど、

それを乗り越えて、今私は心が暖かい場所にいることが出来ている。

ご縁に心から感謝。 

どんな状況でも、私を助けてくれるすべての人、流れに本当に感謝。



複雑な環境の中、授かった命。

自分の歩んできた道の愚かさや、

本当に私は二人のお母さんになれるんだろうか?という不安に急に襲われて

今日はザーザー降る雨と同調し泣いたりもした。


「この子はすべて分かっていて生まれてくるんだよ。大丈夫。」


私の心の土は雨上がりの後、

大切な人の そんな言葉の太陽に暖められて

ゆっくりと固まったようだ。


アウラを妊娠中、お腹の中のアウラは、

タイでいろんな人から常に愛されていた。


道を歩けば「愛おしい赤ちゃん。元気に生まれておいで」 とお腹をなでられ

声をかけてもらった。

お腹を沢山触ってもらって、その度に私の中で生まれる小さな不安が解けて、

「私はこの子を産んでいいんだ!みんなこの子の誕生を祝福してくれてるんだ!」

ってとても単純に嬉しく思ったし、妊婦である自分がとても愛おしく思えた。


それは私の感情でもあったと思うけれど、お腹の中にいたアウラの気持ちでもあったと思う。

「私はみんなに歓迎されている!産まれるのが楽しみ!」


そんなワクワクに満ちた彼女の気持ちが、私にも伝わってきていた。

でも、今回長野で妊娠ライフを送る私、イマイチ目立つお腹はチヤホヤされていない。(苦笑)

そうか、日本はこんなもんなんだよなー。というか、二人目だから?なのか?

タイ人が特別、赤ちゃんや子供が好きなのかな。

子供から若者、おじいちゃんおばあちゃんまで

みんなものすごく子供が好きなタイ人。

でも、日本人てそんなに子供が好きな人、少ない気がする、、、。

どうしてだろう?


「子供ってかわいいな~!!赤ちゃんがいるなんて感動! みんなあなたを待ってるよ~!」

っていう感覚って、いつどんな風に人間の中に育まれるものなんだろう?


先日、久しぶりにお腹に手を当ててくれた人が

「生まれてくるの楽しみにまってるよー」って言ってくれて

私はすっごく嬉しくて、涙が出そうになった。


多分、おなかの赤ちゃんが嬉しかったんだと思う。

「うまれていいんだ!!」 って、大丈夫なんだね。って。

どんな時代も、どんな状況でも

どんな環境でも、どんな子でも

みんな子供は祝福されてこの世に降り立ちたちんだと、私はすごく感じた。


お腹に手を当てて、

「まってるからね。」って 毎日必ず言ってあげたいって思った。

でも、正直

その心構えが一番出来てないのは私なんじゃないかっていうところが

正直あることも事実で、

アウラが 赤ちゃん返りしたり、おねしょしたり、トイレに行きたがらなくてイライラしたり

歯磨きやお風呂を嫌がったり、手足口病になったり 、、、

とにかく手がかかっていて、夜も寝れなかったりすると

そのことばかり考えてしまって、お腹の赤ちゃんにまで気がまわらなかったりする。

母体である私も無理したり、暴飲暴食したり

赤ちゃんのこと大切にしてあげれてないなって、反省ばかり。






「私がこの子を産んで育てる!」


なんて言い切ったくせに

本当に出来るの?私に?

って、不安になってばかり、、、。


そもそも、子供を母親一人で育てるなんて、簡単なことじゃないんだよ。

そんなこと、体験してるからよーく知ってるはずなんだけどね。

子供は、本当に沢山の人の手の中で育つもの。

私が育てる!んではなくて

みんなの中で、子供は自分から育っていくもの。



でも、ちゃんと

この子は自分の道を、流れをもう作り始めてる。

だからきっと、すべて流れにおまかせで大丈夫なのかも。



雨のにおいが風と共に私に届く。

そろそろ寝ようかな。

今日は、7歳くらいの女の子が歩いてるのを見て

わが娘もいつかあんな風に成長するんだなーなんて

思ったら

なんだか感動してしまった。

おねしょしただの、歯磨きが嫌だの

夜中のお散歩だの なんだの、、、

いつか いい思い出になるんだね。


ありがとう。


















































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年08月08日

時が過ぎて、、、三歳検診


今日は娘の三歳検診でした。

問診票に、育児に対してお母さんは今どんな気持ちですか?という

自分が育児をしてる時の顔のイラストを選ぶところがあるのですが、

確か一年前はにこにこしてる顔を選んでいたのに

今日は、ちょっと困った顔したイラストを選んでいる自分がいました。



妊婦7か月目に入り

ポンぽコリンなお腹に胃が圧迫されだし、そして蒸し暑い、動くと苦しいということが重なると

ついつい娘の我儘に私のストレスセンサーはあっという間に沸点に達してしまう。


そして娘にイライラしちゃう自分に、おいおい何やってんだ私は、、、と自己嫌悪になるという悪循環、、、





でもよく考えてみると、彼女の口答えやわがままも

それだけ一人の人間として

しっかり成長しているということでもありますね。






去年の8月8日。

気楽房さんにて行われた全国ナースアウトのイベントにお呼ばれして

朋さんと昼間のコンサートをしたことを思い出していました。

ひまわりが咲いたお庭をバックに

古民家の中の涼しいコンサートはとても気持ちが良かった。

お母さんと子供達が自由に遊んでる感じも、とても音楽と溶け合っていて、、、。



あのとき作った お母さんと赤ちゃんの

おっぱいタイムの歌

娘がたまに口ずさんだりして、私も好きでよく歌っているのですが

そういえば去年の今日はまだあうらはおっぱいを吸っていて

いつ卒乳するんだろー?なんて悩んでいた時期でもありました。

気が付けばおっぱいも卒業し

今じゃ布団を別にして一人で寝てる娘さん、、、。

「たまには一緒に寝ませんか?」

という母からの誘いには断固として乗らない態度。

たくましい背中を私に向け、

「これはここに置いておいて!この毛布はこうかけて!!」 と

自己主張をかかさずに眠りにつきます。



肌と肌のスキンシップはすっかり減り、母と子の関係もネクストステージへと

ひとつ階段を上がったような気がしています。

三歳と三か月で、まさかこんなに私から離れてしまうとは、、、。

あんなに甘えん坊でお母さんがいなクチャ何も出来ないでちゅーだったお姫様は

どこへいってしまったんだろう、、、。


親離れが進む中、子離れが中々出来ずにいた私ですが、

でも最近は、そんな娘の成長を見守る気持ちが少しずつ生まれている様です。

あと三か月したら、ニューフェイスも生まれてくることだしな、、、。

また私の身体はフル活用ってことになるしな、、、。

今のうちに沢山、身体をいたわっておこう。

しばしの中休み、、、


といってもそんな娘さんもまだまだ赤ちゃん返りもします。

保育園も毎朝行きたくないとダダをこねます。

歯磨きも、嫌いです。

妊婦の私に

プロレス技も後ろからばんばん仕掛けてきます。


子鬼になって、歯医者さんごっこをしてくれます。

私の口に、おもちゃの注射器をつっこんできます。




抱っこしてあげられないもんだから、自分が赤ちゃんのころのアルバムを見て

いじけたりします。


あー、かわいい。






「子育てはあっという間だよー。楽しんでおきな~。どんなことも、懐かしくていい思い出になるよ。」

先輩ママたちによく言われる言葉、、、。

少しだけど、私にも分かるようになりました。


子供の成長は早い。

そして、宝物ですね。





2012年 8月8日  @ 気楽房

「ナースアウト」  

おっぱいタイム 

 歌    空色かみゅ 

 ピアノ  朋



8月11日(日) 3時より

いよいよ まほう堂の「ほしのおまつり」にて久しぶりのライブです。

みなさん、ぜひ遊びにきてください♪

♪ 入場無料 

♪ ハートマネー投げ銭ライブです。


今回は私ひとりなので

楽器持ってきて、一緒にセッションしてもらえたら嬉しいです!















  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年07月24日

17万票☆

こんばんは。

やっとこ眠たい病に今夜は勝てて、書きたいことが書けそうです。

選挙のこと、書きたかったー。

そしてこれからのことも。


何かに胸を熱くしたとき

人は拍手したくなります。

(人によってはハグだったり、うおーって両手をあげたり、いろいろな表現方法がありますが、

ひとまず代表的な表現のひとつとして拍手にしておきますね)


誰も拍手しないから、なんとなくしちゃいけないような気がしてしない。

みたいなそういうの、私嫌いです。

誰かが拍手したから、なんとなくしちゃうってのもヤダ。



自分ひとりだけでも、その人が伝えてくれたことに対し

感動したよって、胸が熱くなったよって思うとき

まわりの人の評価なんかどうでもよくて、

心の底から拍手したくなっちゃうっていう人間の素直さ。

そういう素直さは、ずっと忘れたくない。


20歳から選挙権を手にして、かれこれ11年がたちました。

私は初めて、心から拍手したいと思わせてくれる

そういう候補者に出逢いました。

三宅洋平さんです。

多分、それは政治がどうのこうのっていうよりも

今、私たちが欲しかった言葉だったり、迷ってたり、どうしていいか分からかったことだったり

そういうまとまらない気持ちをぐっと引き寄せて

改めて再認識させて、火をつけてくれたって感じがします。

彼が立ち上がり、その熱意に心を熱くした人、何か動かされた人、 

17万人以上!!

一人の人間という種が持つ力を、改めて感じました。

彼のメッセージと人間性への共感が、波紋のように広がっていった。

それってやっぱりすごいなーって思うし

冷静になってみても、やっぱりすごいなーって思う。

そして、すごいなーって思ってるだけじゃなくて

選挙が終わって、彼が当選しなくても

何か意識が変わって、自分なりのアクションを始めてる人たちがいるってこと。





私は日本で生まれ育って

この国の豊かさと歪みの狭間で、何がいったい本当の豊かさなのか?と自分を見失い、心と身体を病み

旅をすることによって日本で生きていた自分というものを客観視することが出来きたのをきっかけに、

自分の生き方を自分自身の手によって切り開く道を選んだわけですが、

結局は自分が一度は否定してた部分も受け入れた生活の中に

今生かされています。







((懐かしい、インドはゴアの思い出ビーチ。ちなみに左が私です。(笑))


海外を旅をしていた頃、まだそんな日本から逃亡してるだけの自分だったとき

私はレイブや野外フェスなどで、そのとき出逢った名前も知らない

どこの国の人かも知らない人たちと

とにかく音の中でおもいっきり踊り、抱きしめ合い、最高の日の出を共に迎え

ものすごい一体感を体中で味わっていたことがあります。

この一体感てなんなんだろう?

人は一緒に踊るだけで、どうしてこんなにも仲良くなれちゃうんだろう。

その会場はものすごいエネルギーを産みだしていて

宇宙から見たら、きっと温度がここだけかなり高いだろうなってくらいで。

でも、このエネルギーもったいないな。

ガソリンとかにならないのかな。この夜だけで発散して終わりだなんて。

とも思っていて。


そして


ここには、一切の戦いもなければ、喧嘩もなければ、いがみ合いもない、、、。

どこどこの国の人だからなんて、軽蔑する人もいない。

自分の魂と肉体だけがそこにあって、みんなと一緒になってるみたいな、、、


でも、私たちはみんな旅人で

自分の国へ帰れば、それぞれの持つ国と自分の生き方の狭間で

バランスをどうみつけ生きていくかで同じような問題を抱えて生きてるように感じられ。。。



みんな何か求めてて、どこからか逃げたくて、変わりたくて、でも、方法が見つからなくて、、、。

発散できる場所が、そういう音楽のうねる場所で、、、みたいな、、、

本当はみんな、こんなにもすごいエネルギーを一人一人が持っているのに

その発散場所を見つけられないでいるような、、、。


その時の私がそうだったから、そういう世界を見せてくれていたのかもしれないですが、

私は突然大きなむなしさに襲われて、自分を発散するだけの旅やフェスには

突然興味が出なくなってしまいました。


当時の私にとってのフェスは自分のエネルギーのただの発散だった。

でも、もう発散することがしたかったんじゃない自分に、その時気が付いたのです。


「そうか!私は産みだしたかったんだ!!自分から!」

と、、、

自分で自分がしたい暮らしをする。

自分で歌いたい歌を歌う。

自分が着たいものを作る。


自分が嫌だと思ったことから、手をひく。

どんどんやめていく。


世界が変わらないからってグレてたってしょうがない。

反発してたってしょうがない。


自分が変われば、自分が感じてる世界は変わるんだった!!って。




そうやって、自分自身の自給率を上げていく生き方に、シフトしたかったんだ~☆って。

もちろん、自分だけ王国に住むつもりはないです。



「自分」を固くしすぎると、入ってくるものも入って来れないことも体験し、

ほどよいバランスを、産後くらいからやっとこ感じられるようになり。

頭で考えすぎたことって、やっぱりバランス悪い。



感じたこと。

自分の手を通して、声を通して、身体を通して。

そういうことって、進むべき道を自然と感じさせ

教えてくれる。




選挙フェス

フェスならではのあの熱いうねりを

選挙にうまく持っていった三宅さん達のアイディアってすごいなって思った。

そうかー、そこを繋げられるんだって。

「みんな政治を待ってたんだ」

って三宅さんが言っていた動画があって。


そうそう、昔の私

迷子だったんだよね。て思い出した。










まだまだ分からないでいることもあるし、知りたいし、体験したいし。

間違うことも沢山ある。

でも、その間違いはいつだっていろんなことを教えてくれるから。

こういう暮らし、こういう世界で生きていきたい。っていう気持ちは

持ち続けたい。



自分がこういう暮らしがしたいなっていうビジョンは、大きな変化はなく

ずっと心の中に描いています。

そこにいつシフト出来るかは、タイミングと流れと

今の自分次第。



あと三年後。


自分が、そして日本が

どんな姿をしているか。



ともて楽しみです。






そして50年後の日本に

残したいものは何だろう。

残したくないものは何だろう。



そんなことを、ふと思いました。







夏祭りは、1000年後も

続いているといいなー。



























  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年07月20日

明日は投票会場へレッツゴー☆



明日はいよいよ投票日ですね☆☆


期日前投票でもう済ませてる人もいるようです。

遅い時間になっちゃうと

繰り上げとかもあるようなので、早い時間(出来たら午前中)に行った方が確かみたいですね。

それでは、簡単におさらいしておきましょう~!





参院選の比例区(比例代表)は
 
 政党名ではなく
 候補者名を記入しましょう!

 

 政党名を書いてしまうと、政党だけしか応援できませんが、

  候補者名を書くと、政党と候補者両方を応援できるからです。

 
 たとえその候補者が落選したとしても、その候補者の所属する政党の得票になるので、無駄にはなりません。

  つまり、私たちの貴重な1票が2倍「お得」になる仕組みである、とも言えます。

 また、特に支持する政党がない場合でも、お目当ての候補者がいればその人の名前を書けるので、棄権なんてこともせずに済みます。

「参院選の比例区は候補者名を書こう!政党名を書くより2倍お得です!」


http://sangiin2013.blog.so-net.ne.jp/2013-03-26

(↑ 私もシェアさせてもらいました。拡散希望です。)

政党名を書くこともで出来ますが、名前の方が更にいいということですね。


ほんとに?!

そうなの?

そうなんだよね?!

ちょっとみなさんも自分で調べてみてくださいね。(私、無責任ですねー。)




みなさんは誰に一票ですか~?

もう決まりましたか~?


http://miyakeyohei-japan.ndv.me/

持参の油性ペンで、にじまないようにしっかり書きましょう。


選挙権のない子供達の分も、ちゃんと投票しましょ~う♪

日曜日が、待ち遠しいわ。

でも、投票日が終わっても

結果がどうでようと

新しい日本はもう始まってる☆

自分が出来きること、自分で探して

仲間たちと手を繋いで

未来を作ってこう♪



私のお腹の中のベイビーも

11月には誕生してきます。

時代のニューフェイス☆

待ってるよ~!!!




  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年07月13日

風の吹く方へ





ある日突然

今まで絡まった毛糸みたいに感じていたことが

するっと紐解けることってあったりする。

そしてその毛糸の向こうには

もうひとつの手が見える。

あれ、私ひとりで

この毛糸をほどいていたんではなかったんだね。って。



ひとりでほどこうとしても

全然進まなかったのに

誰かが手をかしてくれたことによって

こんなにもするすると

解けることもあるんだね。


そして相手も、同じことを思ってたりする。





そんな体験を最近しました。


人には沢山の才能の引き出しがあって

でも、まだカギがかかってる状態のことも多い。


そしてその鍵穴にぴったりとはまるカギとなるのが

魂を揺さぶるような体験や、ソウルメイトのような人との出逢いだと思うのです。


私の人生にはそういった体験が何度かあります。

きっとみなさんの中にも、いくつか心に浮かぶことがあるでしょうね。


私のそういった幾つかの体験の中の一つに長女のアウラとの出逢いがあります。

人生をがらりと変えてくれた彼女との出逢い。

アウラは、まだ見ぬ私の才能をどんどん引き出してくれました。

それはいつか、若い頃

「絶対ありえないな 」と思っていた自分の姿だったりしています。



「 こんな私もいたんだなー。出逢えてよかったよ。 」


若いころ抱いていた子育てのイメージは

自分を犠牲にするってことだった。

でも、実際アウラとの暮らしの中で気が付いたことは

子育ては、まだ見ぬ自分の才能や可能性を

沢山引き出してくれるおまけだらけだった!!ってこと。


もちろん、子供は天使にも怪獣にもなるけれど。

そしてお母さんである私も同じようなものだけど。w



生きることが、なんだかとても気楽になってきたこの頃。





自分はこうだから。とか

こういう人間だから。とか


決めつけるのはやめてみようかなって最近思っています。

私には受け取っていい愛情が沢山あって

受け取っていい才能が沢山あって

両手を広げて受け取っていい 恵まれたことが沢山あるんだと思っています。

自分で始めから拒まないどこうって。




そして泣いてもいいし

怒ってもいいし

笑ってもいいし

嫉妬してもいいし

ださくてもいいし

みっともなくてもいいかな。

とも思ってる。

それが今の私の姿なのだから。


傷つけられても

傷つけてしまう相手の弱さや、気持ちを受け入れること、そして許すことが出来てこそ愛だと思っていたあの頃。


私は自分の気持ちを沢山封じ込めて、私には大きな愛があると見栄を張って

ただ我慢していただけだったのかもなって思ったり。

受け入れられない、許せない自分が許せなくて

プライドだけで、だらだらしていたかなって。



無理なことだってある。限界もある。

私は仏様じゃなかったんだ。(顔は似てるけど。w)

簡単なことのようでいて、実はとても難しかったこと。

許すことの方が、案外 すぐ楽になれた。

でも、時には、許してはいけないこともある。

それは育児においても、常に同じような課題をふっかけられることがある。

相手のエゴを許した方が楽。

でも、そこを許しては相手のためにも、自分のためにもならないこともあるんだよね。

その行為は相手を尊重することなのか。それともただの惰性なのか?


まだその辺の見極めは

難しかったりするなー私。

でも、完璧な人なんていないさ。

弱さはもっていて当たり前だっちゃ。

許せることの方が多いっちゃ。

でも、許せない行為は、無理して許さなくていいのだと、思ったのでした。



そういう本当の自分の弱さと強さを見せてくれてるのは

今、お腹の中にいる赤ちゃんの存在が大きいです。


この子は、とても私の感情対して素直に反応します。

うやむやにしないで、はっきりと意志を出していけと、伝えてくれてるようです。

だから、最近の私はとても素直な気がする。

お腹の子供の魂の持つパワーと

自分がシンクロしていく感じは、妊婦ならではの感覚なのかもなー。

面白い。



アウラの時はどちらかというと、母性が強く、受け身だった気がするんだけどね。

お腹の子が本当の大切なことを教えてくれたことによって、

私には大きなサヨナラが訪れた。



でも、それがあってこそ、未来が新たに動き出すんだよね。


本当に何かを手放した時

人にはすっぽりと

新しい未来が訪れることになってるみたい。


心地よい 風の吹く方へと。

自然に身をまかせよう。


そんな洋服を最近作りたいと思って

見よう見まねで色々作ってみています。

創造することって本当に楽しい。

暮らしってすべてがアートになるね。

アートの中にいたら、人の心は楽しくて、とても豊になれる。


そんな暮らしの中に、生きていたいな。



































































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年07月11日

ホシのおまつり




8月10日、11日と

二日連続で善光寺門前にある 


まほう堂にて


ホシのおまつり

を開催します☆

旧暦の七夕にちなんで、テーマはお星さま☆☆☆


子供たちと一緒に遊べる素敵なお祭りになるに間違いなし♪


手作りを楽しむワークショップや

おいしいものを食べたり、

フリーマーケットがあったり♪

野菜やお菓子の販売もあったり☆

絵本の読み聞かせや

コンサートがあったり♪



私も歌わせてもらいます☆


今回はお星さまにちなんだ曲や、歌う絵本icon12

みんながお星さまみたいにキラキラしちゃえるような空間にいざなおうと、

夢を膨らませております♪

詳しいお祭りの内容が決まっていき次第、こちらにアップしていきますね。

どうぞ、お楽しみに~♪


まほう堂  ブログ  http://chel.naganoblog.jp/


  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年07月10日

きどってないで投票しようか!チャンスだ!






参議院選挙が迫ってきましたね~!

政治に対して、嫌悪感がある人も多いよね。

二年くらい前まで、私もその一人でした。

なんでだろうって思って、いろいろ考えてみたんだけど、


☆まずは政治というものが、何がなんだか分からなくて混乱している自分。というもの!

☆そして、どうせ誰が政治家になったって変わらんでしょうって落胆モード、諦めモードの自分。

☆自分の幸せを、静かに感じていらればそれでいいじゃんっていう、無関心な意識。
 そして、そこに頼らなくてもいい方向を見いだしたいなという感覚。


☆危険が迫ってるのは分かるけど、どうしたらいいの?私は?何が出来るの?っていう混乱。ののち、気が付けば意識が下がる。

☆そして、多くの胡散臭いと感じられる政治家のみなさんのハートから
  「熱いもの」 それは人間らしい、生きる命の血を繋げていくような本質の部分を感じられなかった自分。


ざっとこんな感じでしょうか。

「選挙に行ったって、どうせ」 なんていう気持ちは、ただ自分にきどってるだけだよね~。

そんなところに力を入れたって、日本は何も変わりはしないよって、

色々知っていて、頭のいい人ほど言うのかもしれないけど、

私たちは政治家のために一票を入れるのではなくて、自分の意識の変換と

自分たちの手の中に未来があることを確認するために選挙に行くんじゃないだろうか。

と私は思った。



私たち人間は

失敗から沢山学んで、本当に大切なことに気が付いて

そしてもう一度それを大切にしていこうって気が付く生き物だ。

でも、その時にはもう遅いってこともあるんだよね。

だから、ここにいったらまずいんだよって教えてくれてる人の声に耳を澄ましたい。

目を見開いていたい。そして感じて、感じただけ考えて、考えてまた感じて

みんなとひとつになってゆく。


自分の無関心を脱ぎ捨てて、もっとみんなとこの国の未来について盛り上がりたい。

お祭りのように。






私は頭はあまり良くないけれど、感性は純粋ないいものを持っていると思っている。



命にとって 何が大切なことであるか ということにおいての。

それは、母として、一人の女として、人間として、地球にうまれた生命体として遺伝子を受け継いできた

ひとつの魂として。

同じところに熱くなる気持ちに触れ合える仲間が、今私のまわりには沢山いるんだよね。


さあさあ、祭りが始まるよ!!

私も分からないことだらけ、だから、みんな教えてください。

一緒に、知っていきましょう!



あと、11日!!



参議院選挙
7月21日



http://2013senkyo.jp/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=ppc




さっき間違えて衆議院選挙と書いてしまいました。すみませえん。(恥ずかしい)

参議院 選挙です!  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年07月07日

Woman





水曜日の夜10時に始まった連続ドラマ WOMAN

http://www.ntv.co.jp/woman2013/

幼い子供二人を残して、旦那さんが事故で亡くなってしまい

都会でお母さんが一人で子育てをしているというシングルマザーのストーリーです。

お母さん役の満島ひかりさんの演技は前から大好き。


今回もすごい。「それでも生きていく」もすごくよかった。

(普段あまりテレビは見ないけど、良い番組と、興味のあるテーマのドラマはチェックするカミュなのでした。)


頼る人がいない状態のシングルマザーの実態がリアルに描かれていて、

私はあそこまで大変な思いは、おかげさまでしたことはないけれど

ところどころ彼女の抱える苦悩や大変さが、私にも同じように身に覚えがあったため

見ていてとても辛くなり涙が止まらなかったり、、、。


ドラマの中で出てきたセリフの中で

「子育ては本当は大変なことじゃないはず。なのに、ひとりになったとたん

どうしてこんなにも大変なんだろう。 」

というような内容(すみません、うるおぼえ)があって、本当にそうなんだよなーと。


子供を育てるって、一人になったとたん

本当に大変なことが沢山ある。

本当に些細なことでも、一人だとどうしてこんなにも大変なんだろうって思うこと

沢山ある。


「ちょっと見ててもらっていいですか?」

「ちょっと今、手が離せないんで、抱っこしてもらえますか?」

その、ちょっと をお願い出来る人がいるか、いないかで

お母さんの負担はぐーーんと軽くなったり重くなったり。



その大変さは、シングルマザーの人でなくても、

旦那さんが仕事で遅くていつも一人で子育てしてるお母さんや

近くに頼れる友達や実家などがない人も

体験してることだと思う。


でも、稼いで、育児を少しでも手伝ってくれる旦那さんがいるのと、一人で仕事も育児もなシングルマザーなのだとでは、

また話が違ってくる。

ずーっと子供を一人で見てたり、

働かなくちゃ生きていけない過酷な状態で

仕事と育児の両立が、子供が風邪だのなんだので中々うまくいかなかったり、

それをたとえば仕事場の人に認めてもらえなかったり、

子供が寂しさからわがまま言ったり、暴れ出したり

そんな風にどんどんストレスが溜まりにたまりだすと

空回りのループの溝に落ちて

思わず子供に八つ当たりしてしまったり、子供の前でも我慢できなくて

泣いてしまったりする。

これは一体なんの板挟みだ?!手が二本じゃ、こころが一つじゃ追いつかないよって。

本当は頼りたい。でも、頼れない。誰に頼っていいのかも分からない。いやほんとのこと言えば

頼りたくない。一人でだって大丈夫なはずだ!

そんな状態のお母さんは、かなりピンチだ。




「シングルマザーが生き残る道は 再婚か、風俗しかないのよ」

というようなことを言う友人のセリフがあったけれど

あの彼女たちの生活を見たら、それは確かに頷けてしまう。

もちろん、色んな選択があるだろう。

でも、お金がなくてもお母さんの愛だけあれば十分なんて嘘っぱちだ。




多分、都会と田舎ではまた状況も物価も色々違うかなって思うけれど、

こういう暮らしをして頑張って生きてるお母さんと子供達がいることは

確かなんだよね。

離婚の場合は、世間の目が冷たいことだってある。

母子手当や、生活保護などを受けるのも、様々な審査をくぐりぬけやっとな状態。



私はシングルマザーになって、

最初に頭に浮かんだのが

「昼の世界で生き、夜は絶対に家にいるお母さん」でありたいと思っていた。



でも、実家にお世話になってるからこそ出来ることで、(しかも自分のやりたいこともやれている大変ありがたい環境。)


もし、本当に一人で娘と放り投げ飛ばされたら、どうなっていたことやら、、、。

今の暮らしのありがたさ、頼れる人が身近にいるありがたさが身に染みます。


そして思うのです。

仲間たちにも本当に恵まれているなって。



シングルマザーになって

私はずっと出来なかったあることに対し

心を開いたことがあって。

それは、

「助けてもらえませんか?」って言うことを恥じないこと。

苦労を見せない生き方はかっこいいのかもれない。

私は始め、なんでも自分でやること、やれることを正当化し過ぎていた。

でも、それは結局自分の首をしめ、そして娘にまで窮屈な思いをさせていた。



「でも、出来ない自分をさらけ出して、お願いしてもいいんではないか。」

と、あるとき開き直ったら、随分と暮らしが変わりだした。

それでもまだまだ、言いづらかったり、我慢したりもしちゃうこともありけど、

それでも大分言えるようになってきた。

そして、自分が抱えきれないことは、手を出さないことも覚えた。

「ごめんなさい。今の私には無理ですね~。」



心の中ではしたいことでも、今はその時じゃないなーと

手を伸ばさないことも出来るようになってきた。

でも、本当に必要なことは

また巡り巡って、タイミングを見て

自分の前に現れてくれるものだ。



「人に頼めない。自分だけで抱える」 を私は卒業!!



もちつもたれつって言うけれど、わたしはその人にその時お返しすら出来ないかもしれない。

「ありがとうございます。」しか、もしかしたら言えないかもしれない。

でも、その人の幸せを心から祈り

その人からもらったハッピーを

違う形でまた誰かにまわしていくことは、出来たりするよ。


次回、第二話 は7月10日(水) 夜10時です。

リアリティのある社会問題を取り上げたドラマは

どう世の中に影響するでしょうか。


そして、子供を女手一人で、あるいは男手一人で育ててる人たちの暮らしは、

どうしたらもっと苦しくなくなるのでしょうか?



夫婦が円満に子育てしていける道って?

家族が円満に生きていく暮らしってどんな風でしょうか?



DVは、どうして起きるのでしょうか?

虐待はどうして起こるのでしょうか?

そしてそれを改善するにはどうしたらいいのでしょうか?


価値観の違いから、どうして夫婦は別れるのでしょうか?


パートナーとの関係って?家族って?


疑問がたくさん。



そこには、深い根がたくさん絡まってる。

家族と社会はよく似てる。




私は、私の大切にしたいことを

ちゃんと大切にして暮らしていきたい。



そして、大切な人が大切にしてることも

大切にしたい。


シンプルにすると、そんな感じ。





































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年06月28日

わたしの身体は大切です。




妊娠21週目。 (だったような気がする。)

この人は太ってしまったのか?それとも妊婦さんなのか?という

ギリギリの辺で

私に声をかけずらそうにしている人がちらほらいる様子。

おなかも大分目立ってきて、胃が持ちあがって食べるとすぐお腹が苦しくなっちゃう。

あきらかにアウラの時よりもお腹の成長が早い!

しかもよく動く~!!


それにしても最近顔も丸くなったせいで、娘にそっくりだねとよく言われる。


確かに似てるな~と思う瞬間がたまにあって、

そんな自分に似ている娘のことがたまらなく可愛い自分は

やはり自分のことも愛しているんだなと思ったりする。(笑)


そして私がどんな時も愛おしくてたまらないこのアウラの顔が、どう成長していくのかも楽しみだし

出来たらこの個性豊かな表情と、彼女の素材を生かしたまま、

身体を大切にして生きて行って欲しい。なんて思ったりする。


整形手術をする人は、みんな私から見たら個性豊かで素敵なのに、

心が様々なことで傷つき痛いばかりに、その心の痛みを取り除こうとして

顔の形を変える手術に手を伸ばしてしまうように見える。

それで人生が華やかになって、本当に心が満たされるのかというと?

そこはどうなんだろうね。

人は生まれ持ったこの顔に、様々なコンプレックスを抱いていたとしても

手術をして、もう元の顔に戻れないと知った時

ものすごい寂しいような虚しいような気持ちになるって聞いたことがある。



たとえば交通事故に合ったり、火傷をして

自分の元の顔に戻したいという気持ちで手術をすることは

その人の未来の希望、サポートになると思う。

でも、生まれ持ったものを、あえて自分の思い描く理想に変える手術をするっていうのは

やはり顔の問題よりも、心の問題が先にあると思うんだよね。


私は

生まれ持ったこの顔、目は小さいし、現代的とはとても言えないこのひょうひょうとした自分の顔が嫌でたまらなかった

思春期の頃。


でも今は、そんな生まれ持った自分の顔が、生まれ持ったままの姿でいることが

なんだかとても愛おしく思えたりする。

美人だとか、可愛いとか そういうたぐいの愛おしさとは違うんだけどね。

私とずっと一緒にいる人って感じがするんだよね。

あー、この顔ね。安心するわ。私の大親友みたいな。




私は高校生のとき、本当にうすっぺらい身体をしていて

あだ名がトランプだった時があった。(笑)

あと、「ぱらっぱらっぱ」(当時流行っていたゲーム)に出てきそうだと言われていた。(身体がぺらぺらしてるんだよね)

大きな胸に憧れて

私は真剣に雑誌の広告のビフォー&アフターみたいなのをじっくり見て

豊胸手術をしたいなんて思ったことがあった。

それをぼそっと兄に話すと、(兄に話しちゃうってことが今思うと笑えるけど)

「胸なんかで男を寄せ集めたってろくなことにならないからやめろ。
 
 ありのままの自分の姿を愛してくれる人が、本物なんだぞ」

と一喝され、自分の安易な考え方から目が覚めたことがあった。

そう、若い頃って、自分の身体を自分の商品と思いがち。そして、外見で勝負したいんだよね。

自分の身体が大切だ、大好きだなんて、中々思えない。

でも、お母さんになってから思うんだよね。

自分の子供の眉毛一本がなびいてたって可愛いって。

そうやって誰かに愛された身体って、自分だけのものじゃないんだ。

そしてあんなに憧れていた大きな胸。

それが手に入ったのが妊娠して赤ちゃんを授かってから!!

まさかこんな時がくるとは思ってもみなかった。

授乳中もすごいったらもう!(笑)

でも、胸が大きいと大きいで、辛いこともあるんだなーと知った。

そして胸の活用法って、男性を喜ばすためだけではなく!

本来の目的は赤ちゃんのいのちを繋ぐ大切な場所であったことを

初めて知ったんだよ。

だから歌ったよ、作ったよ おっぱいのうた!


女性の身体って、ものすごい変化するんだよね。

それってホントにびっくりした。

そしていつからでも、気が付いた時から

変われるんだって思った。





おへそにピアスを開けた時もそうだった。

ピアスくらいいいだろうと思って開けたら、おへそから中々出血が止まらなくて

真っ赤にそまったティッシュを見て心底後悔した。

そして当時付き合っていた男性にすっごい怒られた。

「私の身体なんだから、私の好きなようにしていいじゃん!!」ってその時はすごい腹が立ったけれど、

「そんなめぐちゃんみたら、親は悲しむぜ~!」と言っていた彼は

私なんかよりずっと、身体というものがどんな風に大切か分かっていた人だったんだなーと

今思うとそんな彼の心の優しさに感謝出来る。


私は金属アレルギーなので、結局ピアスは閉じてしまったけれど、

若い頃の安易な気持ちっていうのは、本当にちょっと待ったが必要な時もあるある。


私は自分が飽き性であることを知っていたし、いかにも痛そうな刺青はしなかった。

一生この絵と生きていきたい。と思える絵にも巡り合っていなかった。

そして何も描かれていない私の身体は、とてもシンプルで見飽きないのだった。


なので私の身体には絵はないけれど、私の中からは様々な絵が飛び出していくよ。


考え方は人それぞれ。

その人に合った絵を持つ身体には、ものすごいエネルギーが感じられたりもする。

でも、もし自分の子供が その時だけの安易な気持ちでデザインを選び

身体に刻み込もうとするならば、

絶対に 「ちょっと待った!!」 をかけるだろう。


「その絵はあなたの身体に本当に必要か?三年本気で考えてみて。」 と。



ドラッグにも簡単に手を出すなかれ!!

そういった一瞬の快楽はいずれ自分を苦しめることに繋がる。




女性は特に

妊娠やお産を通してそのすべてを感じられる時がくる。


宇宙との繋がり、地球との繋がり、人間と自然との一体感。

そこの感性を豊にするには、快楽や感覚を研ぎ澄ませるドラッグ類は必要ないんだよ。


自分の生まれ持った感性を、信じて欲しい。あなたのままで、もっともっと感じられる力を広げられる。

あえて繋がるのは、シャーマンに任せようよ。

シャーマンに本気でなりたいなら、古来から伝わる、本当に素晴らしいものを。




そして、中々思えないかもしれないけれど

「いつかもしかしたらお母さんになる自分の身体」っていう選択肢を、

頭の片隅に置いて、自分の身体を大切に、そして仲良くなって欲しいと思う。

それは未来の自分のために。

それは男性にも言える。

いつか自分の遺伝子を残すときが来る可能性がゼロでないならば、

健康な精子を女性に送ってあげて欲しいなーと思う。



口から入る食べ物、飲み物、環境も自分を創るけど

何が入ってるか分からない、巷で手に入る安易なドラッグには本当に要注意。

旅先で悲しいことになってる人に出逢って、本当にそう思ったんだ。

日本でも、簡単に手に入っちゃう時代だからね。



と、うるさいおばさんみたいになっていますが、、、



自分自身が天然石であることは、磨けば磨くほど

内側からの光をキラキラと生みだしていく。




というわけで、今日はそんな内側の美を引き出すため

ヘナサロンイシスさんへ行き、髪の毛を切ってもらいました。

髪の毛を切ると、自分のエネルギーの何かが変わるのが分かる。

そしてすっきりする。

今日も色々気持ちがいい決意が出来ました。

私がもう手放していいこと。

そして、これから大事にしたいことがはっきり見えてきた。



そしてそんな美容師のみほさんは

本当に内側からキラキラと美しい人。

思わず言ってしまいました。

「本当に美しいですね!!」って。 


私の顔

私の身体

もっとこうだったらなーって思う部分、もちろんあるけれど、

でも、わたしの魂が必死で見つけて

この身体で一生を過ごそうって決めた場所。



だから、愛おしいし

そこにいて、この人生

間違いないんだよ。



ありがとう身体~~!!

















































































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年06月27日

人の美しい瞬間




雨が、今にも降り出しそうなほど灰色の雲は分厚く

遠くの方で雷が太鼓を叩く音がしていた。

私は急いで娘の保育園のお迎えに車で向かっていた。

雷が大嫌いな三歳の娘。

今頃、怖くて震えてるんじゃないか。

教室の窓から、顔をのぞかせて私を待ってる娘の顔が浮かぶ。


早く迎えに行ってあげなくちゃ。


そんなことを思いながら、ハンドルの向こうに広がる茶臼山の空に目をやった。

北の空は灰色の分厚い雲が覆いかぶさってるというのに、茶臼山の真上は

光が神様の指先みたいに差し込んでいて

とてもやさしい夕焼けの色が、雲の隙間から流れていた。


車内にかかっていたやさしい女性の歌声とそれは見事に溶け合って

さっきまで急いでいた私の心がふと静まるのが分かった。


保育園の駐車場は案の定混んでいて、私はスピードを落とし、ゆっくりと脇に停車した。

すると、黄色い帽子をかぶった年中さんくらいの男の子が、ひとりでうろうろ歩いてるではないか。

あれ?お母さんどうしたんだろう?

こんな混み合う駐車場で、子供が一人で歩くなんてとても危険。

ハラハラした気持ちでその子を見つめると、その子も私に気が付いた。

その男の子の瞳が、不安そうでいて、それでいてどこかわくわくしているのが分かった。

まわりに危険がないかどうかだけ気を配って、私はその子に微笑んだ。

すると、傘をさして小さい子供を抱っこしたお母さんが慌てふためいて走ってきて

「どこにいるの?ゆー君!どこ?」 と 叫んでいた。

その子の母親だ。

その声はとても力強く、そして瞳は少し潤んでいた。

男の子の姿を見つけると

「もう!!勝手に行っちゃだめだっていつも言ってるでしょう!!」

とその子を思いっきり叱っていた。

そしてその子はお母さんに手を繋がれ、ごめんなさいという声と共に、少しだけにんまりしていた。


なんでだろう。

私はとても暖かい気持ちに包まれて

一瞬泣きそうになった。


見つけてもらえて良かったね。って思った。

そして、そんなお母さんと男の子のやりとりが

とってもとっても愛おしものに思えた。



見上げた茶臼山の空は、やっぱり美しくて

心のけがれをすべて洗ってくれるような心地よさがあった。


それは子供のころ見た あのどこまでも赤く雄大な夕焼けの感動にとても近かった。

もう、大人になった私には感じられないかと思っていた。



やっとこ車が停められたので

慌てて娘を迎えに教室に向かう。

こっそり窓から様子を伺うと

楽しそうに走り回ってるわが子と子供達の姿が見えた。

なんだ、雷怖くなかったんだね。

よかった。

よかった。


娘のお気に入りのイチゴ柄の傘と、一回り大きい私の傘を並べて

私は靴を脱いだ。



お母さんなんだな。私も。


そんなことを思ったんだよ。



























  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年06月18日

アウラと赤ちゃんの生まれてくる前の記憶




先日

仲間たちと親子ピクニックを楽しみました。

この梅雨時期に(笑)

前の日にどっさり雨が降って

朝起きてもお天気は微妙。

でも、絶対晴れる気がしていました。だってサモサを揚げたから!!

といっても、ジャガイモの入ったインド風ではなくてなんちゃってサモサ☆

餃子の皮で具を包んで揚げただけの簡単サモサです。

ブロッコリーを煮てカレーパウダーであえたもの、バナナ、リンゴジャムと揚げてみました。



朝から 「サッモ~さ、さっも~さ♪」


となぜかラテン調のサモサのうたを作って娘と大はしゃぎの私。

車の中でも 私が小声で 「サモサ」 とつぶやくだけで 娘は大爆笑!

あ~、娘の笑いのツボが簡単に探せてでなによりです。すぐ笑ってくれるんだもん。可愛い彼女だわ。

そしてこの車内で、娘はある重大なことを話してくれました!!




「お腹の赤ちゃんさ~、太陽って感じがすごくするんだけど、男の子だったら陽太くんとかどうかな?」

と私が話すと、突然アウラが


「あのね、ヨータさ、タイでさ、あーちゃんがママのおなかからすぽーんて生まれてくる時にさ、

 あーちゃんママのことまっててさ、ママもあーちゃんのことまってるときさ

 あーちゃんお山で ヨータと遊んでたのママ見てた?」

と話し出したのです!! しかもいつも以上にすらすらと!

「え? ママ知らなかったよ!見てなかったよごめん。おやまに陽太といたの?」


「うん。ヨータさ、あーちゃんとおもちゃであそんでてさ、ヨータさ、ピアノひいたりしてたよ」


じぇじぇ!!(げげ)


「へ~!ピアノひいてたの?すごいね~で、おやまってどこのお山?」

「タイのお山だよ。」

、、、 え~それはもしかして私がずっと大好きだった PAIのおっぱい山だったりして???

あのおっぱい山からみごとな月が昇った夜、私は産気づいたんだよね。

ちょっと鳥肌がざざざ~~。

「ヨウタはどんな子なの?」 と私。

「かわいいの。ヨータいい子だよ。あー、あーちゃん はずかしい!!」

と、急に手を顔に当てて照れ出す娘さん。

いや~、なんだかとても感動しちゃって、涙が出てきそうになりました。

今まで体内記憶とか聞き出したいなーと思っても

さっぱり覚えてない感じだったアウラさん。

名前は陽太君になるかはまだ分からないけれど、(男の子か女の子かもまだ不明だしね。)

なんか、絶対いい兄弟になるだろうなって思いました。

そしてアウラが先に生まれてきてくれたことも、きっと意味があるんだろうね。

赤ちゃんに戻ってみたり、急にお姉ちゃんぽくなってみたり

日々色々彼女の中に変化があります。

でも、私はすごくアウラがいてくれるだけで心強いのです。

きっと楽しい家族になるなって、すごく思うから。


無理してお姉ちゃんになろうと頑張らなくていいからね。

アウラはアウラで充分、家族のハーモニーとなってくれてるからさ。


「ママね、お腹の赤ちゃんが生まれても、アウラのことが大好きな気持ちは変わりないよ。大好きだよ」

と言うと、

「あーちゃんも、ママのことだーいすきだよ♪」


と抱きしめてくれました。


私たちの絆は、本当に強いと感じます。

今のところ出番の少ないパパのことも、アウラは大好きでいます。そこの絆も強いらしいぞ。


さあ、どんな子が誕生するでしょうか。あと4か月後、あっという間です。


それにしてもピクニック、とても楽しかった。

最後にみんなで子供と大人と手を繋いで 和になる遊びをしました。

手をつなぐと、一瞬自分が大人であることを忘れて

子供になったみたいな気持ちになりました。

「めぐちゃん、あそぼ~!」

そう呼ばれていたときの自分と、今の自分と

何が変わったのでしょうか?


子供から母親へと立場が変わっただけで

子供のときの私も、今の私も同じ私なのだと 気が付きました。


母親の立場になって、とたんに「母親とはこうあるべきではないか?」というものに

とらわれ、本来の私という感性を無理して隠していたように感じます。


「お母さんとはこうあるべき」 という理想像は置いといてよし。

「私はこう思うよ」 そう、 お母さんだけど、私なんですよね。



あなたよりこの世界を少しだけ長く生きた、私なのでした。


最後になりましたが、トップの写真はCanaさんが撮ってくれたもの。

いつも本当に素敵な写真をありがとうカナさん☆































 




  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年06月15日

恥ずかしい高校時代



娘は私の過去の日記を

いつもにやにやしながら持ってくる。

まったくもう!!どっから探し当ててきたのか?!

字は読めないはずなのに、なんでかな~。

それが私にとって恥ずかしいものであることを、彼女は知っているかのように

「やってやったぜ。」といわんばかりの顔で私に差し出してくるのだった。

猫が 「とってやったぜ」 と ネズミを加えて飼い主に見せびらかしにくる様に

それは似ているかもしれない。


持ってきたのは私が高校生の時に書いていた日記帳。

柄にもなくキティちゃんの日記帳に、キラキラしたペンでまるっこい字がぎっしり書かれている。

ちょっと読み返してみてもう赤面!!

あたしって本当にバカだ!!!

あの頃にくらべたら大分まともな人間になり始めてる気がして、少しだけ自分の成長にほっとしたけれど、、、。

高校生だった私の頭の中は、かなりもったいない時間を過ごしていたように思われた、、、。

彼氏とラブラブだの喧嘩しだの どーのこーのの話題がほとんど・・・。

私の高校時代は本当にどうしようもなかったなー。

授業は全部、辞書をまくらに寝ていただけ。本当にあの三年間で何を勉強したかまったく覚えていない。

唯一、褒めてもらえて嬉しかったと記憶しているのが、

作文を書く授業で、「あなたの書く文章は中々センスがある。おもしろいね」と先生に褒めらたことだけ。

そのとき書いた文章の内容は確か

「ガングロギャルと昔のお歯黒のお姫様は、実は同じような精神性を持っているのではないか。」

という内容だったと思う。

あの時代、まさしくガングロギャルや汚ギャルなどと呼ばれる女子高生の人種が

世の中の注目を集めていた時代。

私も行ったことあるんですよ、日焼けマシーン!! (苦笑)

はいてましたよルーズソックス。学校帰りにいつもトイレで履き替えて

先生に駅で捕まって没収されて裸足で帰ったりしていましたよ。(笑)

金髪にしようと思って行った美容院で、なぜか頭をグリーンにされて

泣きながらお母さんに迎えに来てもらったこともあったっけな、、、。

ああ、痛い。痛すぎる高校生活、、、。

でも、いまどきを気取っていた私ですが

実は中学の頃から高校生まで、父が昔使っていた一眼レフのカメラをぶら下げて

友人たちにモデルを頼んだりして、服飾が好きだった友人が作った衣装を着せて

撮影場所まで泊まりで行ったりして、

手作りの写真集を作ったりしていました。


まだパソコンなんてない時代だったけれど、拡大コピーとかしに何度もコンビニに通ったりして

そんな感じで作った写真集は三冊。 怪しいんだなこれがまた、、、。


高校生活は色々な辛い体験も沢山させてもらいました。 今思うと、私のこれまでの人生の中で

一番人間関係にもまれたのが、あの女子高での三年間だった気がするなー。


人にもまれること。そういうことも若いときに沢山しておくことって大事かも。

あの時沢山泣いたり悩んだ分、私は今あまり悩まないですんでいるのかも。

子供にとって何がいい環境だったのかは、やはり過ぎてみて本人が振り返ったときに

「あの時の苦い体験があったからこそ、今は強くなれてる 」 って思えることや

「あの時の楽しかった体験が、友達と過ごした時間があるから、その体験が今に繋がってる」 とか

苦いことも楽しいことも、過去のとらえ方が気持ちがいい方向であれば、どんな体験も間違いないってことかなーと。




今思えば、私が長野を出て東京に行ったのは

高校生の時の友人に会いたくないという理由もひとつありました。

二度と地元なんかに戻るものか!!と思って出たものの、東京での暮らしも合わなくて

結局問題は環境ではなく自分の性質にあったか。と気が付き

長野に帰ってきて、一から新たな人間関係を築いていくと共に

自分なりのアクションを人と繋がりながらどんどん起こせるようになっていきました。

とても素敵な縁に恵まれ、高校生のとき感じていた 「つまらない長野」

から、「おもしろい長野!!」 に気が付けるようになれた。

それは、長野が変わったということよりも、自分が変わったからなんだよね。


山に囲まれてることが、閉鎖的に思っていた子けれど

今は

「山が守ってくれてるんだなーっ」て思えるし。


どこを見ても山じゃん!!ってことが、とっても魅力的に感じられる。


「畑と田んぼばっかじゃん!!」って思っていたことが

今となっては

作物がこんなにも育つ大地があるなんて、なんて幸せなんだろう。って感謝している。


でもそれは、長野にずっといたんじゃ私には気が付けなかったこと。


いつか娘も言うのかな。

「おら生まれ故郷のタイさいくだ~」

って。(笑)


それは賛成! どこでもいいさ~。



世界中どこでも、お母さんはアウラに何かあったら

すぐ駆けつけられるから!


あー、恥ずかしい高校生活。

みなさんにもありますか?

今度ゆっくり話しましょう。 








































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年06月11日

わたしの喜び。遺伝子は知っている。





6月

ありがたいことに沢山の小梅を頂く。

去年から始めた梅仕事。

一年に一度しかないこの旬の時を、自分の指先を使い、そしてお日様の光に照らされ、風と共に新たに産みだされていく

その姿に、とても豊かでなんとも愛おしい感覚が感じられる。

まさしく自然と、人の手、そして不思議な力が織りなすハーモニー♪



青い梅のへたをもくもくと取り除いてるとき、私の中に生まれる静寂となんともいえないわくわく感。

昔の人も、きっと現代の人も

この時ばかりは同じ感覚の中にいるのではないかと思う。


変わらない手仕事の伝統。

その中には、やはり変わらない感動が存在するのではないだろうか。

こういう仕事をしているとき、私の古代からの遺伝子が喜んでいるようにも感じる。

私の遺伝子は知っているんだ。

沢山のことを。この地球で体験してきた様々なことを。いや、もしかしたらもっともっと遠い昔

違う星にいたときの体験も記憶の底にあるかもしれない。

一体どれだけの人の体験が、そして生き方が、食べてきたものが、愛が

私に受け継がれたのだろうか、、、。

私は一人で生きているんではないと思う訳には、そういう命の繋がりに気が付けたからということもあるのかも。

そして身体の記憶と共に、私たちには魂の記憶も存在しているらしい。

それはそれは沢山の、可能性を秘めた私たちの身体は、

一人として無駄な人などいないことを教えてくれる。


私のお役目はなんだろう?



遺伝子は知っているのに、今の私が忘れてしまってることをもう一度体験を通し感じ思い出すとき、

そこにはとても深い喜びと感動があり、そして大切にしてくれる人に伝えていきたいと無意識で思うのだった。


**遺伝子の科学者じゃないから、科学的にどうなのかはまったく分からない話です。

(これはただ、わたしの感じたレベルの話なのであしからず~)



私は最近、とにかく作ることが楽しくてしょうがない。

産みだすこと

育てること

そして想像し、形にすること

それを使うこと 食べること 


そこには誰かの笑顔があり、そして自分の中に深い喜びがある。

それは欲しい物を買って、消費するときの手軽な喜びとはまったくの別の感覚であることに

最近気が付いた。


そして、それこそが 「 豊か 」 という感覚なのではないか、と ふと思った。

二十代前半、都会に暮らし消費しかしていない生活を送っていた時

私の喜びは豊ではなく 「発散」でしかなかった。

稼いだお金で欲しい物を買い、それを身にまとい、意図的に作られた流行りの美しさを自慢し

そして誰かが作ったおいしい料理を食べ、用意されたリゾートへ遊びに行く。

誰かが産みだした音楽に酔いしれ、夜中踊り狂い、酒を飲み、自分を忘れる。

そしてそれこそが大人の遊びであると思い込み、気取っていたあの頃。

生産性はゼロ。


そんな暮らしに、豊かさをまったく感じられなくなり精神を病んだ私の感性は

案外捨てたもんではなかったかなと、それだけが唯一の救いだと思われる。

もちろん、そういった暮らしの中にも喜びはあるけれど、それはやはり「ストレスの発散」

というものが自分の根底にあったような気がする。


そして私は気が付けば、この数年で色々なものを産みだせる人に変化していった。

上手いか下手かは置いておいて。(笑)


そしてまわりの友人たちもまた、発散することが得意だった人たちから

生みだす人と変化していった。


そしてまだまだ、もっともっと私には作れるものがあることにわくわくしている。





作る喜び、そして

受け取る喜びももちろんある。

自然の恵みを受け取る

そして誰かがそんな喜びの中で作ってくれたものを受け取る

与えられたチャンスを受け取る

色々な受け取ることによって

私たちの暮らしは循環している


その喜びの循環が、

私のいのちが繋がれ、生きている理由の一つではないかと思う。


沢山の喜び、または苦しみや悲しみの循環の中に、それでも命を繋ぐ大きな愛と共に

私たちの遺伝子、そして命のバトンが受け継がれ続けてきた。


すごいわ~。


私の中の素晴らしい遺伝子の記憶

どんどん目覚めていきますように。

そしてもう一つ

もう必要のない苦しみの連鎖は

私で打ち切らせてもらいます。


自分で負の連鎖を断ち切っていく勇気と行動

その強さを私は持ちたいな。


そこは、今の私が頑張りたいところ。

それでもダメだったところは、未来のみんなにお願いするしかないのかな~。




最近作った物シリーズ



娘がいつも探して歩いている物たちの寝床。

物を探す時間ってストレスだしはっきりいって無駄。


私も物をすぐ失くしやすい人。 置き場所がいつも違うってことが問題なんだよね~ってことで作ってみた。

娘の反応はとても良かった!!

しめしめ。

私にも必要だな、、、。







マイクスタンドのケース。

昔買ったインドのタペストリー。かなり色あせていて壁には掛ける気がしない。

でも、生地の厚みや手刺繍がとても好きなので、リメイクしました。

蘇った!! 嬉しい☆



そうそう、こんな物を作っていられる時間があるってことが

そもそもご褒美だ。


ありがたいです。


ありがとう~~!!


そんな、今まで中々持てなかった時間を

受け取らせてもらいました。


たけのこも頂いて、早速母と皮をむき、

今日はたけのことサバ缶のスープにして食べました。

旬のものをいただくって、本当に 身体も心も豊かにしてくれます。

本当に、幸せな一日でした。


おやすみなさい☆


ありがとう☆
































































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る


2013年06月03日

お父さんとお母さんは本当に一人だけなのか?





先日観た、「カンタ!ティモール」という映画の中に

東ティモールの人たちは、自分の兄弟の子供たちに対し

姪とか甥という言葉がなく、みんな自分の子供という意識で子育てしているというのが衝撃的だった。

そして、子供達も自分の親の兄弟たちを 「おじさん、おばさん」ではなくて

「お父さん、お母さん」 と呼んでいたのだ!



すごい!!


そして、たとえば家で喧嘩とかして飛び出したとしても

当たり前のようにもうひとつの家族の元へ行ってごはんを食べたりも普通。(これは日本でもある光景かな?)


「人間は、束になって生きていくべきだよ。」


というメッセージが、本当に日常に当たり前に行われていることが、とても胸に染みた。


私はパートナーと一緒に暮らすことがどうしても上手くいかず、

まだ赤ちゃんだった娘と出戻り、実家にずっとお世話になって一緒に暮らしてきたわけだが、

心の中でいつも思っていたことは、

「 迷惑かけちゃいけない。早く自立しなくちゃ。甘えてばかりではダメだ。この家を出なくちゃ 」

だった。


私の実の両親は、出戻った娘とその娘を、大歓迎とは言えないだろけれど、

出来る限りの大きな気持ちで、出迎えてくれた。


赤ん坊のアウラのお世話に時には困難を感じたり、パートナーとの夢が叶わなかった現実を受け入れるのに

傷心した私の心の苦しさや、働きながら小さな子を育てることがどういうことなのか、

一番近くにいてくれた母がいつも話を聞いてくれ、懸命に支えてくれ、そして喧嘩しても何しても

毎日一緒にごはんを食べてくれるだけで、私は家族の暖かさを感じ

精神が乱れずにすんでいたんだと思う。

そして一緒に子育てしてくれる人がいるっていう安心感。

「自分がムリ~~!!」って時に、「じゃあこっちによこしなさい。」って言ってくれる人が

すぐそばにいるってことに、どれだけ救われたことか、、、。

虐待しちゃったり、子供を放置しちゃったりする人は

多分、こどもを誰かに預けることが出来ない切羽詰まった状況の人が多いんじゃないかな?


シングルで、身内もそばにいなくて、頼れる友人もいないお母さんとか

本当に心配だ。

そういう人はぜひ、託児所とか、保育園の一時預かりとかを利用して欲しいな。

本当は、隣に住んでる人と仲良くしておくことが一番な気もするけれど。

中々それが難しい世の中、、、。っていうのがそもそもおかしいよね~!

東京に住んでた時、4年住んでいたマンションの隣の住人と

一回もしゃべったことなかったもんな~。




子育てをしてみて、初めて私は思ったんだ。

一人では子供は育てられないし、育てられない様になってるんだって。

神様はわざとそうしたんだよね、きっと。


「私はひとりでだって大丈夫だから!」

なんて、変ないじはってると、子供も親も余裕がなくなってきっと共倒れになる。



そこには本当にたくさんの人の手が必要で、そしてそれは小学校の運動会でやった

大玉ころがしのように

大玉である子供が落っこちてしまわない様に、たくさんの手で支えられてこそ

その子の人生が運び始めるものなのだと、、、。



そして、沢山の人の手によって支えられた子は、

いつか自分が大玉を支える手になることを嬉しく思うし

とても自然に出来るんだと思う。



今日は、兄の家族が遊びに来てくれて

子供達からはアウラの誕生日を祝ったメッセージカードと

お義姉さんからは、手作りのバックを頂いた。

AURA の名前が縫われていて、それはもうひとりのお母さんが作ってくれたみたいに

暖かく感じられた。 本当に嬉しかった!!!!

ありがとう、みんな☆



本当のお父さんがすぐそばにいない。

そんな環境を娘に与えてしまったことを、本当に申し訳なく思ったり

自分がしてしまったことを責めて辛くなったりすることもあったけれど、

でも私は気が付いたんだ。


お父さんとお母さんは、ひとりじゃないって。


もし、そこで自分がお父さんとお母さんは一人だと決めつけて、そこを求めてしまうようだったら

きっと一人のままだけど、

でも、ひとりじゃないなって思った瞬間から

もっと深い繋がりに気が付くことが出来たんだよ。


自分を産んでくれた人は この地球にただひとり。


でも、育ててくれた人、自分を守ってくれた人、自分の色んなところに気が付かせてくれた人

色んなことを学ばせてくれた人

そんな自分のそばにいてくれた大人は、みんなもう一人のお父さん、お母さんかもしれない。


大きな意味でさ~。


そんな素敵な大人に、沢山出逢って欲しいと思ったし、出逢えるような環境を作りたいと思った。


そして私自身も、そう思ってもらえるような大人、家族として

私も甥っ子たちや、まわりの子供達にも接していきたいと思った。


家族として束で生きることって、近いからこそ

今の現代人が苦手とするようなコミュニケーションも増えてくる。

でも、そのすったもんだな感じが

きっと人間らしさを築いてくれるんだと思うよ。


家族は多い方がいいな~。

アウラには兄弟がすでに沢山いる。

もっともっと、増えたら楽しいね♪



お父さんとお母さんは

ひとりじゃないよ


みんなで育てよ~う


もっと 他人に 甘えていいんだよ

もっと 家族に 甘えていいんだよ


だってほら お互い様だから


インド人はありがとうを言わないんだよ

だってほら  もちつもたれつ

頼って頼られて 当たり前だから

いちいち言わなくても わかりあってるんだよ

人は ひとりじゃ生きられないって



お世話され お世話して

おむつを替えて  おむつを替えられて


そうやって人は死んでいくんだ


甥っ子に言われた今日の一言


「ねえ、めぐちゃんはこの家にいれて幸せ?」

「え?幸せだよ」

「僕も、僕のおうちにいて幸せだよ。やったね!」




望む暮らしは色々あるけれど、

いまここにこうして生きていられること、幸せだね。


ありがとう。





















































  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る